次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活

医療系オタク大人女子の日常生活やエッセイ。創作垢「きつねの戯言」にて小説、楽描きイラストなども描いています。

人生に定年はない

2022-07-29 06:06:07 | 日記
『人生に定年はない』というタイトルからどんなことを言わんとしているか想像できるだろうか。
生涯現役で仕事に趣味に社会貢献に学びにと元気でバリバリ頑張るというような話だとポジティブに受け取られたかも知れないが、誤解を恐れずに言えば、それとは真逆の超ネガティブな話なのだ。

最近ネットで知ったとある映画だったり、過去にも似たような創作もあったような、所謂『現代の姥捨て山』的な発想で、超高齢化社会が破綻寸前となり、老老介護を始めとする諸問題が取り沙汰される世の中である。

医療業界の端くれに居るもので、高齢でも頭脳明晰で姿勢も良く、朗々と声の張りもあって言葉も明瞭という人もそこそこお目にかかるが、介護を必要とする車椅子や寝たきり、または認知症、及びそれらの予備軍のような人が多い。

実母もまたそんな要介護者であり、老人介護施設で暮らしている。
以前のブログでも書いていたことだが、60歳過ぎでつれあいを亡くした母は重度の浮き世離れなのにも関わらず、自由気ままな独り暮らしを満喫する一方で、子供とは疎遠だった。
特に二人姉妹の長女である私とは不仲で、普段は疎遠なのに何かという時は「大学出なんだから」という短絡思考で丸投げしてきたりした。

放置していた私も悪かったのだが、まだ若かった私はそこまで気が回らなくて、父の遺族年金をもらっていた母が母自身の年金の手続きをしないまま約20年間年金をもらい損ねていたのが発覚し、手続きを経て、今後の分に加えて過去5年分だけは支払いを受けられたという話は以前にも書いた通り。

介護保険の負担金軽減措置のある限度額認定という制度を最初にお世話になったケアマネに教えてもらい、手続きして適用してもらえたら、遺族年金ととんとんの負担金で施設に入所できる計算だったし、それは計算通りに実現した。

その認定期間終了に伴う手続きの案内が来たので申請したのだが、帰って来た通知は『非認定』だった。
通知書によると、年金額と貯金通帳の残高が基準を越えているため、改定により8月から食費日額が約2倍になる旨の説明があり、早急に施設に連絡するようにと記されていた。

施設のケアマネに伝えると、「今までは軽減措置の適用があったが、食費だけでなく居室使用料(部屋代)も適用されなくなるので、1ヶ月あたり50000円ほど請求額が上がることになる」と説明された。

致し方ないと言えばそれまでだが、年金額にしろ、貯金額にしろ、基準を大きく越えたわけではなく、ほんのちょっと越えただけ、誤差の範囲と言いたいくらいの差額なので、悔しすぎるレベルで残念だ。

ただ、問題は今まで年金と請求額はほぼとんとんだったが、年金はそれほど増えたわけではないのに請求額は一気に増えて赤字になり、過去5年間の年金一括払いでできた貯金を取り崩して行くしかなくなったのである。

ざっくりと計算してみたら、月5万なら年60万。今の貯金では10年も持たない。
80代半ばの母の寿命が後何年残っているかはわからないが、長生きするほど貯金は目減りする。
勿論貯金だけならそのうち減ってまた基準を満たすようになるかもしれないが、年金額も減って基準以下にならないと再認定は難しかろう。

恥ずかしながら私も既にアラ還に片足突っ込んでいるので、後ろ倒ししなければ母の貯金が尽きる前に年金受給開始になるだろう。

これも何度も書いて来たことではあるが、私は離婚調停で年金分割は認めさせたが、財産分与も慰謝料もなく、ただ自腹で調停費用を払っただけなので、殆ど貯金は持っていない。
離婚後フルタイムで働くようになって間もなく母の面倒を見るためにパートに戻らざるを得なくなり、職場の立地などを優先したので、社会保険や厚生年金は諦めざるを得なかった。

そのため、私自身の年金予想額は母とは雲泥の差なのだが、母が長寿で90代、もしかしたら100歳越えともなれば、私の年金から母の介護費を払うというような笑えない事態も絶対に起こり得ないとは言えないのである。
単純に親の長寿を喜べない可能性もないわけではないというのは、何も私だけではないと思う。

そこで冒頭のタイトルの意味に戻る。
仕事は定年になれば(一応は)終わりであるが、人生は寿命を全うするまで終わりではない。
心身健康で長寿なら言うことはないが、思うように体が動かせないとか、子供の顔もわからないとか、人間離れした言動で無自覚に周囲の迷惑になるとか、本人はわからなくても家族や周囲は大変だったり、「そもそも本人の人間としての尊厳とは」等と考え始めてしまうと、長生きするのも良し悪しで、実際そのために悲劇的な事件が起こったりもしていると聞く。

昔は「人間50年」であったものが、今はその倍の「人生100年時代」。
医療その他の進歩で人間は長生きし過ぎるようになってしまったのかもしれない。
健康寿命については、軽々に語れる話題ではないけれど、人類は今まで経験したことのないステージへと進もうとしているのかもしれない。

「世界中でも例を見ない超高齢化社会をどうするのか、その答えを早急に模索しないといけない」と言うけれど、今まさに高齢者の介護をしている家族には正味社会なんてどうでも良くて、目の前の問題を、降りかかる火の粉を、どうやってしのいで行けば良いのかと悩みながら、更に、もうそんなに遠くもない将来の自身の身の振り方に対する不安に戦々恐々としながら、それでも日々暮らして行かなければならないのである。
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方向音痴にも程がある

2022-07-20 22:26:58 | 日記
この三連休のど真ん中は本来休日診療の当番に当たっていたが、身内の冠婚葬祭翌日の勤務はきついからと予め交代を願い出てあった。

日曜と翌日の月曜祝日とを交代してもらい、月曜に出勤してみると、交代したはずの男性は更に別の人と交代していたらしく、おそらく十歳くらい年下であろう女性が本来私の当番だった前日の日曜に勤務したところ、コロナ陽性患者がわんさか押し寄せて大変忙しかったらしい。

勿論私が勤務した月曜もかなり忙しかったが、日曜よりは幾分ましではあった。
それでも一時間くらいは退勤時間が延びた上(因みに報酬は日額なので延びても増えることはない)、集計業務が終わりきらないうちにタイムアップとなった。

仕事量に比べて明らかに人手不足とはいえ、仕事を残したまま終了せざるを得なかったのは何とも無念であったし、午前中前日勤務者がヘルプに入ってくれた間は良かったが、彼女の退勤後はやはり回しきれず、自分の至らなさ情けなさに落ち込んだ。これが老い、劣化なのかと。

更に、限られた在庫の中で、できるだけ多くの患者に必要な薬を配分するために、医師と薬剤師の合意の下に、医師が処方する解熱鎮痛剤の成分を薬剤師が患者の体重から計算して含有量の規格を判断するというシステムになっていた。
ざっくりいうと大中小の三規格のうち、
体重によって、小×2とか大×1とか、体格が良かったら中×2とか、かなり大柄だと大×2とか判断するのだが、それこそが専門家たる所以、薬剤師の存在価値とはいうものの、若くてバリバリやっていた昔ならいざ知らず、そういう責任の重さにちょっと引いてしまうのが、いつかは業界から足を洗いたくなりつつある最近の自分の弱点であると思っている。

高齢でもバリバリ仕事ができる人もいるだろうけれど、私は元々向いてないと思っている上に、
『自分の納得の行くパフォーマンスができなくなったから』
と引退するアスリートではないが、自分の責任能力を保証できなくなってしまう前に、自ら幕を引くべきではないかと常々思っている。

なので、かなり凹んだし落ち込んだ。
こんなにもできないやつになっていたなんて、というショックが拭い去れない。
勿論失敗とか問題を起こした訳ではない。
何とかこなしただけで、自分として許容できるボーダーラインギリギリだった気がして、何とも後味が悪い。

