次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活

医療系オタク大人女子の日常生活やエッセイ。創作垢「きつねの戯言」にて小説、楽描きイラストなども描いています。

リベロよりスクラムハーフ

2019-11-18 22:38:58 | 日記
盛り上がったラグビーW杯の熱も徐々に冷め始めてきたのか、日本代表の人気選手は未だバラエティー番組でもひっぱりだこではあるが、ニュースやスポーツの番組では普段の落ち着きを取り戻しつつある。

私の小学校高学年の頃の恩師はラガーマンだったのか、担任していた私たちのクラスは体育の授業で男女混合ラグビーをやっていた。
といっても当時覚えたのはタックルとトライくらいで、ノックオンだのノットリリースザボールだのというような用語は大人になって初めて知った。
単にボールを持ったら走ってトライするし、タックルでボールを持った人を止めるくらいの簡易ルールだったのかもしれない。

私の中学校は、当時は少人数で各生徒の長所を伸ばすよう細やかに指導するという教育方針だったので、生徒数が少なく1学年1クラスで20人ほど。そのうち女子は半分以下だったので部活は既存のバレー部一択。
運動が得意な方からレギュラー6人で私は玉拾い兼ピンチサーバー。
良い感じに脱力系の無回転ヘロヘロサーブで「行き先はボールに聞いて」状態だったので、そこそこサービスエースを稼いだところでお役御免。
たまにコートに入っても、ちんちくりんの低身長なので、当時はまだそういう呼び方はしなかったが、今でいうリベロみたいな役割だった。

鈍足でぽっちゃり体型なので縦割りのソフトボールの授業ではキャッチャーだけど、座ったままボールを投げられず後輩に怒られ、バスケはフリースローは好きだけど走り続けるのは苦手。
一番ましなのがバレーボールだったというだけなのだが。

話を本題に戻そう。
仕事でも私はいつもリベロポジションでやって来た。
表に立って華々しく活躍するよりも、「かごに乗る人、担ぐ人、そのまたわらじを作る人」でいうところのわらじ作りで良いと思って、職場では、誰でもできるし、誰がやっても良いけど、誰もやりたくない、誰もやらないような、だけど誰かがやらねばならないようなことを常にやってる、そんな働き方をして来た。

先日高校の先輩でもある元上司(私が転勤になり、今も元の店舗に出向はしているが、別の店舗に所属している)と、まもなく私が退社することについて話していた時に、
「こんなユーティリティプレイヤーを失うのは大きな損失。本当に残念。」
と言ってもらって、ふと思った。

ラグビーW杯を見ていて、私がもし選手ならポジションはスクラムハーフが良いな、と。
福岡選手や松島選手みたいに俊足飛ばしてぶっちぎり独走してトライするのも格好良いし、田村選手みたいに華麗なキックでゴール決めるのも素敵だし、姫野選手みたいに圧倒的なパワーでジャッカル成功させるのも素晴らしいと思うけど、チームメイトが居て欲しいと思う場所に先回りして、気づけば必ずそこに居たり、こんなプレーをしてくれたら助かるなと思うプレーを確実にやってくれるような、そんな田中選手みたいなスクラムハーフに私はなりたい、と。
(※あくまで個人的なイメージです。)

いわずもがなだが、勿論これは例え話であって、そういう感じで仕事をやりたいと思って来たし、それなりにやって来たつもりではあるけれど、お世辞でも『ユーティリティプレイヤー』と言って頂けたなら、人気アニメの言葉『pulse ultra(更に越えて行け)』ではないが、もっとレベルアップしなくては。

まさに優勝した南アフリカ代表のデクラーク選手のように、スクラムハーフとしてだけでなく、自ら突進してトライも決めたり、小柄なのに大きい相手選手と堂々と渡り合ったり、+αが求められる。

守りだけじゃだめなんだ。
攻撃は最大の防御というじゃないか。
具体的に何をどのようにして仕事にいかすのかはわからないけど。
敢えて言うなら苦手を作らないということか。
一周回って数年前までずっとやっていた外来オンリーの仕事に戻るのだから。

そう言えば私の父方の祖父はラガーマンだったそうだが、写真でしか見たことのない祖父はどうみても華奢な優男である。
ポジションはどこだったか聞いたことはないが、少なくともガタイが良くないと務まらないようなポジションではなかったろう。
もしかしてスクラムハーフだったのかも?というのは話が出来すぎているかな。
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