涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

124日目 説明⑯“聖道門と浄土門(2)”

2022-12-18 10:13:21 | 宗教
123日目で説明したように、“聖道門と浄土門”の二回目の話しは、昭和5年第49回の11月14日夜に始まっている。清書版の始まりは短い。

 聖道門と浄土門との御説教(続き)

宵に(量子の)母一人でひねっている。量子草臥れてうとうとしている間 別に何のお話しもなかりし由。
起こされて目を覚ます。△△(柳ケ瀬)の来らるるのを御待兼だったかの如く室に入り床につくとすぐにお話声あり

以下、ネット版・改訂版の本文が続く。

 “聖道門と浄土門”についての理解は、浄土教では後者が重要なのは明らかであるが、林領一も話をしながら「迷って来た」との発言があるように、昭和5年第46回目と49回目の記事でも寝言の速記のためもありなかなかその内容が分かりづらい。それで、46回目11月10日にその説明のために引き合いに出された“刈萱(かるかや)道心と石堂(いしどう)丸”、“山伏弁円”、“日野左エ門の御教化”の説話を調べてみた。

【刈萱道心と石堂丸】
・13世紀頃、仏教説話として語られるようになり、様々なバリエーションがあるらしいが、本家本元と思われる高野山刈萱堂で購入した“刈萱と石堂丸絵傳”(著者は徳富元隆、発刊は大正13年前後と思われる)からその話の概要をまとめてみた。
・今から800余年前、筑前の守護職加藤兵衛尉繁昌が、「石堂川の地蔵堂にある石を妻に与えよ」との夢のお告げにより、やっと授かったのが繁氏、こと刈萱道心である。
・繁氏はある武将の娘桂子姫を妻に迎えたが、たまたま出会った亡き父の友の娘である千里姫の美しさに引かれ、妾にした。
・千里姫は繁氏の子供(石堂丸。ちなみに繁氏の幼名でもある)を懐妊していたが、桂子姫による暗殺計画を知って、侍女の兄の住む播州に身を隠した(この時、桂子姫の部下が「忠義のためなら命を捨てる」と言う別の娘の首を、念仏を唱えつつはねている。後にこの部下も出家)。
・もともと世の無常を感じていた繁氏は、桂子姫の部下に事情を聞いてから自分の不徳を恥じ、出家を決めた。桂子姫は夫の出奔に恨み悶え、その後に狂い死にした。
・高野山で「一旦捨てた浮世には思いをかけぬ」を誓い、覚心上人の弟子となり、円空坊等阿と名乗った。この時、繁氏21歳。
・夫や父を慕う気持ちから、千里姫は14歳の石堂丸を連れて高野山へと向かった。
・高野山の麓に辿り着いた二人であるが、女人禁制のため石堂丸だけが山を登った。
・石堂丸は奥の院で出会った僧侶(繁氏)に父の所在を尋ねたが、「繁氏は先日亡くなった。」と言われ、その墓を示された。石堂丸は「余りに嘆くは父君の後生のさまたげになる。母親を大切に」と諭され、下山した。繁氏は数珠をつまぐり合掌して見送った。
・麓に降りると母は既に32歳で亡くなっており、山で会った親切な僧侶を頼りに再度高野山に登った。
・石堂丸は刈萱堂で繁氏の弟子となって出家したが、ついぞ実の父親であることは知らされなかった。
・繁氏は、親子地蔵尊を製作・入魂して、厄除けとして堂内に設置した。


【山伏弁円のご済度】
・覚如上人の『親鸞聖人伝絵』に書かれているが、親鸞聖人が関東でのご教化の頃の話であり、日野左エ門とほぼ同時期の説話である。
・仏法に怨を持っていた山伏弁円は、親鸞聖人に危害を加えようとして板敷山々中で待ち伏せしていたが、どうしても会うことが出来なかった。
・刀杖を手にはさみ、自から聖人のいる稲田の草庵に押し入った。
・聖人は、ためらいなく弁円の前に出られた。それを見た弁円は、親鸞を殺害しようという気持ちが忽ちなくなってしまう。

【日野左エ門の御教化】
・ネットで調べてみると、茨城県陸奥の枕石寺がヒットした。この寺は関東の真宗二十四輩と言われる鎌倉時代からの古寺であり、開基が入西房道円こと日野左衛門尉頼秋である。明治44年発刊の佐竹智應編『御開山聖人御傳記繪鈔』に詳しく書かれているので、それを要約する。
・日野左衛門尉頼秋は時に遇わず、流浪して常陸国に至る。1216年11月夜、親鸞聖人一向が雪の中を訪れ、宿を請うた。
・断られた聖人一向は、門前の石を枕にして横になっていたが、夫婦そろって有難い夢を見た日野左衛門は驚愕し、一向を棲家に招き入れた。
・聖人の他力本願の教えを聞いた夫婦は立ち所に信者となり、日野左衛門は入西房道円と名乗った。

刈萱道心は京都・黒谷の法然聖人の元で弟子になった、など逸話にはバリエーションはあるが、高野山の絵伝を元にすると、出家して世俗を完全に捨てるというところは聖道門に通じる。一方、“山伏弁円”“日野左エ門”はともに親鸞聖人の関東ご布教時代の話であり、仏道と世俗との共存を説く浄土門の話であろう。祖父・林領一も聖道門と浄土門との説明に迷いがあったように、世俗として過ごしながら仏道に則った生活を送ることは極めて難しいことなのであろう。末法の世の中(仏法の教えだけが残る時代)では、我々凡夫には浄土門でしか救われない、極楽往生出来ないことが浄土教の教えであるが、阿弥陀如来の本願だけを信じることの難しさを伝えているように思う。

今回も前回と同様、仏典の出所についての記述はほぼしていない。仏教的な説明はあと数回で終わる予定であり、その後はこのブログで記載してきた現象の脳科学的、精神医学的な説明を行い、次に高校レベルの知識から現在勉強している物理学の視点ではどのような仮説が立てることが出来るかを述べていきたい。ただ後者については、健忘、記銘力低下、判断・理解力低下などの老化現象および寿命との競争になるため、保証は出来ません。