遠隔専門ヒーラー ハスノのあれこれ日報

あれこれの名に恥じない雑多なブログ

腹の肉

2006年10月26日 | 白蓮日記(育児日記)
白蓮を産んでから、ウエストがむにょーんとなってしまった。
腹にも当然肉というか、のびきった皮がついている。
ただ、この皮、触るとやたら気持ちいいんである。
むにむにほわほわーん♪とつまんだり、伸ばしたりして楽しんでいたら、夫に
「おなかの皮触ると、戻らなくなるよ」
と言われてびっくり(滝汗)。
ピタリと手が止まった。

しかし、やっぱり触りたいので、つまむのはやめて、最近は撫で回すという方法に変えた。
でも、つまみたい・・・むにょーんて伸ばしたい・・・・。
オバサンなおなかになると困るので、必死に耐えている今日この頃ですw
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アクエリアス・フリースタイル

2006年10月25日 | 白蓮日記(育児日記)
母乳の質のために、甘い飲み物(ジュース)はよくない。
しかし、飲みたい。
特に、炭酸飲料。
なので、妊娠期間中にもお世話になった、アクエリアス・フリースタイルを、ネットで箱買いした。
それが昨日届いて。
24本もあるかと思うと、嬉しくてしかたない。
今朝さっそく1本飲んでしまったw
低カロリーで炭酸飲料。夢のような飲み物でせう!
ダイエットコーラはカフェインが入っているから避けたいので、これはホントに助かる。
シュワシュワで(゜д゜)ウマー
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先天性白内障 1

2006年10月23日 | 治療記録

白蓮が産まれてから5日目の9月8日。
羊水を飲んでしまって小児科にいた白蓮にミルクをあげに行ったときのことだった。
顔を覗き込んだ私は気づいた。
瞳が白い。
私の夫と実母は先天性白内障を持っている。そして、私は白内障の手術をしている。
夫と実母のは、見えるタイプだし、進行してないので見えるしこの先の心配もほとんどない。
しかし、私は新生児の時になっていて、瞳が全部白濁していたらしく、水晶体の摘出手術を受けて、弱視になりながらも、日常生活には支障のない目にしてもらえた。
白内障が遺伝するかどうかは不明らしく、遺伝とはハッキリ言えないのだが、実母がそうなので、私も要素を持っていただろうし、併発性の白内障になって手術はしたが、それがなくても、先天性のは持っていた可能性がある。
そして、夫も持っているわけだから、私は妊娠したときから、子供に目の異常が出るのではと思ってはいた。
だから、白蓮の瞳が白いのに気づいてもあまり動揺せずにすんだ。
私以外の人は、医師を含め、その時点では誰も気づいていなかった。
最初から、目を気にしていない限り、わかりにくい感じの濁り方だったので無理ないと思う。
入院中に小児科の先生と話す機会があり、そのときに白内障の話しをして、眼科の先生に診てもらえるよう手配をお願いした。
そして、診療の結果、やはり先天性白内障とのことで、生後2ヶ月になったら来なさいという話だった(私は自分の病室にいたので、このときは眼科の先生には会っていない)。
結果が出てから、両親と夫に話した。
実母は、私の目のことで大変な苦労をしているで、孫までと思い、とてもショックを受けていた。
私のほうは、37年も前に自分を見えるようにしてくれた先生がいたくらいだし、今は医療技術も格段にすすんでいるだろうから、きっと見えるようになる手段があると確信し、あまり不安は覚えていなかった。
白蓮は、現在生後50日くらいで、そろそろ見えているはずなのだが、ものが見えている目をしないので、やはり濁って見えてないのだと思う。
今日、眼科の先生に診てもらったのだが、今は先天性白内障はなるだけ早い段階で手術をするらしく、10月15日にしましょうという話になった。
手術のための検査を全て今日すませてしまい、次回は11月9日(ゆっくり診察するためと、私に何か質問があるなら答えるからと)、そして14日に入院して15日に手術という段取りである。
両目を同時に手術して、試用のためのコンタクトをつくり、着脱の練習を1週間行って、コンタクトの扱いができるようになったのを確認してからの退院となるという話だった。
正直言って、私にコンタクトレンズを扱うことはできない。
自分がコンタクトをしていた頃ですらダメだったのだから(私が使っていたのはソフトレンズ。ソフトレンズがまともに使えないのに、ハードレンズなんてともてとても!)、小さい子供の目、そしてハードレンズなんてとうてい無理だし、自信がどうこうより先に、「レンズ何回無くなるかわからん」ってのもある。
幸い、夫が器用な人なので、夫に頼めるならたのみたいと相談する。
夫は快く引き受けてはくれたが、さて、病院に通って練習できるかどうか。
うまくいけば、1.0くらいの視力が出るかもしれないとのこと。
男の子なので、最低免許がとれる視力が私は欲しいのだ。
白蓮の目が見えるようになることを毎日祈っている。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おっぱいおっぱい♪

