年度末の人事異動で、土日出勤が増えてしまい、またまた山には行けず仕舞い。
それで今回は本の紹介をすることにした。祖父母の書いた本の未公開部分を細切れで掲載してきたが、やはりこのような現象に対しての自分なりの解釈や、してきた調査を提示することは大事なことと思う。
昔からネス湖の恐竜や古代文明の話し、UFO体験など超常現象と言われるものはあまたあるが、心霊現象もその一つである。ただ人間にとって自然の脅威や生老病死に関わる問題は、その存在を脅かす出来事であり、これを克服するためにも宗教は欠かせないものである。信仰は人間に備わった本能のようなものであり、人々の願望が心霊現象を生み出す可能性はアプリオリにあり得るものと思う。
従って心霊現象を観察する者は、前提条件をわきまえて現象を厳密に観察する必要があるし、報告する場合は自己の内面を見つめて細心の注意を払い、人心を惑わす可能性があるため崇高な道徳心が要求されると思う。
と、前置きは長くなったが、最近の読書で信憑性が高いと思った本の紹介。
著者の矢作氏は有名大学の教授であった。医師であり、科学者でもある著者が霊媒を通して体験した亡き母親と思われる存在を認識したという報告は、信憑性が高いものと思う。霊媒は居たが、母親の存在を認識したというのは著者にしか分からない個人的体験である。本当かどうかは体験した個人にしか分からず、こんなことは科学的に起こり得ないと感じるのもまさにその個人である。同じような経験をした人は星の数ほどあり、問題は“個人的体験”がいつまでも“個人的・・・”に留まっているところにある。
1900年前後の欧米では、スピリチュアル・ブームが湧き起こり、今から振り返れば「本当にあったことではないか」と思わせるような事例が山ほどある。当時経験した人たちは個人ではなく、ある程度地域を巻き込んだ集団ではあったが、時代が過ぎると過去のものとなり、個人的経験が集団的経験になっただけで、今の我々がその信憑性を確かめるスベがない。
科学の本質はその再現可能性にある。一定の条件が整えば世界のどこの場所でもいつの時代でも同じ現象が再現できるからこそ「現象が、現実に存在することで真実である」と言うことが出来る。この意味で、心霊現象は科学の対象にはなり得ていない。
では永遠にこんなことが続くのか??それで表紙に掲載した「マイナスエネルギー・・・」という本の紹介。著者の小栗氏は精神科医であり、「24人のビリーミリガン」で有名になった多重人格障害の治療を専門とする開業医である。内容は専門的で分かりにくいところもあるが、多重人格の治療法であるEMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing)を施行中に、本人の人格ではない人格が出現してきた。別の症例で知り合いになった霊媒師の力を借り、この別人格の治療にも成功するという話しである。
EMDRだけではなく、著者が開発したUSPT(Unification of Subconscious Personalities by Tapping Therapy)でも多重人格の治療ができるようであるが、面白いのはその作用機序である。私の考えでは、手が込んで時間のかかる催眠と同様の機序、つまり意識の集中でトランス状態ないしは特殊な意識状態に被験者を誘導することで多重人格や別人格が出現し、その治療を行うことが出来るという機序があると思う。
実際、欧米だけではなく日本国内でも催眠療法による退行、もしくは前世療法と言われているものが、臨床心理士や医師により実施されている。ここでいう前世、すなわち被験者の魂?が今世に生まれる前にも存在したという理屈は、霊魂を信じる精神科医の中でも反対するものはあるが(『前世を記憶する子どもたち』の著者など)、まだまだ報告や実践を集積する時期にあると思う。
未知の体験を、個人的経験から科学のレベルへ。涅槃はまだ遙か先にある!!
