昨日大阪府北部に観測史上初の震度6弱の地震があった。
通勤途中、自宅から駅までの1/4ほどを過ぎたら前夜からの頭痛が急に激しくなり、空間が捻れるような気持ち悪さで、ふらついて歩くのはおろか立っていることもできなくなり、しゃがみこもうとしたら携帯が鳴り、この異常な間隔は私の体調不良や小脳の異状ではなく地震だったことがわかった。
目前の民家の玄関前から車が飛び出しそうに思えたが無人で、揺れによる錯覚だった。
すぐ横の道路を走って来た車は蛇行して斜めに停まったまましばらく動かず、揺れが収まったことを確認してゆるゆると発進した。
国道の信号機は何ともないのに住宅街の信号機は消灯していて、通学中の学生達が非日常に興奮して大騒ぎしていた。
駅前まで来ると、既に発車しているはずの列車がホームに停車しているのが見えた。
案の定私鉄は全線運行中止していて、上司にメールで連絡し、再開の見込みはないがしばらく改札前で待った。
長男がLINEで
「出社途中JRの列車内で列車が浮き上がったような気がして、人身事故かと思ったら地震だったので出社を取り止め、迂回して帰宅する」
と言うので、私も上司に許可をもらって一時帰宅したが、幸い震源地から離れていたのと縦揺れだったのとで自宅の被害は殆んどなく、一時間くらいテレビのニュースを見ていた。
上司から
「私鉄が運転再開したらすぐ出勤、タクシーででも午後には出勤するように」
と指示があり、自宅から駅までは少々遠いから早めに出たら、駅員が改札前の人に避難場所を案内するアナウンスをしていたので、再開は期待できないとタクシー乗り場に移動するも、長蛇の列。
全く来ないタクシーを待ちきれず脱落者が続出、先頭から10番になり、二時間待ってやっと来た一台に西方向に乗り合いで4名乗り、更に一時間の内に次々脱落者が出て先頭から4名まで座れるベンチまで到達。
そこからまた一時間、上司や同僚とメールをしつつ、遂に列び始めてから四時間、やっと先頭から2番目になり
「車で迎えに行こうか」
と同僚が電話をくれたと同時にタクシーが来た。
先頭の乗客が声をかけ東方向に4人乗り合いで発車し、私が先頭になったが、次のタクシーがいつかもわからないし、やっと自宅待機の許可も出たので帰宅することにした。
往復の徒歩を含めて計五時間、駅のトイレは利用できるが列から離れられないから水分を一滴も口にしなかったのと、最後の一時間は午後の直射日光に曝されていたのとで軽い熱中症を起こしてダウンしていた。
夕方帰宅した長男が冷凍食品で夕食を準備してくれ、迂回して帰宅する長女にイオン飲料を頼んで、氷枕をしてひたすら横になる。
もしも運転再開になったら出勤しないといけないのでずっとテレビニュースのテロップを見ていたが、通勤所要時間一時間から逆算して退勤時刻に間に合わなくなった時点でやっと待機から開放された。
家族全員疲れて早めに休んだが、夜中や早朝にも余震があり、今朝起きて上司宛に今日の週休はOKか確認のメールを入れた途端また余震。
OKが出たのでごみ出して洗濯して予定通り鍼灸治療へ。
漢方クリニックは最近月1回の予約なので今日は鍼灸治療のみ。
診療開始と同時に朝イチ受付したが担当の鍼灸師さんが3人掛け持ちなのでそれぞれ待ち時間が長い。
うつ伏せで針鼠状態で待っていると少し揺れているような気がしたが身動きできず、すぐに収まった。
二時間くらいかかって治療が済むと、帰り道の家電量販店でスマホの充電器を買った。
昨日あちこち連絡を取りながら、充電の減るのが驚くほど早くて不安で、タクシー乗り場で充電器を使う人を見て買っておかねばと思った。
「自宅の懐中電灯や乾電池も確認してないのに」
とは思ったが、それらの代わりになるものはあっても、スマホは充電が切れたら使い物にならない。
ドラッグストアやスーパーで、たまたま残り少なくなっていたトイレットペーパーやペーパータオル、ミネラルウォーターやカップ麺を買おうとしたら品薄で殆んどなかった。
昨日タクシーを待つ人に近所の喫茶店のマスターが無料で珈琲を振る舞ったりしているのを見た時も、テレビで見ていた『被災者』っぽいなぁと思ったが、売場の棚がガラガラなのも阪神淡路大震災を思い出した。
今年は父の日も桜桃忌も例年通りに祝ったり偲んだりできなかった。
このまま何事もなく地震が終息しますようにと祈るしかない。