2006年10月20日 | 白蓮日記(育児日記)
お乳が出るようになってから、私の胸はサイズアップした。
AAカップがCカップ並になったのだから、憧れの「谷間」もあれば「下乳」も楽しめる。
手にあまるほどのふくらみ&授乳がすんだあとなら脅威の柔らかさを堪能できる。<授乳前ははっているので、下手すると石みたくカチカチw
まさに、「夢が叶った」状態である。
この場合の夢とは、努力して叶うほうじゃなくて、憧れが現実になる方。
まさか、この私の胸が谷間ができようとは!!
しかも、パイズリできそうなくらいの谷間がっ!!(真顔)
更に!!
昨日歯医者に行った帰り道。
私は本来ならありえなかった体験をした。
信号を渡ろうとして小走りになったその瞬間!!

 お 乳 が 上 下 に 揺 れ ま し た 。

走ったら、胸が上下にゆさんゆさんとっ!
おお、神よっ!!!!!!!!!!!!!!!
まさにドリーム! ワンダーランド(意味不明)。
あまりの衝撃的歓喜に、小走り状態を続行。
ぶっちゃけ気がすむまで小走りして、ゆさんゆさんするのを楽しみました!

ありがとう、白蓮!!
君は最高に親孝行だっ!!
もっと母乳を飲んで、お母さんのお乳をもっとサイズアップしてくれっ!(無茶)

・・・・・・・・・・・生きててよかった(感涙)。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不安

2006年10月18日 | 白蓮日記(育児日記)
今日は歯医者の日だった。
白蓮を母にまかせて歯医者に行ってこれたのはいいが、1時間半の留守番の間、白蓮は何度か泣いていたらしい。
それで、母が抱っこしてあやしてくれていたのだが、やはり不安だったようで、夜になってから何度授乳して寝かせても、寝かせた途端に激しく泣くということを繰り返した。
途中で、「これは留守番の間不安だったからかも」と思い、授乳が終わってからも、授乳クッションに乗せたまま抱いていると、すやすやと寝始めた。
で、おろそうと準備のために手を頭の後ろに差し入れると、途端に眉間にしわが寄った。
なので、30分以上授乳クッションに乗せたままにしていた。
いくら抱っこでごまかされて泣きやんでいても、私がいないことはわかっていたのだな。
一生懸命、今日のお留守番のお礼と、偉かったことを話しかけてあげて、そっと頭の後ろに手を入れたら、ようやく抵抗しなくなったので、布団に寝かせることができた。
布団に寝かせてからもしばらくは頭を両手で包み込むようにしてあげて、両脇を私の腕ではさみこんで話しかけ続けてあげた。
そうしたら、ようやく私がいなくならないのを納得してくれたようで、眠ってくれた。
赤ちゃんは敏感だし、いろんなことがちゃんとわかっているんだなと、改めて思った。

白蓮、今日はお留守番ありがとうね。
白蓮がおばあちゃんといい子で留守番してくれたから、お母さんちゃんと歯医者さんへ行けたよ。
今日はもうずっとそばにいるから、安心してね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の強さ?w