例によって前置きが長くなって、どちらが本題かわからなくなってしまいそうだが、そんな状態で悶々としていたもので、休日の昨日火曜も、疲労もあり用事も家事もたまっているのに何も出来ず寝込んでいたりしたのだが、今日は思い立って仕事帰りに母親の入所している高齢者施設に自転車を飛ばして行ってきた。

コロナ感染者数増加中なので勿論面会ではない。
更新した保険証が先週自宅に届いていたが、施設宛に郵送するのが何となく不安で(紛失したりはしないかと郵便局を信用できないようなところが病みかけてる証拠なのかなとも思うが)、施設のケアマネージャーに直接届けに行くことにしたのだ。

施設への経路は、地形的に自転車では結構ハードなので、今までタクシーでしか行き来したことはなかったが、距離からしたら以前母親が入院していた病院や一時入所していた老健施設と比べても決して遠くはないし、それらにはいつも自転車で往復していた。
たまたま以前仕事で患者を訪問していた時に施設に繋がる近道も見つけてあった。

『後は気合いだけ』と頑張って午後の炎天下に自転車で爆走したのだが、行きはすんなりとたどりついて、いつもタクシーの車窓から見る行きとは反対方向の帰り道に向かってスタートしたが、幹線道路から住宅街へ入って、記憶を頼りに進んでいて、どこかで違和感を覚えた。

案の定道に迷った。
きっとどこかで曲がるところか枝分かれした道の選択を間違えたのだろうと思ったが、ところどころ見覚えのある景色や建物、看板のような目印があるから、
『きっとあの病院の所に出るだろう』
と予想したが、まさかの学校が見えて、『だったらこう行けば駅前に出るんじゃ』
と思いきや、
『何だかさっき通ったとこに戻ってない?』
と不安になり、行き止まりにぶち当たって戻ったりするうちに、何と路地を出たら正面が職場だった。
長いこと迷って振り出しに戻ったけど、とりあえず結果オーライで帰れたからよしとしよう。

家の近所でも、
『普段と違う道だけど、帰れるよね』
と思って迷ったことは何度もある。
たまにしか行かない場所から(勿論遠回りでも絶対大丈夫な道を使えば良いものの)勘を頼りに帰ろうとすると、必ずとんでもなく迷う。
どうしたらそんな迷い方ができるのかというくらい、芸術的なほどに、見事に迷う。
本当に方向音痴にも程がある。

どうやらリアルな方向音痴のみならず、ブログの文章も、生き方そのものも、びっくりするくらい迷っているなと、我ながら呆れかえってもう笑うしかない。

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NIGHTMARE

2022-07-11 02:04:43 | 日記


借りたコミックを読み終えた。
過去に同じ作者の別の作品も読んだが、世界観は好きだし、ジャンルは違えど何かを創作し表現しようとする者なら共感できる部分が多いと、僭越ながら思うところである。

文豪夏目漱石が躁鬱であったりとか、太宰治に薬物中毒傾向があったりとか、心の『闇』ないし『病み』があったのだろうと推測できるが、画家だろうが、ミュージシャンだろうが、創作者ならば、平々凡々で普通に幸せな人間では、なかなか非凡なものを創ることなどできるものではないと、表現は良くないかもしれないが、私は感じている。

創作者は往々にして自分自身を切り売りするかのように、自らの身を削って作品を生み出すものでもあるから、
「出来上がった作品を貶されたりすると落ち込むし、下手すると立ち直れないかもしれない」
というようなことをコミックでは台詞として語らせている。

ネタバレになるといけないので、内容は詳しくは述べないが、『現実の中にファンタジーをひとつまみ』という表現が出て来る。
ふと高校時代授業で習った梶井基次郎の『檸檬』を思い出した。

例によって前置きが長くなったが、ここからが本題である。

前回深夜に体調や薬に関するブログを書いたりしていたが、本当に問題なのはむしろメンタルの方なのだ。

十年以上前に鬱状態になった私は心療内科に通院していたが、坂道を転がるように悪化し(今思えば治療のための向精神薬の影響だったのかもしれないが)ついに躁鬱(双極性障害Ⅱ型)と診断された。

