今から2年前の今日、私は下記のようなことをフェイスブックに書いていました。
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何かの「きっかけ」があってこそ人間は変わる。
私だってそうだ。
だけど、何のきっかけもなく、何も変わらず、平穏に日々を過ごし死んでいく人もいる。私はその幸福を羨ましいと思っている。
その幸福を自覚していない人を羨ましいと思っている。
本当にそう思っている。
どんなに強くなれても、どんなに素晴らしい成果を残せても、最初に受けた痛みの記憶が消えるわけじゃないから。それを良いきっかけとして昇華はできるけれど、幸せの意味を知ることができるけれど、それでも私は自分が幸福であるかどうかわからないままに平穏に生きて死んでいく人生を羨ましいと、今でも思っている。
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私は今でも同じように思っています。
本当に幸せな人生とは、幸せについて考えない人生だと思うのです。
なぜなら、幸せについて考えるとき、人は幸せな状態ではないからです。
幸せを思うということは、不幸に気付くということと同義だと思うのです。
であれば。
痛みのない人生であったならと、思わずにはいられません。
自らの幸福について考えない人生をこそ、幸せな人生と呼べるんじゃないでしょうか。
仮にそれが愚かさゆえのものであったとしても、私はそれを得たかったと思います。
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