2006年10月14日 | 白蓮日記(育児日記)
白蓮はおなかがすいているときの泣き方が尋常ではない。
この世の終わりってな勢いで泣く。
逆に、ぐずっているときや、甘えているときは、泣き方がゆるい。
前は、夜中にあやすのが大変だったが、今は夜もちゃんと寝てくれるようになって、夜の授乳回数が二回くらいですんでいる。
が、白蓮は甘えて泣いていたり、ぐずって泣いていることがあるようなのだ。
泣いても、私が目を覚まさないでいるから知らないだけで。
母や夫が、「白蓮泣いてた」って言うんでしったのだが、お乳以外の泣き方のときは、私は平然と寝ているらしい。
白蓮には気の毒なのだが、寝ないと持たないので、これはもう諦めてもらうしかない。
いや、泣かしたくないんだけど。知らない分は対応のしようがないからね。

寝不足だと24時間戦えないんだもん(苦笑)。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お乳と白蓮

2006年10月13日 | 白蓮日記(育児日記)
母乳でいけると思ったときから、2歳まで飲ませられるならそうしようって思っていたけど、今は「とことんまで飲ませよう」と思うようになった。
つまり、断乳ではなく、卒乳させる方針に変わったってことで。
断乳というのは「親の意思」で、卒乳は「子供の意思」なんだそうだ。
飲ませないようにするとか、昔はよく乳首にカラシを塗ったらしいが、そんなふうに親が乳離れを決めて行うことが断乳。
卒乳というのは、子供が自分の意志で飲まなくなることらしい。自然にやめてしまうとか、母親が「○才のお誕生日がきたらやめる?」と聞いてみて子供が承知してやめるとか。
どうして卒乳派になったかというと、白蓮のお乳を飲む顔が可愛すぎるから。
お乳を飲むなんて長い人生で一時期のことなんだし、小学生になってもお乳飲むような子はいないだろうし、私のお乳が出るなら、白蓮がなっとくのいくまで飲ませてあげたいと思ったのだ。
いや、でも、やっぱり、お乳を飲む姿が可愛いからなのよw
授乳しているときって、物凄く気分が良くなるのだ。
体が一気に活性化して、背筋は伸びるし、普段は出ない筋力出るし(授乳以外の抱っこは厳しい)、授乳中は気持ちが安らいで、幸福感でうっとりしてしまうのだ。
なので、こんな気持ちのいいこと、自分の意志じゃやめられないってことw
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年齢

2006年10月11日 | 白蓮日記(育児日記)
白蓮は今は泣くことしか表現方法がないので、とにかく何かあると泣いている。
私の実母は初孫にめろめろで、何も無くてもやってきて白蓮を抱っこしては高い声で話しかけている。

子供がいる人ならわかるだろう。
泣き声が時としてどんなにイラつくか。

子供にとって祖父母のいる人ならわかるだろう。
自分以外の高い声が時としてどんなにイラつくか。

大袈裟に言わなくても、虫の居所が悪いと、「いね!!(関西弁で「去れ」の意。悪意ある意味で使うことが多い)」とすら思うほどにイラつくんである。

しかし。

20代の頃の私ならきっと耐えられなかったことが、今は楽々と耐えられる。
白蓮がどんなに泣いても落ち着いているし、母にどんなにイラついても平静でいられる。
これは年齢が私に施してくれたすばらしい仕事だ。
私に忍耐をくれた年齢という時間。

私は、本当にいい時期に子供を持てたのだな。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

違いのわかる母

2006年10月11日 | 白蓮日記(育児日記)
いずれ布おむつになる予定の白蓮だが、現在はまだ紙おむつ。
パンパースの新生児用と、夫の友人が贈ってくれたムーニーの新生児用の2種類を同時に使用中である。
パンパースはうんちはそのままの状態をキープしてくれちゃうので、うんちびちょびちょ。そのかわり、おしりふきやすい。
ムーニーはドライ感が凄まじく、うんちの水分も吸収しまくってしまい、おむつ交換の時にうんち乾いちゃって、おしりガビガビ。
でも、装着ばムーニーの方がやりやすい。

まあ、一長一短っていうか、それぞれっていうか。
ムーニーの形でパンパースなおむつがあればいいんだけど。

世の中うまくいかない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

違いのわかる男

2006年10月10日 | 白蓮日記(育児日記)
白蓮は、必ず右を向いて寝る(体は仰向け。首だけ右向きw)。
でも、右ばっかり向いてたら、右の頭が絶壁になっちゃうから、左向きに寝るようにバスタオルで堤防を作って右を向けないようにして寝かせる。
と、物凄く怒るw
めちゃめちゃ怒って泣くw
で、堤防のバスタオルをとって、右を向けると、すぽーんと寝入る。

でもね、白蓮。
あんたもう、絶壁になってるっぽいよ?
頭三角になったらどうすんのっ?

