今日の考え事〈applemint1104〉

自分の体験やニュース、テレビドラマや映画などについて感じた事を素直に書いて行きます。

映画「恋は雨上がりのように」の感想

2020-08-24 09:15:59 | 映画

毎年8月に猛烈な暑さが続くとこの歌が聴きたくなります。それがこの映画のエンディングに流れる「フロントメモリー」です。
私が聴いていたのは「神聖かまってちゃん」のパワフルな歌。是非聞いてみて下さい。

映画はどちらかと言うと箸休め的な作品です。
一人の女子高生、橘あきらは無愛想な性格ながら友人にも恵まれ、放課後はファミレスでバイトをしています。
ファミレスの店長(45歳)を一方的に好きになります。あきらは同級生などに言い寄られても無視し、一途に店長にアプローチを続けるのでした。
実はあきらは高校の陸上部で短距離ランナーとして走っていました。が、アキレス腱断裂のケガによって部活を一時中止しています。失意の毎日を送っていたのです。

前半ダラダラと解説のない運びです。
あきらが雨の日に雨宿りに入ったファミレスで店長にかけられた優しい言葉に、張り詰めていた気持ちが溶けていく様子や、ファミレスのどこかくたびれた雰囲気、ゆるい仕事仲間との会話や関係、主人公のぶっきらぼうな態度、親との関係などが気だるく描かれます。
一体これはどういう話に発展していくんだろう?と興味を持って見つめていました。

普通の「足を痛めて落ち込んでいる高校生」と、「客に謝ってばかりいる冴えないバツイチの中年男」。
男は一方的に「好きだ」と言われどういう風に関係が変わっていくのか。
男はこの女子高生の気持ちを受けとめ、受け入れるのか?
と興味津々で見ていましたら、中盤おのおのの秘密が明かされました。
あーやっぱりそうか、と。
あきらは100m11秒44の記録を持つスプリンター。アキレス腱断裂はその将来性をも断ち切る大きな出来事です。
一方店長の近藤は文学を愛し、部屋に沢山の書物が並ぶ文人のような人。小説を書いていますが、世の中に見いだされず、友人は人気作家になっていました。
そんな彼がまぶしく、連絡が取れずにいたという繊細な一面もあります。

なーんだ、こういう隠し球か~と思いました。
何もない平凡な二人の年の差恋愛かと思って、期待したけど、残念でした。
2時間の映画はドラマを凝縮したようなもの。それだけ大きなドラマ的要素がないと、見るに値するものがありません。

私は学生時代にレストランや喫茶店のアルバイトを沢山しました。
見ながら色々な事を思い出しました。
レストランの厨房やウェイターって不思議な連帯感があるんですよね。
でも、私は映画の中のコックの男の人が、あきらに店長との事をアドバイスしたり庇ったりするのを見て、感心しました。
なかなか出来た人だ、こんな人バイト先では見た事なかったなーと。(軽口は下ネタが多かった)
周りの人が皆あきらを慕っていて、支えていて、意地悪は一人もいない。
店長はあきらに抱きつかれても「あなたの気持ちを受け止められない」「友達として」と断ります。
店長があきらと一緒に図書館で本を探す穏やかさ、自分は何もかも中途半端だと嘆きながら、淡々と仕事をこなしあきらの将来を気遣う、大人としての態度。
そういうのがきちんと描かれています。

最後の場面で、陸上部に復帰したあきらと店長が車ですれ違い、車から降りて会話する場面が良かったです。
店長は恥ずかしげに、でも誇らし気に「昇進した」と報告し、あきらは彼に一つのお願いをします。
エンディングに「フロントメモリー」が流れますが、この歌はやっぱり「神聖かまってちゃん」の方がパンチがあって良かったなと思いました。
地味だけど不思議な映画としてこれは私の記憶に残るでしょう。


映画「血と骨」の感想

2020-05-21 11:38:23 | 映画

知り合いが盛んに感動したと言うので、試しに見てみました。

しかし予想に反して凄い内容でした。主役がビートたけしとは知らず…、たけしのものは暴力ばかりだと聞いてたので敬遠してましたが、その通りです。
この映画も、エロエロ暴力暴力の繰り返しです。原作は在日朝鮮人の梁石日(山本周五郎賞作家)の小説、監督が崔洋一です。

時代は1930年代らしいです。主人公の金俊平は韓国の出身ですが生まれは北朝鮮のよう。
舞台は大阪の鶴橋みたいな所らしいです。(知人によると)
初めのシーンで、俊平が鈴木京香演じる李英姫を追いかけ回し押し倒して強姦するシーンに始まります。目を被いたくなるような場面です。
俊平はその後も若い女を連れ込み、愛人を二階に同居させたりとしたい放題です。
愛人が脳腫瘍で寝たきりになると世話する女を連れてきて住まわせる。その女がじゃんじゃん子供を産む。
家族は黙認しかありません。家の中に本妻とその家族と元愛人と次の愛人の家族が同居です。