その後中医学クリニックに転院して、主治医の指示で、リバウンド覚悟できっぱりと向精神薬をやめて、生まれ変わったつもりで治療を続けたのだが、転院後半年ほどで創作垢のブログを開設し、小説を書き始めるとどんどんアイデアは浮かぶし、脳内に自然と展開される物語の速度についていけず、アナログ下書のペンやPCで執筆中のタイピングももどかしいほどだった。
操作を誤って何千文字、何万文字が消えても、ショックは受けるが何度でも書き直せた。

かつて読んだ躁鬱経験者の著書には、
「心の中で宇宙を飛び回り、まるで現実のようにありありと浮かぶイメージが猛烈なスピードで展開していく」
というような描写があったが、正にそんな感じだった。

それこそ後になって読み返して、(勿論書いた記憶はあるのだが)本当に自分が書いたのかと思うほどの出来であったりもする。

ただ、経験のない人には理解されにくいことだが、完全に病む前に戻れることはあり得ない。
一度壊れてしまったハートはつぎはぎだらけで、元のようにつるんと綺麗なハートにはならないのだ。

うまく表現できないが、調子の悪い時は前兆のようなものがわかる。
脳内に決まって浮かぶイメージがあって普段は見えないかぼやけているが、病んでいる時はくっきりと鮮やかに見える。霧が晴れるようにそのイメージが顕現しかけている時は病みかけているということなのだ。

他にも、心身症的に、音は聞こえるが何を言っているかわからないというストレス難聴みたいなものが出たり、もの忘れが酷い、簡単なことでも判断できない、考えがまとまらない、言葉がうまく出ないなどもあるし、夢(特に悪夢)が多くなり、神経が過敏というか、普段なら何とも思わない普通に見聞きする情報に過剰に心が掻き乱され、感情のコントロールが難しくなって、通常の(登場人物に自己投影した上での)自虐的な作風からは信じられないほど、恐怖や不安に襲われる。

SNSに反応するのもしんどいくらいなので、現実世界は言わずもがな。
頭が回らないから、仕事するのも不安なのに、カラ元気フル回転で通常運転を装い、気力体力をやたら消耗するので疲れるから昼間とか夕方、宵に寝ても寝てもひたすら眠くて、夜中眠れなくて昼夜逆転の悪循環。

そんな状態の時は明らかにメンタルの調子が悪い。
「他人は変えられないんだから自分が変わらないと」
という主治医の正論は理解できるし、反論の余地はない。
しかし変わるために必要なパワーは枯渇しているし、そもそも変われるなら苦労しない。
生まれてこの方数十年共に生きてきたこの性分がそう簡単には変われるはずもない。

こうして回らない頭で悩みつつ、うまく言いたいことが伝えられないもどかしさに悶々としながらも書いているうちに、気づけばまたしても深夜になっていた。
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魔女の大釜

2022-07-10 03:15:35 | 日記
毎年この時期調子悪いのはいつものことだけど、今年は特に皮膚症状が芳しくない。

ストレスから抵抗力が落ちて、ウイルスが皮膚に水疱を作り、それが破れて浸出液が飛んで新たな水疱を作るので、掻き破ることで悪化するのだが、如何せん猛烈な痒みを伴うので、掻くまいと思っても我慢できなかったり、或いは無意識に刺激を与えていて、どんどん悪化する。
しかも、普段の湿疹の掻き傷とは違い、薄皮が剥けるような感じで傷ができるのが、この時期の特徴のようだ。

そしてただ日焼け跡のように皮が捲れるだけなら、見た目が良くないだけで済むけれど、まれに皮が削り取られたようなところからじゅくじゅくと浸出液が滲み出して、ピリピリズキズキ痛むことがあって、下手すると夜も眠れない。