授乳以外にもある、白蓮との戦いw
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深夜の激戦

2006年10月09日 | 白蓮日記(育児日記)
生後3ヶ月までは親がボロボロになる、とはよく聞く話だが、実際そのとーーーーーーーーーーーーーーりなんだな、これが。
何しろ、ちょっと前まで真っ暗であったかーい世界にいた人だから、夜昼の区別なんてつくはずないし、30分か1時間ごとに寝る起きるを繰り返していた人なんだから、まとめて寝るってことも難しいわけで。
まあ、だからって、深夜から早朝にかけてごねなくてもいいとは思うんだけど。昼間はすぽーんと熟睡してるのに(苦笑)。
今朝なんて、朝の6時前にやっと寝てくれたんだもん。昨日の夜11時頃から戦って、それだもん(涙)。
私、途中で疲れて寝てしまったらしくて、遠くの方で白蓮の泣き声が聞こえてたけど、体が起きなかったってのを覚えてて。
目が覚めたら、この世の終わりって感じて白蓮泣いててびっくりした。
抱っこしてもむずがるし、お乳あげたらあげたで飲みすぎで「だらー」って吐くし。おむつがズレて肌着にうんこつくし。
乳首くわえてるときだけ静かで、あとはひたすら「うなる」「泣く」「暴れる」のトリプル攻撃。
母はボロボロですよ(/ー ̄;)シクシク
早く首がすわらないかしらねえ。その頃にはまとめ飲みもできるようになるらしいし、夜昼の区別もつくようになるって話だから。
それに、首がすわれば抱っこしやすいし。
腕が痛くて痛くて・・・・・・。
本当に育児って大変。
しみじみつくづく、母乳でよかった。
あー、でも、ミルクなら寝てくれるらしいから、それはそれで楽なのかなあ?
まあ、どうでもいいけどねー。

あーーーーーー、眠い。
頭ぼーーーーーーっとする。。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

氏神様へ

2006年10月08日 | 白蓮日記(育児日記)
私がずっと入院してたせいで、白蓮はお宮参りの時期がずれてしまう。
私の体調を考えると、10月の終わりか、下手すると11月になると思う。
なので、せめて氏神様への報告はしておきたいと思っていた。
今日はおじいちゃんもバイトが休みなので、家族全員で車で行ってきた。
出産の報告とお礼だけ言ってきたのだが、ずっと気になっていたので、今日行けて本当にほっとした。
氏神様が授けてくれたんだから、やっぱりちゃんと顔見世しておかないとね。
太陽の光の下で見る白蓮はいつにも増して可愛くて、男前だったw
母はますますめろめろでございますよw
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一ヶ月検診

2006年10月06日 | 白蓮日記(育児日記)
10月4日に一ヶ月検診に行ってきた。

結果を先に書くと、
 身長51.4cm → 55cm
 体重3360g → 4190g
 胸囲33㎝  → 34.9cm
 頭囲36cm  → 38.1cm
だった。

順調順調♪

うちは母乳で育ててるので、ビタミンKってのが足りなくなるらしく、ケーツーシロップってのを飲ませてもらった。

母乳ってのは、とにかく便利でいい。
どこでもお乳あげられるからっ。
荷物もいらないし。
当初の私の思惑通り、「いつでも携帯できる」ということをしみじみと実感っ☆ ステキです母乳っ。母乳万歳っ!!
夜の授乳はとっても疲れるけど、白蓮が泣く→おっぱい出して飲ませる、っていう手順だけですむから、ぶっちゃけ楽すぎw
ミルクだとこうはいかない。
作りおきもできないからねー。
その点、母乳はいつでも新鮮なお乳を最適な温度でご提供ですよー☆ 24時間営業してますー♪

とにかく、順調に大きくなってくれていてほっとした。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月3日~4日 その2

