赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

国を愛するということ コラム(384)

2022-01-28 09:55:31 | 政治見解



コラム(384): 国を愛するということ


東京五輪反対デモの真実

コロナ禍の緊急事態宣言下で東京五輪反対デモを繰り出した人びとが、まもなく始まる北京冬季五輪には何も声をあげていません。彼らは日本への憎悪表現を「東京五輪反対」に仮託していたのではないかと思います。

実際、彼らは東京五輪で躍動した日本人選手には無関心だったはずですし、MLBで活躍する大谷翔平選手に対しても一般の人が「日本人として誇りに思う」と言おうものなら、顔を真っ赤にして「気持ち悪い」と否定するタイプだと思います。誰しもが素朴なレベルでの国を意識し、愛する感情があるものなのですが、彼らはそれさえも否定しなければなりません。そうしなければならない理由は何なのでしょうか。


「愛国心」という言葉さえも封じ込めた意図

人は所属するグループに対して愛着を自然と持ちます。以前、息子の大学卒業式にいったとき、OBが「学園紛争で荒れ狂っていた学生が『都の西北』を歌い出したら一つにまとまった」と話していましたが、たとえ所属するグループ内でいさかいがあったとしてもグループに属している限りは愛着があるように見えます。

それにもかかわらず、なぜ、日本という国に愛着を持てない人がいるのか。その原因は親もしくは学校教育による思想形成に深く起因すると考えられます。それも親や教師の言うことを素直に信じやすい、言い方を変えれば自分の頭で考えることができない、しかも覚えることが得意のためテストの成績がいい学校秀才によく見られる現象です。今日の反体制左派の思想に染め上げられている人たちの殆どが、学校教育に感化された人びとで、カルト宗教と同じ洗脳状態にあると言えます。

それを作り出したのが日教組と言われる教師集団でした。日教組が全盛期だった時代、その教え子たちがいまやほとんどが高齢者になっていますが、その世代では「国を愛する」という言葉を発することさえタブーでした。要は、「愛国心=戦前の軍国主義復活」を意味するもので、国旗掲揚、国歌斉唱とセットで片隅に置かれていました。それらがタブーでなくなったのは平成に入ってからで、サッカーのJリーグ開幕が大きく寄与していると思います。

なぜ、日本で愛国心という言葉が封じ込められたかといえば、愛国心という言葉には、世界共通で「国のために死ぬこと」を含んでいるからです。なかでも、「桜の花のように潔く散る」という美意識を併せ持つ日本人の愛国心は、大東亜戦争で苦戦を強いられたアメリカや、日本革命を目指した当時のソ連やその走狗たちにとっては厄介以外のなにものでもありません。米国の占領統治の上でも、またソ連の世界革命戦略の上でも日本人から愛国心という言葉さえ奪う必要があったわけです。


「国のために死ぬ」愛国心から、「国家社会に貢献する」愛国心へ

ただ、アメリカにしろ、当時のソ連にしろ、そして今の中国にしろ、愛国心は素晴らしいとして称賛されます。愛国心とは国家が存続するための万国共通の価値であるからです。

現に、アメリカでは国防の要の一つにパトリオットミサイルが配置されていますが、パトリオットとは「愛国者」の意味です。他民族国家であるアメリカは国民の統合をはかるため愛国心を強調しなければなりません。公式行事でたびたび『忠誠の誓い』【※1】の暗誦が行われますし、同時多発テロ以降は米国愛国者法を制定させているほど、米国民は常に国家を意識しなければなりません。
忠誠の誓い【※1】:帰化した場合にはアメリカ合衆国憲法への忠誠の誓いのほかに、以前保持したすべての外国への忠誠の放棄の誓い、国内外の敵からアメリカ合衆国憲法を守る誓い、法律が定めた場合、兵役に従事する約束、国家の大事の際、法律が定めた市民としての義務を果たす約束を宣誓しなければならない。

また、中国においても愛国教育は必須で、江沢民時代は抗日教育が愛国教育の要とし、現体制下では欧米思想から若者を引き離し中国共産党に忠誠を誓わせることで国家の維持をはかっています。近年、香港に対しても愛国者による統治を強要して、民主化運動を封じ込めましたことはご承知の通りです。

