3日は日曜日だった。
夕食の始まる前、6時から腹痛があったが、軽い痛みだったので
「前駆陣痛ってやつかなあ?」
と思ってたいして気にしなかった。
食事がすんでから、だんだん痛みの間隔が短くなってきて、9時頃には10分を切る間隔になっていた。
一度病院に電話して、そのあとも耐えていたのだが、あっというまに3分おきになり、慌てて連絡。入院の準備をしてきて下さいと言ってもらい、用意して家を出たのが12時前だった。
車の後部座席で痛みに苦しむ私を見て、父は
「救急車で行こう」
と決断。病院の向かう道の途中に消防署があるので、そこで救急車に乗り換えた。
人生で一度は乗ってみたかった車に救急車とパトカーだが、自分が患者として乗ると、車内を観察する余裕が無い。
それでも、必死になって見える部分は見て、痛みに苦しみながらも「すげーっ!」と喜んでいた(笑)。サイレンが鳴っているのが聴こえていた。
隊員さんが素早く行き先の病院に連絡、きびきびとした対応に「かっこええっ!」と感動する。
隊員さんが優しく話しかけてくれるうちに、あっというまに病院に到着。普段なら40分ほどはかかるのに、さすがは救急車、20分で着いた。
その時すでに陣痛は1分おきになっており、自力では当然歩けない状態になっていた。
ストレッチャーに体をベルトで固定されていたことに気づいて、「おおっ(喜)」と思う間もなく、病院の方のベッドに移動(これは自力で転がった)。
ガラガラと運ばれながら、必死で天井を眺めていた。
陣痛室に着いてからは、陣痛との本格的な戦いだった。
いきみのがしの呼吸法(吸うより、吐くほうに重点をおく)でいきまないようにしながら、ひたすら耐える。
つきそってくれた母に腰を押してもらいながら、過ごすこと14時間ほど。
子宮口は9センチ開いており、赤ちゃんも降りてきてるのに、出てくる気配がない。
助産師さんが「恥骨に頭がひっかかっているみたい。介助するから思い切りいきんでみて」と言い、ポータブルトイレに座って力の限りいきませてもらう。
が、介助してもらっても(穴を広げてもらっても)一行にらりがあかない。
私の体力が尽きてきているためで、とりあえず休憩ということに。
母が何でもいいから口にしてくれといったので、しかたなくチョコレートを2かけとポカリスエットを少し飲んだが、結果は全部吐いてしまった。
1分より小刻みになった陣痛のさなか、疲れ果てた私はなんと陣痛と陣痛の合間の数十秒を眠って過ごしていた。
ある程度してから、再度いきんでチャレンジするもダメで、とうとう分娩台へ。
陣痛室のベッドで分娩室まで移動し、必死になって分娩台へ自力移動。
ぼーっとしていたら、私の担当の先生がいるのに気づいた。
「あ、先生。よろしくお願いします」
先生が血管確保をしてくれるのをぼんやり感じながら、いきみのがしの呼吸は続けていた。
で、先生がスタンバッテいきんだものの・・・・・。「やっぱり恥骨にひっかかってるね」と言われてしまった。
と、そこへ産科の部長先生登場。
二人の先生を見た瞬間、「二人もいればどうにかしてくれるだろう」と確信した。
私の担当医が赤ちゃんの方、部長先生が私の腹に両腕を乗せて体重をかける。押し出すためだ。
が、出てこない。
位置をチェンジしてやるも、出てこない。
しかたなく、会陰切開することになるが、「やって下さい」と即答(本当はしない方向でいくはずだった)。
麻酔をして、切開、担当医が吸引するためにスタンバイ。
部長先生が私の腹を押す。
「恥骨でひっかかっているから、下の方へ引っ張れ」
と部長先生が担当医に指示。
私には「喋らないで、息を思い切り吸ってからいきみや」と指示。
部長先生の指示で、思い切りいきむ。そして休憩。もう一度いきむ。
と、助産師さんの一人が「頭が出たよ!」と教えてくれた。
後は、私のいきみのみで体が出た。
知り合いから聞いていたとおり、「するーん」と出る感じがわかった。
(つづく)