涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

109日目 びわ湖バレー②

2020-02-24 19:47:38 | スポーツ
暖冬ではあるが、この時期は旅館に宿泊し、2日目にスキーに行くことに(昨年から)していた。

前回95日目と同様、“ことゆう”に泊り、隣りにあるスパ“あがりゃんせ”で温泉・食事などを楽しんだ。


びわ湖バレーのある蓬莱山、打見山の遠景。1100mくらいの山であるが、琵琶湖も標高があるためかそれほど高くは見えない。


ゴンドラで山頂に着く。雪が少なく、ほとんどが人工雪でおおわれており、ゲレンデも3分の2しか稼動していなかった。と言っても、下手た私にとっては初級~中級コースを滑るので十分であったが。打見山から蓬莱山を望む。


今日は天気が良く、琵琶湖、周囲の山々が綺麗に眺めれた。


前回にもアップした山頂のメイン施設。雪の少なさが良く分かる。


最後はゴンドラと蓬莱山。絵になりそうな景色を表紙にした。


昭和60年 10月31日(木)午前
 矢野さんの車で午前10時頃、林、量子、矢野夫妻4人で青野薬師様へ。天気都合もよく、御礼参りなす(60年10月17日 仏壇のお姿)

 天気よくて秋晴れでよくお参り下さった。午後4時頃から降り出した時雨。息子さんの病気引き受けました(長男入院)。他の方々にもよろしくと御伝言。

昭和60年 11月3日 文化の日
 娘夫婦、多田薬師様参拝。翌々日早朝のお話(5日)
 天気都合よく、お遠い所をお参り下さって有難うございました。団体のお参りも沢山あってお出での節はお迎えにいったがお帰りの時はお送りしませんでした。娘、行きに三方五湖の付近で身体がすっとして予感があった。虚空蔵様の上に青野のお薬師様がおうつりになって、何だか聞いた事もない……浄姿御出現になてtおしあわせの事です。(仏壇の中に虚空蔵様、青野薬師様御出現)息子さんの病気放っておいたらふえるから、手術されて全快される様お祈りします(長男胆石)。

昭和60年 11月13日(水)午前1時頃
 一畑薬師様御来臨
 お参りに行こうとしたら、こちらはみぞれが降って寒いから……南と北とでは気候が違うので裏日本の方は寒いので病人が多く信仰心があつい。量子の病気は神経痛で色々のところが痛いのじゃ。日中陽にあたる時は縁側に出て、日光浴や庭の散歩された方がよい。

昭和60年 11月23日・24日
 2日続きの連休を利用して、同居の娘夫婦、島根県の一畑薬師に参詣。途中何台もの参詣バスに出会ったと帰って話す。

昭和60年 11月25日 朝2時頃
 一畑薬師様御来臨あり。お話下さったけど量子筆記出来ず改めて後からうかがう。
 しばらくお目にかかりませんでしたが、昨日は娘さん夫婦お遠い所をわざわざお参り下さって有難う。今迄にないよいお天気でよかったですね。奈良へお参りになって薬師様も喜んでみえた。息子さんの病気、胆石の手術後の経過もよく、段々とよくなられる。之から寒くなるから風邪ひかれん様お守りさせて頂きます。お参り下さった娘さん夫婦によろしくお伝え下さい。

昭和60年 12月17日 朝1時25分
 一畑薬師様御来臨。前夜11時頃就寝。
 南無阿弥陀仏南……南……。しばらくお会いしませんでしたが、めっきり寒くなりました。お変わりなくて何よりです。この頃お歳暮に鮭を送ってきたので、それを料理していて右手にうっ血できる。それを御覧になって、手悪いことでしたね(内出血)あなたはそんなことさせる人じゃない。一本一本仏が宿ってみえる方でそんな事してもらう人じゃない。あなたの手はふっくらとして大きい。指一本、一本お徳がある。普通の方より大きくて柔らかい。その手で私の代わりに病気を、長男の手術をするのをお守り下さったのじゃ。私から云わせれば、一本、一草皆仏じゃ。この頃中、林の右手がしびれていたのは、長男の入院手術の為でした。退院できたら、右手の中指のしびれが治ってきた。(12月12日退院)
 話変わるが、長男の家に12月15日孫出産の喜びあり。男の子で我々から云うと初めての曾孫なり。それについて、ええひい孫さんが生まれてよい事じゃ。あなたの後をつぐ人が出てみえた。経文にある菩薩が出てみえて、立派な後を嗣ぐ子が出てみえておしあわせ。又年変りしたら、何時も喜んでみえる人、喜んでお世話してみえる人々に喜びを与えて下さい。こちらは雪降りました。
 お風邪ひかれぬ様気をつけて下さい。お身体を大切に、と云って綺麗な金銀色の衣を着て帰られた。あの坊は私がお守りさせてもらいます、とのお話。

林の近詠 領一 量子 83才

一、  話みな 遠き日のこと 天の川
二、  萩の径 身を細めつつ なほこぼす
三、  見えねども 空に道あり 鳥渡る
四、  生きて行く 足がやはり 年をとり
五、  若鮎に 夏の長良が 見えてくる
六、  一日の 暑さをおぼえし 夜風かな
七、  人の世は 夢まぼろしと 降りかえり
八、  雪ふれば 雪に集まる 子らの声

