涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

116日目 説明⑦“三車火宅”、“長者窮子”

2022-03-16 17:42:13 | 宗教
第116回 解説⑦“三車火宅”、“長者窮子”

ネット版、改訂版のタイトルでは、昭和8年3月4日の第2回が“三車一車”になっているが、清書版では、“三者(車)一者(車)”となっており、続いて「譬喩品の事ならん」と喋っている。その後、話は法華経の“長者窮子”へと内容が変わっているが、法華七喩の譬喩品第三は“三車火宅”の喩であり、“長者窮子”は信解品第四の喩である。岩波文庫の「法華経(上)」によると、“三車火宅”の喩は「三車一車の喩」「火宅の喩」とも言われているらしく、祖父は“長者窮子”の話をしたつもりであったと思う。この日は、最後まで三車一車の有難みについて語っていることから、明らかに“長者窮子”の話を“三車火宅”と間違えたと思われる。

法華経に登場する順番上、“三車火宅”から説明したい。これについては、昭和7年第10回の5月21日に“火宅”というタイトルで書かれている。夕方6時半、生まれたばかりの長女を抱きながらトランス状態に入って喋り出している。20行弱の短い文章ではあるが、前述の文庫本「法華経(上)」の現代語訳では40ページ近くある。内容は、「この家ははるか昔に建てられたもの」など一致点が多い。前者での三車は「牛車も羊車も貨車もある」となっているが、後者では「牛の車や山羊の車や鹿の車」とあり、また後者には箪笥や長持は出てきておらず、若干の相違はある。子供たちを救出するのに嘘を言ったことをどう思うかと舎利弗に問うたところも同じである。祖父の話は、「大白牛車について話すには勿体ない事がある、その事は十に分けて話す事が出来る。」で終わっているが、ネットで日蓮宗の法華経についての解説を見てみると、牛車=菩薩乗、山羊車=声聞乗、鹿車=縁覚乗、大白牛車=真実の教え(法華経)となっており、祖父は法華経の有難さを伝えようとしていたように思う。

一方、昭和8年3月4日に“三車一車”のタイトルで語られた話は、午後8時40分、二階から降りてきて炬燵に入り、すぐに寝入ったようで、大声の寝言で話が始まっている。法華経の“長者窮子”、信解品第四は、『声聞たちでも、この上なく完全な「さとり」が得られる』と聞かされて感動した四人の長老が釈尊に語った喩である。息子が行方不明になったこと、家を訪れた息子を一目みて自分の子供と気づいたこと、息子を便所掃除に就かせたことなど一致点が多い。3月4日の話では、「二三の召使が汚い服装で(息子に)近づいた」とあるが、信解品第四では「貧相な二人の男」に息子を迎えに行かせたとある。ネットでの法華経の解説を見ると、この「二人の男」が小乗、阿含経を表しており、諸大乗経で漸次教導し、般若経が家業を委ねる(小乗の人が大乗を説く)ことで、父子の血統を明かして相続することが法華経による二乗作仏(声聞・縁覚が成仏を釈尊に保証されること)とある。まあ祖父の話も、「貧窮二つの小乗あって自然に大乗に当る」と締め括っていることから、「小乗よりは大乗」で一致する。

林領一は、「前世は高僧であった」と語っており(下記の説明の通り)、浄土真宗と所縁が深かったと思われるが、浄土真宗では法話くらいでしか聖道門である法華経のことは勉強しないのではないかと思う。そのため、“三車一車”と“長者窮子”がゴッチャになったという、この本では珍しいことが起ったのだと推測している。


昭和5年11月23日の記事は、このブログの51日目に記載していますが、その前日に語られた話(“女人成仏”)の終りと部分と、11月24日に語られた話(“唯物是真”)の最初の部分が欠落していることに気が付きました。細切れで掲載しているので、大変読みにくいと思いますが、機会があれば昭和56年発刊の元本すべてをネットにでも公表したいと考えています。m(__)m

【昭和5年11月22日の続き】
(祖父) よう聞いて下されたなあ、御苦労様であったなあ、わしも忙しいで御無礼しましょう。
(〇)お祖父様御帰りでございますか、御祖父様さようなら さようなら。(なつかし気に)
     午後9時34分
  ああえらかったなあと云って今迄の事を知らざるものの如し
 それから、しばらくして
     午後10時15分
 御浄土へ亡祖母の案内にて入定。翌朝午前一時帰還せられたり。其の間地蔵さんの御守り入定中の事は御勿体なさに記載を省く。
 覚醒後 過去の話
  「自分はずっと以前、前世の時に高僧に生れて多くの衆生を済度した。あれから長らく浄土に居て、此度済度の為出て来れり。」
 睡眠中の法話は前生の時に覚えた事が多少あるならん。無論、今生仏の御教示による事は勿論なり

【昭和5年11月24日月曜日午後の最初の部分】
 竹鼻地蔵猿投へ再御苦労の御事
 親戚の者二人参詣、一同二階へ上り御待ち申し居るとやがて
  其の光明に接しても……
(仏) 今日わし行って来た(猿投の親戚の家の事)豆でやって居るで心配せんでも良い、心配しからかいて(母が非常に心配して居た)いい位の心配して大悲大悲の阿弥陀様どれ位御苦労か分らぬ勿体ない事です。
(〇)そうですか 有難うございました。
(仏) 又今度の日曜位に来るわ(本日書面に今度日曜日に来るとの通知有り)
  又とないこの光明に浴したい様な気で帰って来るわ。
  又縁が
  ふうん ふうん