脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

「沈黙ーサイレンスー」と「この世界の片隅で」

2017年02月06日 | 私の右脳ライフ

フェイスブック友達のY田かおるさんが、この映画のことを勧めていらっしゃいました。彼女とはまだ会ったことはないのですが、映画や展覧会などそのシャープな感性に惹かれています。

映画化されたことは知っていましたので、「よし、行こう」と心に決めて、もう何日も経ってしまいました。
実は伊豆高原には映画館がなくて、車で1時間かけて三島や沼津へ行かないと映画は見られません。時々チェックしてみて上映されているのを確認して行くのです。
HPを見ても「沈黙―サイレンスー」は最後のほうにおかれ、館内にはポスターすらないのです。会場に入って納得しました。観客は6人しかいない!
こういうところに住んでいると、アンテナを高く立てておく必要があります。(アンテナを立てることとその方向性を決めるのが前頭葉)
その一つがY田かおるさん。いつもお知らせありがとうございます。

この原作は、私が学生時代に出版され、当時も大きく取り上げられた作品でした。
読んだのですが、あまりに重いテーマをどう読めばいいのか、それと拷問のシーンがとてもつらかった記憶があります。
この「沈黙」が取り上げているテーマは、クリスチャンでない日本人にとっては、理解できない。
「キリスト教は日本には根付かない」 というセリフには納得させられるものがあって、多くの日本人にとって神さまや仏さまは母性的なやさしい存在です。
そのうえ、地震も台風もあるのですが、多くの日本人にとっては豊かな大地、恵まれた自然の中にいる私たちという感覚ではないでしょうか。
GODとの契約という考え方は、なじみませんよね。
この文化の圧倒的な違いが、内省していったら・・・キリシタンもパードレたちも、キリスト教の神さまを知ったから苦しかった。
苦しい生活が終わるときに、神さまを共にあるものとして感じられたと受け取っていいでしょうか。
 
去年11月にはY田さんが「この世界の片隅に」を絶賛されたので、東京で見ました。そのときNHK「あさいち」の取材を受けるというおまけつき。


対照的な映画ですね。
日々の暮らしの中にしあわせを見つけながら普通に暮らしているその日常の中から、戦争にそのままつながっていくこわさがありました。あまりにも「普通」に暮らしていると、いつ戦争になったのかあいまいなまま、どれほど困難な暮らしであってもそれが「普通」。そして理不尽な原爆による終戦・・・
内省的に生きてないからと言って、その人の人生の意味が軽くなってしまう訳ではないと私は思います。

受動的な人々の立場で書きましたが、兵となって戦う人もいたわけです。「戦争だから」と問題を感じない人もいればジレンマにさいなまれる人たちもいたわけです。
戦意高揚の作品を制作した芸術家たち。
国のため、家族のためと死に向かった特攻隊の若者。
その内面に思いを馳せてみても、「沈黙」で取り上げられているほどの苦悩とは、本質的に違いますね。その弱さと強さを自覚していきたいものだと思いました。

 


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