遠隔専門ヒーラー ハスノのあれこれ日報

あれこれの名に恥じない雑多なブログ

こんな人に育てたい!

2007年05月26日 | 白蓮日記(育児日記)

にこにこ動画より
http://www.nicovideo.jp/watch/sm230285

将来こんな発言をする男に育てるには、どういうふうにすればいいんだろう・・・・・?

漢に育てたいわっ!!w
 

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寝姿

2007年05月23日 | 白蓮日記(育児日記)

ここ3日ほどで、白蓮が横向きに寝るようになった。

凄い成長っ!!

で、その寝姿を見て夫がいうには、

「俺の寝ているときにそっくりw」

言われてみれば、確かに手足の配置がそっくり

目覚めそうになって、「うーんうーん」て半泣きになりながら寝返りうって反対向いてからまた寝入っていく、なんてことがあるんだけど、それ見ていると、赤ちゃんというより幼児。

・・・・・・大きくなったなあ(しみじみ)。

と、寝姿に子供の成長を見て激しく感動するかーちゃんでした☆
 

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トラップ!!

2007年05月21日 | 白蓮日記(育児日記)

うちの居間は、白蓮が頭をゴン!しても大丈夫なような、ちょっと綿の入っている敷物を敷いている。

その上を歩くと、ときどき、足が湿気る。

白蓮は寝返りであちこち移動しているのだが、停止場所にヨダレが・・・・・・・・。

濡れていると一目でわかるならいいのだが、これが濡れてもまったく判別つかないのが困りモノ。

裸足で歩こうものなら、1日に何度となく「あぁ~~」な気分を味わえる。

と、ここまで書いて思ったが、回避不可能だから、トラップじゃないな。
 

 

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手袋

2007年05月20日 | 白蓮日記(育児日記)

日記書いたあとに気づいたので、上に追記w

ビニールじゃなくて、ゴムw


私は食器やナベを洗うときには薄手のビニール手袋をして作業している。

私は大変にドジなのだが、ドジなのは弱視が原因なのだ。
見えないから注意力がなく、見えないからドジをする。
ドジなのも、不器用なのも、弱視だから、見えないことが原因なのだ。

しかし、原因がわかっているからといって、注意力があがるわけではないので、注意力のなさを補う方法で乗り切らなくてはならない。

そこで登場するのがビニール手袋だ。

これがあれば、台所で多少無茶な動きをしても手を傷める心配がない。

私は、白蓮のコンタクトを扱うので、極力手の怪我か可能性を下げなくてはならないのだ。
手に怪我をしてしまってコンタクトの扱いに差し障ってはいけないからだ。

コンタクトの扱いの支障とならぬよう、手荒れも防ぎたいし。

ビニール手袋は洗いもののときに、ドジをして食器を割ってしまったとしても安心だし、欠けた食器に触れて怪我をする心配もない。
おまけに、少々熱いお湯でも平気だから、フライパンやナベを洗うときが便利だ。

今となっては、手袋なしでは洗い物が出来ないくらい当然のアイテム。

私の相棒と言っても過言ではないw

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哺乳瓶がダメ?

2007年05月19日 | 白蓮日記(育児日記)
白蓮が、哺乳瓶で素直に飲まなくなった。
 
先ず、スプーンで3,4口飲ませてやると、哺乳瓶でも素直に飲み始めるが、初手から哺乳瓶だとイヤがることが増えてきた。
 
原因はわからない。
 
ただ、ここ2,3日の間に、おしゃぶりへの執着が減ってような感じがある。
必要ではあるが、すぐ口から離してしまうのだ。
 
手ごわい。
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親の卒乳 その後のその後

2007年05月18日 | 白蓮日記(育児日記)

http://blog.goo.ne.jp/bansyounokiya/e/27c3c64a979820abae0221fc1a71d7cb
 
つづき

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(5月12日記)*写真はここには掲載しません。
 
みなさん、お久しぶりです。
 
帯状疱疹の疑いがあってからあげられなくて、血液検査の結果が出たのが昨日でした。
軽くすみましたが、やはり帯状疱疹でした。
しかし、症状はもうなく、治っている状態です。
 