本妻は何も言えず何か言うとひどい暴力をふるわれる。寝たきり愛人はたけしの手で殺される。

俊平は魚の加工所を作りかまぼこ工場で大儲けする。従業員をこき使い、従業員が刃向かうと焼けた炭を顔に押しつけたり暴力で黙らせる。
妻や子に自由も金も与えず、ひたすら働かせる。息子だけが反抗し、家を出て行く。

妻が癌になって息子が入院費を出してくれと頼みに来てもビタ一文出さず暴力で追い返す。
妻は寂しく亡くなる。

とにかく、周りの者を次々と不幸にし、自分に従わない人は暴力か家を破壊。
高利貸しをやり始めてからは自殺者を出す。娘も将来を悲観して自殺…
暴力と破壊をこれでもかと描いた作品でした。

私は見ていて胸糞悪くてたまりませんでした。見るの止めようかと何度か思ったけれど、折角見たので我慢して見続けました。
最後の30分くらいで、主人公が足を悪くしてから話が急転直下。人生が暗転します。
そこからは胸の空くような展開でした。ざまぁみろと思った。
最後は北朝鮮に帰り、母国に7千万の寄付をし(それだけあるのなら何故妻の入院費を出さない?)寂しく死んでいったようでした。
最後ははっきりと表現されていません。

他の人の感想を知りたくてヤフーのレビューを見てみました。
意外にも高評価が多いのにびっくりしました。
男性はこのような生き方を力強く思い、憧れるのでしょうか?
朝鮮半島という独特の価値観と常識、人並み外れた人間性を考えるとこのような人も異常なわけではなく、ごく普通の風景だったと思われます。

一日経っても不快感が拭い切れません。
戦後すでに七十余年。
日本の生ぬるい温室に浸っている私のような人間は何が普通で何が当たり前なのか、数十年前に日本の地にあった異形の風景について少しだけ考えてみるいいきっかけになりました。

 


映画「西の魔女が死んだ」の感想

2020-01-28 10:49:49 | 映画

「テセウスの船」が似ていると言われる「僕だけがいない街」のアニメ番組を興味があったので見てみました。
かなり複雑でしたので感想は別の機会にします。アマゾンプライムビデオの推薦に上がって来た「西の魔女が死んだ」を見てみました。

感想を書いてみることにします。
山奥に「ぽつんと一軒家」のように立っている古い家。イギリス風の家です。そこに年取った女性が一人暮らししています。
家へやって来たのは赤い車に乗った中学生の少女とその母親。母親は颯爽とした現代的な女性です。
ここは祖母の家でした。
少女は不登校になって家に引きこもり、手を焼いた母親が祖母の家に預けることにしたのです。

祖母は外国人で、生活も欧風です。祖母は自分を魔女だと認めています。
魔女になりたい少女に修行として、少女に幾つかの課題を出します。
それは「何でも自分で決めること」と「規則正しい生活をすること」です。
少女は祖母と一緒に野イチゴを積んでジャムにしたり足踏み洗濯をしたり鶏と遊んだりしながら徐々に心を開いて行きます。

前半は大体予想の付く展開でした。
田舎風生活はいい、安らぎだ、引きこもりの子の心を解放する、みたいな定番の映画だと思って眺めていました。
しかし暮らしていく内に、些細な事で祖母と少女の気持ちにズレが生じてきました。
近隣の男(木村祐一)の粗野な言動と、飼っている犬に対して少女は強い不信感を抱きます。
鶏舎が壊されて何ものかに鶏が全滅させられました。少女はショックです。けたたましく吠えている男の飼い犬がやったに違いないと祖母に訴えます。
祖母は証拠がないからと取り合ってくれません。さらに、男が少女が自分の畑だと決めた「聖地」の横を掘っているのに出会い、怒りに火が付きます。
そのことを祖母に訴えますが祖母は少女の頬を叩くだけでした。

そこから仲直りが出来ないまま、二人は離れ、母親が迎えに来て少女は帰って行きます。
二年後、少女と母親が祖母の家へ行くと、この題の通り祖母は亡くなっていました。

一体何をこれは言いたかったんだろう、と私は見た後考えました。が、特別なものは考えられませんでした。
確かに前半の祖母の落ち着いた話は説得力がありました。
少女が「人は死ぬとどうなるの」と尋ねた時にも、こう答えます。
魂と肉体が合わさったものがあなた。それがあなただと言える。もし肉体が亡くなっても魂はあるから、魂があなただと言えるかもしれない。
魂は体を持って色々な体験をして成長していく。魂の成長が私たちの課題だと思っているのよ、と。
これは同感です。私も実際そう思っています。これはイギリスのスピリチュアルの考え方だと思います。
そういうことはとても説得力があります。

