次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活

医療系オタク大人女子の日常生活やエッセイ。創作垢「きつねの戯言」にて小説、楽描きイラストなども描いています。

四半世紀後の悪夢

2020-05-03 12:48:00 | 日記
時は1995年1月。今から25年前に遡る。
阪神淡路大震災。
地震が少ないと油断していた関西地方に突如襲いかかった歴史に残る未曾有の厄災だった。
私の場合、幸い住居等の被害は比較的少なく、臨月だったお腹の子供も、隣で眠っていた上の子供も含めて家族や友人知己も無事だったが、その後の非日常の中で暮らしていて、
「まるで長い悪夢を見ているみたいだ」
「目が覚めたら全部悪夢だったら良いのに」
と同時に
「だがこれは悪夢なんかじゃないんだ」
みたいな気持ちが混ざりあっていたような、否、私の表現力不足で、本当の気持ちはこれらの言葉とはどこか違う、でもどう表せば正確に言い表せるのかわからない複雑な心境だった。

そして時は流れて2020年。
平成から令和に改元され、奇しくもあの悪夢のような日々から四半世紀。
地震やそれに伴う火災などとは違う、目に見えない厄災が日常を破壊した。
新型コロナウイルス。
過去に流行した感染症も確かに混乱はしたが、これほどまで長期間に亘り、尚且つ深刻な非常事態を引き起こすとは。

人間とは何とも愚かなもので、本当に身近に危険が迫って来るまでは、どこか他人事のように楽観的で、危機感を欠く。
自分だけは大丈夫じゃないか、みたいな根拠のない自信。
或いは逆に酷く悲観的になって、この世の終わりが来て皆死ぬんじゃないか、みたいな恐怖。
疑心暗鬼になり、隣にいる誰かに殺されるかのような過剰な警戒心を抱いてみたり、不安と恐怖から窮鼠の如く追いつめられた反動で攻撃的になり、正義を振りかざして魔女狩りのように標的を探しては、躊躇なく他人に物理的若しくは精神的傷害を与えるほどに余裕を失くす。

25年前の敵は災害だった。
皆が互いに助け合い、力を合わせて立ち向かうことが出来た。
今回の敵はウイルスであるはずなのに、何故か人間同士が憎しみあい、奪い合い、敵対しているかのようだ。

ふと、25年前のように、
「これは長い悪夢じゃないか」
等と思うことがある。
あの時と同じように、上手く表現はできないが、夢であってほしいけど、紛れもなくこれは現実なんだと。

人は言う。
このコロナ禍を乗り越えたら、世の中は変わるだろう、変わらざるを得ないだろう、と。
25年前、日常を取り戻そう、復興頑張ろう、と口々に励まし合った。
元通りになったもの、ならなかったもの、震災以前よりも良くなったものもいろいろあるだろう。

今回は関西地区だけではない。
更に、まだ携帯電話すら今ほど普及していなかった25年前とは違い、瓦礫を回避して遠回りして出勤しなくても在宅で勤務できる時代になっている。
今回感染が収束し、更に時を経て終息した後の世界はきっと大きく変わっているし、もう現在の日常は永遠に失われるという人も居る。

私自身の仕事でも、わざわざ医療機関に足を運んで通院することなく、(現在は非常時なので電話でも可だが)オンラインなどで診療が行われて、処方はファックス(もしかしたら将来はこれもオンラインになるかも)で薬局に届き、処方箋原本も患者を介さず直送されて、患者は薬局に薬を受け取りに行くか、或いは配達、郵送(宅配)で薬が自宅に届くという流れが常態化するかもしれない。
対面投薬がなくなると、オンラインで服薬指導する薬剤師は必要かもしれないが、調剤も監査も自動化されてしまえば、薬剤師の需要はうんと少なくなるだろう。
極論を言えば、AIで服薬指導できるなら薬剤師は要らないと言われるかもしれない。
資格問題だけで管理薬剤師は常駐させるけど、勤務薬剤師はほぼ不要になるかもしれない。

医師や看護師、検査技師等の医療従事者が感染の危険にさらされながら、防護衣等の資材も不足する中、悪戦苦闘しているという現状を鑑みて、今後は人手を減らすためにAIやロボットを含めた研究開発が進んで、医師がその場に居なくても診断が出来たり、スタッフが居なくてもある程度医療行為が代行出来たりする理想のシステムに近づける技術が開発されるかもしれない。

在宅でも仕事が出来るし、何なら飲み会も出来るとなれば、長時間通勤する必要もない。
打ち合わせも会議も出向かなくてもオンラインでできるなら、出張も要らないし、全国どこでも仕事ができるなら転勤の必要もない。
勿論他の業種の仕事をしたことのない私には想像の範囲でしかないし、現場でないとできないことや、直接会わないといけないことが、少なからずあるのであろうとは思うけれど、確実に無駄だったと言えることがなかった訳でもないと思う。
バーチャルリアリティが進めば、どうしても自分の五感を使った実体験でないといけないこと以外は全てある程度仮想現実で済むようになるかもしれない。
フェイクとリアルの境界が近接し、何が現実で何が非現実なのか区別がつきにくくなって行くのかもしれない。

それが良いことなのかどうなのかわからないけど、世の中が多かれ少なかれ変わって行くことには違いないだろうと思う。

それでも今はそんな先のことよりも、日々の不自由な暮らしを如何に切り抜けるか、である。

身内が入院したが、面会は禁止。
在宅勤務の家族がずっと家に居る。
そんなことは別に構わない。
元々インドア派だし、帰省する田舎も実家もなくて、毎年GWはずっと家に居たから、旅行や行楽に行かないことに何の違和感もない。

強いて言えば、所謂コロナ太り(運動不足による筋肉の衰えとストレスによる過食)ではないはずだが、体重と体脂肪が増加の一途を辿っている。
しかし、普通に徒歩通勤しているし、寧ろずるをしてバスに乗ろうにも間引き運転で乗りたい時にバスが来ないから徒歩で帰らざるを得ない。
外来の仕事は暇なので残業はないが、シフトは減ってないので、家に居る時間はそれほど増えてもない。
これはコロナ太りではなく単なる更年期脂肪ではないのかとも思うけれど。

やらなければと思いながらできずにいたウォーキングは、近くの公園が人で溢れていて行くに行けず、図らずもステイホームは厳守されている。
ただストレスはやはり無意識に蓄積しているのか、家に帰れば爆睡してしまい、結果的に見かねた家族が作ってくれた料理を腹一杯食べてしまうので、痩せる訳がないのだが。

ただ、私は元々通年性のアレルギーで年がら年中マスクしているのに、マスクがなかなか手に入らない。
買い占めるつもりも転売するつもりもないのに、この前まではトイレットペーパー、最近はキッチンペーパーが買えない。
普通に家で使うものなのに、仕事をしてるので、タイミングが合わないからいつも買えない。
いつも使っているものとは違うけど、見つけたら買わないと、ずっと買えない。
近所の小さいスーパーに買い物に行っても、野菜の値段が高いし、流通が上手く行かないのか、品切れしたまま一週間以上欠品のものもある。
いつもあるものがなくて、かわりのものを探すけど、結局欲しいものはいつもない。
高齢者や妊婦の優先時間帯以外で仕事帰りに行くと、特売のものは軒並売り切れ。
こんな非日常が毎日続くことが辛い。

医療関係の自分や身内の食品関係、流通関係、小売り関係の者はずっと普通に出勤しているし、接客もしている。
ヒステリックな客の話もネットで見るが、働きたくても出て来れない同僚の穴を埋めるためだけではなく、自分の生活のためにも、出勤できるだけ恵まれているのかもしれない。
感染の危険性はあるかもしれないが、閉店して収入がなくなって困っている人たちのことを考えると、そう思わざるを得ない。
先日通院していた鍼灸院も閉店して、鍼灸師さんも失業されていた。
身の安全を取るのか、収入を取るのか、どちらが良いのかわからない。

ともあれ、まだこの非日常は続く。
四半世紀前の悪夢のような非日常よりも、もしかしたら更に酷い、悪夢のような非日常が。
先の見えない日々だけど、過ぎてしまえばきっと、
「あんな時代もあったね」
と語りあえる日が来るのだと信じたい。
コメント
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