おっぱいを再開しようとしたのですが、息子がもう吸ってくれなくなりました。
吸うより先に乳首を噛むんです。
何度も挑戦したのですが、どうあっても噛むので、もう息子にはおっぱいは必要ないんだと思いました。
母乳をなめてみたら、食生活は変わっていないのに、おっぱいがまずかったです。
桶谷へ行ってマッサージしてもらって、おいしいおっぱいが出たとしても、息子にとってはもう哺乳瓶がミルクの出てくるものであって、息子にとっての食事はミルクなのでしょう。
 
無理に飲ませようとして乳首を痛めることはいといませんが、無理におっぱいを飲まなくてもいい状況に息子がなっているので、これを機会に母乳をやめることに決めました。
 
残念ではありますが、最後まで諦めないでやってきましたし、乳首を噛むことは息子の意思だと思うので、これでいいと思えました。
 
私の気持ちではなく、息子の気持ちを一番に考えてあげたいです。
 
噛まれて痛いとわかっていても何度も挑戦したのは、私のエゴです。
 
息子は病気があって手術や入院と大変な時期があったのですが、その間はずっと母乳でいけたので、いろいろな面で助かりましたから、大事な時期に母乳をあげられたことはよかったと思います。
 
母乳に固執するあまり、息子に無理はさせられません。
 
多くの方々からアドバイスや励ましをいただいたのに続けられず残念ではありますが、あげられない期間があったことで、息子からずっと遅れてですが、私も卒乳できました。
 
写真は生後2ヶ月の頃の息子です。
 
母乳には母乳の、ミルクにはミルクの、よさがあると思います。
私はそのどちらも体験できるのだと考えることにしました。
 
みなさん、本当にありがとうございました。
 

 

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親の卒乳 その後

2007年05月18日 | 白蓮日記(育児日記)

http://blog.goo.ne.jp/bansyounokiya/e/24a22995ca0535436d9d3004d0da90a8
 
つづき。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(5月1日記)
 
母乳育児を始めたお母さんたちへ 「親の卒乳」
 
上記トピの続きの話です。
 
上記のトピを立ててから、私信で「諦めないで」と言ってくださった方がいて
、思い切って桶谷の先生のところへ行ってきました。
29日と30日に行って、次は5月4日に行きます。
どうしても、どうしても、諦めきれないので、最後の最後まで諦めないでいようって思いました。
みなさんからの励ましの力がとても大きく、私の気持ちを支えてくれています。
上記トピでみなさんからの書き込み、何度も何度も読んで、そのたびに涙が出ました。
 
私が母乳再開のために動き出してから、私の実母が私の前に立ちはだかりました。
母乳がしっかり出ていた頃から、「足りてるの?」と言ってきていたのですが、出なくなったのを再開しようと通っているのが気に入らないらしく、「子供のために出の悪いおっぱいはよくないんじゃないか」「この機会にやめたらどうか」と言ってきます。
実母の姉、私の伯母にまで言って、そうしたら伯母まで「やめたら」派になったらしくて・・・・。
 
私が今、出ない母乳オンリーで粉ミルクをあげてないなら、非難されても仕方ないと思いますし、酷い親だとも思います。
しかし、私はミルクをしっかりと飲ませていて、その上で母乳もあげたいと言っているんです。
それを、「母乳をあげてからミルクでは、飲みつかれてミルクをしっかり飲まないんじゃないか」なんて言うのです。
 
私の(母乳育児への)こだわりだけで言ってることで、それは子供のためにならないとまで言うのです。
 
実母は私をミルクで育てました。
実母は母乳があふれるほど出ていたのですが、実母の父(私の祖父)が亡くなってしまったことがショックとなり、私が生後1ヶ月を過ぎた頃に母乳が止まってしまって、その後ミルクにしたそうです。
なので、ミルク推奨なんですね、実母は。
私がおっぱいが張って痛かったときですら、母乳だけで足りているのかと発言していたので、母乳育児への理解は皆無だと思います。
私の母乳の出がよくなるようにとお持ちをついたりしてくれていましたが、ここにきてあれこれ言われてみると、心から賛成しての行動ではなかったのではと思ってしまいます。
 
