次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活

医療系オタク大人女子の日常生活やエッセイ。創作垢「きつねの戯言」にて小説、楽描きイラストなども描いています。

新年度開始

2024-04-01 02:04:14 | 日記
 自身は勿論、家族に学生が居なくなると、新学期とか新学年とか、入学や卒業やというものに縁がなくなる。
 社会人であっても、一般企業とかに勤めていれば、新人が入社して来たり、仕事上の区切りがあったりするだろうが、オーナー以外全員パートで十人強しかいない職場では、特に何事があるじゃなし、ただの月曜日でしかなく、在宅訪問の計画書を書くべき月初の出勤日でしかない。
ただ季節感は流行する疾患で感じるだけで、風邪やインフルエンザ(まれにコロナ)から花粉症へとメインが移り、冬から春への変化を感じるわけだ。

 最近はプライベートで忙しくしていたこともあり、体調は今ひとつである。物理的な疲労も蓄積してはいるが、春のせいかどうか、情緒不安定なのかもしれない。
 精神的にも負荷がかかっているのはわかっているので、折角降圧利尿剤を2種類も増やして健康人並の測定値が続くようになったかと思いきや、突如としてびっくりするほどの高血圧(上も下も)の測定値が出たりするし、心身症なのか、ストレス蕁麻疹(と私は思っている)が頻発するわ、胸痛(パニック発作だと思う)が出るわ、胃腸症状(吐き気とか)は出るわ、不定愁訴のオンパレードである。
「とりあえずは今年一年の我慢」
と自分に言い聞かせて、鎮痛剤や胃腸薬でドーピングしながら日々ごまかし続けている。

 泣きっ面に蜂というか、そんな不調に耐えながら毎日仕事をしていたが、先日、約1ヶ月前のミスが発覚してしまい、更にドカンとショックを受けて、どよんと落ち込んでいる。勿論あってはならないことではあるし、言い訳をするつもりもないし、申し訳ない気持ちで重々反省はしているのだが、同僚たちから、
「他の人が問題を起こした時には偉そうに正論をはいてたくせに」
と思われてるのだろうと思うだけで、鈍器で後頭部を思いっ切り強打されたくらいのダメージをくらっているのである。
実際にそう思っている人が居るかどうかは別で、自分自身が想像するだけで居たたまれない気持ちになるということなのだ。
 今年に入ってからは特に、仕事に身が入ってない時があることは否めない。
しかし、それでも、その時その場ではベストを尽くして来たつもりなので、かなりショックではあった。
 ちゃんと仕事が出来てないと指摘すると、何でもかんでも
「忙しかった(だから仕方ない)」
で済まそうとする人に対して、
「そういう問題ではない」
と切り捨てていたのは私自身。
忙しかったとか、しんどかったとか、そういう言い訳はしてはいけないと思う。
常日頃そう言い続けてただけに、多分反感は買ってたと思うから、内心
「ざまあみろ」
と思われてても仕方ない。
辛いけど、相手の立場に立てば、そんな風に考える可能性もあるだろう。
これが被害妄想なのかどうかさえ、今の私には冷静な判断が下せない。

 今年に入って3ヶ月が過ぎた。たった3ヶ月かと思うけど、その間にはいろいろあった。主に精神的な問題で、不安や恐怖に根ざした迷いや混乱があり、疑心暗鬼になったり、自暴自棄になったり、相当ストレスを溜め込んだと思う。抑えれば抑えるほど膨れ上がる悩みを如何にして消化しようかと、今必死に模索しているところである。
 焦る必要はないとわかっていても、時間がどんどん過ぎて、気づけばお尻に火がついてたなんてことを想像するだけで、気がはやる。
 余裕を持って臨めることが一番の薬と過去の経験からわかっているからこそ、自信がほしい。ちょっと不遜なくらいの心の強さが必要なのだ。それには、自信を裏付けるだけの努力が欠かせない。そして、要領が悪くて効率的には出来なくても、我流を貫くことしか出来ない不器用さは、子供の頃から変わらない。根性と気合とガッツなんて、昭和バリバリのやり方だが、昭和生まれなんだから当たり前。さすがにそう簡単にはアップデートできない。

 不器用といえば、メンタル不調になると、人と会えなくなる。大人数の集まりや、私は元気で面白いとイメージしてくれているような人たちを相手にするのは、とてもしんどいことなのだ。
 その場に居なかったことを後で後悔するとしても、その時はどうにも無理なのだ。友達に会えるのは楽しいけど、常に空元気をフル回転していないといけないから、とてもしんどい。これも一種の見捨てられ不安なのだろうと思う。
 期待を裏切りたくないし、友達を失いたくない。私を友達だと思ってくれて、居場所を与えてくれる大切な人たちだから。
 会えても会えなくても、どちらもしんどいし辛い。後になって、悪気なく
「何で来なかったの?会いたかったのに」
と軽く言われるのも辛い。
会いたかったのは私も同じだし、会えなくて辛かった。でも、会ったら会ったで帰ってからの反動が辛い。
 SNSにあちこちからのお誘いの投稿があがると、葛藤が始まる。行きたいけど行けない。行った後悔より行かなかった後悔の方が大きいと頭ではわかっているのに。
 その場に居た面子に嫉妬に似た感情を抱いてしまうけど、どうしても勇気が出なかった。次の機会も多分私は行けないのだろうと思う。

 最近腰痛と坐骨神経痛に悩まされてもいるのだが、こちらははるか昔の椎間板ヘルニアの後遺症で、疲れると出てくるのがわかっている。左下肢が人形の脚がぶら下がっているみたいに感覚が鈍くなる。昔ほどではないが、いつものやつだと苦笑するしかない。
 前段階のメンタル不調も、メンタルを病んだ後遺症だと思っている。疲れやストレスがたまったりして、元気がなくなると、鬱っぽくなる。ペシミスティックなネガティブ思考が止まらない。判断が鈍って、迷うばかりで何も決められなくなる。
 起死回生の一発をドカンと打ち上げたいのだが、今はバットが振れない。元気な時ってどうしてたんだろう、と漠然と思う。

 新年度早々、もう桜も咲こうかというのに、暗い話になってしまったが、こんな時はいつも、沈むだけ沈んだら自然に浮き上がって来るのを待つしかない、と思うことにしている。ともあれ、悩みながら、苦しみながらでも、歩みは止めない。倒れるなら前のめりで倒れてやる。
 普段は現実逃避の方法の一つとして、小説のネタを考えるのだが、その余裕すらなかった。たまにどうにもアイデアが溢れて止まらなくなりそうになると、メモアプリに残している。メモはどんどん増えて行くけど、現実世界の心のデトックスのためなので、当分執筆はできそうにもないが、それはそれとして。

 今年になってシフト休みを少し増やして、隔週土日連休にしたら、ますます仕事に行きたくなくなったが、特に今回は特大の獅子咆哮弾が打てそうなくらいどんよりして行きたくない。
 しかし、朝がくれば、4月1日月曜日の午前シフトに出勤するしかない。嫌でもまた夜が明けて太陽が昇るから。
コメント
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