次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活

医療系オタク大人女子の日常生活やエッセイ。創作垢「きつねの戯言」にて小説、楽描きイラストなども描いています。

GW初日はついつい夜更かし

2023-04-30 03:50:59 | 日記
今年も例年通り本業と副業のおかげで世間とは微妙にずれた飛び石連休のGWが始まった。

初日の今日4/29は有休以外の土曜休日なので、昼まではのんびりまったり、やっと午後から野暮用のPC作業を始めたら、またPCが不調なので、再起動するとめちゃくちゃタイムロス。ついてない。

恒例の自作小説過去作品再掲企画をしようかと思ったけど、めぼしいものは既に投稿済みなので、推せる作品はめちゃくちゃ長いので踏み切れず。迷うなあ。

Twitterで複数の占いアカウントが背中を押してくれて、折角今日こそは頑張って中断したまま放置している新作の執筆を再開しようという気になったのだけど、何と創作垢は60日以上更新してないと言うのでびっくり。そう言えば登録されてるのが最初に書き始めた日付で2月頃だから、それからはこちらの生活垢しか投稿してなかったなと。

当初一旦は全編完成していたにも関わらず、何か納得行かなくて、マルチエンディング小説なんてとんでもない改変案を思いついてしまったのが運の尽きだったかもしれない。
物語上の分岐点で選択肢を選ぶと次章の展開が変わるという設定でプロットを作り直してはみたものの、簡単な選択肢(例えば明らかなbad endとか)は良いけど、そこからがなかなか進められなかった。

日付変わる頃までかかってやっと第1分岐点の全選択肢の次章パターンを全て書き終えた。
明日以降の執筆継続に備えて準備をしようとしたら、ブランクが長過ぎて記憶がなかったけど、最初に全編完成させたはずの下書原稿が保存されてなくてちょっと引いている。
どこかにダミーとして残してあったはずでは?と思ったけどどこにもない。
あんなに苦労して完成させたのに、何で保存されてないんだろう。
アナログの手書きプロットは残ってるけど、ボツにした下書原稿のデータが保存されてれば、コピペと手直しだけで少しは楽できると思ってたのが、まるまるやり直しと思うと何だか脱力してモチベーション低下が半端ない。
消すならいつでも消せるんだから、気に入らなかったにしても、大幅に変わるかもしれなくても、完全に終わるまでどこかに置いとけよ、過去の私何やってんだ…。

そして失意のうちに作業を終了して、シャットダウン前にメールチェックだけしようとしたら、ちょうど1年前に投稿した小説のリンクが送られて来ていて、深夜だというのについ開いて読んでしまった。それも本編全てと後書き解説まで。
おかげでひどく夜更かししてしまったが、自分で書いといてこんなことを言うのも何だけど、やはりクライマックスで泣いてしまった。

それに対して、今の作品は完成しても泣ける気がしない。
マルチエンディングなんてしなきゃ良かったんではないか、最初に完成したままで良かったんではないかと悩んでしまう。
またこのまま未完成で放置されてお蔵入りになるのもなあと思うけど、ネガティブ思考になるのはきっと真夜中に考えるからだろう、と思いたい。

前日とんでもない悪夢を見たけど、(詳しい内容は忘れたが、登場人物とかからして確実に悪夢なのは間違いない)ボツ原稿保存されてなかったことも、悪い夢であって欲しかった。(泣)
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デジャヴではなくて

2023-04-18 22:42:59 | 日記
今日友と以前にも行った中華料理店でランチを食べたが、いくつかあるメニューのメイン料理の中から選ぶ時、一旦は「前回酢豚だったから何か他のを」と思ったけど、やはり私は酢豚が好きだ。
「え、また酢豚?前と一緒やん」と思われるかもしれないけど、今回は五目炒飯とか点心三種類を追加したメニューにヴァージョンアップした。







