次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活

医療系オタク大人女子の日常生活やエッセイ。創作垢「きつねの戯言」にて小説、楽描きイラストなども描いています。

時は人を待たず

2020-12-18 01:33:53 | 日記
今日は休日。
朝から微熱が出て、割れるように頭が痛む。

やらなければならないことはたくさんあるのだけれど、最近は仕事が忙しく残業も多いし、濃厚接触者として自宅待機の同僚の穴も埋めないといけなくて、疲労とプレッシャーやストレスで体調も崩し気味。

せめて少しでも休養したい気持ちと、たまった用事を片付けたい気持ちがシーソーみたいにぎっこんばったんしていた。

何とか薬で熱も下がり頭痛も治まったところで、ストレスの原因の一つでも片付けようと、保険の解約手続きをした。

転職して月収も年収も3/4になり、家計の負担になる複数の保険を解約して、残った保険に特約をつけた方が良いのではと思いながら、なかなかできなかった。

先日知人に言われて、「税金は前年の収入で決まるから、転職一年目はきついけど、翌年からはちょっと楽になる」ということに気づいたのと、ずっと悶々としながら言い出せずにいたシフトの相談もオーナーに話せたので、少しは気持ちが楽になった勢いで。

ネットで簡単にできる保険会社もあれば、いろいろやってみても結局電話するしかなかったり、やはり電話かと思いきや、電話のアナウンスでSMS手続きの案内される保険会社もあって。

もう一つの気がかりは先日母親の老健施設付きのケアマネージャーから妹経由で託された課題。

特養(介護施設)希望で、入所待ちという建前で現在の老健施設に入所したのだから、いつかはやらないといけないこととは思ってたけど、3ヶ月は普通に居られるのなら、まだもう少し先で良いかと思っていたのだが。

ケアマネから隣市の特養を勧められたが、現在の老健の近辺を希望しているので、こちらで下調べをしたら近々に相談に行かねばと思っていたら、ちょうど簡単な下調べが済んだ頃に施設から電話が。

入所して2回目の転倒。
今回はリビングでスタッフも側に居たし、看護師のバイタルチェックでも異常なしだが、とりあえず今日一日は一時間ごとに巡回するとのことだった。

更に、病院で使っていたコップは食事用にキッチンで保管しているので、居室に置いてある水筒が使いにくそうだからコップがもう一つ必要だと言われた。

これは施設に行くべしという神の思し召しと理解して、すぐに百均に走り、コップを用意して施設に向かった。

予め連絡してあったケアマネと話をしたら、ざっくり言って、
「特養の料金の差は個室か相部屋かの違いであること」
「特養待ちなので申込がないと老健に居られなくなること」
等の情報をもらった。

帰ってからまたネットの検索サイトで調べて、簡単な比較表などを作ってはみたが、その中から絞って現地視察(見学はこのご時世なので難しい)と申込を早急にしないといけない。

やらなければならないことはわかっているのだ。
理屈では十分理解している。

でも、11月上旬に退院即入所した後、三週間弱で退去する部屋の大掃除と仏壇供養と住所変更の諸手続をやって慌ただしく11月が終わり、12月上旬の退院1ヶ月後の外来診察もやっと終わって、やれやれと一息つきたかったのに、そんな間もなく追い立てられるように施設探しが始まろうとしているが、もう年末まで二週間ほどしかない。

年が明けたら、来月は外来診察も検査と診察が別々にしか予約できず、後半二週間はそれでつぶれる。
私自身の定期通院や野暮用もあるのに、と思ったら、本当にちゃんとできるのかと心配になってくる。

もう少しのんびりと、ゆったりと、落ち着きたいなと願っても、うかうかしているうちにどんどん時間だけが過ぎ去って行く。

まさに『光陰矢のごとし』。
時間は待ってくれない。
私の思惑なぞお構い無しに、時は流れる。

あと少し。
あともうちょっと。
そう言いながらだましだましやってきたが、さすがに疲れた。
いつかは、終わる。
そうとわかってはいても、今はまだとてもそんな風には思えない。

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泥濘ーぬかるみー

2020-12-11 01:18:29 | 日記
突然だが、昭和の時代を三つの章に分けるとしたら、第1章は戦争、第2章は高度成長期、第3章はバブル期と言っても良いのではないかと思う。

年齢がバレてしまうが、私は第2章から第3章、即ち、高度成長期に育ち、バブルを謳歌した世代である。

私達の世代はどんどん世の中が便利で豊かになる時代に育ち、異論を怖れずにいえば、そこそこ勉強したらどこかしらの学校には入れて、贅沢を言わなければ何らかの職にはありつけたし、ダンパ(ダンスパーティー)や合コン(合同コンパ)もあったけど、まだまだ見合いも多くて、選り好みしなければ誰かしらとは結婚できたような時代だった。
女性は寿退社して専業主婦になることも多かったし、子育てが一段落しても復職は難しく、独身時代とは全く畑違いの仕事に就いたりすることも多かった。

平成を経て既に時代は令和。
世の中はすっかり変わってしまったと言っても過言ではない。

さて、例によって前置きが長くなってしまった。

おそらくは第1章の時代の言葉、もしかしたら軍歌か何かの歌詞だったかもしれないが、
『どこまで続く泥濘ぞ』
という文言を聞いたことがある。

最近時々ふとそれが頭に浮かぶ。
自分にとって良からぬ状況が長続きしていて、この先もいつまで続くかわからないような気持ち。

母親の入院、退院、老健入所を経て、今日退院後1ヶ月の検査・診察があった。
これからも半年か一年で定期的に検査・診察はあるのだろうとは覚悟していたが、先月末までずっと落ち着かない日々を過ごし、今日が終わればとりあえずは一段落、と思っていた。
入所後の世話は妹がメインでやってくれることになったし、何事もなければこれで当分は落ち着ける、と。

なのに手術から半年にあたる来月にまた検査と診察と言われた。
更に予約がいっぱいなので検査と診察別々にして二週連続で予約しろと。
それさえ済めば、しばらくは受診はしなくて良いだろうとはいうものの。

それでなくても、最近はずっと悩み続けていた。
入院中の母の面倒をみるのと自身の体調不良を理由に(職場の人間関係も原因の一つではあったが)減らしたシフトを、元通りにするか否か。
経済的にはかなりきついから元通りにする方が良いのは良いけれど、戻してやっていけるのか、自信が持てなかった。
以前のように、苦手な相手と一緒に仕事をしたら体調不良に襲われるのではないか、と考えたら、大丈夫とは言いきれない気がして。
かと言って、正直にそれを言ったところで、単なるわがままだし、それを言わずに、「何とかシフト調整してイレギュラーな形に変更したい」と言い出すにも、うまい言い訳のしようがない。

更にフルタイムの頃に入った複数の保険料が地味に家計を圧迫してきていることに随分前から気づいていて、解約しようかと悩んでいる。
元々保険は一つしかかけてなかったのだが、たまたま自転車を購入した時に自転車保険が必要というので入ったら、更新の際に無料でフィナンシャルプランナーに相談できるサービスがあった。
シングルになったことと、フルタイムで仕事をしていることで、今の保険でカバーしきれない癌保険や医療保険をプラスしましょうと勧められて入ったものだったが、一年後に転職して月収も年収も大幅にダウンするとは予想していなかった。
さっさと解約してしまえば良いようなものだが、メンタルが弱っている時には些細なことでも決断がしにくくなる。
元気な時ならさくさくできるはずのことが、優柔不断というか、なかなか手につかないで時間ばかりがどんどん流れて行く。
長引いて良いことなど一つもないのに、何故できないのか、と思うが、それができないのがビョーキなのである。

こういう状況の時は疑心暗鬼というか、「変な人と思われてるんじゃないか」とか「存在が浮いてるんじゃないか」みたいな自虐的な気分になる。
やることなすことうまくいかないし、格好つけたいわけではないが、変なこと・まずいことをやらかしては(と自分では思っている)落ち込む。
家族にも遠慮して相談したくても口に出せないし、何よりいつものように雑談していても、「変なことを言った?」「何かすべってる?」みたいな感じが(自分がそう思ってるだけなのだろうけど)してしまう。

こんな状況が続くと、太宰治じゃないけど、『冷汗三斗』『生まれてすみません』みたいな気持ちになる。
「ああ、今メンタル不調なんだな」と実感する訳である。
希死念慮ではないが、死にたくなる。
正確に言うと、「もしも今事故か何かに巻き込まれて死んでしまうかもしれなくても、それならそれで構わない」みたいな気持ち。
「死んでしまいたい」ではなくて、「消えたい」とか「楽になりたい」という方が近いだろうか。

実際に精神を病んで心療内科にかかっていた頃は自傷したり暴飲したり過剰服薬したりもしたが、今はさすがにそれはない。
ただ、倦怠感で休日は殆ど寝込んでいたり、気持ちの落ち込みか、逆にカラ元気フル回転の空回りの躁鬱状態。
経験上、これは良くない傾向だぞと脳内で警鐘が鳴り響く。

そんな状態の時は何でもないことがちゃんとできなくなってしまい、些細なことに過敏になる。
何かに気を取られると他のことが散漫になるし、失敗したことに落ち込むし、人に指摘されたり注意されたりすると過剰に反応してしまう。
人に悪く思われてるとか馬鹿にされてるとか思えてしまうし、自分が情けなくて恥ずかしくて悲しくなるのだ。
そして精神的に引きずるためにしなくてもいい失敗をしては連鎖反応を起こして負のスパイラルに入ってしまう。

このスランプ、どこまで続くの?
という気持ちが、先の文言を思い起こさせる訳だ。

長いトンネルの出口はまだ見えない。
もう十年近く通っている主治医も、「元気が出る薬は目一杯出しているのにまだ元気が足りないか」と悩むくらい。
ほんと、どこまで続くんだろ。
コロナ禍も、私のビョーキも。
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浜の真砂は尽きるとも

2020-12-06 02:33:17 | 日記
大泥棒石川五右衛門の辞世とも言われる言葉(諸説あります)をもじって、私の現在の心境を表してみた。
「浜の真砂は尽きるとも
我がストレスの種は尽きまじ」

昨年七夕の頃母親の立ち退き問題から始まり、転居後半年間の独り暮らしを経て、更に半年間の入院を終え、やっと一ヶ月前に老健施設に落ち着き、慌ただしく仏壇供養や退居を済ませて、やれやれと思った途端にまた新たな心配の種が。

母親の介護と自身の体調不良を理由に、母親の入院後にシフトを週一回分減らした。
勿論それは嘘ではない。
が、正確に言うと、それだけでもなかった。

転職してちょうど一年。
前職を辞めたのも、母親の引越や将来の介護(そんなに近い未来に起こるとは想定外だったが)を理由に退職したのだが、その時も似たような状況だった。

相性の悪い同僚と一緒に仕事をするのが心身症を起こすほどのストレスだったからだ。
違うのは、相手が確信犯なのか、無意識なのかの差くらいで、どこの職場にもいる苦手な相手への耐性が、年齢と共に徐々に劣化しているために、「無理」と思ったら逃げる以外方法がなくて、我ながら情けない話ではあるが、理屈抜きで実際に体調が悪くなるので、致し方なく距離を置く対策としてシフトを調整しようと試みて、それが難しいと辞めざるを得なくなってしまう。

前職の常勤の時と違って、パートの今はストレス軽減のためにシフトを削ると、経済的に厳しくなるのはわかっていたが、現実的に母親の入院中は毎週一回から二回病院と留守宅には通わないといけないし、自分自身も隔週通院があるし、日曜以外に週一回の平日の休みではきつかったから、それはそれで良かった。

ところが、ここへ来て母親の方が一段落したら、貯金が目減りする一方であることの方が心配になり始めた。

来年からシフトを元に戻したら、また苦手な相手と毎週仕事をしないといけないことに耐えられるのか?
未だに休日は休養一辺倒なほどなのに、本当にシフトを増やして体調不良にならずにやっていけるのか?
前職ではあんなに働いていたのが嘘のように思えるほどなのに。
他の曜日で調整してもらうように交渉したいが、おそらくそれは難しいし、そもそも何で元通りじゃダメなのかという問いに対するもっともらしい答えが見つかりそうにない。
正直に言った所で単なるわがままだから、それが通るとも思えない。
しかし背に腹は変えられない。

ここはできるできないではなく、無理でも我慢するしかないか、と毎日考えが堂々巡りしていた所だった。

そんな時、新たな不安と心配は突然降って湧いたように出現した。
まだ極めて不確定ではあるが、もしかしたら、そんなに遠くない未来に失職の危機にさらされるかもしれないような話を小耳に挟んだのである。

勤務先が近隣で借りている倉庫が立ち退きになり、後に医療機関と一緒に同業者が入居するかもしれないという。
至近距離に同業者が開業するのは、言語道断である。
法的に問題なくとも、道義的にあり得ない、と普通は思うところだが、所有者としては、このご時世、賃料の取りっぱぐれのなさそうな、いい話なのであろう。

もしそんなことが実現したら、経営状態に影響がない訳はない。
スタッフは全員パートで、そこそこ忙しいため、人数は十名以上いるが、そうなると解雇されるかもしれないし、店自体続けられるかどうか。
他のスタッフは全員配偶者が居るが、シングルの私は失職すると困る。
一年前転職に苦労してやっと見つけた職場なのに、また転職することになったら、年齢的にも年々厳しくなるのに、と途方に暮れてしまう。

知人が副業を勧めてくれても、今までなら「自信がない」と断って来たけど、そんなことも言ってられないのでは、と思う一方で、それだけで今以上の収入を得られるはずもないし、と迷う。

全てが単なる取り越し苦労に過ぎないと思いたいけれど、考えるまいと思ってもついつい悩んでしまうのである。

昔からの知人は「体の方が大事だから、そんなに頑張って働かなくても」とは言ってくれるのだが、先立つものがなくては、そうも言っていられない。

思考がぐるぐるしだすと、疑心暗鬼状態になり、マイナス思考、ネガティブ思考になってしまう。

ストレスの「種」は、まさに、自分がまいてる「種」そのものなのだとわかってはいるのだけれど。
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