次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活

医療系オタク大人女子の日常生活やエッセイ。創作垢「きつねの戯言」にて小説、楽描きイラストなども描いています。

11月が終わる

2020-11-30 20:17:20 | 日記
今日は11月最後の日。
月食ではなくグラデーションで影のかかる満月なんだそうだ。見てないけど。

母親が昨年10月から今年4月まで暮らした賃貸物件は今日で契約解除となる。
4月下旬から入院したまま、夏以降2度ほど外泊で戻って来ただけ。ずっと私が週一度洗濯と掃除に来ていただけで半年ほど留守のままだった。

一週間後には妹の義母が入居するため、当初予定していた年末より1ヶ月早く退居しないといけなくなり、昨日仏壇を処分して鍵を返すと、もう出入りはできない。
先週木曜にガスは停止して、今日水道と、23時に電気も止まる。
明日からは、親戚とはいえ、他所のおうちになるわけだ。

今日は休日なので、市役所で転居届の手続き。
母親は老健施設に居るので、代理人として私が行って来た。

受付番号が呼ばれるまで、窓口の前で待っていたら、車椅子の老婦人と息子らしき恰幅の良い中年の紳士。
思ったより人が多くて、本人を連れて来た方が手続きはスムーズなのはわかるが、このご時世、果たしてそれが良いかどうか。
待ち時間が一時間くらいあると言われて、
「お母さんは車で待ってて。」
と息子に言われて、
「一人やったら寂しい。」
と言う老女。
一緒に居るのも大変だけど、一人で待たせるのも心配、なんだろうな。

老若男女、外国人まで雑多な人が入れ替わり立ち替わり、約十人待ちで呼ばれたのは予想通り受付から一時間後だった。

結局全ての手続きを終えたら、二時間ほどかかってた。

帰りに金融機関で手続きをして、家に帰ってからも、昼食挟んで2件ほど電話して、ミッションクリア。

他に野暮用で出かけようかと思っていたけど、二時間押したので、迷ったが次の休日に先送りすることにした。

家でするべき作業もたまっていたし、区切り良く今日で一応終了しておきたかった。
勿論後日郵送された書類を書いたり返送したりという作業は残っているのだが、当面の課題はやり残すことなく今日で終われたので良かった、ということにしておこう。

これで何もしなくて良くなったわけではなく、今後も退院後1ヶ月の外来診察に連れて行ったりはしないといけないし、実母と義母のダブル介護になりそうな妹からヘルプが必要になるかもしれないし、持ち帰った位牌や遺影、額にも入ってない感謝状、バラバラのままの大量の写真などは今後どうにかしないといけないけれど、それはまたゆっくり考えよう。

ともあれ、今日は頑張った自分を「お疲れ様」と労って、また明日から頑張ろう。

来年こそは良い年になるように、そして今年も残ったあと1ヶ月、頑張って生きて行きましょう。
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序破急

2020-11-23 16:52:18 | 日記
思えば今春4月の母親の入院が始まり。
7月の手術を挟んでトータル半年ちょっとの入院を経て、今月初めについに退院、そのままリハビリ施設に入所となったわけだが、言うなれば、入院が『序』、突然事態が急転して、退院=施設入所を『破』とするなら、ここに来ての更なる急展開を『急』とするべきか。

施設に入所したと思った途端、コロナの第三波の影響で、元々週一回に制限されていた面会がついに不可となった。
受付経由なら問題ないので、今まで入院中は私がしていた週一回の洗濯物交換は施設から自宅が近い妹が担当することになり、私は退去予定の留守宅の後始末で週一回か二回数時間掃除して不用品の処分や必要なものは回収・保管、ゴミ出しのためだけに通ったりもしたが、それも後少しとなった時に、妹から待ったがかかった。

「田舎で親戚が面倒を見ていた義母を引き取ることになりそうだ」とは聞いていたが、「こちらで新たに住まいを探すのも大変だし、家具家電もそのまま使えるので、母親の留守宅を譲って欲しい」と義弟からの伝言だった。

そんなことができるのかどうか。
賃貸物件なので、勝手に「どうぞ」とは言えない。こちらの契約を解除して、改めてあちらと契約してもらえるのか、家主と相談が必要だろうと言ってたら、案ずるより産むが易しとばかり、義弟が直談判して了解を得たというのだ。

