遠隔専門ヒーラー ハスノのあれこれ日報

あれこれの名に恥じない雑多なブログ

9月3日~4日 その1

2006年09月29日 | 入院記録

3日は日曜日だった。
夕食の始まる前、6時から腹痛があったが、軽い痛みだったので
「前駆陣痛ってやつかなあ?」
と思ってたいして気にしなかった。
食事がすんでから、だんだん痛みの間隔が短くなってきて、9時頃には10分を切る間隔になっていた。
一度病院に電話して、そのあとも耐えていたのだが、あっというまに3分おきになり、慌てて連絡。入院の準備をしてきて下さいと言ってもらい、用意して家を出たのが12時前だった。
車の後部座席で痛みに苦しむ私を見て、父は
「救急車で行こう」
と決断。病院の向かう道の途中に消防署があるので、そこで救急車に乗り換えた。
人生で一度は乗ってみたかった車に救急車とパトカーだが、自分が患者として乗ると、車内を観察する余裕が無い。
それでも、必死になって見える部分は見て、痛みに苦しみながらも「すげーっ!」と喜んでいた(笑)。サイレンが鳴っているのが聴こえていた。
隊員さんが素早く行き先の病院に連絡、きびきびとした対応に「かっこええっ!」と感動する。
隊員さんが優しく話しかけてくれるうちに、あっというまに病院に到着。普段なら40分ほどはかかるのに、さすがは救急車、20分で着いた。
その時すでに陣痛は1分おきになっており、自力では当然歩けない状態になっていた。
ストレッチャーに体をベルトで固定されていたことに気づいて、「おおっ(喜)」と思う間もなく、病院の方のベッドに移動(これは自力で転がった)。
ガラガラと運ばれながら、必死で天井を眺めていた。

陣痛室に着いてからは、陣痛との本格的な戦いだった。
いきみのがしの呼吸法(吸うより、吐くほうに重点をおく)でいきまないようにしながら、ひたすら耐える。
つきそってくれた母に腰を押してもらいながら、過ごすこと14時間ほど。
子宮口は9センチ開いており、赤ちゃんも降りてきてるのに、出てくる気配がない。
助産師さんが「恥骨に頭がひっかかっているみたい。介助するから思い切りいきんでみて」と言い、ポータブルトイレに座って力の限りいきませてもらう。
が、介助してもらっても(穴を広げてもらっても)一行にらりがあかない。
私の体力が尽きてきているためで、とりあえず休憩ということに。
母が何でもいいから口にしてくれといったので、しかたなくチョコレートを2かけとポカリスエットを少し飲んだが、結果は全部吐いてしまった。
1分より小刻みになった陣痛のさなか、疲れ果てた私はなんと陣痛と陣痛の合間の数十秒を眠って過ごしていた。
ある程度してから、再度いきんでチャレンジするもダメで、とうとう分娩台へ。
陣痛室のベッドで分娩室まで移動し、必死になって分娩台へ自力移動。
ぼーっとしていたら、私の担当の先生がいるのに気づいた。
「あ、先生。よろしくお願いします」
先生が血管確保をしてくれるのをぼんやり感じながら、いきみのがしの呼吸は続けていた。
で、先生がスタンバッテいきんだものの・・・・・。「やっぱり恥骨にひっかかってるね」と言われてしまった。
と、そこへ産科の部長先生登場。
二人の先生を見た瞬間、「二人もいればどうにかしてくれるだろう」と確信した。
私の担当医が赤ちゃんの方、部長先生が私の腹に両腕を乗せて体重をかける。押し出すためだ。
が、出てこない。
位置をチェンジしてやるも、出てこない。
しかたなく、会陰切開することになるが、「やって下さい」と即答(本当はしない方向でいくはずだった)。
麻酔をして、切開、担当医が吸引するためにスタンバイ。
部長先生が私の腹を押す。
「恥骨でひっかかっているから、下の方へ引っ張れ」
と部長先生が担当医に指示。
私には「喋らないで、息を思い切り吸ってからいきみや」と指示。
部長先生の指示で、思い切りいきむ。そして休憩。もう一度いきむ。
と、助産師さんの一人が「頭が出たよ!」と教えてくれた。
後は、私のいきみのみで体が出た。
知り合いから聞いていたとおり、「するーん」と出る感じがわかった。

