赤朽葉家の伝説 価格:¥ 1,785(税込) 発売日:2006-12-28 |
桜庭一樹5冊目。直木賞候補となった作品。
最初に感じたことは、昭和は既に歴史になってしまったということ。少し前までは、明治・大正・昭和初期・戦前・戦中といった時代は遠く隔絶された歴史ではあったが、戦後は生まれる前のことでも一続きとして現在と関わりある存在だった。しかし、本書を読んで昭和の時代が隔絶した過去であるという認識に置き換えられた。
日本の辺境にある赤朽葉家の三世代の女の目を通して描かれる戦後から現在までの物語。昭和史に沿った風俗や世代に対する描写は私の目からは浮ついているように見えた。一方で、それが必要なことも理解できた。それを書かなければ共通認識として理解されないものと成り果てていたから。
万葉の物語は秀逸だ。現代的な感性では手の届かない強さがある。正直なところ、この第1部だけで十分と言えなくもない。幻想と現実の間に明確な線引きは必要ない。万葉の日常をもっと描いて欲しいと思わせるほどの内容だった。
毛毬の物語はひどい出来だ。万葉と違った意味で傑出した人物として描きたかったのだろうが、成功したとは言えない。こと細かく描かれた時代性は、著者本人と同世代であるがゆえなのかもしれないが、第1部以上にうわっ滑りしたものに感じられた。
瞳子の物語は著者お得意のと感じられる物語だ。手馴れた描写は巧みで、謎の解明という点では上手さを感じさせたものの、第1部の重みを支えるほどのものには思えない。それをただ世代的な理由で片付けていいとは思えなかった。
時代性は確かにその時代に生きる、特にその中のある世代に大きな影響を与え、またその世代から生まれてくるものだ。第1部ではそれはあくまで間接的に影響するものとして描かれたが、第2部では直截的すぎる影響を及ぼした。もちろん、あえてそうしたわけだが、虚構な印象が強く漂った。幻想の入り混じったリアリティよりもそれは遥かに遠く、まるで張りぼてのように見えた。
時代性は確かに人々を捉える。だが、誰もが時代性の虜になるわけではない。それは有か無かというはっきりしたものではなく、程度の問題だ。第2部で描かれた時代性は濃度が濃すぎた。濃すぎてリアリティがはじけ跳んだ。
こうした不満もあったが面白い一冊であることに間違いない。繰り返しになるが万葉の物語は秀逸だ。それだけで読む価値のある物語と評してもいいだろう。