もっと早く決まっていれば、ハンガーなどの日曜雑貨などは捨てずに置いたのに、家を空っぽにしないといけないと、もうあらかた捨ててしまったところだが、今更そんなことを言っても仕方がない。
私は粛々と為すべきことを為すしかない。

早速賃貸契約解除通知書は郵送し、ライフラインの利用停止の手続きも済ませた。
既に母親の郵便物は私の自宅宛に転送されるように届は出したし、役所で転居届を出して、母親の住民登録を私の自宅にすれば、残るは仏壇の処分だけ。
こればかりは私の実家のものなので、妹の義母が住む家に置いておく訳にも行かず、我が家にも置き場はないので、処分せざるを得ない。

突然の急展開にまだ頭がついていけてないが、泣いても笑っても今月末で片がつく、というより、つけねばならない。
来月初めには入居の予定なので、明け渡し完了まで、ぬかりなく準備するだけ。
母親宅の大掃除ばかりで自宅が放ったらかしだったから、来月からはそれも解放されて、自分や家族中心の平和な生活が戻って来るかもしれないが、今度は自分のシフト増やすかどうかとか、また別の悩みが浮上して来るのでは、と不安の種は尽きない。
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一山越えたらまた山が

2020-11-13 13:44:28 | 日記
急転直下で母親の中間施設入所が決まり、今週早々に退院と同時に入所を済ませた。
長男長女も有給を取ってくれて、無事に母親を送り届けた。
契約を完了して一旦帰宅してから、今度は私一人で留守宅から老眼鏡など身の回りのものを届けて当日はミッションクリア。

病院から施設に持ち込んだ古いシルバーカーは妹が新しく買い換えたシルバーカーと交換することとし、唯一居室に持ち込める家電のTVは今日妹が搬入してくれる。

入所の翌日の晩には着替えようとして転倒していたところを発見され、更にその翌朝は朝食後大量に嘔吐して絶食、点滴になったと施設から電話があった。

それくらいのことは特に心配はしていないのだが、私の前には次なる課題が現れた。
留守宅の退去という問題がまだ残っている。

一年前に引越して来て、半年暮らして半年入院になった訳だが、主なき部屋にはもう母親が戻ることはないし、何より家賃や光熱費という経費を削除して年金全てを介護に充当するのでなければ、施設入所は成立しなかった。
故にできるだけ早く退去の準備に取りかからねばならない。
一ヶ月前に退去ということなので、今月中に申し出れば年内で決着がつく。
なので、昨日から早速片付けを開始した。

元々引越して日が浅かったのでまだシーズンオフの衣類等も段ボールのままだったのだが、入院中に自宅介護の予定で収納ケースや掃除用具なども揃えたら、かえって無駄にものを増やしてしまった。

とりあえず初日は不用品を捨てるために、分別してどんどんゴミ袋に詰める作業。
私が子供の頃から実家にあった電話台も解体して処分した。ネジが錆びて回らない箇所があったのでノコギリで切ってバラバラにした。
布団と収納ケースと家電と仏壇以外は殆ど片付けて、ゴミ袋に詰めたり、保留のものと回収して持ち帰るものに分けてまとめた。

台所に残っていた食品と調味料を処分したゴミはものすごく重かったが、万一置いてて異臭でもしたらいけないと何とか自転車に積んで持ち帰った。
お陰で今日は全身筋肉痛で湿布だらけである。
今朝自宅のある地域では缶ビンのゴミの日だったので、自宅マンションの集積所で出そうとそれも持ち帰った。
ペットボトルのゴミも少しだけだったので持ち帰った。

残ったゴミはおいおい持ち帰るか、ゴミの日に合わせて出しに来るか。
そしてこれから大掃除が始まる。
できる時にできるだけ。
大物は車のない私の手には余るので、妹に相談を持ちかけている。

一番のネックは仏壇。
かなり汚くなっているし、継承したところで置場所がないので引き取れないから、処分せざるを得ないので、ネットで調べているところだ。
墓にしろ仏壇にしろ、親類は他になく、妹は他家に嫁いだ身なので、どのみち私ないし長男が何とか考えないといけないのだが。