仕事のストレスから心身の不調が延々続いている私を元気づけようと誘ってくれる友の存在は有難い。
たまたま他に用事があり、ちょうど昼過ぎに終わったので、タイミングも良し。
ただ、体調の不安はなくなったわけではなくて、前日も血圧が爆上りして測り直しても全然落ちないし、胸痛発作は出るし、勿論数ヶ月前から胃腸症状も続いていたので、長時間は厳しいかも…と迷いは残っていた。
しかし結局長々と話が盛り上がってしまい、友と別れた時はまだ降ってなかった雨が、地元に着く頃にはすっかり本降りになっていた。
今日は長居しないというかできないと思っていたので、早く帰れる予定で洗濯物は干しっぱなしだし、バスの本数の少ない昼間に出かけたので自転車を駅前の駐輪場に置いていた。
晴雨兼用傘は持っているが、道交法で禁止されてる以前に、私は傘をさして自転車を運転することができないので、傘をさしたまま自転車を押して歩いて帰るしかない。
今日はそこそこ歩くからと、家族からプレゼントされても今まで大事にしまっていた新しいスニーカーをおろしたというのに、初回から雨の日に当たるとは何とも不運としか言いようがない。
まだ履き慣れてないからか、歩き方が悪いのか、それとも足の形が合わないのか、左足の甲が靴ずれになりかけてるようで少し痛むのを我慢して歩くが、濡れた金属製の側溝の蓋を踏んで滑りそうになり、自転車もろとも転びそうになりながら、何とか耐えて立て直した。
既に夕食の時間帯にさしかかり、慌てて日常生活に戻る。
いつもの休日なら、とりあえず休養第一と終日自宅から出ることなく過ごすのに今日はほぼ一日出かけていた。
明日からまた連日仕事かと思うとちょっとブルーではあるが、少しは体を動かした分、体の疲れで今夜はよく眠れるかもしれない。
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続・エゴイスト~ゲームの支配者(コントローラー)へ~

2023-04-16 14:33:12 | 日記
 前回とあるコミックをきっかけにして「エゴイスト」というタイトルでブログを書いた。今回はそれの続きのような、という意味でタイトルに「続」をつけてみた。
 件のコミックやらスピンオフ(ノベライズ)作品を読んでいて、ふと思った。元々唯我独尊的な、典型的エゴイストみたいな性格に近い人間もいるが、そうでもない人もいる。かといって人間である以上、まったくエゴのない人物は存在しないのであって、もしいたとしたらそれは仙人とか、つまりは人間の域から逸脱した者に違いない。人間は社会的動物であって、個々がエゴを前面に打ち出すと共倒れになる危険性があるから、(程度の差こそあれ)、互いにエゴを抑えて協調していきましょう、という風にして役割分担をすることで生き残ってきた。だが、( )内の部分が問題なのである。極端に言えば、ほぼエゴを通すことを許される者と、ほぼ滅私奉公を強いられる者とが居るということもあり得るということである。例えそれが無自覚の所業だったとしても。

 また前置きが長くなり脱線しそうになってしまった。話を元に戻そう。
誰もが自分の思う通りに動けて、得たい結果が得られるのは理想であろうが、現実的に考えて、誰もが自分勝手に動けば、「船頭多くして船山に上る」状態になりかねない。また、個人には生まれ持った得手不得手や向き不向きもある。今絶賛大人気の大谷翔平選手のように恵まれた才能で二刀流の両方で成功できるのは極めてレアなケースであって、一般的には肩が強いとか、コントロールが良いとか、パワーがあるとか、足が速いとか、それぞれの特技を生かした適材適所で活躍してもらってチームを組む。個々が心の中で「先発ピッチャーでホームランバッター」に憧れはしても、自分の『売り』にプライドを持ち、仮に代打だけ、代走だけだとしても「俺の存在価値はこれだ」と思っているのならそれでいい。
 或いは、「本当は自分一人の力で結果を出したい」と思っていても、如何せん自分よりも足が速い、フィジカルが強い、優れた技術を持っている等の能力の高いチームメイトが居たら、自分の好きなようにはなかなか出来ない。全ての項目において90点が取れる秀才よりも、他は全然でも一項目だけはずば抜けた天才が居たら、その分野においては逆立ちしても敵わない、ということもあるだろう。まして件の作品でも描かれているように、日本は「和を以て貴しとなす」国民性である。「One for all,All for one」というスローガンを掲げて、みんなで頑張ろうというのは悪いことではないが、もしその中に眠れる天才が居たとしたら、その才能の芽を摘んでしまうことになりかねない。他のチームメイトとのレベルの差が激し過ぎて、和を乱す単なるわがままや無謀な暴走に見えたり、必要なアシストをもらえないことで結果が出せなかったりする。