母乳育児を理解してくれなくてもいいんです。
ただ、私が頑張ろうしているのに水をさすような発言をやめてもらいたいのです。
ミルクをしっかり飲ませてあげているのに、母乳をあげることが「悪いこと」かのように言い出した実母に、怒りを覚えます。
 
みなさんは、周囲の無理解、そして無自覚な暴言に対して、どのように対応しているのでしょうか?
 
幸い夫は、私の「言葉では説明できない母乳育児への強い思い」を理解してくれていて、実母に母乳育児を反対するのをやめるように言ってやろうと言ってくれています。
ただ、そのことで夫と実母が不仲にならないかと不安もあって。。。
 
長い人生のほんの一時期、今この時にしかできない母乳育児をどうして反対するのか、私には理解できません。
応援してくれとは言いませんが、せめて反対することをやめて欲しい。。。否定することをやめて欲しい。。。。
自分の価値基準を「常識」として押し付けてくる実母の言葉に、傷つき疲れてきました。
 
同じ悩みを持っている方は、どのように対応しているのか、お話をきかせて下さい。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(5月1日記 レスへの返事として)
 
みなさん、たくさんの書き込みありがとございます。
一つ一つ大切に読ませていただきました。
温かい励ましのお言葉に、涙がいっぱい出ました。
辛い思いをしているのは、私ばかりじゃないというだけで、孤独ではないのだと思えました。
みなさんがそれぞれに心無い言葉や、周囲の無理解と戦い、あるいは受け流しながら、それでも母乳を続けていることがわかり、私もしっかりしなくてはと思いました。
 
今日、夫がメールでですが、私の実母に「おっぱいのことはハスノにまかせてあげて欲しい」と言ってくれたそうです。実母から聞きました。
私は夫の理解を得られていることが、一番の助けになっていると思います。
 
そして、このトピでこんなに多くの方から励ましてもらえたこと・・・・私は幸せです。
とても幸せです。
 
みなさん、本当に本当にありがとうございます。
 
3時間毎に搾乳して、機会があるときに授乳をしていましたら、黄色かった母乳がだんだん白くなってきました。
桶谷の先生には「黄色いおっぱいは血行が悪いおっぱい」と聞いていたので、白い母乳が出てくるようになったことは、改善されている証拠なので、ちょっと元気が出てきました。
量は微々たるものなのですが、止まっているわけではないので、例え一滴であっても、息子に飲ませてあげるようにしたいと思います。
 
実母とのことは、どうにか折り合いをつけてやっていこうと思っています。
孫の存在は特別だと自分でも言ってましたから、全ては孫を思うが故の発言であるとわかってはいるんです。
ただ、私が傷ついてきたことは今朝はっきりと伝えておきました。
これ以上の非難の言葉は我慢できないと思ったので。

もしまた何かもめることがあれば、そのときは桶谷の先生のところへ連れて行こうと思います。
私が通っているとこの先生は第1号の認定者の方なので、年齢はうちの実母より上ですし、助産師はもちろん看護師、保健士の資格もお持ちなので、よく説明してもらえると思いますので。
 
実母と私は子育ての方針が違うので、これからも衝突はすると思いますが、実の親子なのでどうにかやっていけると思います。
 
みなさん、本当にありがとうございました。
前向きに、元気よく、子育てしていきたいと思います。
私のおっぱいは息子のおっぱいですが、でも、やっぱり私のおっぱいなので、「あげたい!」という自分の気持ちを大事にしていきたいと思います。
息子は「母乳でもミルクでもおなかいっぱいになればいいや」と思っているかもしれません。でも、短い間のことだから、私は母親としての気持ちを通させてもらおうと思います。
あげなかったことを後悔することはあっても、あげたことを後悔することは決してないと思うので。