郵便物も毎回留守宅まで確認しに行っていたので、先日ネット手続きで転送届を出した。
退去の目処が立てば、一旦は母親の住民登録も世帯分離で私の自宅住所に移さねばならない。
終の住み処に落ち着けば、そこが住所になるのだが、如何せん今は中間施設なので。

施設に入ってやれやれと安心しても、やはり何事かあれば対応せざるを得ないし、退院しても定期的に外来受診の送迎も必要だし、残務処理はあるし。
一山越したと思ってもまだ次の山が目の前にそびえたっている感じ。
大掃除も良いけど、自分んちのことがほったらかしなのがまた気になって、普段の掃除すらままならない時もあり、自宅の大掃除は例年通り年末最後の最後に大慌てでやることになりそうだ。
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長女だから

2020-11-08 00:52:27 | 日記
大人気の『鬼滅の刃』の主人公の名台詞に
「俺は長男だから我慢できたけど、次男だったら我慢できなかった。」
というのがある。
今の時代だと異論のある人もいるかもしれないが、作品の時代設定は大正時代である。
今とは比べ物にならないくらい長男の責任は重かったことは想像に難くない。
この台詞の後に
「禰豆子だって長女だから…」
と続くのだが、長男ほどではないものの、長女だって責任は重かった。
どんな時も親を助けて家を支え、弟や妹の面倒をみる。
望んで長男長女に生まれた訳ではないが、それが宿命と大袈裟ではなく本当にそう信じ、強く生きて行かなければならない。

私は二人姉妹の長女である。
廃業してなければ約200年の老舗、江戸時代は名字帯刀御免の(町民ながら名字を名乗り刀の携帯を許された)名家の出身であり、大正初期生まれの祖母に育てられ、家の名に恥じない跡取りになるようにと、祖母や父親から躾られた。

今はもう先祖代々の家屋敷も土地もなく、家業も廃業して、生まれ育った町とは別の場所に暮らしているし、かつて実家のあった町の住民も既に代替わりして、実家の名前や屋号を聞いても知る人は殆ど居ないだろう。

前置きが長くなったが、入院していた母親の退院がやっと決まった。
母親は一年前に私たち姉妹と同じ市内に引越して半年間一人暮らししていたが、今春突然救急搬送されたまま入院して半年ちょっと過ぎた。
母親は元通りの一人暮らしを望んでいたので、それを目標としてリハビリを続けてきたが、やはり現実としては難しいと施設に入所することになった。

入院中はコロナ禍で面会はあまりできないが、洗濯物交換や留守宅の郵便物や換気などで毎週病院と留守宅を往復し、病院や福祉関係の担当者との面談や手続き、手術や検査の同意書を書いたり、手術中待合室で待機したり、ICUに呼ばれたり、母親の外泊で母親宅に泊まり込んだりと私は無理やり仕事の都合をつけて対応してきた。
母親の外泊などの時は一人では大変だからと私の長男長女も仕事を休んで一緒に来てくれた。

私も私の子供たちも、決して母親には懐いていない。
むしろ関わらないで済むなら関わりたくないくらいだ。
母親がまだ若くて元気な間は殆ど交流のない時期もあったが、母親が80代になってからは、否応なしに関わらざるを得なくなったのだ。
何かあった時に責任を取るのは、長女である自分だと思うから。
実際20年前に父親が亡くなった後母親が引っ越した賃貸も、去年引っ越した賃貸も、保証人は私である。

妹は母親の希望を叶えるという理想にとらわれていたが、私はケアマネージャーと一緒に現実的な方向を模索して結論を出した。

退院当日入所と契約までは私の仕事ではあるが、妹が今後洗濯物交換などは担当すると言って来たので、バトンタッチするものの、留守宅の後始末などこれからもまだまだ問題は山積だ。

長女だから、我慢できた。
長女だから、頑張れた。

子供たちも、長男と長女だから、やってくれた。
やらなくていいなら、やりたくないが、誰かがやらなければならないのなら、自分がやるしかない。
長男長女は生まれながらにそう刷り込まれているのかもしれない。

そして最後に再び『鬼滅の刃』の主人公の名台詞。
「頑張れ炭次郎頑張れ!!俺は今までよくやってきた!!俺はできる奴だ!!そして今日も!!これからも!!」

長女である私も炭次郎を見習って自分にそう言い聞かせよう。




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