昭和60年度終 1986年

95日目 びわ湖バレー

2019-02-11 14:52:04 | スポーツ
雪山に登ることを考えていたが、スタッドレスタイヤも買ったことだし違う用途も考え、スキーに行くことにした。私の学生時代はスキー・車・ゴルフ・旅行などはハイカラな金持ちの道楽と考えられていたが、私の実状は面倒臭がり屋のためアルバイトもせず、麻雀・パチンコ・インベーダーゲーム等に耽ってハイカラを楽しんで来なかった。

スキーデビューは社会人になっての一年目でいきなりの北海道。それ以降はたまに滑るくらいで、子どもが小さい頃は嫁に連れられるまま年1回はスキーに行ったと思う。で、10年ぶりくらいのスキーになるが、関西の近場と言えばこのびわ湖バレーで2時間前後で行ける。

若い人なら朝5時に車で出て、9時から16時まで滑り、大阪まで帰って来れると思うが、連休明けに重要な仕事が控えている私にとって一番大事なことは骨折をしないこと。余裕とくつろぎを考えて、2泊3日の日程にした。

宿泊先が表紙の、滋賀県雄琴にある温泉旅館“ことゆう”。隣に大きなスパリゾート“あがりゃんせ”がある。

びわ湖バレーは、44日目に登った蓬莱山1174mが頂上であり、ロープウェイの登り先はその手前の1108m、打見山にある。まずはスキーゲレンデの案内板から。


寒気の到来で吹雪に近く、打見山から蓬莱山々頂はほとんど見渡せなかった。


周囲の山は写真が撮れた。東側方面なので武奈ヶ岳あたりか?


打見山にある、スキー場一番のくつろぎ施設。


ガスが多く、山頂からはほとんどびわ湖を見下ろすことが出来なかった。



いつもの続きです。

昭和58年9月1日 夕方5時30分頃
 疲れてうとうと昼寝をされたら、一畑薬師様お出で下され、しばらくぶりです、今日はこちらは大雨でしたが、やっと涼しくなりました。この頃娘さんがどこかお身体の具合が一寸お悪い様で……よく咳をしますが、というと、癌とかそういう事は心配ないし、少し弱ってみえるから、おばあちゃんといっしょの健康食品をしばらくのまれたら元気になられますし、たいした事はありませんから大事にして下さい、とのおことづけ。

昭和58年9月2日(金)
 午前10時15分頃、東栄マーケットに自転車で買い物へ行き、信号のところで自動車事故にあい、救急車で美園外科へと電話あり。娘がすぐに病院へ行く。レントゲン四枚写したが、骨もどこも異常なしとのことで一安心。左脇腹部と左の手のひらに打ち身。少し痛む。
 午後4時、家でパジャマに着替えて昼寝をしていたら、多田薬師さんが、今日は危ないことでしたが、たいした怪我もなくてよろしかった、今迄見たこともない玉虫色の綺麗な衣を着てみえた。運転手さんも信心深い人で良い人だったから良かった。やっぱりこちらが悪かった。これからは気をつけてください、と御注意、娘さんは一畑薬師さんもおっしゃっていたけど、たいした事はありません。お若いからすぐ元気になられます様にお祈りしています。

昭和58年9月2日 夜11時40分頃
 弥八地蔵様、あんな綺麗なお姿でお目にかかったのは初めてでした。木曽路の帰りにお参りした時、若々しくきれいなお姿であった由、今日は悪い事でしたね、皆さんのお守りでたいしたことはありませんが。咳を二つしたら帰られた。

昭和58年9月3日(土) 朝7時前
 虚空蔵菩薩(寅年の守り本尊であるのを初めて知る)お地蔵さんの案内で赤坂まで行ってきた。山の両側が切り取られてしまって、細い道になってしまった。高い山の上で一ぺんお参りにきて欲しかった。堂守もみえる古いお寺で、金生山で昔は立派な道があって、お参りが絶えなかった。こんな高いところから衆生済度するのは私くらいや。下におりたくもない。一時は下におりるか、他の場所に移るか、話しが出たらしいが、動かれなかった。あなたは高いところの方がよろしいですと云ったら、そうでしょうと云われ、50年ぶりです(大垣工業勤務の時、一度お参りした)昔はここは海の底やった。私は百済から来た。赤坂の庄屋の佐兵衛と云う人が山の上にお堂を建て、その娘が堂守をしてくれた。その頃は遠くからみんながお参りにきてくれた。ここから眺めると、伊勢湾も一望に見られる。ずっと向うに見えるのが鳥羽で、あちらが伊勢です。昔はずっと女の人が堂守をしてくれた。家の方も一緒に来てもらうとよかったけど……

昭和58年9月8日 夕方6時
 二人で御経を上げていたら、線香が一本になり仏像のお姿になり仏壇の中の金箔の部分に仏様のお姿が浮き上がり……虚空蔵菩薩様のお姿であるとお話あり。

昭和58年9月17日 夜 10時15分
 弥八地蔵様、虚空蔵菩薩様の横に半紙に虚空蔵菩薩と字を書いてもらったら、菩の字が間違っていた。経文の中にもあるが、字が間違っている。私は地蔵尊だが菩薩は気高いお人や。折角のお姿もうすれてしまう、とお話あり。書き直して半紙を桐の小箱におさめ安置する。御経をあげていると、見る見る名号を書いた紙の色がうす水色に変り、一同不思議がる。

昭和58年9月18日
 弥八地蔵様 虚空蔵菩薩様が不思議をお見せになった。今日はだいぶん、色がうすくなりましたが、時々うすくなったり、色が表れた様になります。