(つづく)

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泣かないけど

2006年09月29日 | 白蓮日記(育児日記)
白蓮は、産まれたときはとてもきれいな声で泣いた。
が、それはそのときだけのことでありました。
赤ちゃんてぎゃーぎゃー泣くと思ってたけど、白蓮は切羽詰らないと泣かない。
泣かずに何をやるのかというと、うごうご唸りながら、体を思い切り反り返らせて、手足をばたつかせるのですな。
このジタバタを見て、「あー、お乳が欲しいのか」とか、「うんこが気持ち悪いのか(紙おむつでもうんちは吸収されんたいんで、尻が気持ち悪いらしい)」というのがわかるわけ。
で、先ずは、紙おむつをチェックする。
背中を持ち上げて、尻をチェック。うんちしていれば、すけて見えるから、見えたら交換。おむつ交換じゃなければ、指で白蓮の口をトントンする。で、口を開けたらお乳。
白蓮はジタバタ期間が凄く長い。んで、限界がきたら、「ふげーーーーーっ!!」と泣く。けど、5分も持たないで、静かになる。諦めるのが早いw
生後1ヶ月くらいまではあまり泣かないという文章を見かけてことがあるのだが、白蓮がそうなのかも?
布おむつになればもっと泣くようになるかな?
楽しみだ(ΦωΦ)ふふふ・・・・
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子供の食べ物は

2006年09月28日 | 白蓮日記(育児日記)
ぶっちゃけ、産後の体に力をつけるには母乳が一番いいらしい(爆)。
栄養満点で、吸収もいい。
しかし、己の乳を己で吸ってしまっては白蓮にやる分がなくなってしまうので、しかたなく母は子供によい食べ物を食べてしのいでおります。
私の場合、ミロとビスコw
強い子のミロは、貧血になった私の鉄分補給。
そして、ビスコは間食用w ホントは間食しないほうがいいんだけど、腹が減るんだもーん。でも、甘い物はお乳がつまる原因になるらしい(それでも食うときは食ってますがw)ので、それで入院中に食事についていたビスコを思い出したわけで。
ビスコは甘さ控えめだし、栄養あるし、小袋で食べやすいから、おやつには丁度いいんだなーw
あったかいミルクティとビスコ。
そして、眠っている白蓮。
至福の時間でございます~~~~♪
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授乳はコンビニです(27日)

2006年09月27日 | 白蓮日記(育児日記)
胎児期は小蓮だった子供ですが、産まれてきたので、ウェブネームが白蓮(しろはす)になりました。
今後ともよろチクビw

さて、私は学生時代から「子育ては母乳&布おむつ!!」という決意の人だったので、現在母乳育児しております。
現在はまだ生後1ヶ月にならない時期で、母乳の出もいまいち、そして、白蓮自身がまとめ飲みができない状態なので、泣けば飲ますという状態です。
1時間近く飲んでいたのに、30分ともたず泣くということもあり、母はぶっちゃけボロボロです。
まあ、それでも母乳はかなり出るようにはなったんですけどねぇ。時間がたってはってくれば、あふれるくらいは乳がチャージされるようになりました。最初はなーんにも出なかったのにw

母乳が出ない人はいないんと助産師さんが言ってました。
その言葉を信じて、吸わせていたら出てきたわけで、さすがです人体。本能の支配する世界、ホルモンパワー炸裂でございます。おかげさまで、お肌すべすべは継続中(女性ホルモンが出ていると、肌の調子がめちゃめちゃよくなります。基礎化粧はおろか、洗顔もさぼる日々なのに、お肌はぷるぷるですぜw)。

24時間営業の母乳はとっても辛いんだけど、母乳はいくらあげても太らないし、体は丈夫になるし、離乳食のときに楽ができるし(母乳は毎日味が違うので、ミルク育ちより味覚が発達して、離乳食へむけての準備がいらないらしい)、といろいろ利点が多いので、とにかく毎日吸わせていくしかありません。
幸い、白蓮は初日から吸うのはとっても上手です。
さすが、私が胎教で「賢い子」と洗脳(笑)した甲斐があったw 今でも洗脳中w

生後3ヶ月くらいまでは毎日ボロボロ状態が続くらしいですが、乗り切ってみせますよ~~~~~~。
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