 様々な特性・個性を持つ登場人物を見ていて考えたのが、「もし自分の力が十分に生かせないと思った時にどうするか」ということである。阿吽の呼吸でアシストしてくれる相棒が居なかったら、自分の予測や対処法を理解して合わせてくれるチームメイトが居なかったら、どんなに自分が一人で頑張ろうと思っても、敵ではなくチームメイトが邪魔や足手纏いになって、思うように動かせてもらえなかったら。元々個人技が優れていても、それを活かせる環境がなかったら、結果を出すことは難しい。
 また、物語の主人公のように、元々の能力的に個人の技能がずば抜けて高いというよりも、空間認識能力に優れ、戦略を弄して戦うのが得意な人物も居る。作中ではその特性を活かして戦って勝って来たのに、他の個々の能力も優れている上に自分の特技の上位互換と言えるような相手と出会い、その相手を打ち負かすために、自分はどうすればいいかを考えるという場面が出て来る。
 
 現実世界の自分を投影してみると、私はどちらかというと個人技に優れるタイプではなく、周囲の状況を俯瞰で見て対応を読み戦略を立てて動くタイプに近いと思う。仕事とスポーツとではまた違うし、そもそも仕事の場面では「敵」が存在する訳ではない。ただ、件の作品は登場人物のモノローグを中心に構成されていることが多く、敵の分析も勿論あるのだが、自分やチームメイトに対する考察が主となる場面が多いので、そういう意味では自分や同僚との関係に照らし合わせて考えることが出来る。
 主人公は勿論有能なのだが、自分より他の面で優れていても、得意分野で勝るなら勝って来れた。得意分野で同等レベルの相手にも勝てた。しかし、他の分野のどれもが自分より優れている相手が、得意分野でも自分を上回っていて、一度は敗北するが、ライバルの更に上を行くためにどうするかを考える。私なりの解釈なので、同じ作品を読んだ方が「それは違う」と思われるかもしれないが、もしも私が主人公だとしたら、それは『支配者(コントローラー)』になることである。

 ゲームの「支配者」とは何か。具体的に言うと、人を意のままに操り、自分の思い描く方向にゲームを誘導し展開する者である。操るといっても、勿論薬を盛るとかマインドコントロールするとかいう物騒な話ではなく、操られた当人は操られたという自覚がなく、あくまでも自身の判断で行動しているつもりなのだが、結果的にみると、支配者の良いように動かされているということなのである。
 無自覚に他人を操る術を持つ者を「人たらし」というが、それとは別に、戦略的に人を支配し意のままに操る者。性格的に熱くなりやすい者を煽って焚き付けるとか、負けず嫌いを煽って負けん気を出させるとか、おだてに弱いものを調子に乗せるとか。しかもそれを相手に自覚させないように、自分で考えて判断したように錯覚させる。全体を見渡して、恰もチェスや将棋のように、誰をどう動かすかを俯瞰視点で考える。彼ら彼女らに自発的に然るべき言動をさせるためにはどうするかを判断し、実行する。言葉で言うのは簡単だが、実際は生身の人間相手なので、そうそう簡単には行かない。予測通りの行動をしてくれるかどうかはわからないが、「こいつならきっとこうする」と読み、それがぴたりと当たらなければならない。それが現実世界でも出来るなら、その『場』(例えば職場)の支配者になれる。

 支配者になりたいといっても、別に自分が王様のように君臨して皆を従わせたいというのではない。寧ろそんなことをする奴は心の底から軽蔑するし、実際に現実世界の『お局様』や『パワハラ上司』というような輩は大嫌いである。
 私が考えるのは、その場が問題なく遅滞なく適切に運用され、無駄にストレスを感じることの少ない、言うなれば『スムーズで快適な職場環境』を作るために、一癖も二癖もある面々をうまくコントロールして、理想的な職場環境に一歩でも近づきたい、そのための支配者になりたいということなのだ。
 今までも良かれと思うことは率先して一人黙ってやってきた。若い頃は「仕事は探してでもやれ、奪ってでもやれ、作ってでもやれ」というのがポリシーだったから、常に周囲を俯瞰で見て「誰がやっても良いし誰でも出来るような仕事を、誰もしてなかったら全部私がやろう」と思ってやってきた。常に「今自分は何をすべきか」を考え、やれることはやってきた。しかし、それを良しとしない者も少なからずいた訳で、「それはあなたのすべき仕事じゃない」と言われたりもしたが、それは一種の負け惜しみみたいなものだと適当にあしらって聞き流してきた。私の中ではそれは間違ってないと確信していたから。
 だがしかし、人間が複数集まると、自分とは相容れない、恐らくは絶対に理解しあえない者と出会うこともある。水と油というか、天敵というか。更に、偏見かもしれないが、女性が多いと人間関係がややこしいという経験則がある。中には表向きは仲良さげにして巧に情報を聞き出しては、裏で陰口を叩くような者も居るし、あからさまな嫌がらせをして来る者も居る。派閥みたいなものが出来て、誰と誰は仲が良いとか悪いとか、私にとってはどうでもいいのだが、私の性格上「こっち側かあっち側か」みたいな線引きは明確で、グレーゾーンはほぼないし、一度嫌いになった人間は二度と好きになることはないので、敵は増える一方だ。