しかし、いずれの愛国心も敵対する勢力から国を守り、「国を守るために命を捧げよ」という思想に貫かれているのが事実で、これでは洗脳されやすい若者の心はとらえられても(実際、戦地では少年兵を含む若年層が戦場に刈り取られる現実が多い)、長い目で見れば戦争の原因になったり、戦争後にはかえって国家に対する憎しみを生み出す原因にもなっています。

したがって、誰もがもつ純粋な愛国心を戦争のために使うのではなく、もっとポジティブに「国家や社会のために積極的に貢献するもの」としての価値を付与し、「死ぬためではなく」、「よりよい未来をつくるために生きる」目的に使用したほうがいまの時代にも合うし、多くの人に共感を与えるものになると思います。

そうすれば、現在の「愛国心」につきまとう暴力的で排他的なものという負の側面は排除されると思うのです。「愛国心は国家社会の発展に寄与し、地球の人びとを豊かに調和させる新しい概念」とするだけで、世の中がだいぶ変わってくるように思えます。

日本の若い世代にこれと似た感覚が芽生えているように見受けられます。したがって、日本の未来は、悲観論ばかりを横行させるメディアや高齢者の意見とは真逆の意外にも明るいものになると思われるのです。



  お問い合わせ先 akaminekaz@gmail.com【コピペしてください】
  FBは https://www.facebook.com/akaminekaz


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日を捨てるとき コラム(383)

2022-01-21 10:36:51 | 政治見解



コラム(383):昨日を捨てるとき 

前稿で「メディアが岸田首相を叩かない理由」を論じましたが、結論部分に「岸田政権をどうしよう、メディアをどうしようなどといった些末なことはさておいて」と書きました。なぜ、それが「些末な」ことなのか、この意味を述べます。


従来思想のエンドラインに立っている

現在の世界秩序とそれを支える基本的な価値観は西欧文明を基軸にしたものですが、いまこの構造を変えなければならない時期にさしかかっていると思われます。

2015年には国連総会で、経済と社会と環境のバランスを取ることを目的にSDGs【※1】を全会一致で採択しましたが、何も進展していないといっても過言ではありません。むしろ「SDGs 言うやつみんなカネ目当て (飯山陽)」と川柳にされるほどで、国際機関の無能さを印象付けただけだと思います。

【★1】エスディージーズ:Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標:将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発が行われる社会をさす。

その上、新型コロナウイルスの猛威が世界を席巻し、さらには、気候変動による自然災害の規模と回数が多くなるにつれ、各国政府の無力さイエオロギーや宗教による救済力の喪失を見せつけられています。これまでの常識を形成していた価値観では何事も解決しえない状況です。

いま私たちは、これまでの古い価値観のエンドライン上には立っており、次の時代のための新たな価値観を模索し、変化を選択しなければならない事態に直面しているのではないかと思えるのです。


変化を求められる現実

しかし、基本的に人類は変化を好みません。それでも過去の価値観が激的に変化してきたのは、自然の脅威、疫病の発生、さらには、人為的に引き起こした戦争などの外的要因によるものであり、これによって人類は、意識や価値観を変え、社会の仕組みを変えざるをえませんでした。

例えば、人口爆発、気候変動、疫病の蔓延がゲルマン民族の大移動を引き起こしたことは世界史で学んだことですが、これによって西ローマ帝国は滅亡する過程でヨーロッパに中世社会を成立させる原動力になりました。

次に、ペストの大流行が中世ヨーロッパの時代が終わらせ、ルネサンスを花開かせ、ヨーロッパはほとんど一夜にして都市中心社会を生み出す力となりました。

さらに、アメリカの独立革命とイギリスの産業革命は現代社会の価値観と今日の近代主義を生み出しました。現在の資本主義、政治の仕組み、今日の思想やイデオロギーなどの殆どがこの時代に由来しています。

それから250年経過した現在、コロナ禍と大規模な自然災害は、価値観、政治や社会の構造的行き詰まりをあぶりだしました。古い価値観の体系的な廃棄を迫っています。新しい酒は新しい革袋に詰めなければならないように、古い価値観の延長線上に新しい価値観を置くのでは何も変わらないのです。

とくに、自分自身が高齢者になってみて気が付くことは、新しい時代にふさわしい考え方を見てもなかなか古い価値観を捨て切れないということです。たとえば、ITの最先端技術の話を聞いても理解しづらくなっていることと一緒なのかもしれません。まして、反体制左派としてイデオロギーに洗脳された人にとってこれまでの価値観を捨てるのは難しいことのように思えます。極端な言い方を許してもらえば、高齢者とイデオロギーに汚染された人は真っ先に廃棄対象になるべきと思えるのです。


