遠隔専門ヒーラー ハスノのあれこれ日報

あれこれの名に恥じない雑多なブログ

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2006年11月11日 | 治療記録

手術のために、11月14日から約2週間入院になります。

戻って落ち着いたら更新します。

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先天性白内障 2

2006年11月10日 | 治療記録

昨日、診察と先生から詳しく話を聞くために病院へ行ってきた。
予約が3時半からなのに、私が勘違いして3時だと言って、早く着いてしまった。まあ、そのお陰で白蓮にゆっくりお乳をあげておけたんだけど。
前にきたときは、診察があるまでおっぱいを飲ませないでくれと言われて、だけど瞳孔を開く目薬で1時間もかかってしまい、おっぱいタイムはとっくにすぎて可哀想なことをしてしまったのだ。
そうならないように、先にあげておけてよかった。
とりあえず予約の時間に呼ばれて、先生があらましを話してくれたが、検査のために待合へ戻った。
今回も瞳孔を開く目薬をして、後は、詳しい検査のために暴れないように眠る薬を飲まされた。
スポイトで、口の中に少しずオレンジ色のつシロップ状の薬を看護士さんが入れてくれたのだが、最初はおっぱい以外に味わう初めての味が珍しかったのか素直に飲んでいたが、途中から飽きたみたいで、残り5分の1くらいを上手に吐き出してしまった。
しかし、薬は効いていくようで、おばあちゃん(大袈裟ですが、家族総出で医者行きました。祖父母&父母&本人)に抱っこされているうちにうとうとしはじめた。
通常の眠りとは違うので、寝顔がいつもと違う。なんか、顔色の悪い寝顔っていうか、病的な雰囲気の顔で眠っている。四肢も脱力しきっていた。
薬は完全に眠ってしまうものではないようで、白蓮は半分起きている感じだった。
瞳孔を開く目薬の追加をされるときに、泣きも抵抗もしなかったので、寝るっていうより、ぐんにゃりする薬なんだと思った。
お陰で検索は無事にすみ、いよいよ先生に診てもらうことに。
あれこれ聞いたことを書くと、先ずはうちの病院では先天性白内障の手術は年間5~10件行われているとのことだった。
視力矯正はコンタクトを使うとのこと。メガネを使わない理由は、小さい子供(乳児)はメガネを嫌がるからというのと、メガネがずれてしまうからということだった。
確かに、赤ちゃんにメガネはかけにくいだろう。ネットで調べたら、頭にぐるりと巻く感じでメガネをつけるんだけど、それだと確かにズレることが多い気がする。
コンタクトには黄色い色がついている(ネットで見たときに、水色やピンクの色がついているとあったので、先生に色のことをきいたのだ)。
コンタクトの装着時間は大人の生活時間に合わせればいいとのことだった(ストックは最初のときから作っておくとのことだった)。つまり、朝起きたら着けて、寝る前に外す。夜は電気を消して寝るから、どのみちあんまり見えないんで、それでいいらしい。
片方をなくしたときは、装着している方もとってしまうほうがいいとのことだった。両目の視力に差を出さないようにしておく方が大事らしい。
コンタクトは何度も作り直していくんだそうで、視力が出てくることと、目が育って大きくなることで、徐々に度数が下がっていくそうだ。
泣いて流れ出てしまうことはないらしく、それより泣いたときの瞬きや暴れたことですっ飛ぶことがあるみたい。
普通のハードレンズよりは、カーブが深くてハズレしにくいそうだ。
経過は最初の6ヶ月は2週間毎、その後1歳くらいまでは1ヶ月毎に診て行くそうだ。
手術は、水晶体の袋を残しての摘出。この袋は、将来眼内レンズを入れることになったときにレンズの支えにするためと、目の前と奥との境にするため。
ただ、月齢の低い段階での手術だと細胞増殖が激しく、また白濁する可能性が高いそうで、それが出た場合、もう一度手術をしてそれを取り除くらしい。
なので、術後半年くらいの期間のうちに再手術の可能性が高いとのことだった。
眼内レンズは3歳になれば入れることが可能だけど、入れないほうがいいらしい。
小さいころは近い場所に焦点があっていて、だんだん遠くにも焦点があうようになっていくそうで、小さい頃に眼内レンズを入れてしまうと、極度の近視になるらしい。
だからと言って、遠視用のレンズを入れると、今度は近くが見えにくくなるとか。
それに、小さい頃からコンタクトしていると、それになれてしまうから、不自由がないわけで、そうなるとわざわざ眼内レンズってことにはならないんだそうだ。
手術してから1週間したらコンタクトの練習を開始するとのことで、入院期間は2週間になる。
先生が言うには、うまくいけば将来1.0の視力が出るようになるそうで、そうなれば免許もとれる。
病院についたのは2時半すぎだったが、会計を済ませたのは6時だった。
5人ともぐんにゃりして帰路に着く。
途中で夕食のためのお弁当を買って、家についたのは7時半。
薬がきれてきた白蓮は、おなかがすいたのときっと気分が悪いのとで大泣きして、おっぱいをあげたら凄い勢いで一気飲みして、げっぷを出させようとして肩に担ぎ上げたら、げっぷと共に一気に吐いた。
「げぼはぁっ!」って凄い音だったなぁ(苦笑)。
おっぱいで肩はびしょびしょになるし、白蓮の服も汚れたので、着替えさせた。
きっと口の中に残っていた薬の味が気持ち悪かったんだろう。大人が嗅いでもちょっと気持ち悪い匂いのシロップだったし(なんか、甘いんだけど変な匂いだった)。
吐いて少し楽になったのか、静かになったので、しばらく放置してから、30分毎に5分飲ませるというやり方で少しずつおっぱいをあげていった。
11時半くらいにようやく穏やかな顔で寝入ったので、ほっとした。
これから沢山しんどいことがあるだろうけど、全部見えるようになるためにやっていくことだから、幸せに思っていこうと思う。
白蓮に声をかけるときには、もともと極力マイナスな言葉を使わないように気をつけているが、これからはもっと気をつけようと思う。
全てを「良いこと」として受け取っていけば、なんでもうまくいくのだ。
14日の入院の前に、12日から3日間抗菌のための目薬を一日4回しないといけない。
先ずはこれをやらないと。
いろいろな疑問もかなり解決して、気持ちがすっきりしたので、白蓮は薬で辛かったかもだけど、母としては充実の一日だった。

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9月4日~5日

2006年11月01日 | 入院記録

悪夢のような一夜が明け、5日の朝になった。
相変わらずの苦しさだったが、呼吸の方法を思い出したおかげで、少し眠れた。
思うように動かない体に辟易しながら過ごす。
食事もまともにとれないでいた。
自分で自分の体を支えられないのだ。寝返りが打てない。体に力がまるで入らなかった。
母に食事を食べさせてもらい、一日中だるさに悩まされた。
夜になってから、夫と父が来てくれた。
夫の顔を見ると、本当に嬉しくてたまらなかった。
動けない状態でも、授乳が開始され、小児科にいる白蓮が連れてこられた。
力をふりしぼって横向きになり、白蓮に乳首をふくませる。
助産師さんが上手に含ませてくれて、「乳首をはなしたら呼んで下さいね」といって去っていった。
白蓮は、凄い力で吸ってくる。
痛いほどだ。
でも、初めてなのにとても上手に吸う。
お乳が出ているかいないかさっぱりわからなかったが、両方のお乳を吸ってから、白蓮は助産婦さんに連れられていった。
すぐにお乳が出なくても、赤ちゃんというのは二日分くらいのお弁当を持って生まれてくるらしいので、とにかく頻回授乳でお乳を吸わせるそうだ。
吸わせることで、お乳が出るようになっていくから。
夫と父は1時間ほどで帰っていった。
5日の夜は、4日とは違って、ほんの少し体が楽だったが眠れず、母とずっと喋って過ごした。
子供を産んで、母の気持ちがわかったことや、離婚のこと・・・再婚のこと・・・いろいろ話した。
私がこれまで言えなったことも話せた。
一生懸命話した。
母もちゃんときいてくれた。
「ここだけの話」をどっさりして、気持ちが楽になっていった。
私は、母の子供で本当によかったと思った。
産んでくれてありがとうと、言えてよかったと思う。

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黄金伝説

2006年11月01日 | 白蓮日記(育児日記)

一日中出なくて、便秘かと心配した翌日、2時間の間にたっぷり3回出て、ほっとするやら呆れるやら。


油断のならないオトコw

 


毎日、黄金伝説更新中(爆)。 

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