涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

123日目 説明⑮“聖道門と浄土門(1)”

2022-10-21 21:30:59 | 独り言
 “聖道門と浄土門”は、ネット版・改訂版の昭和5年46回11月11日と、49回11月14日(後半の欠落部分はこのブログの43日目に追加で説明しています)の2回に亙って話されている。どちらも1時間はかかるような長い話であるが、このブログの14日目にも「刈萱道心と石堂丸」について触れたように浄土教においては重要なポイントらしい。ネット版・改訂版で掲載できなかったところをブログで補ってきたが、細切れになってきて私も混乱してきた。そのため46回と49回の全文を載せようかと思ったが、あまりにも文章が長いため、今まで通りの補填で繕うことにした。
まずは“聖道門と浄土門”の一般的な知識について説明したい。私が今受けている仏教の通信教育ではレポートを提出しないと進学できないが、二年次のテーマが『龍樹菩薩の教え(難易二道)について述べよ』(900字以内)であったため、提出したものを末尾に掲載したので参考にしてほしい。

 さて、昭和5年46回の11月11日午後8時、以下の記載で清書版が始まっている。
 
 本日、林の身内より林の兄嫁林○○ 林の生母の実家の人香田○○、二人来客有り。
少し御不快の御様子 附近の薬局にてノーシンを買求めおのみになった。
父窪田(義父)枕頭にて我建超世願―――読経
 やがて 
「フン △△(香田関係の親戚の名)は来とらまい どうしゃしらんが
 △△は来とるか あれは仲々よう参らして貰わんわ
 △△が来とらなんだら呼んでやってくれ」
  早速電話をかける
 「遠慮して出てこんなん様ではいかんわな
 矢張内中のものが喜ばんで 可愛想じゃなあ
 フフン たのむ
ごそんごそん(ママ)とやかましい ふふん」
 10分程たって
「向うの家に誰かよぼっておらんかな」とのお声。柳ケ瀬〇丁目の香田△△急いで来る。
 ややあって
「△△をつれてやって来ました どうぞ聞かしてやって」
 
 この後に改訂版・ネット版の“聖道門と浄土門①”の話が続いているが、またまた欠落部分に気が付いた。このブログ40日目の昭和5年第44回が11月9日であり、41日目は同年同月12日の47回目であるが、今回の46回目11月11日の後の記録が改訂版・ネット版に掲載されていなかった。少し長いが、追記しておく。

【ネット版・改訂版、昭和5年46回11月11日後半の欠落部分】
 亡祖父(窪田○十郎、量子方でブログ作成者の曾々祖父) 所感
(祖父) ようしてやて呉れたな、もう嬉しくて嬉しくて
   △△よく聞いたか
   浄土門の話、始終忘れん様に、腹立ったら南無阿弥陀仏 夜昼常に守るなり、南無阿弥陀仏唱うれば悪鬼退け、念仏申す処悪鬼が近寄らず、自から人柄が出来る。信を得さして貰ったら困らしてやろうと思って来ても自然に頭を下げてしまう。
(祖父) 私は嬉して嬉して、わしは浄土で聞かせて貰って喜んだ。
(〇)其処を取逃がした者は迷の中から
(祖父) わし等の居る時(存命中)そんな話聞けなかった、つまる処は其処じゃ、わしはもう嬉して嬉して感謝の日を毎日送らして貰える、もう短かいから余り御世話かけない様に
この次の不思議が表われたら罪の深い者は最後じゃ、どうぞ喜こばっしゃいな。
有難うございました、今日はお疲れでしたで誰も出て来ん様に。
(〇)遠い所から寄って来るとえらいが苦しい中からしてやりました。私の喜びは此の上もございません。
なに どうしました。
  南無阿弥陀仏唱うれば四天大王守りつつ萬の悪鬼を近づけず
  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 なに、よう聞いて呉れたな
  草臥れたで休ませて貰うわな。
父 我建超世願…… 読経
一同退出 やや過ぎて
(〇)△△もひねらせなさい、との事
 其の後寒気がして慄え出す、此の時母○○(量子の母)傍にありてひねって居たら不思議にも汗が身体中出て勿体なくも温まれたり。

8行上に記述されている「南無阿弥陀仏唱うれば四天大王守りつつ萬の悪鬼を近づけず」は、浄土和讃101(浄土真宗聖典-勤行集(小)-P42)にある。本文は「南無阿弥陀仏をとなふれば 四天大王もろともに よるひるつねにまもりつつ よろずの悪鬼をちかづけず」で、ほぼ同じ文書であろう。
今回は、超常現象の裏取りについての説明はほとんどなかったが、次回も“聖道門と浄土門”についての説明を続けたい。

【龍樹菩薩の教え(難易二道。聖道門と浄土門)について】・・・通信教育で提出したレポートに一部、説明を追加しています。
龍樹菩薩は、紀元150年頃に南インドに生れた。釈尊が『楞伽経』(龍樹菩薩が生まれたあとに成立した経典らしい)に、「有無の邪見にとらわれず・・・大乗の無上なる法を説き・・・念仏の教えに帰して安楽国(極楽浄土)に生まれる・・・」と予言した。龍樹菩薩はその通りの人生を送り、『中論』、『大智度論』、『十住毘婆沙論』などを著した。このため、日本仏教の『八宗の祖』、浄土真宗『七高僧の第一祖』と仰がれている。
浄土真宗では「聖道門と浄土門」とが説明されているが、道綽禅師(浄土真宗第四高僧)は『安楽集』のなかで、「末法の世では浄土の一門のみがただ一つの出離の道である」ことを明らかにされた。これを受けて、親鸞聖人は『正信偈』のなかで「末法の世においては、証し難い聖道門とは決別し、ただ浄土門のみが易く行ける道である」ことを明らかにされたが、この「証し難い聖道門」と「易く行ける浄土門」との難易二道に分けて説かれたのが龍樹菩薩であり、『十住毘婆沙論』の「易行品」にその内容が説明されている。
 龍樹菩薩は自ら問いを設けられた。「菩薩が初地(菩薩の最初の段階)に至るためには、堕する恐れのある諸々の修行を、久しく永い間しつづけなければならない。このような諸・久・堕の三難のない、易しい仏道修行の方法はないものだろうか」と。これに対し、「十方十仏の名号や阿弥陀仏等の諸菩薩の名号を聞信して、これを称するという仏道修行がある。これで、一念に本願の船に乗せていただいて、速やかに必ずお浄土への確かな道を歩ませて頂く身になるという一・速・必の信方便の易行がある」ことを説かれた。
 龍樹菩薩が、十方十仏のなかでも特に阿弥陀仏を重視したのは、「もし人われを念じ名を称してみずから帰すれば、すなわち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提(説明)を得」という阿弥陀仏の本願によるところである。親鸞聖人は、龍樹菩薩の教えを「信心正因・称名報恩」と受け取られ、「二道の鴻判は南天の功」と仰がれて「正信偈」「高僧和讃」の中で讃えておられる。