みなさんの温かいお言葉のお陰で、ふっきれました。
 
もうウジウジしません。
 
実母にあれこれ言われるのはそれでも嫌なので、実母がいない間に授乳しておくようにします。
賢く立ち回っていきます。

改めまして、本当にみなさん、ありがとうございました。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(同日 その後のレス)
 
たくさんの書き込みありがとうございます。
 
私の実母は母乳育児にこだわりはなかったそうです。
ミルクでどんどん私を大きくしていったので、それがミルク育児の自信になっているようなのです。
なので、母乳で育てたかったわけじゃないのです。
私は生まれてすぐに白内障ということで、手術してくれる眼科医を全国探し回ったり大変だったようで、母乳育児だのミルクだのと、かまっていられなかったそうです。
「育てるだけで精一杯」という状況だったようです。
 
私は出産時に大量出血し、重症貧血で20日近く入院していましたので、付き添いをしてくれた実母のありがたさはほかのことも含めて痛感しています。
 
育児のことに関しては、実母とは相容れない部分があることはわかっているので、そこはうまくやっていくつもりでいます。
 
自分が母親になったことで、実母の気持ちはわかっています。
わかっているからこそ、自立の邪魔をしたり、尊重してくれないことに憤りを感じるのです。
 
実母の年ではもう考え方を変えてもらおうとは思っていません。
私があわせていくしかないと思っています。
 
私は、自分が親になったからこそ、実母に関して憤りを感じる出来事があれこれ出てきたのです。
子供を産むまでは聞き流せたことも、聞き流せなくなったのです。
それは親という立場からものを見たときの考え方、感じ方の相違なので、しかたないとは思います。
 
他のいろいろなことは、私はほぼすべて実母の言うとおりにしたり、聞き流したりしているんです。
ただ、母乳のことだけは譲れないのです。
 
私は授乳するととても疲れてしまい、フラフラになるので、実母はそれが心配なのだろうと思うのです。
しかし、母親とは自分の命を削って子供を育てるものだと思うのです。それが母親の喜びだと思うし、醍醐味だと思うのです。
私は、母乳をあげてふらふらになってもそれを辛いと思ったことはないんです。
実母の心配はよくわかっているのです。
でも、見守って欲しいことだってあるんです。
 
私は母乳育児に関してはもう迷いがありません。
自分の意志を貫きます。
三途の川の立て看板を見に行きかけながら息子を産んだのは、私なんですから。
 
いつかわかってくれる、とは私は思っていません。解ってくれることを願いもしません。人は考えることは自由ですから、私だって実母に「わかってくれ!」とは強要できないと思うのです。
 
今は、私と息子が笑顔でいられることを一番にしていきたいと思っています。
私と息子の機嫌がよければ、実母も安心すると思うので。
母乳のことをわかってもらえなくても、日々の暮らしに支障がないということを見てくれたら、それでいいと思っています。

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寝返り

2007年05月17日 | 白蓮日記(育児日記)
ついさっきの出来事である。
 
うちは、台所から白蓮の寝ている布団が見えるのだが、白蓮の姿はコタツのテーブルの影に隠れて少ししか見えない。
 
今日始めて横向きになって寝入った白蓮は、台所のほうを向いて寝ていたはずだった。
 
が、ふと見ると布団の上に白蓮がいない!!
 
慌てて居間の布団を見に行ったら、白蓮が布団からおちて大の字になって寝ていた。
 
眠ったままでぐるんと一回転したようだ。
 
・・・・・・これは!!
 
本当の意味の「寝返りっ」
 
だからって、一回転しなくてもいいと思うけどw
 
いやあ、横向きに寝たことだけでも、成長したなーと嬉しく思っていたのに、まさか寝返りまでうってくれるとはっ
 
・・・・・・・・まあ、それはつまり、寝相が悪くなるってことなんだけどww
 
ま、いいか。
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カフェイン全開!