古い価値観を葬ることが先

仮に古い価値観にこだわって執着していても古い価値観は捨てざるをえなくなります。捨てるように迫られます。なぜなら、これからの数年、想像を絶する大災害が地球規模で発生すると思われるからです。これらは、これまで人類が蓄積してきた想念上の負のエネルギーが爆発に起因するものですが、その凄まじさが人類へのショック療法になると考えらます。

歴史の転換期のはざまにある現在、救済を必要とする人の数はおびただしいものがあります。それにも関わらず、私を含めてみんな無関心です。事実、地球上ではいたるところに難民が存在し、戦争と社会的激動の被害者、人種・民族、政治。宗教的な迫害を被った人、政府の無能力と虐待の被害者が大量に存在します。

その上、秩序が保たれた安定した社会においても、知識社会への移行、社会構造の変化に取り残された人びとも一定数存在します。わが国にも例外ではありません。

しかし、私たちはこれらの事象に苦しむ人びとを、すべて政治や社会のせいにして自分のこととして考えることはしません。真剣になって考えることができるのは自分が彼らと同じ立場に立つとき以外にはないようです。

ということは、世界中の多くの人が、金持ちであろうがなかろうが、善人であろうがなかろうが、否応なく大きな災害に見舞われ、苦しむ人と同じ境遇を味わい、同じ立場に立って初めて考え方を改めなければならないときがくるということを意味しています。つまり、人類全体の集合想念によって大規模な災害が起きることは避けられず、覚悟を決めておかねばならないということです。

そして、大災害を契機として従来の価値観を廃棄せざるを得ず、現状の様々な事象は「些末」なことに過ぎなくなるわけです。

人類の復活は古い価値観という死者を葬って後、その悲しみを乗り越えて、新しい時代の価値観を構築していくことになると考えます。



  お問い合わせ先 akaminekaz@gmail.com【コピペしてください】
  FBは https://www.facebook.com/akaminekaz


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メディアが岸田首相を叩かない理由 コラム(382)

2022-01-13 13:16:15 | 政治見解



コラム(382):メディアが岸田首相を叩かない理由
 


1月11日、岸田政権は発足してから100日が過ぎました。それまでの経緯を振り返ると、不思議なことにメディアや反体制左派の人びとから強烈な批判は目にしませんでした。菅前首相、安倍元首相の時とは大違いです。なぜなのでしょうか?


首相を叩く、叩かないの差

菅前首相は就任早々、日本学術会議の六名の共産党系学者任命拒否問題でメディアや反体制左派から集中砲火を浴びました。立憲民主党などの野党も一緒になって騒ぎ、国会周辺は共産党員の動員デモで喧騒に包まれました。菅前首相は安倍政治の継承者としてはじめから憎悪の対象だったからだと思います。

その前の安倍元首相が第二次安倍内閣を組閣したときはもっと露骨でした。朝日新聞が葬ったはずの安倍氏が復活した途端、メディアや反体制左派は目の色を変えて安倍批判に走りました。メディアは中韓のプロパガンダを使って安倍氏を「右翼的な歴史修正主義者」として世界中に発信し、それを海外メディアの報道として逆輸入することで、国民に安倍政権がいかに危険であるかを繰り返して主張し続けました。はじめから安倍元首相は彼らにとっての不倶戴天の敵だったのです。

なぜ、彼らは安倍元首相、菅前首相を最初から極悪人のように批判し、一方で、岸田首相には批判を控えているのか。これは、彼らにとって思想的な祖国であり盟主と考えている中国の利益に添うか添わないが判断の基準であることに間違いなく、反中を鮮明化した安倍政権、菅政権は憎むべき存在、対中政策が妥協的な岸田政権は与しやすいと判断しているからにほかなりません。

したがって、かつては強烈な安倍批判を行いながらも、現岸田政権に対しては何も物言わぬメディアなどは中国の走狗であることを自ら証明しているとも言えます。しかも、岸田政権は、結果的に自民党内からかつての民主党政権と同じものができたと言わざるを得ず、中国にとっても、その走狗たちにとっても再びよい季節が巡ってきたと考えているように思えます。


