さあ、ダブルインパクト展。
(展覧会は写真撮影不可ですから、面白くもない文章で失礼します)
正式名称の「ボストン美術館×東京藝術大学 ダブル・インパクト 明治ニッポンの美」がよく展覧会の意図を表しています。
明治になって開国後、日本は近代化された西洋文化にインパクトを受け、その吸収に全力を注ぎました。もちろん、それは芸術分野にとどまることなく生活全般に及びました。その様子は当時の風物を映した浮世絵を中心にボストン美術館に多く収蔵されています。
その収蔵作品は、東洋の小国に対する単なる異国興味の域を超えていることが改めて理解できました。
日本の持っていた洗練された工芸分野の作品や浮世絵の技法は「ジャポニズム」としてヨーロッパに大きな衝撃を与えたことは有名ですが、来日した西欧の人々は芸術作品のレベルの高さだけに感服したのではなく、日本の文化そのもの、人々そのものに深く感動したのでしょう。その感動がボストン美術館の豊かな収蔵品群につながったと、素直に思うことにしました。とにもかくにも、作品が残ったんですから…
幕末開国期から始まる外国人画家たちによる指導から日本の近代美術は始まっていくわけですが、明治10年代になると早くも反省期に入ります。フェノロサ、岡倉天心らが「日本の伝統様式と西洋画法を融合させた日本画」の創生を目指していきます。
岡倉天心が校長となった東京美術学校では多くの逸材が輩出されました。その後、いわゆる美校騒動を経て岡倉天心が日本美術院設立。ごく自然に先日観た「MOA美術館ー琳派アート」展につながっていきました。(東京美術学校を辞した天心が、五浦で「琳派を現代に生かす」といったのですね)
高橋由一が明治5年に日本で初めて描いた油絵「花魁」、加納芳崖、横山大観らの日本画など東京藝術大学の所蔵品も展示されていて、見ごたえがありました。
ミュージアムショップでの買い物を報告します。
明治の初めに来日した西欧人がこんなに薄い焼き物ができるのかと驚嘆したという横浜焼の復刻版です。カップ43gソーサー95g!
飲み干すとカップの底に浮かび出る女性像。
帰りは初めて日暮里駅経由にしてみました。
さすが藝大の町。
古い建物が、現役のカフェです。
公園のような谷中墓地。歴史上で知っている名前がそこここに。
もともとは谷中天王寺町でした。今は谷中7丁目!
あ~ おもしろい楽しい一日でした。