第61回は『女召使い』、62回は『七輪』、64回は『無碍』というタイトルで新版に掲載されています。
第63回 昭和6年7月13日(午後8時50分)
○ 何を見ても感謝せないかん事ばかりじゃ。新鮮な空気を我々与えて呉れて景色のよい所や、春夏秋冬様々の気候を与えてくれるのに何一つ感謝せずには居られません。それだのに二日も雨降る事なら「よう降るなあ」と叱言を云うのに十日天気が良くても左程感謝もしない、又却って「よく日照りが続く」と云って何一つ満足しない、自然の恩恵に浴して居り乍らどうして勝手な事云えましょうかな。一日、何の変りなく過さして頂いた事をお天と様に向って感謝せななりません。少しも不必要な事なく一様に自然の恩恵を与えなされた、そして不平云う人は何時も不平云う、勿体ない事じゃ、そうして現世も未来もお守を受けて日々こうして満足に自然の恩恵ばかりでなし行先は少しでも世の中に尽し少しでも悪から遠ざかりたくとも其処には現世に於ける恩恵以外に何物かが………
我々の祖先我々のみ親様がお憐み下されて陰の如くおつきになって罪業も………
考えた時自然に感謝せずに居られない。
第65回 昭和6年8月7日(午後10時35分)
○ 生きて行く事は非常にむつかしいが………よいのであるが、そこにお互いに喜びがない即ち安定が得られない。扨て、自分自身に今迄やり来た事を考えると行先が非常に危まれるから死んで行く事が非常に悲しい。
もう一つは生きていきたいと云うのが其の人の念願で、其の二つの場合を考えると生きて行く人は少し………
第66回 昭和6年8月11日
昨年11月末頃量子は仏から房々した毛の女の子を授かりし夢を見て「今竹鼻地蔵様より丸裸の女子を手渡して貰った」と家人に告げたり、其の霊告以来懐妊の兆現われたり、次第に月満ちて本日は其の臨月となれり、親戚の者と長良河畔納涼台へ行き夕刻帰宅せり、然るに俄かに産気づき安々と玉の様なる女の児を安産なす。出産の朝方量子の夢に自分と林の口から光明が輝いた事を夢とも現ともなく実感さして頂き産期の近付きたるをお知らせなりしなり、出産の直後母二階へ上り行きたるにふと林目覚めて、
○ 今頭の髪の毛の房々した女の児が来た。
母よりその由を告ぐるに
○ そうか
と云わる(出産前から衣類万端それに名前までも女児の用意をしていた)
それで今回は本の紹介をすることにした。祖父母の書いた本の未公開部分を細切れで掲載してきたが、やはりこのような現象に対しての自分なりの解釈や、してきた調査を提示することは大事なことと思う。
昔からネス湖の恐竜や古代文明の話し、UFO体験など超常現象と言われるものはあまたあるが、心霊現象もその一つである。ただ人間にとって自然の脅威や生老病死に関わる問題は、その存在を脅かす出来事であり、これを克服するためにも宗教は欠かせないものである。信仰は人間に備わった本能のようなものであり、人々の願望が心霊現象を生み出す可能性はアプリオリにあり得るものと思う。
従って心霊現象を観察する者は、前提条件をわきまえて現象を厳密に観察する必要があるし、報告する場合は自己の内面を見つめて細心の注意を払い、人心を惑わす可能性があるため崇高な道徳心が要求されると思う。
と、前置きは長くなったが、最近の読書で信憑性が高いと思った本の紹介。
著者の矢作氏は有名大学の教授であった。医師であり、科学者でもある著者が霊媒を通して体験した亡き母親と思われる存在を認識したという報告は、信憑性が高いものと思う。霊媒は居たが、母親の存在を認識したというのは著者にしか分からない個人的体験である。本当かどうかは体験した個人にしか分からず、こんなことは科学的に起こり得ないと感じるのもまさにその個人である。同じような経験をした人は星の数ほどあり、問題は“個人的体験”がいつまでも“個人的・・・”に留まっているところにある。
1900年前後の欧米では、スピリチュアル・ブームが湧き起こり、今から振り返れば「本当にあったことではないか」と思わせるような事例が山ほどある。当時経験した人たちは個人ではなく、ある程度地域を巻き込んだ集団ではあったが、時代が過ぎると過去のものとなり、個人的経験が集団的経験になっただけで、今の我々がその信憑性を確かめるスベがない。
科学の本質はその再現可能性にある。一定の条件が整えば世界のどこの場所でもいつの時代でも同じ現象が再現できるからこそ「現象が、現実に存在することで真実である」と言うことが出来る。この意味で、心霊現象は科学の対象にはなり得ていない。
では永遠にこんなことが続くのか??それで表紙に掲載した「マイナスエネルギー・・・」という本の紹介。著者の小栗氏は精神科医であり、「24人のビリーミリガン」で有名になった多重人格障害の治療を専門とする開業医である。内容は専門的で分かりにくいところもあるが、多重人格の治療法であるEMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing)を施行中に、本人の人格ではない人格が出現してきた。別の症例で知り合いになった霊媒師の力を借り、この別人格の治療にも成功するという話しである。
EMDRだけではなく、著者が開発したUSPT(Unification of Subconscious Personalities by Tapping Therapy)でも多重人格の治療ができるようであるが、面白いのはその作用機序である。私の考えでは、手が込んで時間のかかる催眠と同様の機序、つまり意識の集中でトランス状態ないしは特殊な意識状態に被験者を誘導することで多重人格や別人格が出現し、その治療を行うことが出来るという機序があると思う。
実際、欧米だけではなく日本国内でも催眠療法による退行、もしくは前世療法と言われているものが、臨床心理士や医師により実施されている。ここでいう前世、すなわち被験者の魂?が今世に生まれる前にも存在したという理屈は、霊魂を信じる精神科医の中でも反対するものはあるが(『前世を記憶する子どもたち』の著者など)、まだまだ報告や実践を集積する時期にあると思う。
未知の体験を、個人的経験から科学のレベルへ。涅槃はまだ遙か先にある!!
第61回は『女召使い』、62回は『七輪』、64回は『無碍』というタイトルで新版に掲載されています。
第63回 昭和6年7月13日(午後8時50分)
○ 何を見ても感謝せないかん事ばかりじゃ。新鮮な空気を我々与えて呉れて景色のよい所や、春夏秋冬様々の気候を与えてくれるのに何一つ感謝せずには居られません。それだのに二日も雨降る事なら「よう降るなあ」と叱言を云うのに十日天気が良くても左程感謝もしない、又却って「よく日照りが続く」と云って何一つ満足しない、自然の恩恵に浴して居り乍らどうして勝手な事云えましょうかな。一日、何の変りなく過さして頂いた事をお天と様に向って感謝せななりません。少しも不必要な事なく一様に自然の恩恵を与えなされた、そして不平云う人は何時も不平云う、勿体ない事じゃ、そうして現世も未来もお守を受けて日々こうして満足に自然の恩恵ばかりでなし行先は少しでも世の中に尽し少しでも悪から遠ざかりたくとも其処には現世に於ける恩恵以外に何物かが………
我々の祖先我々のみ親様がお憐み下されて陰の如くおつきになって罪業も………
考えた時自然に感謝せずに居られない。
第65回 昭和6年8月7日(午後10時35分)
○ 生きて行く事は非常にむつかしいが………よいのであるが、そこにお互いに喜びがない即ち安定が得られない。扨て、自分自身に今迄やり来た事を考えると行先が非常に危まれるから死んで行く事が非常に悲しい。
もう一つは生きていきたいと云うのが其の人の念願で、其の二つの場合を考えると生きて行く人は少し………
第66回 昭和6年8月11日
昨年11月末頃量子は仏から房々した毛の女の子を授かりし夢を見て「今竹鼻地蔵様より丸裸の女子を手渡して貰った」と家人に告げたり、其の霊告以来懐妊の兆現われたり、次第に月満ちて本日は其の臨月となれり、親戚の者と長良河畔納涼台へ行き夕刻帰宅せり、然るに俄かに産気づき安々と玉の様なる女の児を安産なす。出産の朝方量子の夢に自分と林の口から光明が輝いた事を夢とも現ともなく実感さして頂き産期の近付きたるをお知らせなりしなり、出産の直後母二階へ上り行きたるにふと林目覚めて、
○ 今頭の髪の毛の房々した女の児が来た。
母よりその由を告ぐるに
○ そうか
と云わる(出産前から衣類万端それに名前までも女児の用意をしていた)