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『真田太平記」 15巻 真田丸 1985 朝日新聞社 池波正太郎

2016年09月08日 | 本と雑誌

 

 

 

 

 

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大坂場内には関東方の間者が多数紛れ込んでいて、中の様子は筒抜けであったろう。

また、また味方同士の間でも、相手方と通じているとの、疑心暗鬼の空気も。

幸村も※織田有楽について(有楽殿はまぎれもなく関東と通じている)と感じている。

豊臣家としても、それと知りながら城内にとどめているふしもないではないのだった。


※織田有楽(うらく 信長の末弟 織田長益 織田信秀の十一男)は秀頼生母淀君とは血筋の叔父にあたる)

豊臣家としては、この戦、勝って再び天下を、とは思っていず、何とか持ちこたえて幕府に豊臣家の存在を認めさせ、
そのうち高齢の家康が病没してしまえば・・・などと考えている。

なんといっても、秀頼夫人は現将軍秀忠の娘であり、秀忠夫人は淀君(秀頼生母 母は織田信長の妹・市。織田信長の姪)の実妹なのだ。

家康とて、戦前から和睦の道筋を考えていた。大坂城は巨大な構築をもっていて、半年や一年では攻め落とせるものではあるまい、と見抜いていた。それに諸国大名の戦力は一昔前とは比べものにならぬほど下落している。

・・・・・

この巻は、真田丸の「胸のすくような」大勝利のあと、
東西和睦の誓紙をかわしたあと、あっけなく関東方により破却されるところで終わる。
そして大御所家康の密使慈海和尚が真田家の京屋敷にあらわれる。

 

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