涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

107日目 生駒山頂公園

2019-11-23 19:02:51 | 山登り
先日、知り合いの紹介で、霊能者と言われる方に見てもらうことになった。姫〇真〇さんという、30代の綺麗なお姉さん。本職はヒーラーらしいが、最初は守護霊様リーディングというのから始めてくれるらしい。

私の守護霊様に彼女の波長を合わせるため、私の両手の上に手をかざして数分後、守護霊様からの伝言を聞かせて貰えた。

守護霊様は、平安前期の朝廷に仕えた、神事の取りまとめをするような仕事に関わった烏帽子をかぶった男性らしい。私が「あと10年、20年しか時間がない」と言うと、「10年、20年は長い」とのお返事あり。その他、彼女の知識も交えて色々なことを聞かせて貰った。

その中で、自分の霊性をあげることが大事と聞き、そのためには瞑想も必要であるが、神社・仏閣に参るのもいいと。それで運動不足解消も兼ねた今回の山登りとなる。

生駒山には101日目にも登っているが、やはり近いし、準備もそれほど要らないし、山頂公園が12月からは冬期のため閉園になってしまうので、また生駒山になった。前回と同じ近鉄枚岡からの神津郷コースを辿ったが、最初の枚岡神社の鳥居は何度も掲載しているので、その本殿の写真。


シロウトのためか、どこの鳥居も本殿も同じように見える。由緒正しい神社であり、創設は初代神武天皇の時で、紀元前になるらしい。その時のものが少し登った生駒山中腹にある。


上に登ったところにある、後世に建てられた記念碑。


あとは同じような写真になるため省いて、遊園地の象徴を表紙に、そして最後に訪れた宝山寺境内の写真をアップします。


今回見て頂いた、〇嶋〇由さんというヒーラーのブログとHPは検索できます。なかなか感じのいい人でした。

昭和60年 5月26日
長野県善光寺御開帳結願の日
 今日善光寺にお参りに行ってきた。お前と二女と二女の下の坊を連れて行った。信者でいっぱいで線香の煙がもうもうとたち込めていた。7年に一度の法要が無事済んでよかった。お偉方5,6人が御見送りして下さった。このところ主人頭痛やら肩が痛かったが、大分よくなられた。

昭和60年 6月9日 早朝
 かねてより念願の奈良のお薬師様へのお礼参りをかねて奈良へ行くのを楽しみにしていたところ、天気予報に8日土曜、9日の日曜も雨との事に止むを得ず中止せり。明けて9日の早朝、奈良薬師様御来臨下され、私も皆様をお待ちしていたが、雨で風邪ひいてもいかんし、傘持って大変だから行かなかったほうがよかった、とのお話があった。

昭和60年 6月10日
同居中の娘の二男、中学の修学旅行で東京へ行くのにお小遣い制限あるも、千円だけ渡して食あたりせぬ様に、との事と仏のお告げあり。

昭和60年 7月2日(火)
2、3日前に青野のお薬師様からお誘いがあったので、午後1時半ごろから参詣。くもり空だったが雨降らず夕方帰宅してから降る。

昭和60年 7月23日 午前1時50分頃
 甚目寺観音様
 近いうちに石山観音様へお参りになるそうだが、石山観音様は一番尊い仏様だ。その時、甚目寺、笠寺観音様も御一緒におまいりさせてもらうとのお話あり。

昭和60年 7月30日(火)
待望の石山観音様へ参拝。自動車運転の都合でいつも火曜日なるが、甚目寺観音様が御礼に御来臨下される。

昭和60年 9月3日
 しばらくお話なかりしも、このごろ台風の関係で残暑きびしく熱帯夜つづく。
 こちらも暑いし、連日雨降って台風の影響で暑いので病人があるので、お参りする人が多い。皆さん御元気で結構です。これから食中毒で病気おきるから気をつけて下さい、との御伝言あり。

昭和60年 9月17日 朝
青野薬師様御来臨。15日は敬老会で小学校で祝金と祝品をもらう。
 林と娘、矢野夫婦と車で青野薬師様と谷汲観音様に参詣。くもり空だったが、雨は降らなかった。明けて早朝、青野薬師様のお話に、今日はお参り下さって有難うございました。天気都合もよくて、帰られた後に雨降りになっとのことであった。


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