次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活

医療系オタク大人女子の日常生活やエッセイ。創作垢「きつねの戯言」にて小説、楽描きイラストなども描いています。

異次元レベル

2023-11-26 20:20:08 | 日記
昨日は家族の誕生日で、女3人揃って「姦しく」ではなく、静かに映画鑑賞をした。
仕事を早めに上がって時間に余裕を持って集合場所に着いたら、ショッピング中なので合流してくれと言われ、映画館に行く前にまだ少しやり残したことがあるからと暫し連れ回されることになった。

映画はなかなかに興味深く、面白かった。事前の評判や情報を把握していたので、大筋の展開は予想通りではあったが、映像美やアクション作画の素晴らしさ、物語の深みもあり、単なるスプラッターではなく、ホラーサスペンスの中に社会的なメッセージ性もあり、ありふれて語り尽くされたような題材でありながら、なかなか見応えはあったと思う。

映画を見終わって、折角だからパンフレットを買おうと思ったら完売だったので、同じ映画を上映している別の映画館の物販コーナーを見に行ったが、やはり完売だった。まだ上映期間は長いので、また入荷するとは思うが、いつかは未定。諦めてデパ地下でケーキを買って帰ろうということになった。夕食は留守番している家族の白一点にデリバリー発注を任せて、カットケーキを4人分購入。本日の主役にチョイスしてもらった。

例によって長い前置きを経て、ここからが本題。もしかしたら、ここまでの話でも予測がついているかもしれない。
そう、要は、「映画は楽しかったけど、歩き回るのがキツかった」というのがメインなのだ。
更年期太りで体重が増えたのも一因だろうが、一番の問題は、おそらく運動不足だろう。筋力の低下をひしひしと感じる。体が重いことよりも、脚が進まない。一生懸命速足で、何なら小走りくらいの勢いで歩いているつもりだが、普通にすたすた歩いてるだけのアラサー女子2人について行けない。勿論、普段でも「信号が変わりそうだから急いで渡ろう」と思っても全然スピードが出ない。それはもう有名RPGシリーズの魔法「スロウ」が発動してるくらい、本当に悲しくなるくらい、思うように体が動かないのだ。その原因は確実に運動不足であることは疑いの余地がない。「わかってはいるけど、まあそんなに大したことはないだろう」と高を括っていても、内心では薄々気づいていた。だんだんヤバくなって来ていることが。
同年代の友人知人も、「似たりよったりのことはある」とは言うものの、多少とも意識の高い人たちは、無理のない程度にウォーキングやジョギング、最近流行りのコンビニジムなど、何らかの対策をしている。
だが一方で私は、医者に「食べるな」と言われる食材を食べるのも、運動不足を自覚しながらスルーするのも、わかっていて敢えて知らん顔で好きにして来たのだが、ここへ来て年々筋力は低下して来ていて、無視できないレベルに達しつつある、いやもう既に達しているかもしれないという事実から目を背けられない所まで来ていて、まさに眼前に突きつけられているのだ。

最近繰り返し述べていることではあるが、改めて断言する。老いるということは、実際その時が来るまで絶対に理解できない。それはもう異次元レベルと言っても良い。数年前までの自分が頭で想像していたものとは全く次元の異なるものだ。

それを考える時にいつも思い出すのは、昔流行したカール・セーガン博士の著書「コスモス」を読んで、唯一と言ってもいいくらい記憶に残っている話だ。低次元世界の住人が、より高次元を理解することが難しいというか、殆ど不可能であるという喩え話である。

2次元世界の住人が住む平面をボールが通り抜けるとする。最初は点が1つ現れる。その直後それが小さな円となり、徐々にその直径(面積)が大きくなり、最大となった後、また逆にだんだん小さくなっていって、最後に1つの点となり、消滅する。3次元では球体だが、2次元では直径(面積)が伸び縮みする円(点)としてしか認識されない。2次元の住人は3次元の球体を想像することすらできない。

それをイメージした時、4次元や5次元とはどんな世界なんだろうと3次元世界の住人たる私がどんなに頑張って想像してみても、絶対に正解には辿り着けないのだと諦めるしかない。その時点に到達したものが、それより以前を理解することはできても、実際に到達した時点より先のことはわかったつもりになってるだけで、実際には知る由もない。そんな感じがした。

予測で想像したより何倍、何十倍くらい肉体の劣化は甚だしい。少々肉体は衰えるだろうとは覚悟していても、想定を遥かに超える劣化である。頭(脳)も然りで、今の自分のままで年齢だけ重ねると思ったら大間違いなのだが、それは想像より遥かにシビアで、想定外などという言葉で表すにはあまりにも甘過ぎる。とはいえ、それは単に私が無策だったからであり、きちんと対策を考えて備えて来た者は多少の劣化は否めないとはいえ、僅かでも抗い続けようと、現状維持に努めているので、弁明のしようがない。

それをひしひしと実感したにも関わらず、「何とかせねば」と思うだけで、実際何をするでもない。もう間もなく月末だが、「来月から始めよう」とか、もう年末が近いから「来年から始めよう」とかでもなく、ましてや、「明日からしよう」、「今日からしよう」、「今からしよう」、とはならないのがいけない。
これはもう生来の怠け者で、お尻に火がつかないと、いや、既に火がついていても、「動かざること山の如し」、なのかもしれない。
「冬期鬱傾向で気力が湧かないからだ」、なんて、ただの言い訳にしか聞こえない。

「SNSなどでやると宣言したら後戻りできなくなって背中を押してくれる」とは言うが、それでもなおかつできなかったりしたら、もう立ち直れない。ますます追い詰められて自縄自縛になるので、「やります」「頑張ります」などとは、口が裂けても言えない。
なので、今回はあくまでも「運動不足をひしひしと感じてヤバい」というだけのブログであって、決して「これから運動頑張ります」という宣言ではない。

ある日突然雷に撃たれたように、一念発起する可能性も完全に0ではないが、今はまだ限りなく0に近い。ヤバいことは間違いないし、待ったなしの所まで迫ってはいるけれど。
何もしなければ何も変わらないとはわかっているが、何もしたくない。何もする元気がない。
虫の良すぎる話ではあるが、この状況を一気に解決する特効薬的な何か良い方法はないものか。
そこに至るまでの、複雑に絡み合う因果の糸を断ち切るのに必要なのは、覚悟だけなんだろうと思うが、それがなかなかに一筋縄では行かなくて。
そして心の何処かでは、ある日突然人生ちゃぶ台返しをやらかすような自分の性格に、期待しているのかもしれない。
その切欠もタイミングも、まだ自分は知らないだけで、突然降って湧いたようにその時が来るかもしれない気がするのは、予感なのか、それとも単なるご都合主義の妄想かはわからない。
一歩踏み出すことの難しさも歳と共に難易度マシマシになって来ている気がする。

かつては習慣的に週2、3回、30分くらいのウォーキングをしていたし、体重も15㎏くらい軽かったし、服のサイズも2サイズくらい下だった。夢か幻のように思えるが、紛れもない事実である。ただそれがつい2、3年前くらいの感覚でいても、いつの間にやら10年近く経っているのが恐ろしい。こういう時間が圧縮されたような感覚こそが老化なのだろう。

何もかもがしんどくて、出来ないことが増えて行くけど、まだまだ平均余命までは長い。生物学的にヒトという動物として子孫を残すという役割は果たしたので寿命はもうとっくに尽きてても良いし、この世界に明るい未来は望めない気もするから、長生きしたいとは全然思わないけど、生きてる間はせめて健康でいないと辛い。そのためには、出来ることから、ちょっとだけ頑張らないとなあ。
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