2007年05月15日 | 白蓮日記(育児日記)
母乳育児が終わったので、カフェイン及びアルコールが解禁になった。
 
なので、さっそく!
 
昨日はコーヒーをたてて飲み、今日はコーラを買ってきて飲んでますっ!!!
 
しかし・・・・・コーヒーは美味しかったんだけど、コーラがまずい。。。。
 
おかしい・・・・・・。
 
コカコーラってもっとおいしかったと思うんだけど。。。。
 
"ノ(-________-;)ウゥーム・・・
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コンタクト紛失

2007年05月14日 | 白蓮日記(育児日記)
えっと、あーーーーーーーーー、先週の土曜日にですね、三種混合の予防接種の2回目をうちに、かかりつけの小児科へ行ったわけです。
 
そこで、帰る段になって、左のレンズがないとわかって。
 
先生が言うには、注射するときにはすでになかったそうで。
 
狭い小児科なんですが、見付からなかったです。
 
看護師さんたちも頑張って探してくれたんですけどね。
 
屋内でも、狭くても見付からないときは見付からない。
 
ずッと前から、「外出したら失くす」という覚悟をしていたので、凹まずに済みました。
 
うちはスペアも持ってますしね。
 
ただ、度数が前のやつなので、それがどうかなってところですが。
 
先生の指示で、右は常用のまま、左はスペアという組み合わせになってます。
 
まあ、この木曜日が検診なので、そのときにまたレンズの話しはあるだろうということで。
 
コンタクト生活をして五月半。
 
とうとう一枚逝きました(-∧-)合掌・・・
 
これからはもっと高頻度でなくしそうな予感です。
 
更なる覚悟を要求されるわけですな。
 
「毎週落とす」くらいに思っておきます。
その方がダメージ少ないから。
 
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ロタウイルスとの攻防2

2007年05月08日 | 白蓮日記(育児日記)
15日の夜は徹夜で見張り、16日もずっと見張っていた。
泣かない白蓮なんていいものじゃない。全然よくない。
ぎゃんぎゃん大声で泣いてこその白蓮なのだ。
それが、小さい声でさえ泣かない。
何度も浣腸されるが、腸を無理に動かしてでも便をさせないと、ロタウイルスを外へ出せないからだ。
大人だって下痢をすると体力を消耗して辛いのに、浣腸で無理に排便させられることはきっと辛かっただろうと思う。
何度も何度も浣腸と排便を繰り返すために、白蓮のおしりはおむつかぶれになっていった。
赤くなっていくおしりが痛々しい。
17日になってから、S先生がもう嘔吐しないなら少しミルクをあげてみましょうと言ってくれて、ラクトレスという消化に良い粉ミルクを出してもらった。
ウイルス性胃腸炎になると、下痢のために腸内の酵素が流れ出てしまい、乳糖不耐というのになる場合がある。ミルクを分解してくれる酵素が少なくなって起きるのだ。
この酵素が足りなくても消化できるのがラクトレスという粉ミルクで、これを一回30cc飲ませる。
白蓮が朝目覚めてから笑顔を見せてくれたのは18日のことだった。
弱弱しい笑顔だったが、確かに笑ったのだ。
それを見たとき、やっと大丈夫なんだと思えた。
 
時間経過がごちゃまぜになるが、覚えていることを順位書いていくから容赦されたい。
 
入院した夜は気づかなかったのだが、16日の夜になって気がついた。
生理が再開したのだ。
しかし、なーんにも用意してなかったから、私は焦った。
 
(つづく)
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(*´д`*)ハァハァ

2007年05月04日 | 白蓮日記(育児日記)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm197419
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ロタウイルスとの攻防1

