例によって一年前のブログの記事のリンクを貼った通知メールが来て、
「そうか母親が施設に入所したのは一年前のこの時期だったな」
などと思い出していた。
Facebookでも毎日のように『○年前の今日の投稿』が送られてきて、
「そうか、あの記憶はこの頃のことだったか」
と思い出す。
現職場で最年少薬剤師が退職したのがちょうど一年前。
そして2ヶ月ほど前には、3歳ほど年下の薬剤師が一人辞めた。
そして急募のポスターも掲げ、業者にも募集広告を出しているにも関わらず、現時点でまだ補充はされていない。
今年もまた実習生は来ているし、人間関係や環境も変わらないし、この時期悪化する湿疹をはじめとする心身症状もまたしかりである。
最近はネットの記事にも心を乱されて良くないからデジタルデトックスしようと、充電器を枕元に置かず、わざわざ離れた場所にスマホを置いて寝ようと思ったのだが、先日創作活動を少しでも進めようと少し読み返したメモに触発されたのか、真夜中に突然いくつか閃いたヒントを忘れないうちにメモしたくてスマホをベッドに持ち込んでしまった。
しかし、逆にそれが良かったのか、睡眠時間は少々削ったが、今日は家事も捗った。
やはり自分にとって良いものだけを取り入れて、『あかんやつちゃうか』と思うものを避けるのが、当たり前過ぎるかもしれないが、正解なのだろう。
SNSでもよく見かける意見だが、病んだ経験のある者にとって、完全に治りきった気がしないというか、一旦は治ったつもりでも、容易に逆戻りするというか、『病むような人は病むべくして病んでいる』と言えば語弊があるが、要は、(病みやすい)繊細な性格だから病むのであって、心臓に毛がボーボーみたいな人か、天然な人は病みようがない、若しくは病みかけても押し戻せるというか。
心療内科に通院していた頃にもよく
「仕事辞めたら治る」
と医者に言われたが、職場は変わっても、多少の違いはあれ、結局同じなんじゃないかと思う。
あの頃は家庭と職場の両方に問題があって、シングルになった今は家庭には問題がなくなったのに、職場を転々としてもやはり変わらない。
せめてシフトを減らしたらという意見もあるが、生活がかかっているから今すぐには難しい。
せめていつかはこの業界から足を洗おうと思う、と言うと、友人知人はいろいろとアドバイスをくれるのだが、資格を取るまでや取った後の時間的、経済的、精神的、肉体的負担などを考えてしまうと、どれも実現できそうな気がしない。
今すぐどうこうするつもりもないし、母親が寿命を全うし、子供たち全員がそれぞれ独立したり家庭を持って、自分一人で生きて行くなら、小さい住まいに移り、安価な食材で細々と食べて行ければ良いと思っているし、体さえ動けば、時給は今の半分以下になっても、某かの仕事ができれば良い。
そんなことを言うと、年下の同僚から『甘い』と批判されてしまうのだが。
そう考えるうちに、それらの全てが繰り返し述べていることばかりで、全く進歩がないことに気づいてしまった。
起死回生、一発逆転の秘策がある訳でもなく、ずるずると同じことばかりをただ繰り返しながら、この先も生きて行くのかな、と思うと、ちょっと悲しくて、少しでも気が晴れて元気が出て、身体症状も落ち着いて行けば良いのになと願う。
それには環境を変えるためにまた転職か?と思うけど、今また私が辞めたらますます職場は回らなくなって迷惑かけるし、新しい仕事を探す気力もない。
「苦手な奴らが皆居なくなるように」と呪おうにも、今でも結構ハードワークなのに、これ以上人手不足になったら困る。
「(これは)冗談ですよ。」
ちょっとブラックなジョークの一つも言う度に、毎回冗談だと断らないといけないのも、しんどい原因ではあるかな。(笑)