その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、映画、本などなどについての個人的覚書。SINCE 2008

1988年2月 リッカルド・ムーティ指揮、フィラデルフィア管弦楽団、ベートーヴェン交響曲第7番ほか《実家の片付け発掘シリーズ②》

2021-08-29 07:30:10 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)


 フィラデルフィア管弦楽団といえば、ユージン・オーマンディと「華麗なるフィラデルフィア・サウンド」というのが定番のようだが、私がフィラデルフィア近郊(とはいっても車で1時間近く離れているが)に滞在していた1987‐88のシーズンはムーティが音楽監督のポストについていた(当時の私は、空白だった音楽監督のポストにムーティが就任したシーズンと理解していたが、Wikiによると1980年から音楽監督となっているので私の勘違いだったよう)。ただこのシーズンは、スケジュールの都合か、秋口にシーズンが始まってもムーティは一向に現れず、年が明けての2月になってやっとの登場となった。

 覚えているのは、2月の演奏会前に地元紙の週末版に随分長いインタビュー記事が掲載されており、「演奏会がいつも遅れて始まるが、しっかり時間厳守で始めたい」、「Academy of Music(フィラ管の本拠地)は歴史的構造物としては良いが音響が悪いので移りたい」、「プログラムが保守的、新しいものにチャレンジしたい」というようなことを言っていた。地元紙のコメントは、「やっとフィラデルフィアに現れたムーティが、保守的なフィラデルフィアの聴衆を今シーズンどう引きつけるかお手並み拝見」という微妙な雰囲気だったと記憶している(当時の私の英語力に基づく記憶なので、どこまで正確かは保証なしです)。

 演奏会に出かけてみて驚いたのは、ムーティのオーラ。舞台に登場した瞬間にその場を支配するような力強さが滲み出ていて、それが5階席の私にもはっきりわかる。前半のバッハの「G線上のアリア」の美しさは天にも上るような心持ちだった。後半のベートーヴェンの交響曲第7番は生で聴くのは初めてで、第3,4楽章の畳みかける、揺るぎない、堂々たる演奏に、すっかり魅了された。クラシック音楽ってこんなにエキサイティングなんだと知った。



 これ以来、ムーティの指揮に接する機会はそれほどなかった(来日公演は基本、高額過ぎて手が出ない)のだけど、このコンビのCDは随分買ったし、90年代にムーティがフィラ管を率いて来日した時は何が何でもと思いサントリーホールに聴きに行った。ロンドン駐在時にフィルハーモニア管を振ったときは、久しぶりの生ムーティで懐かしさに涙がこぼれそうだった。クラシック音楽の原体験の一つとして、常にムーティは私にとって特別な存在だ。


〈アナログ「バカチョン」カメラの最大望遠で5階席からのピンボケ一枚〉

この学生プログラム(前回投稿参照ください)のおかけで毎月、定期演奏会でいろんな音楽や音楽家に接することの楽しさ、面白さを覚えることができた。昭和親父の説教のようで気が引けるが、「自分の人生を豊かにしてくれることは、いつもどこかにいろいろ転がっている。(特に若いうちは、)できるだけ拾って、リアルな体験をつむことが大事」と学んだ大切な経験だ。


〈1987年10~12月のフィラ管、定演チケットの半券〉

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1988年1月 クラウス・テンシュテット指揮、フィラデルフィア管弦楽団、ブルックナー交響曲第7番 《実家の片付け発掘シリーズ①》

2021-08-27 07:37:37 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)



 あまり過去の思い出に浸るようなことは好みではないのだが、このお盆、どこに出かけることも無く、実家の片付けにいそしんでいたら、本当に懐かしい若かりし時の思い出の品が発掘されたので、記録しておきたい。
 
 学生のころ、アメリカ文化への憧れと英語学習目的でフィラデルフィア近郊の学校に半年ほど語学留学した。偶然、学生向けカルチャープログラムでフィラデルフィア管弦楽団の定期演奏会を毎月視聴するという企画があったので、物見半分で申し込んでみた。最安席(5階席!)をスクールバスでの送迎付きで、7ドルという当時でも破格の価格だった。それまで日本での生の演奏会経験は2,3回程度だったのだが、ここでの冷やかし半分の経験が、今の演奏会通いに導いたきっかけとなった。
 
