6/19は桜桃忌。敬愛する文豪・太宰治を偲ぶ日である。
名家に生まれ、人に気を遣いすぎ、道化を演じてしまう『人間失格』の主人公は作家太宰治自身の分身とも言われているが、思春期の私は深く共感し、太宰文学の虜になったものだ。
精神的に病んだ経験がない人には想像できないだろうし、病んだ人であっても
「それはあなただけ。一緒にしないで。」
と言われるかも知れないが、メンタルの不調の兆しは何となくわかる。
その兆しには、明確ではないが、幾つか段階が存在するようで、十数年前に私が『闇落ち』と呼んでいる、所謂鬱状態をきっかけに暫く心療内科のお世話になっていた時期があり、精神状態がその当時の状況にかなり近づいた時には必ず脳内に浮かぶ景色があった。調子の良い時はまずまず思い浮かぶことはないし、少し調子が悪くても、その景色がぼんやりしている間はまだ大丈夫。その景色がはっきりくっきり見えたらもうそれは相当病んでいる、という指標になっていた。流石に年月と共にその景色が脳内に浮かぶことは少なくなっているが、その前段階の兆候というのは未だに時々現れる。
心療内科で最初は鬱状態だったものが、後に双極性障害Ⅱ型の診断が下りて、その他にも適応障害だの不安障害だのいろいろ言われ、一時は自立支援の公費で通院していたこともあった。
向精神薬の副作用が怖くなり、転院して現在の主治医には「心療内科は誤診」と言われた。精神的な好調不調の波は誰にでもあるが、今でもあまりにも調子が悪くなると自分で自分の精神状態をコントロールできなくなるのではないかという恐怖感が払拭できない。
双極性障害Ⅱ型というのは、所謂『躁鬱』と言われる双極性障害の中でも、躁状態が軽めなので、日常生活に支障を来す程ではないが、ややハイになる感じ、というイメージである。
私の場合、常日頃から『人間失格』の主人公同様、子供時代から周囲に気を遣ってないように振る舞いながら超絶気を遣い、道化を演じる主人公の如く、明るく元気で面白い人を演じて来た。
鬱抜け以後は、『転生』と称して、生まれ変わったつもりで、『本当の自分』『ありのままの自分』として生きようとして来たのだが、それでもやはり時に調子が悪くなりかけると、軽躁状態とまでは行かないまでも、ハイになって暴走しそうになる。
早口になったり、やたら喋ってすぐに人の話に入る、やたらはりきって動き回る、欲が出てあれもこれもと出来もしないのに手を出そうとする。
そして一人になると、その反動で
「何であんなこと言ってしまったんだろう」
と落ち込んだり、やたらと疲れて頭痛がしたりして動けなくなる。そして食事の内容や量が大きく変わってもないのに体重が何故か増える。皮膚の痒みや湿疹、胃腸の不調など、明らかなストレス性の身体症状が悪化する。やる気がなくなって、やらなきゃいけない用事が滞る。
良いことも悪いこともストレッサーにはなり得るので、非日常に弱いというのは心療内科でも言われていた。
ただ、根っからの仕事人間なのか、めちゃくちゃ病んでいても、仕事だけは辞めなかったし、家でずっと寝込んで何もできず、電話もインターホンも居留守でも、仕事だけは休まなかった。
今も仕事中気を張ってる分、休みだとぐったりはしているが。
しんどいのは、こういう波がいつやって来るか、いつまで不調が続くのか、どうしたら抜け出せるのかがわからないことだ。
突然「何かヤバいぞ」になって気づくが、気づいた時は既にヤバいので、その前日くらいまでは普通、或いは寧ろ好調だったので、本当に降ってわいたような感じである。
思い過ごしであってくれと祈るばかりだが、大抵はアウトなので、かなりビビってはいる。
夏目漱石始め、文豪には躁鬱持ちが多いと言われるが、それもわからなくはない。薬物乱用と一緒にしてはいけないが、躁状態の時は世界が違って見えると言われている。想像力が飛躍的に高まって、常人には見えない世界が脳内に広がり、急速に展開したりする。海外の双極性障害患者が書いた本を読んだだけなのだが、私も鬱抜け後に小説を書き始めた頃には、どんどんアイデアが出て筆が進んだし、脳内では勝手に物語がどんどん展開して行ったので、作者の言わんとすることは何となく理解出来る気がした。
逆に鬱状態に近いと、文章を読んでも、(現実にしろ動画等にしろ)音声として話を聴いても、頭に入らないのである。文字は読めてるはず、声(音)は聞こえているはずだが、意味がわからない。
最近それもちょっとヤバい感じがしている。「退屈だと眠くなっちゃう」とかいうのとは違って、大事な話だからしっかり聴いて覚えておこうと思っているのに、頭に入ってこない。これはまずい。かなりまずい。と内心焦る。
キーワードくらいはメモでもして、一応動画が見返せるように保存しておこう、とか対策はしているが、こういう時はあまり意味をなさない。心のどこかで
「あ~、これまた後で1からやり直しだろうな」
と諦めかけてはいる。
小説のネタ集めの初期が大体こんな感じなんで、数週間から数ヶ月後に、キーワードを頼りに何とか復活させようと試みて、結果当初とは多少違うものになったりする。メンタル落ちてる間は何も出来ないので、ただ気持ちがもやもやするだけなのだ。
暑さや寒さもストレスではあるが、湿気というのも大いにストレスになる。
そして体質的にも私は非常に湿気に弱いので、この梅雨時というのはかなりきつい。上記の如く、身体症状も悪化するが、中医学的には、皮膚と胃腸と精神とは因果関係があり、経絡で結びついているらしい。そしてこれらの臓腑は湿気に弱いという特徴がある。
なので時期が過ぎるまではじたばたしても仕方ないとはいうものの、毎年辛い。
兆しも原因の一部も起こりうる症状も把握していても、対処の仕方はまだ会得していない。特効的な方法でなくとも、何とか穏便にやり過ごす術はないものかと思うが、なかなか難しい。主治医からは養生や食生活に厳しい指摘と指導があるが、それを遵守するのもストレスになるので、自分なりに出来るところだけは気をつけようとは思うけど、完璧にやるのはほぼ無理だと思っている。
心は永遠の中二でも、体は年齢を重ねる毎に衰えるばかり。平均余命から想定した人生の折り返し点辺りでちょうど病んで、生まれ変わったつもりで復路を生きようと決めて、ゴールまでの一本道をどんな風に生きようかと考える年齢になった。長生きする気はさらさらないし、今日で人生終わっても構わないくらいの気持ちはあるけど、まだ命が続くのなら、出来れば快適に過ごしたい。面倒くさいとかしんどいとかは出来れば避けて。虫の良い話とは思うけど、前半いろいろ我慢したり努力したりした分、後半はちょっとくらいわがまま言いたいと思う自分がいる。