 日々そういうストレスフルな環境で、私なりにやって来たのは、昭和的なあだ名でいうところの『放送局』、所謂噂好きであっちこっちで情報を集めては、その人の居ないところで(時に不正確な情報を)言いふらすタイプの人に、敢えて自分の発信したい情報を与えること。「こいつなら絶対あいつに言うだろうな」という確信を持って、敢えて話す。或いは、周囲の人間に噂が広まることを想定して敢えて情報を発信する。それによって周囲の人間の印象操作(というと大げさだが)を行う。
 強大な影響力を持つ敵に対する儚いレジスタンス、『蟷螂の斧』かもしれないが、自分の能力を活かした最大限の抵抗だ。出来ることなら、もっと力をつけ、技を磨いて、真の『支配者』になれたら良いのだが、私にはまだまだ修行が足りないようである。
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エゴイスト

2023-04-08 16:29:41 | 日記
 最近長女が突然アニメ化もされた人気コミックにはまり、原作とスピンオフ作品の単行本を大人買いして来て、私も沼にはめようと目論んでいる。流行っているからタイトルだけは知っていたが、内容はさっぱりだったし、スポーツ漫画というから、そもそも題材になっているスポーツのルールすら殆ど知らないので、然程興味もなかったのだが、読んでみると面白かったので一気読みをしてしまった。
 ネタバレ回避というまでもなく、作品の内容について深く語る意図もないので、極々簡単に言うと、『団体競技であっても、エゴイストでなければ世界の頂点には立てない』というポリシーのもとに、男子高校生を育成するという物語である。
序盤で「日本人は『チーム一丸』とか『一人はみんなのために』とか『和を以て貴しとなす』とか言っているから世界に通用しない」みたいなことを育成者が語る。現実世界でも、野球のメジャーリーグや、サッカーやラグビー、バスケットボールやバレーボールなどの海外チームに所属して、オリンピックやW杯の日本代表選手となって活躍するアスリートは珍しくなく、先日のWBCも大いに盛り上がったところだ。(私はスポーツにはあまり興味がないので、ニュースで結果を知れば十分という感じだったのだが。)

 ではそんなスポーツに興味のない私が、何が面白くて読み進めていたのかというと、勿論個性あふれるキャラクターたちの成長の物語はそれなりに面白かったからではあるが、作品の主題である『エゴイスト』ないし『エゴイズム』について考えさせられるところがあったからかもしれない。
キャラクターの中には、勿論元々『俺様気質』や『自己中』、『ヒーロー』に憧れる者、所謂『天才』も居る。そういう先頭に立って活躍しそうな性格ではないが、『誰かを支えること』を得意とする者や、『全体に目配り・気配りできる』者も居る。本来ならばそういう『縁の下の力持ち』や『アシスト・サポートキャラ』が居てこそチームプレーが成立するのだが、その常識をぶっ壊す物語である。
 現実世界でも、人は、例えば学校や職場、ママ友グループなど、様々な人間関係の集団の何かに所属している。性格の違う人間が複数集まれば、当然ながら衝突や軋轢が起こり得る。誰にだって相性の悪い相手は居るし、避けて通れるならそうしたいが、そうはいかないのが世の常だ。