手の甲や指は元々現実世界の本業が医療関係な上、コロナ禍も相まってやたらと手洗いや手指消毒をしないといけないからさもありなんとは思うが、一番症状が酷いのは決まって両方の脛なのである。

その原因が所謂下肢静脈瘤のような血行不良、中医学でいう『お血(けつ)』[筆者注:『お』はやまいだれに於](=血流が滞って老廃物が浄化できない状態)である。
十年来通院しているクリニックで漢方薬による治療を続けていて、現状血行改善や血液浄化を目的とする『駆お血薬』中心に最善と思われる処方をしてもらってはいるのだが、残念ながら劇的な効果は今のところ現れてはいない。

そうなると思い出すのが、かつての転院後すぐの比較的初期の時代、皮膚症状が最悪だった頃に出ていた動物性生薬の煎薬を含む処方。
太ミミズ(これは比較的よく使われる)やある種の病原菌に感染させた蚕、セミの殻(これは現在エキス顆粒=粉薬として服用中の薬の一部にも入っているし、夏場悪化する一般的な皮膚炎にも普通に使われる)まではまあ良いとして、より強い『破血(はけつ)薬=強力な血液浄化薬』として♂のゴキブリと、それを更によく効かせるための触媒的な働きで、サソリをほんの少し入れた処方だった。

植物や鉱物だけから作ると、いってみれば薬草スープみたいなものなので、臭いや味は多少くせがあっても、『良薬は口に苦し』というから、まあこんなものか、と思えるし、実際それほど飲みにくくはないが、動物性の(虫的な)生薬は生臭いし、どろっとして表面に油分が浮いてかなり飲みにくい。
当時は潰瘍性大腸炎の治療も兼ねていたこともあり、ゴキブリ(&サソリ)は本来は西洋医学的にいうと抗癌剤に匹敵するようなものと考えられているから、効果はあるのだろうが、当時は本当に苦痛だった。
飲む時だけでなく、煎じ薬を作っている時も、大きめの行平鍋で沸騰後30分ほど煮詰めるのだが、勿論換気扇をフル回転しても臭いはえげつないし、鍋をのぞくと油が浮いた液面は、正によくおとぎ話に出て来るような、魔女が大鍋に蝙蝠やら蜘蛛やらを放り込んで、かき混ぜながらグツグツ煮ている様を連想させる。

はっきりとどのくらい続けたかは覚えてないが数ヶ月から一年くらいは飲んでいたかもしれない。
当時は年4、5回出務する休日診療所の当番の度に、処方が変わった後もかなり長期間にわたって、
「ゴキブリの薬はもう飲んでないの?」
と管理薬剤師に訊かれたものだ。

もうあれから何年も経つが、
「できることならあの薬は二度と飲みたくない」
と思う気持ちはずっと残っていて、それだけにあまりにも状態が悪いと、例の処方が復活するんじゃないかと心配になってしまう。

潰瘍性大腸炎の方は、完治することはないが、所謂寛解という状態で、たまに少し調子が乱れることはあっても、症状が落ち着いているということで、エキス顆粒で微調整はするものの、ベース処方の煎薬は初期の処方とは随分違う現在の植物性生薬中心のものに変わって久しいので、さすがにもうあれはない、と思ってはいるのだが。

通常は殆ど立ち仕事のため、傷の痛みで立っているのも辛いし夜も眠れないので、痛み止めを使わずにはいられなかったが、とうとう一昨日から試行錯誤して、ステロイドを含まない塗り薬を塗ってガーゼを当て包帯を巻いてみたり、キズ○ワー○ッドを貼ってみたりして、何とか一日は持たせている。
今月は公私共に何かと忙しいので、何とか少しでも早く治まってくれないものかと祈るような思いでいる。

体質とはいえ梅雨時から夏本番は毎年こんなことを繰り返して本当に嫌になる。
しかも近年は春と秋が短くなり、体質的に私の弱点である夏の暑さも梅雨の湿気も酷くなる一方で、まだまだ続く長い夏に辟易しながら、憂鬱な日々を過ごすことになりそうだ。
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