2007年05月01日 | 白蓮日記(育児日記)
今月の15日の朝のことだった。
母乳以外にミルクを足してあげるようになっていた私は、朝の8時頃にミルクを80㏄ほどスプーンで飲ませ、げっぷをさせてから寝かせていた。
よく寝ているなーと見ていた9時ごろに目が覚めたので、様子をみていたらブリブリ言うんで、おむつをかえてやろうしたらとんでもない量をしていて、おなかのほうにあでうんこがきていたから、お風呂場で洗ってやった。
それで、抱っこしていたらいきなり吐いた。
慌てて横向きにして寝かせて、顔を見たら唇が白い。
夫が降りてきていたので、二人して様子を見ていたら、おばあちゃんが来た。
事情を話して、顔色が悪いことと、37.7度の熱があることを話していたら、また吐いて、そのあと痰が絡んだような気遣いになった。
あるで呼吸困難のような状態になり、おばあちゃんが救急車を呼べといったので、電話し、事情を話して、救急車に来てもらった。
かかりつけの病院はその日は小児科の先生がいないということで、その日小児科を担当している病院へ搬送してもらうことになった。
救急車の中で白蓮はぐったりとしていた。顔色は真っ白だった。
市立の総合病院へ搬送され、小児科の先生に診てもらう。
血液検査をするが特に異常はなく、吐くことと、あと痰が絡んだこと、そして発熱のことで、不明熱ということになり、入院することになった。
小児科の大部屋に入れられ、そこで点滴をされながら寝ていたが、おっぱいをあげていいと言われたので、たっぷりと飲ませたのが2時ごろ。
コンタクトを夫にはずしてもらい、みんが帰ったあとに白蓮が六時頃目を覚まし、小児科のS先生が診にきてくれたとき、先生が喉をみるために木のヘラ(一回ずつ使い捨て)を口につっこんだら、飲んだはずの母乳を全部吐いた。
状態は未消化だった。
先生は、その状態を見て、浣腸をして便を調べると言った。
そして、ロタウイルスが検出され、ロタの子ばかりの大部屋に移動になった。
ロタウイルスのせいで、胃腸が動いていないというので、母乳を飲ませても吐いてしまうだけだろうというのと、必要があって絶食ということになった。
栄養と水分補給のための点滴を24時間、そして朝夕2回の抗生剤の点滴が始まった。
いつ嘔吐があるかわからないので、15日の夜と16日の夜は一睡もできなかった。
何度か吐いたので、見張っていてよかった。
腸が動いていないために、浣腸をしてガスぬきと便を出させてもらう。
母乳+ミルク、そして2回食になっていた離乳食のおかげで、ふっくらとしてきた白蓮は、みるみるやせ細っていった。
2日ほどの絶食をおえてからは、ラクトレスという消化によいミルクを一回たったの30㏄あげていいことになった。3時間毎にあげるそれだけが、白蓮が口にできる水分だった。
いくら点滴で水分は大丈夫とは言っても、喉は渇く。
可哀想に、切羽詰った状態だったからか、断固拒否だった哺乳瓶をあっさり受け入れて、ラクトレスを必死に飲むようになった。
それがかえって気の毒で痛々しくてたまらなかった。
入院していた病院の小児科の先生はN部長先生と、白蓮を担当してくれたS先生、それと若い先生の3人いるのだが、この3人が朝と夕方にそれぞれ様子を見に来てくれた。
白蓮は下痢はしないものの、高熱が出ていて、それがずっと心配だった。
40度近い熱が続いたのだ。
そして、いつ嘔吐するかわからない。
腕には点滴。
片時も目が離せなかった。
自分がトイレに行きたいときは看護師を呼んで、見ていてもらった。
おじいちゃんとおばあちゃんが毎日通ってくれた。
夫は来たがったが、ロタは感染力が強いので、私は「仕事に差し障ると困るから来るな」と言ってこさせなかった。どうせコンタクトは入れられないから、はずす必要もないし、夫がいなくても大丈夫だったし。
部屋には白蓮の他に3人いて、みなロタの子なのだった。
夜の間、それぞれがナースコールで下痢の報告をしていた。
気の休まらない日が続いた。
泣きもしない白蓮を、私は不安な気持ちで見守り続けた。
 
 
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