 件の物語では、本来サポートが向いている者に対しても、「他人に手柄を譲るな、自分一人で勝ちに行け」と指導されるのだが、なかなか本来生まれ持った自分の性格の殻を破るのは難しいと思う。逆に「俺が、俺が」と主張しても、誰もが同じようにエゴに徹すれば思うようには行かなくて、いつも誰かに指示されていたり天才ゆえに深く考えなくても出来ていたりしたことができなくなったりして、挫折を味わうことにはなるのだが。
 現実では、自分勝手な奴らはわがまま放題で、周囲に気を遣うと自分だけ馬鹿を見る展開ばかりだ。職場なら職場という空間の中で、他人の動きや性格を読み、全体がうまく回るには自分はどう動くべきか。無意識のうちにそれを優先してしまう性格の者が居るからこそ、他の皆が好き勝手できるのだが、如何せん、そういう輩には、誰かが自然と全体を見渡して動いてくれていることには思いが至らないので、そこには反省も感謝もない。

 毎度愚痴っぽくなって申し訳ないが、今の私の職場には解決の目途の立たない問題が山積している。それには気づいているが、どうすることもできないまま、日々何とか業務をこなしているような状況だ。とはいえ、内容は違えど、何処の職場でも似たり寄ったり、何らかの問題を抱えているのが当たり前で、何の問題もなく順調に運営できている方が珍しかろう。
 自分で言うのも何だが、私はどちらかというとサポートタイプである。無意識に全体を見渡して自分はどう動くべきかを考えて、仕事がうまく流れていくためなら、自分は後回しで無理をしてしまうタイプである。自虐的な偽善者に見えているかもしれないが、それでも良い。ストレスで体がボロボロであっても、頼まれたら断らないし、しんどくてもカラ元気フル回転で頑張る。
 それでも最近は正直かなりしんどい。とはいえ仕事を辞めたり減らしたりはできないし、今すぐ何か別の仕事をすることも現実的には難しい。否応なしに今の仕事を続ける以外選択肢はないし、かといって、状況が悪化することはあっても改善されることは望めそうにない。
 そして週末が近づくに従い、段々心身の疲労も蓄積し、つい弱音を吐いてしまう。
「仕事行きたくないなあ。休みたいなあ。」
そんな文言は誰もが毎日のように言っていることだろう。だが、毎週そうは言いながら、結局「休みたい」とは言い出せず、無理やり出勤する。
今週はたまたま長女が背中を押してくれた。
「エゴイストになってもエエんちゃう?エゴを通してもエエと思うで。」
ダメ元で金曜日の午後の勤務の合間にオーナーに土曜日有休の打診をしてみたら、
「担当している患者が退院予定だが、おそらく当日には何もないと思うから問題ない」
と言われた。
「用事があって休むのではないから、もし担当患者の仕事が入ったら、連絡もらえば出勤する」
と約束して有休を取得した。年間5日以上は有休消化しないといけないし、未取得の有休日数も十分あるから、特に不都合がなければ休んでも良いはずではある。

 毎回土曜日でしかも特定の相手とシフトが同じになる日を希望するのは、勿論相手が『マウントヒスゴリラ(上から目線で、気に入らないとヒステリーを起こす、長身でガタイの良い年下の女性)』だからでもあるが、逆に「彼女なら仕事はできるのだから、私が居なくても問題なかろう」という私なりの気遣いである。シフト上オーナー以外私一人の日や、相方が体調や副業の都合で当日突然休んだり遅刻したりしがちな人の日は、本当にのっぴきならない用事でもない限り基本的に休まないことにしている。そして相方に問題があり、私が居た方が全体のためにはいいであろうと思われる日もなるべく休まない。だとしたら、残った選択肢はマウントヒスゴリラが相手の日しかないことになってしまう。
彼女と仲の良い別のスタッフから物言いがついたことはあるが、
「合理的思考の下に判断を下しているのであって、私怨(だけ)ではない。」
と言っても納得はしてもらえなかったようだ。これでも私は最大限の譲歩をしているつもりなのだが。
そんなこんなの経緯があって、ついに今回はエゴを通してみた。

 考えてみれば、程度の差こそあれ、他の人たちはエゴを通しているのだから、何の問題もないはずなのだ。
それでも毎回相手やそのお仲間から嫌な顔をされて、何で私が辛い思いをしないといけないのか。
次の課題は、そんな思いすら払拭するくらいにはエゴイストになりたい。
私のささやかな野望である。
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