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殺人鬼がマスクを被った意外な理由

2017-06-02 06:25:25 | 日記
恐ろしい伝説

 般若の面を思わせる怪異な容貌、余分な脂肪が無い鍛え抜かれた体。
キラー・コワルスキーは紫の衣装をまとい、ゆらりとリングに登場しました。

 毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」です。
現在のテーマは人気マスクマン10人のランキング。
ベスト3に入る前に番外編をお届けしていますが、今週は番外編の第1位「コワルスキーのマスク」です。

 1963年の第5回ワールドリーグに初来日して決勝戦で力道山と戦って以来、12年に渡って日本
マットに襲来しました。
198cm、120kgの巨体で、コーナーマットから急降下するニードロップが代名詞でした。
 この技でユーコン・エリックの耳をそぎ落とし、エリックは後に自殺、それからは肉を受け付けなく
なって菜食に徹したとの伝説は広く知られています。
 1968年の第10回ワールドリーグにも参戦しこの時も決勝戦に進出した程の実力者でしたが、常に
暗いイメージが付きまとっていました。

 そんな恐怖の殺人鬼には、意外な一面がありました。
Wikipediaにはこう書かれています。
<レスラー生活晩年は髪が薄くなってカツラを着用していた為、頭部を締め上げるヘッドロックは御法度。
同じくカツラ着用のブルーノ・サンマルチノとの試合では、両者共に一度もヘッドロックをしなかった。>
そして<1975年の全日参戦時には「カツラが取れると困る」とマスクを被り、リングネームはそのまま
で覆面レスラーとして試合をした。>と。

実は4年も前に

 しかし私は知っている、この記録は間違いだと。
これ以前にコワルスキーはマスクを被っていたのです。
 それは1971年の秋に行われた日本プロレスの第2回NWAタッグリーグ戦の開幕戦でした。
春のワールドリーグに並ぶ人気シリーズを目指して、前年の覇者アントニオ猪木は坂口征二と共に優勝を
宣言していました。
その前に立ちはだかったのがキラー・バディオースチンとコンビを組んだコワルスキーでした。
 注目の開幕戦、何の前触れもなくコワルスキーはマスクを被って登場したのです。
紫のロングタイツと揃いの紫のマスク。
テレビの前のファンは突然のでき事に驚きました。
しかしもっと驚いたのはアナウンサーも解説者もそれを全く話題にしない事でした。

 翌週もその姿で登場したコワルスキーは、何故か3週目には素顔に戻っていました。
一連の変貌を、まるで何事も無かったかの様にテレビでは全く触れません。
その不自然さが殊に印象に残っています。
 今考えれば裏事情を十分に知っている解説の吉の里さんも、説明のしようが無かったのでしょう。
「彼はカツラなんですね、それがズレない様にマスクを被ったのですが、どうも具合が悪かった様です。
それで今週からは素顔に戻ったのでしょう。」
 伝説に彩られた昭和のプロレスでは、そんな正直な話は絶対にご法度でした。

コメント
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