私のように、高校を卒業以来故郷を遠く離れて生活したものにとって、故郷はやはり遠いところです。特に両親もなくなった今は同窓会が無かったら帰省することもないでしょう。
出身が北九州ですから、同窓会に参加するには飛行機に乗って帰るのです。
漫画の街、小倉。いわれは松本零士さんの出身地ということですって。小倉駅での出迎え。
会場は小倉駅側のリーガーロイヤルホテル小倉。二次会は29階のリーガトップですが、出席予定者が多数で貸し切りになっていると聞きました。
小・中・高と同窓の藤吉さんが関東地区の同窓会の幹事になった6年前から、同窓会とのご縁が深まりました。同窓生とも同期生とも関係が深まっていって、そのことは新しい人生の喜びを見つけたような気持ちです。
今回は同期生たちとの会ですから、またお楽しみはひとしおです。途中で会っている人たちも勿論いるのですが、中学は同級生、高校は違うクラスというとほとんど接点がなくなって、そういう同期生とは55年ぶりということになります。
半世紀!卒業生は約450人。出席は99人。亡くなった友人たちは38人にものぼっていました。
卒業して半世紀以上たってのこの出席率はすばらしいですね。幹事が25人くらいいた模様ですが、それでもどんなに大変な作業だったか…幹事さんたち、ありがとうございました。八丁さんが「今わかる範囲のことは漏らさずやったので、同窓会本部の把捉率よりずっといいはず。済んだら本部に報告しますけど」と言ったこと、ちゃんと聞きましたよ。
フェイスブックでつながっている同期生も何人かいます。幹事会開催のたびにフェイスブックにアップしてくれ、こういう情報もあげてくれましたから離れていてもよくわかりました。
考えてみたら、フェイスブックでつながっている人はほとんどが幹事役を買ってくれています。そして幹事の皆さんの話をきいていると結構面白い。
それぞれが役割というか、立ち位置を認め合ってるんですね。女子は「今回は男子ががんばってくれて楽をさせてもらったのよ」
男子はそれぞれに「藤吉が帰ってきてくれたから」「野球部キャプテンの下薗の存在が大きいよ」「まとめ役としては、区長までやった石田だな」「谷川が会議室提供してくれて助かった」「普段からの付き合いが深いから…」などなど。
電話魔の八丁さんが、たくさんの同期生とつながってくれているのは誰もが認めるところです。普段もよくお楽しみ会をやっているようですが、誰かが帰省するとウエルカムパーティを企画してくれますよ。
幹事の皆さんは、何度も何度も集まっての準備、とても大変だったでしょう。
でも「情けは人の為ならず」。はっきりとした目的があり、仲間がいて、結果がわかりやすい。脳は活性化されたと思いますよ(笑)フェイスブックにあげられた途中の写真も、参加したくなるような楽しそうなシーンがたくさんありました。
でも、ここまでの準備!この名札は卒業記念アルバムの写真を切り貼りして作ったんですってね。女子は旧姓で(笑)
やっぱりほんとにありがとうございました。
もう一つ御礼を言わなくてはいけません。返信されたコメントを全員分(100人以上)用意してくれていたのです。A4版で6ページ半。一つずつ懐かしく読ませてもらいました。大変だったことでしょう。
同窓会はとてもオーソドックスなスタイルで始まりましたが、後半になってさすが18回生!とうれしくなりました。
世界的になった!書道家幕田さんが壇上で二枚掛軸を書いてくれました。論語の「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」から「従心」と「寿」。幹事代表の石田さんと元書道部員に渡されました。
次も見事です。なんと若々しい!
船越さんと吉井さんand one のバンドは、二次会ではビートルズナンバーをご披露してくれました!私たちがまさに高校生の時、ビートルズ旋風が始まったのです。
音楽が好きということは、人生を何倍も楽しくさせるものですね。
2組鶴先生、4組安永先生、6組加藤先生、7組今石先生がご出席くださり、人生の先輩としてのお話をしてくださいました。「70歳から80歳までの生き方は大切」「80歳になると社会的な虐待が始まる(様々な契約に制限が出てくる)」「健康であれば、社会的活動からはリタイアしても趣味を楽しむことは十分にできる」などなど正直に心情を吐露してくださって、会場は盛り上がりました。
幹事が登壇し、恩師に幕田さんが揮ごうした色紙と花束を贈呈し、応援歌斉唱。そして万歳三唱してお開きとなりました。たくさんの友人とお話ができて豊かな時間を過ごすことができました。
幹事の皆さん、ありがとうございました。
29階リーガトップからの夜景。レストラン内と外の夜景がかぶっています。
実は、丁度こんな気持ちだったのですよ。現在と半世紀前がオーバーラップして不思議な気持ちでした。