 今でも印象に残っているのが、1988年1月のテンシュテット指揮のブルックナーの7番。初めて聴く曲で、聴きどころも全くわからないままだったのだが、とにかく武骨にグイグイと畳みかける音塊に圧倒された。前半のチャイコフスキーの〈ロココの主題による変奏曲〉の甘く優美な音楽に酔いしれていたので、それとのギャップも驚きだった。これ以降、ブルックナーの7番を聴けば、この時の感動と比較してしまうので、進んでこの曲を聴きに行くことができないままでいる。
 
 キャンパスからアパートまで2キロ程の帰路を、氷点下を優に下回る気温、かつ体が吹き飛ばされそうな逆風の中を歩いて帰った。凍死するのではないかという恐怖に襲われるほどの寒さで、コットンのコートの襟を立てて、体を縮ませて歩んだ。それでも、胸のうちだけは音楽を聴いた熱い感動がそのまま維持されていたのを今でも体が覚えている。


〈プログラム表紙〉


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映画:『最高の人生のつくり方』(ロブ・ライナー監督、2014年)

2021-08-21 07:30:03 | 映画



 監督は「スタンドバイミー」のロブ・ライナー監督。明るい気持ちで、くすっと笑えるライトタッチなシニア男女のラブ・ストーリーだ。

 オーラが画面からこぼれんばかりの2人の大俳優、マイケル・ダクラスとダイアン・キートンの圧倒的存在感に畏れいる。とりわけ、ダイアン・キートンは、どうしたらこんなに素敵に歳を重ねることができるのかと、ため息が出るほどチャーミングで魅力的だ。

 原題は And So It Goes(「しょうがない」/「これが人生さ」みたいな感じ)。私世代にはビリー・ジョエルの歌のタイトルだし、若い人には「テイラー・スウィフトの歌だよ」となるのだろうが、これが何故『最高の人生のつくり方』という邦訳になるのかは理解に苦しむ。作品を的確に言い表しているとも思えない。同じロブ・ライナー監督の『最高の人生の見つけ方」(2007年)にあやかったのかもしれないが、逆にタイトルで損している気がする。

ただ、作品は外れなしだ。見ていて心地よい、良心的なアメリカ映画である。


監督 ロブ・ライナー
脚本 マーク・アンドラス
製作 ロブ・ライナー
アラン・グライスマン
マーク・ダモン

出演者 マイケル・ダグラス
ダイアン・キートン
スターリング・ジェリンズ
音楽 マーク・シャイマン
撮影 リード・モラーノ
編集 ドリアン・ハリス


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梅村達『派遣添乗員ヘトヘト日記――当年66歳、本日も“日雇い派遣"で旅に出ます』(フォレスト出版、2020)

2021-08-15 07:34:15 | 


シニアによる現場仕事の最前線をレポートする「×××日記」が何冊も出版されているが、本書もその一冊。図書館の返却本の書棚にあったので手に取ってみたら、気軽に読めて面白く、期待以上の読み物だった。

「仕事」体験談はリアルで現場ならではのアクシデント、人間模様に満ちている。旅行添乗員の大変さは容易に想像つく。旅行は人により期待するものが全然違うだろうから、そんな人たちを束ねてご案内するという仕事なんて、私にはミッションインポッシブルにしか見えない。そんな高い難易度がユーモラスに語られている。多種多様なお客さんだけでなく、業務の依頼元である旅行代理店との関係やバスドライバーとの相性もあり、業務知識はもちろん、人としての機転やおおらかさがないと務まらない仕事であることが良く分かる。

そんな大変さがしみじみとわかる現場報告だ。ネタバレになるので、あとは読んでのお楽しみということで。

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オードリー・タン『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』プレジデント、2020

2021-08-12 07:44:16 | 


台湾で35歳の史上最年少でデジタル担当政務委員として入閣。コロナ禍においてもITを駆使した感染拡大防止策で効果を上げ、日本でも一躍有名となったタンドリー・タン氏がデジタルやAIについての考えを語った一冊。編集者とのインタビュー/ディスカッションをまとめたもので、構成や論理展開に分かりにくさが所々あるものの、氏の生い立ち、考えが理解できる一冊である。