中国が好意を寄せる岸田首相

実際、岸田政権は中国にとって好ましい政権と見られているようです。北京冬季五輪の外交的ボイコット問題も中国の面子をつぶさないような妥協を行いました。しかも、外交的ボイコットの背景にある中国の人権問題に対しては頬かむりしたままです。

しかも、外務大臣には訪中を何度も繰り返したハニトラ疑惑のある人物をあてがい、党の幹事長も極めて中国に妥協的な人物を据えています。中国にとっては、日中国交正常化を推進した大平・田中の後継者たちが自民党の主流に返り咲いたことを歓迎しているのだと思います。

結局、いつも盟主中国の顔色をうかがいながらご相伴にあずかるメディアや反体制左派にとって、岸田首相を批判しないのは当たり前のことなのです。


安倍元首相と中国の攻防

第二次安倍政権発足早々、安倍元首相は「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値を共有する諸国との協力」を宣言し、「国民の生命、財産、領土・領海・領空を断固として守り抜く」として歴代内閣で初めての海洋・領土担当大臣を設けるなど、世界に覇を唱えようとする中国の野望を打ち砕く政策を打ち出しました。

2015年には安保法制を成立させることで中国の日本侵攻の抑止力を高め、2016年11月には米大統領就任予定のトランプ氏と会談してアメリカを世界に先駆けていち早く反中に導きました。

この一連の行動は、中国にとって安倍元首相を一刻も早く抹殺したい存在になったはずです。事実、2017年2月には、朝日新聞が森友問題を報じ、その後、家計・桜を見る会などを繰り出すことで安倍元首相の追及が国会論戦の主たるテーマになり、安倍元首相に対して「責任がないことを証明しなければ首相の犯罪だ」という「悪魔の証明」の論法で退陣を迫りました。第二次安倍政権発足以降の2822日間、安倍打倒がメディアや反体制左派のお仕事であったと言っても過言ではありません。

また、2021年には日米豪印戦略対話Quad(クアッド)が開催され中国に対する包囲網の完成形が出来上がりましたが、会談に臨んだのは安倍後継の菅首相であることから安倍―菅ラインは中国にとっての最大の敵であることがわかります。菅前首相退陣の背景にも親中派の暗躍によるものと見ることもできます。


考えるべき課題

以上述べてきたことは、外国からの内政干渉を嫌がる中国がいかに日本の内政に干渉してきたかという事実とその尻馬にのって跳梁跋扈する浅ましい人たちが国内に無用の軋轢を生じさせたという事実です。私たちは知らず、知らず中国という国の巧みなプロパガンダによって転がされていたと言えます。

そう考えると中国に妥協的な岸田政権でこれからの日本はどうなるのだろうかと思うのですが、ある面で世界中を苦しめている新型コロナウイルスは当面収まりそうもなく、しかも、気候変動による自然災害がさらなる甚大な被害をもたらすのではないか予測される今、現状のままで推移することはないと言わざるをえません。

しかも、日本という国は外側から圧力を加えられることで変化を余儀なくされることがたびたび起きているので、コロナ禍あるいは災害によって今の政治の在り方も抜本的に変わらざるをえなくなるのは確かです。

とりわけ、日本に悪しき影響を与えている中国は、コロナ制圧に失敗することで国家内に大規模な変化がもたらされると予測され、日本への影響力を失うと見ています。かつて、ソ連が崩壊した時、メディアや反体制左派がよりどころを失って、右往左往したときと同じ現象も起きると考えられます。

したがって、岸田政権をどうしよう、メディアをどうしようなどといった些末なことはさておいて、新時代にふさわしい価値観とかそのもとで繰り広げられる政治的システムはいかにあるべきかを考えていくことが必要だと考えます。

これを今年一年の本ブログのテーマとして考えていきたいと思います。





  お問い合わせ先 akaminekaz@gmail.com【コピペしてください】
  FBは https://www.facebook.com/akaminekaz

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謹んで新年のお慶びを申し上げます

2022-01-01 00:00:00 | 政治見解



謹んで新年のお慶びを申し上げます

コロナ禍の収束を願い、みなさまのご多幸とご活躍を心からお祈りいたします。

本年も、日本の明るい未来を築く礎として頑張ってまいりたいと存じます。
引き続きブログご愛読のほどお願いいたします。



  お問い合わせ先 akaminekaz@gmail.com【コピペしてください】
  FBは https://www.facebook.com/akaminekaz

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする