涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

75日目

2018-04-01 10:31:06 | 読書
年度末の人事異動で、土日出勤が増えてしまい、またまた山には行けず仕舞い。

それで今回は本の紹介をすることにした。祖父母の書いた本の未公開部分を細切れで掲載してきたが、やはりこのような現象に対しての自分なりの解釈や、してきた調査を提示することは大事なことと思う。

昔からネス湖の恐竜や古代文明の話し、UFO体験など超常現象と言われるものはあまたあるが、心霊現象もその一つである。ただ人間にとって自然の脅威や生老病死に関わる問題は、その存在を脅かす出来事であり、これを克服するためにも宗教は欠かせないものである。信仰は人間に備わった本能のようなものであり、人々の願望が心霊現象を生み出す可能性はアプリオリにあり得るものと思う。

従って心霊現象を観察する者は、前提条件をわきまえて現象を厳密に観察する必要があるし、報告する場合は自己の内面を見つめて細心の注意を払い、人心を惑わす可能性があるため崇高な道徳心が要求されると思う。

と、前置きは長くなったが、最近の読書で信憑性が高いと思った本の紹介。


著者の矢作氏は有名大学の教授であった。医師であり、科学者でもある著者が霊媒を通して体験した亡き母親と思われる存在を認識したという報告は、信憑性が高いものと思う。霊媒は居たが、母親の存在を認識したというのは著者にしか分からない個人的体験である。本当かどうかは体験した個人にしか分からず、こんなことは科学的に起こり得ないと感じるのもまさにその個人である。同じような経験をした人は星の数ほどあり、問題は“個人的体験”がいつまでも“個人的・・・”に留まっているところにある。

1900年前後の欧米では、スピリチュアル・ブームが湧き起こり、今から振り返れば「本当にあったことではないか」と思わせるような事例が山ほどある。当時経験した人たちは個人ではなく、ある程度地域を巻き込んだ集団ではあったが、時代が過ぎると過去のものとなり、個人的経験が集団的経験になっただけで、今の我々がその信憑性を確かめるスベがない。

科学の本質はその再現可能性にある。一定の条件が整えば世界のどこの場所でもいつの時代でも同じ現象が再現できるからこそ「現象が、現実に存在することで真実である」と言うことが出来る。この意味で、心霊現象は科学の対象にはなり得ていない。

では永遠にこんなことが続くのか??それで表紙に掲載した「マイナスエネルギー・・・」という本の紹介。著者の小栗氏は精神科医であり、「24人のビリーミリガン」で有名になった多重人格障害の治療を専門とする開業医である。内容は専門的で分かりにくいところもあるが、多重人格の治療法であるEMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing)を施行中に、本人の人格ではない人格が出現してきた。別の症例で知り合いになった霊媒師の力を借り、この別人格の治療にも成功するという話しである。

EMDRだけではなく、著者が開発したUSPT(Unification of Subconscious Personalities by Tapping Therapy)でも多重人格の治療ができるようであるが、面白いのはその作用機序である。私の考えでは、手が込んで時間のかかる催眠と同様の機序、つまり意識の集中でトランス状態ないしは特殊な意識状態に被験者を誘導することで多重人格や別人格が出現し、その治療を行うことが出来るという機序があると思う。

実際、欧米だけではなく日本国内でも催眠療法による退行、もしくは前世療法と言われているものが、臨床心理士や医師により実施されている。ここでいう前世、すなわち被験者の魂?が今世に生まれる前にも存在したという理屈は、霊魂を信じる精神科医の中でも反対するものはあるが(『前世を記憶する子どもたち』の著者など)、まだまだ報告や実践を集積する時期にあると思う。

未知の体験を、個人的経験から科学のレベルへ。涅槃はまだ遙か先にある!!


第61回は『女召使い』、62回は『七輪』、64回は『無碍』というタイトルで新版に掲載されています。

第63回 昭和6年7月13日(午後8時50分)
○ 何を見ても感謝せないかん事ばかりじゃ。新鮮な空気を我々与えて呉れて景色のよい所や、春夏秋冬様々の気候を与えてくれるのに何一つ感謝せずには居られません。それだのに二日も雨降る事なら「よう降るなあ」と叱言を云うのに十日天気が良くても左程感謝もしない、又却って「よく日照りが続く」と云って何一つ満足しない、自然の恩恵に浴して居り乍らどうして勝手な事云えましょうかな。一日、何の変りなく過さして頂いた事をお天と様に向って感謝せななりません。少しも不必要な事なく一様に自然の恩恵を与えなされた、そして不平云う人は何時も不平云う、勿体ない事じゃ、そうして現世も未来もお守を受けて日々こうして満足に自然の恩恵ばかりでなし行先は少しでも世の中に尽し少しでも悪から遠ざかりたくとも其処には現世に於ける恩恵以外に何物かが………
我々の祖先我々のみ親様がお憐み下されて陰の如くおつきになって罪業も………
考えた時自然に感謝せずに居られない。

第65回 昭和6年8月7日(午後10時35分)
○ 生きて行く事は非常にむつかしいが………よいのであるが、そこにお互いに喜びがない即ち安定が得られない。扨て、自分自身に今迄やり来た事を考えると行先が非常に危まれるから死んで行く事が非常に悲しい。
もう一つは生きていきたいと云うのが其の人の念願で、其の二つの場合を考えると生きて行く人は少し………

第66回 昭和6年8月11日
 昨年11月末頃量子は仏から房々した毛の女の子を授かりし夢を見て「今竹鼻地蔵様より丸裸の女子を手渡して貰った」と家人に告げたり、其の霊告以来懐妊の兆現われたり、次第に月満ちて本日は其の臨月となれり、親戚の者と長良河畔納涼台へ行き夕刻帰宅せり、然るに俄かに産気づき安々と玉の様なる女の児を安産なす。出産の朝方量子の夢に自分と林の口から光明が輝いた事を夢とも現ともなく実感さして頂き産期の近付きたるをお知らせなりしなり、出産の直後母二階へ上り行きたるにふと林目覚めて、
○ 今頭の髪の毛の房々した女の児が来た。
 母よりその由を告ぐるに
○ そうか
 と云わる(出産前から衣類万端それに名前までも女児の用意をしていた)

18日目 浄土への道標

2016-07-11 12:24:15 | 読書
久しぶりの投稿。幼い頃から数学は好きで放っといても勉強したが、国語は嫌いで、特に純文学を読むと頭が痛くなるタイプであった。

そのためもあり、文章を書くのはあまり好きではない。で、投稿も間隔があいてしまった。

今日はこのブログのタイトルのモデルになった『浄土への道標』という本。ネットでも検索可能だが、私の祖父・祖母が著したものである。それを親戚が編集して出版し直した。ネットでも検索可能で、購入できる。

私は根っからの科学者で、私の辞書には“信じる”という言葉がない。「世の中の事象はすべて知覚して体験できるか、観察・観測できるものであり、それ以外のものは存在しない。(まあ、存在しないも同然と読み直してもいいでしょう)

知り合いに“霊”が見えるという男性がいた。これも何かの縁?と思い、その知り合いに『浄土への道標』の元本をワープロで打ち直し、転送した。それを上記親戚にも転送し、その一部が抜粋されて再出版になったもので、元本の全文が載っている訳ではない。

50年以上の前の話しで、版権も切れている?と思うので、ブログに書くこともないし、ちょっとずつ残りを公開して行こうと思う。

数年前に酒を飲みながらワープロを打ち、ロクに読み直しもしていないので、誤字・脱字があると思うが、タダなので多目に見て頂きたい。

この現象については、今のところ「解明できていない」としか言いようがない。祖父母のことはよく知っており、そんなに熱心な信者でもなかったし、嘘をつくような人たちではなかった。

【『浄土への道標』には抜粋されていない本文】
第6回 昭和5年9月25日 午後12時より10分間
 今日、早3日も御無沙汰してお参りもしなかったので是非とも参ると云って出掛けたが途中で友人と合って好きな麻雀をして居る間に約束の弥八のお地蔵様に参る事も叶わず、家に帰って語って居る間にうつらうつらして、
○ 今日で三日も御無沙汰しておってすみません、そうですか、どうも自分の心がとがめて、今日は早うから家え来て待って居って下さったのに悪い事をして遊んでおって、はい、子供達がお勤め(お経を読むこと)をしました。あの時、来て頂いたのですか、ああ、勿体ない。明日は是非お参りさせて貰います。子供達はお経は知らぬが、皆んな喜んでいます。おっしゃる通り節も何んにも知らんけれど、心だけ喜んでくれる。長い事待った居て下さってすみません。もうお帰りですか、皆んな寝て居てすみません。
 本日朝から雨降りなりしも、学校にて某氏の病気見舞に行く様申されしを幸い、かねてより本巣郡鷺田村呂久の渡しに、皇女和の宮様の御碑面に上半身の御姿が拝めると云う事が9月16日の岐阜民友新聞に掲載されて居たので、一度参詣したい心組の処、本日を幸い参詣なす。
○ 雨が昼頃から止むと思って居たのに私の為に天気にして下さって、和の宮様の御姿を親しく拝ませて貰って、皆んなが分らぬ分らぬと云っていまして、凡夫は情け無い、自転車はひとりでにふらふら走って行って有難いものでした。もうお帰りですか?
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
あなたにこうして御目にかかって居ると、嬉しくて嬉しくて、どうか今晩の処御許し下さい。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
おお目連尊者、阿難尊者が立っておいでなさる、皆お嘆きじゃわ、此の方が目連尊者こちらのお方が阿難尊者、御釈迦様の御臨終の時に総ての動物が嘆き悲しんで居る。大きな蛇、ねずみ、象も泣いて居る、向うの方で大きな虎がないて居る、高い空には名も知らぬ綺麗な鳥、一寸見た事無い諸々の生物は皆悲しんで居る。嬉しい身体にして頂いて有難い事だ 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。
目覚めて後、線香臭い抹香の香りがすると申された。

9日目 Erasing Death

2016-01-31 15:44:28 | 読書
今日、日曜日。せっかくカメラを持って出かけようと思っていたが、兄貴から読書を勧められた。

2013年にアメリカで出版された本のようであるが、まだ日本語訳がないらしい。うちの兄貴、超宗教好きで「霊魂(=魂?)の存続を確信している」と言い切る御仁だけに、科学者の私とはいつも意見がブツかる。救急医が経験した、いわゆる臨死に関わる本のようで、一応読破して相手を論駁しないといけないのは面倒だけど、多少の英語の勉強になるかとは思う。

散歩から読書へ、遅々として前進していないが、人生こんなもんでしょう。そうそう、直訳すると「死を消す」だけどもう少しカッチョいい訳を考えましょう。