でも、普通の生活はまた違うもので成り立っています。
少女が男をあんなに嫌っているなら、祖母は自分の立場を言うべきだったでしょう。
一人ぼっちで山奥で暮らしている老女。多少理不尽なことをされても、何かあった時は頼らざるを得ないのだから、大目に見ざるを得ないのよ、と。
理想と現実とは違う。
では、祖母が一人暮らししている不安は少女の家族にはないのでしょうか。
祖母は気丈にしているけれど、何かあった場合のことは考えていないのか。
手に負えないからと娘を預けっぱなしの母親。そして祖母の生活には同調できないとか言ってる。
しかも二年も母と連絡を取らなかったんでしょ。亡くなってから号泣しても遅いわ。
文芸作品なら死を主題にしてると感じるかもしれませんが、映像で見ればこれが普通の感じ方でしょう。

ここまで書いて、そうか、作者は時代に取り残されて行く昔ながらの古い生活や考え方を惜しんでそれを主張したいのかなと思いました。
魔女修行と祖母は言いましたが、少女はこの修行によって魔女になれたのでしょうか。
最後に祖母からのメッセージがガラス戸にありました。
立ち止まって少しだけ考えさせられた映画でした。


「天気の子」の感想

2019-10-05 23:42:56 | 映画
まだやっていたのだと知って暇が出来たので行ってみました。
まったく期待していませんでしたが、浅はかでした。
 
主人公が16歳の家出少年という、初めからツボを外されたような設定でした。が、東京の大都会に放り込まれ穂高はどんどん転がっていきます。
バイトのあてもなくたちまち食うに困る生活に。ファーストフード店でハンバーガーを奢ってくれた少女との出会い、拾ってくれたオカルトライターの圭介さん。
編集の仕事をする夏美さん、などと一緒に都会の片隅で暮らし始めます。
 
異常気象で東京はゲリラ豪雨や長雨が起こり、暗い日々です。人々は晴れを望んでいる。ファーストフード店で知り合った陽菜は、天気を晴れにする不思議な力を持っている。
その力を使い仕事を始める穂高と陽菜でした。100%の確率で荒れた天気に光を射し、空を明るくする仕事です。陽菜は晴れ女として活躍し、その能力に自信を持ち始めます。
 
穂高は、取材で「数百年前から異常気象はあり、特別な事ではない。昔は天と地を結ぶ巫女がいた」と聞きます。
陽菜はある廃墟のビルの上で偶然自分の体が天と繋がったと感じました。彼女は自分が異常気象への人柱ではないかと思うのでした。
陽菜は天に昇り消えてしまいます。陽菜を探し回る穂高。たまたま拾った拳銃を撃って警察に追われます。
警察や恩人の圭介からの逃走。そしてあの、陽菜が天と繋がったビルの屋上で穂高は力いっぱい陽菜の名を叫ぶのでした…というあらすじです。
 
幾つもの話を同時進行させ、それとはまったく質の違う人柱という伝説でファンタジーの世界へ駆け上がって行く。
すごい力量です。
とにかく絵がキレイ。東京の雨の風景、日が射してビルを染める風景、町中の何ということない風景、密集したビル群など、細密でまるで写真のようです。
そして圧巻は、上空の描写。雲が湧き大雲海になり渦を巻き流転していく。大パノラマで展開されます。
しかし散らかった話の落ちをどうつけるのかと言うと、ちゃんと最後の10分くらいで圭介がキチンと穂高に言い渡してくれます。なるほど~、こう来たかと思いました。

時間は飛び3年後です。陽菜が戻って来て人柱はいなくなったので、東京は変わってしまいました。水の中の都市となってしまったのです。
でもその責任なんて感じる必要はない、と圭介はいうのです。
ここでファンタジーは否定され、現実の世界に連れ戻されます。
 
陽菜と穂高が空の世界へ行った辺りがあまりに強烈すぎて、その後長く感じました。
ただただ映像の力とストーリーの奇抜さに圧倒されるばかりでした。エンディングロールが終わるまで誰も席を立たず、ラドウィプスの歌も最後にふさわしく心に染みました。
何故か少し泣きました。
 
後になって思ったのは、登場人物が皆カッコよかったことです。陽菜は清純でまるで天使のよう。
アニメというのは生の人間の臭みを取ってしまうのかしらね。
もう一度見たい気がしています。