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【会津野】俳句甲子園

2017年08月21日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

今朝の報道で「俳句甲子園」という催しを知りました。

娘の通う高校の、中学からの同級生が優秀賞を受賞し、出場校自体も「子規・漱石生誕150年記念賞」を受賞しました。

つい先日、「もっと変な論文」(サンキュータツオ著)を読んでいたら、夏目漱石が松山に教師として赴任したとき、どんな交通手段で東京から松山まで向かったかを研究した論文のことが紹介されていました。

その頃、従前から漱石と交流のあった正岡子規が広島に滞在していたことからか、広島までの鉄路の後、瀬戸内航路で松山まで渡ったというのが、いままでの赴任経路として言われていました。ただ、広島で正岡子規と逢った記録はなく、広島を素通りすることにも違和感がありました。

海事研究家の方が、当時の船舶事情などを調べ、神戸から船で松山へ渡ったとするのが実際の赴任経路だったと結論付けたのが、紹介された論文の中身です。

これを読んだ直後だったので、子規や漱石になんだか親近感を持っていました。そんなときに飛び込んだ「子規・漱石生誕150年記念賞」だったことと、その一団のうち名前を知っている生徒が個人賞である優秀賞まで受賞したものですから、俄然嬉しさが湧き出てきました。

明治初期に学問に突き進んだ方々は、とてつもない探究心をお持ちの方が多いですが、子規、漱石もそのうちのそれぞれ一人です。

その方々の名のついた賞を、戊辰の役で敗れ教育環境がなかなか整わなかった会津の生徒が受賞することは、このうえない喜びを感じるものです。

しかし、わずか150年たらず前のことで、学者さんが記録を残していたことについてでも、まだまだナゾの多いことにはビックリします。

言葉という手段を用い、将来のがらりと変わった世の中から過去のことを遡れるよう、よく考えて事実を文章として残すことはとても大事だと実感しました。

五七五と季語というルールの中で、それを記述するのには、とてつもない能力を必要としますが、受賞者の白井駿介君、あっぱれだ!

今日も素敵な一日を過ごしましょう。

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