中学を中退し、独学、起業を経て現在に至る型にはまらないスケール大きい経験値や能力がにじみ出ている。氏の人や社会を観る目は優しく、大らかで、楽観的だ。インクルージョンの思想の元、すべてを包み込む温かさを感じる。

備忘録として印象に残った点を3つほどメモしておきたい。

・AIやディープラーニングも決して社会の方向性を変えるものではない。AIはあくまでも人間を補助するツールであり、進むべき方向を決めるのは人類であるとし、AIと人間の関係をドラえもんとのび太の関係に例える。ドラえもん(=AI、ロボット)の目的はのび太を成長させることであって、のび太に命令して何かをやらせることではない。のび太もドラえもんだけでなく、家族や友達との相互交流の中で生きている。

・「公共の利益」「共通の価値・解決策」と言った「公」への意識が強いのが氏の特徴。そして、台湾や日本に特徴的なインク―ジョン(例えば、多神教)や寛容の精神が異なるものを昇華させ、イノベーションの基礎になるとも言う。新鮮な視点である。

・子供はデジタルの「スキル」よりも「素養」(平素の学習で身につけた教養や技術)が大切であると説く。プログラミング言語よりも、「子どもたちが一つの問題をいくつかの小さなステップに分解し、多くの人たちが共同で解決する」プロセスを学ぶプログラミング思考を学ぶべきである。
そして、デジタル社会で求められるのは「自発性」「相互理解」「共好」の素養であること、STEAM+D(Science, Technology, Engineering, Arts, Mathematics + Design)教育の根幹はScienceとTechnologyであるが、創造性を与えるのはArtsでありDesignである。

インタビューをまとめた内容だから簡単に読めるものの、読み流さず、その真意をしっかり理解したい1冊だ。

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NHK「噺(はなし)家 柳家小三治 コロナ禍と戦う男」

2021-08-07 10:33:15 | 日記 (2012.8~)


6月に放映されて録画したままになっていた小三治師匠のドキュメンタリーを見る。落語界3人目の人間国宝にして、81歳の今なお、高座に上がる。コロナ禍での師匠の生き様がレポートされた見どころ一杯の力作だった。

師匠の落語は、この6月に近隣の市民会館での独演会があったので、初めて生で聴いた。マクラが長くて面白い。前半はまくらだけで40分以上話し続けた。演目は「長短」と「粗忽長屋」。登場人物の演じ分け方が絶妙で、目の前で二人がいるようだ。前列2列目で、師匠がにこっと笑うときの視線が、自分に向けられているような気にさせてくれる良席だったこともあり、その表情の豊かさにも魅了された。2時間、ひとり座って、話し、聴衆を引きつけ続け、楽しい、幸せな気持ちにさせてくれる。落語家って、凄いと思った。

番組では、師匠が、コロナが猛威を振う中、日本列島を仙台、東京、京都、熊本と縦横に訪れ、演じる姿が放映された。リューマチを患った81歳の体には移動だけでも大儀な様子だが、師匠の落語に賭ける思いが痛いほど伝わってくる。いつまでも元気で、演じ続けて欲しい。

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宇佐美りん『推し、燃ゆ』(‎ 河出書房新社、2020)

2021-08-01 07:56:13 | 


アイドルにのめり込む(アスペルガーであろう)女子高校生を巡る物語。

芥川賞受賞作品ということで、読み始めてはみたものの、私のようなの昭和のおじさんからは最も遠いところにある話だった。こういう人もいるのだろうなあとは思いつつ、残念ながら、主人公の感性は理解できなかったし、行動へも共感も難しい。100頁ちょっとの小説であるが、読み通のに努力が要った。

知らない世界を垣間見ることができたという意味で自分の世界が広がった。そして、本書が若い世代から多くの支持を受けているということを知り、私自身の世界観を客観化する助けにもなった。

平易な文章ではあるが、私にはとっては複雑で難解な世界であった。

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