2006年10月05日 | 入院記録
と、赤ちゃんの泣き声が聴こえた。
高いきれいな声だ。
主治医の先生は私の後産の処理と、会陰の縫合に入っていた。
麻酔をしてるとは言っても、場所によっては痛い。
その痛みよりもなによりも、出産で力尽きてぼーっとなっていた。
と、子供の泣き声がしなくなり、あれっと思っていると、小児科の先生がいつのまにか来ていて、
「ちょっと羊水飲んでしまったようだから、酸素室に入れてくるね」
と言って、私が白蓮の顔を見て、少しだけ触るとすぐに、連れて行ってしまった。
私の主治医はひたすら縫合作業をしている。
私は「なんでもいいから早く縫ってくれーっ!」と思いながら、いきみ逃しの呼吸法のままで耐えていた。
ようやく縫合が終わって、分娩台の横にくっつけるようにして運び入れられたベッドに「自分で転がって移動できる?」と助産師さんに聞かれる。
私は「どうにかやれますー」と力なく返事をして、必死になって移動した。
そして、また陣痛室に戻った。
戻ったときに母を見たはずなのだが、覚えていない。夫と父が来てくれたことと、夫に「産んであげたよ。一生恩にきいや」と言ったことは覚えている。
あと、夫がプリンを食べさせてくれたことと、それを全部吐き戻してしまったことを覚えている。
が、あとは思い出せない。
夫と父が帰ってからが地獄だった。
母に付き添ってもらって、過ごした一夜・・・・・。
自動計測する血圧計が右手に、左手には点滴。
ずっと気分が悪く、そして呼吸が普通に戻せずにいた。いきみ逃しのための「吐くこと」に重点をおいた呼吸法のままだった。
なので、だんだん過呼吸になっていき、気分が悪くなっていくばかりだった。
聞けば、私は会陰裂傷と深い切開のために、3分の2の血液を失ったらしい。
貧血からくる発熱もあり、気分が悪すぎて眠れなかった。眠ってしまうと、目覚めたときの気分の悪さがとんでもなくて、それがイヤで眠らずにいた。
何度も何度も母にナースコールしてもらい、ビニール袋を使って深呼吸をし、過呼吸になるのを防ぎながら、「苦しい」だの「しんどい」だのと弱音を吐きまくっていた。
途中で吐き気に襲われ、吐こうとしたが飲まず食わずであったので何も出てこなくて余計に苦しかった。
胃液ですら出てこないのだ。
それでも、少しでも気分がよくなるかもと思って嘔吐感がくる分だけ吐こうとした。
体は自分のものではないということを実感させられた。自由にならない手足の感覚。重度の貧血のために体を動かすことが困難になっていたのだ。
一晩中苦しさと戦いながら、産まれた子供のことはまるっきり心配しなかった。
臍の緒でずっとつながっていた私と白蓮。臍の緒が切れて24時間たっていないから、まだつながっている感覚が強かったのだ。
私には白蓮が元気にしていることがわかっていた。何の心配もいらない元気な状態だと確信していた。
でも、出産のときと違って、一人で苦しみと戦うことは辛かった。寂しかった。心細かった。
白蓮のために頑張ろうとは、正直微塵も考えなかった。
自分の苦しみで手一杯だった。
私は、生きるか死ぬかという苦しみ中にいたのだった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

通り名w

2006年10月05日 | 白蓮日記(育児日記)
うちの白蓮は、よく手足をばたつかせている。
時々、びくっとなって、両手で万歳をする。
それを見ていた夫が「岡本太郎かっ?! 爆発してるのかっ?!w」と言い出したことがきっかけで、白蓮が両手をあげていると「爆発してる」とか、「宇宙の岡本太郎と交信している」とか言われるようになったw
実際のところ、手をばたつかせていると、まるで手旗信号のように見えるので、交信しているように見えてしまうのだw

夫が他に白蓮に言ったことで「をいっw」と思ってことは、「白蓮は政治家みたいな顔してるなー」というもので、「田中角栄に似ている」ということだ。

これがきっかけとなって、白蓮はときどき「岡本角栄」と呼ばれているwwwwwwwww
これをウェブネームにとも思ったが、可哀想(笑)なので、やめておいた。
でも、リアルで「岡本さん」とたまに呼ばれているのは、ちょっと可哀想かもしれないwww
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする