健常ではないと、健常な人が当たり前に出来ることが出来ません。
私はそのことを時々、とても辛く感じます。
私の視力は健常者の枠にも障がい者の枠にも入れないので、疎外感を否めません。
どちらの社会からも恩恵を受けられない、属することが出来ない、そんな中途半端な立ち位置で生きてきました。
私は根っこのところで、健常者も障がい者も恨んでいるし、羨ましいとも思っています。
どんなにドジでも、どんなにスキルがなくても、どんなに実績がなくても、健常な体を持ってるなら、先ずそのことに感謝して、自分の体を大切にしてい欲しいと思っています。
健常な人は気づかないかもしれませんが、健常な体であるということは恵まれていますし、運が良くて強みになることだと、私は思っています。
健常な体は才能のひとつだと思っています。
私は昔から、運転免許が取れるだけの視力があるのに免許を取らない人のことを憎たらしいと思ってきました。
私はどうやっても免許をとれるだけの視力がないのです。
仕事を探しているとき、どこにも雇ってもらえずに苦しみました。免許さえ持っていれば、運転さえ出来れば、それだけ面接を受けられる業種が増えましたし、面接に行ける会社も多かったのにと悔しい思いをしました。
事務職ですら、採用条件に車の免許のことが書いてあることが珍しくなかったのです。
私は、自分の健康をあてにして不摂生をする人が嫌いですし、視力にも運動能力にも精神的問題もないのに免許をとっていない人に冷たい感情を持っています。
個人の事情は勿論ありましょうが、そんなものを自分の抱く感情に対して考慮しようとは思いません。
私は自分が免許を取れない事実が悔しいのですし、免許を取れる体なのに取らないでいる人に対して腹立たしい感情を持つことを悪いとは思っていません。
感情に善悪はありませんから。
私は差別意識がありますから、健常者が「障がい者のくせに」と思うのと同じ理由で、「健常者のくせに」という視点でとらえていることがあります。
持てる武器で勝負するのが人生ですから、私は私の持っているもので生きていきますが、健常者が私より有利であるという思いを無くすことは出来ません。
私は、私が決して到達出来ない、体験することが出来ない世界にいる人々に対する妬みを、これからも持ち続けていくと思いますし、それでいいとも思っています。
羨ましいものは、羨ましいんですから。
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