次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活

医療系オタク大人女子の日常生活やエッセイ。創作垢「きつねの戯言」にて小説、楽描きイラストなども描いています。

進歩がない

2022-06-28 22:22:00 | 日記
例によって一年前のブログの記事のリンクを貼った通知メールが来て、
「そうか母親が施設に入所したのは一年前のこの時期だったな」
などと思い出していた。
Facebookでも毎日のように『○年前の今日の投稿』が送られてきて、
「そうか、あの記憶はこの頃のことだったか」
と思い出す。

現職場で最年少薬剤師が退職したのがちょうど一年前。
そして2ヶ月ほど前には、3歳ほど年下の薬剤師が一人辞めた。
そして急募のポスターも掲げ、業者にも募集広告を出しているにも関わらず、現時点でまだ補充はされていない。

今年もまた実習生は来ているし、人間関係や環境も変わらないし、この時期悪化する湿疹をはじめとする心身症状もまたしかりである。

最近はネットの記事にも心を乱されて良くないからデジタルデトックスしようと、充電器を枕元に置かず、わざわざ離れた場所にスマホを置いて寝ようと思ったのだが、先日創作活動を少しでも進めようと少し読み返したメモに触発されたのか、真夜中に突然いくつか閃いたヒントを忘れないうちにメモしたくてスマホをベッドに持ち込んでしまった。

しかし、逆にそれが良かったのか、睡眠時間は少々削ったが、今日は家事も捗った。
やはり自分にとって良いものだけを取り入れて、『あかんやつちゃうか』と思うものを避けるのが、当たり前過ぎるかもしれないが、正解なのだろう。

SNSでもよく見かける意見だが、病んだ経験のある者にとって、完全に治りきった気がしないというか、一旦は治ったつもりでも、容易に逆戻りするというか、『病むような人は病むべくして病んでいる』と言えば語弊があるが、要は、(病みやすい)繊細な性格だから病むのであって、心臓に毛がボーボーみたいな人か、天然な人は病みようがない、若しくは病みかけても押し戻せるというか。

心療内科に通院していた頃にもよく
「仕事辞めたら治る」
と医者に言われたが、職場は変わっても、多少の違いはあれ、結局同じなんじゃないかと思う。
あの頃は家庭と職場の両方に問題があって、シングルになった今は家庭には問題がなくなったのに、職場を転々としてもやはり変わらない。
せめてシフトを減らしたらという意見もあるが、生活がかかっているから今すぐには難しい。

せめていつかはこの業界から足を洗おうと思う、と言うと、友人知人はいろいろとアドバイスをくれるのだが、資格を取るまでや取った後の時間的、経済的、精神的、肉体的負担などを考えてしまうと、どれも実現できそうな気がしない。

今すぐどうこうするつもりもないし、母親が寿命を全うし、子供たち全員がそれぞれ独立したり家庭を持って、自分一人で生きて行くなら、小さい住まいに移り、安価な食材で細々と食べて行ければ良いと思っているし、体さえ動けば、時給は今の半分以下になっても、某かの仕事ができれば良い。
そんなことを言うと、年下の同僚から『甘い』と批判されてしまうのだが。

そう考えるうちに、それらの全てが繰り返し述べていることばかりで、全く進歩がないことに気づいてしまった。
起死回生、一発逆転の秘策がある訳でもなく、ずるずると同じことばかりをただ繰り返しながら、この先も生きて行くのかな、と思うと、ちょっと悲しくて、少しでも気が晴れて元気が出て、身体症状も落ち着いて行けば良いのになと願う。

それには環境を変えるためにまた転職か?と思うけど、今また私が辞めたらますます職場は回らなくなって迷惑かけるし、新しい仕事を探す気力もない。

「苦手な奴らが皆居なくなるように」と呪おうにも、今でも結構ハードワークなのに、これ以上人手不足になったら困る。
「(これは)冗談ですよ。」
ちょっとブラックなジョークの一つも言う度に、毎回冗談だと断らないといけないのも、しんどい原因ではあるかな。(笑)
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残念と言えば

2022-06-26 22:00:39 | 日記
6月ももうすぐ終わり。
例年6/19の桜桃忌にはアメリカンチェリーを食べて来たが、今年は自宅近くのスーパーに売ってなくて食べ損ねてしまった。

たまたま桜桃忌の数日前に長男がさくらんぼを買って来ていたのでそれは食べたし、本来的には桜桃忌にはさくらんぼを食べるべきなのであろうが、単に私個人の好みで、桜桃忌にかこつけて勝手にアメリカンチェリーを食べることに決めている。

しかし今年は世界情勢からの円安のせいなのか、気候不順からの不作のせいなのか、私にはよくわからないが、近くのスーパーにアメリカンチェリーがない。
単に近所のスーパーが小規模だからたまたまなかったというだけで駅前の大手スーパーに行けばあるのかもしれないが、わざわざ寄り道するのが面倒で、
「明日はあるかも」
と毎日近所のスーパーの売場をチェックしていたが、結局毎日ないまま時が過ぎてしまった。

だから何だというのではないが、毎年恒例の通りに出来ないまま終わるというのが何となく残念というだけのことなのだが。

残念といえば、現実世界の日常に疲弊して、ストレスもたまり、毎晩悪夢に魘されているせいで、せっかく先月閃いたヒントを元に進めようとしていた創作活動も滞ったまま。
たまに時間を見つけてちょっとでも進めようと資料のメモを読み返しても、結局
「ああそうか、こんな感じだったか」
と思い出すところで終わってしまい、1ミリも前に進まないし、偶然また他のネタの種を見つけてメモしても、結局うまく組み入れられそうにないので、
「これはまたいつかどこか違うところで何かに生かせればいいか」
で終わってしまう。

現実世界の日常は、どうにかならんのか、と言ったところで、どうにもならんものはどうにもならんのだけど、それでもどうにかなってくれんかなあと思ってしまう。

何しろストレスや疲労感を軽減するために
「気晴らしをすれば」
と言っても、その気晴らしをする元気さえ残ってないのだから。

現実逃避で創作の世界に逃げたいけど、脳が疲れてて働かないから、なかなか作業が進まないし、作画の腕が鈍りまくるから何か描いてみたいけど、脳内できちんと像を結ばないものを描いても、納得の行くような作画ができる訳がない。

せめて情報収集をと、動画などを見てめぼしいものを保存しても、活用のために保存した動画を見返すことすらなかなかできないでいる。

やっとランダムに保存した動画を分類して、何本かは一時停止しながらアナログでメモをとって資料整理することはできたが、作業時間とやる気の両立できるタイミングがなかなか訪れないのが悩みの種だ。

ぼーっとTVを見たりスマホを弄ったりしてると寝落ちするのに、眠れば悪夢に追い立てられるように目が覚めるか、延々と妄想かと思うほどの浅い眠りが続く。

昔からこういう状態の時は灯りもTVもついて明るくて雑音がしてたり(子供たちのゲームのBGMが最高の子守唄だったり)するとむしろよく眠れるが、静かで暗い部屋で床についてもなかなか寝付けないし、安眠できない。

体はさほど疲れてはないが、脳が疲れてるんだろうと思う。
こういう状況に陥った時にいつも思うのは、前回どうやってこの状況を脱したのかがわからないということだ。
そして答えがわからないまま、また悶々と悩み、夜を迎えるのである。
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