涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

83日目 奈良 佐保・佐紀路

2018-07-15 16:13:40 | 旅行
西日本大豪雨で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。本来ならボランティア活動に行くべきところですが、私の年齢と体力では足を引っ張るだけですので、違う形でご援助させて頂きますm(__)m

この雨で、関西の山の形も相当変わったと思われるし、まだまだ山崩れなどの危険もあるため、ハイキングに行くことにした。しかし最高気温37度との発表のため、無理はせず、近場のよく知った奈良へ。

近鉄奈良駅から奈良女子大学の前を通り、東大寺の方に近づきながら北上すると般若寺に辿り着く。そこから少し西に行くと表紙の旧奈良少年院がある。先日、新聞にも載っていたが、レンガ作りの形の美しさから改修してホテルなどに様変わりすると。それが表紙の写真。

それから奈良市では運動のメッカの鴻池運動公園を超えると、宇和奈辺古墳に着く。


更に西に進むと、法華寺に到着。この写真は結構目にすることが多いと思う。


その後広大な平城宮跡が開けてくる。大体2km平方四方の広い雑草地に昔の建物を復旧しているようであるが、この暑さの中、北東の端から南下の中央にある朱雀門まで歩いた。


その後は逆に北西の端を目指したが、中に入れて見学ができると聞いた大極殿は足の痛みのため遠景をおさめるだけにした。隣に何か新しい建物が建設中のよう。



朝8時半に近鉄奈良駅を出発して、ゴールの西大寺駅着が午後1時。全長12kmの旅ではあるが、リュックも多少重め、暑さもこたえた。


16回は『有形と無形』、19回は『下品中生』、20回は『地獄と浄土』のタイトルで新版に載っています。

第17回 昭和8年8月24日 午後1時45分
○ どうも今日は行けんなあ。何時もすうっすうっ行ける道がなぜ行けんなあ………へん、会えんか、蓮畑が多い所じゃなあ。ここは………ここを行けんならん。お祖父様に会ってみよかしら、会わんでも此処から、困ったなあ。
  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 行けんか、お祖母様じゃないよ珍らしいお祖母様に会って(生家の祖母)
祖母 ありがとう
○ お祖母様結構じゃなあ。ふん、こちらのお祖母様(妻の祖母)に会えんかな。
祖母 さっき待ってみえたがごろごろ夕立がなるで、ぞわぞわしてみえるので。
○ そう云って下さい。皆が会いたがって居るから、さいなら。
お薬師様、御苦労さん。

第18回 昭和8年8月28日 午後12時10分→29日午前0時10分
○ 弥八の御地蔵さん、虚空蔵さん、観音さん、竹鼻のお地蔵さん、お薬師さんさようなら。
明日から当分休まして貰います。
仏 今朝の話皆に話して聞かせてやって下さい。
○ 又気をつけて学校へ行きます。それでは諸仏方さようなら。竹鼻のお地蔵さん、さようなら。ひゃくしょ(くしゃみ)今、鼻から何か出て行った。
仏 皆で六人、一人違う人が見えた。豊川さんか(豊川稲荷)、今夜はえらいお方がみえたが、………。

第21回 昭和8年9月21日 午後7時30分
 竹鼻地蔵御来臨
仏 今日来て貰って話して
○ 今日来て話しても愚痴やら苦情やら云うて休んでまって。
仏 よう云って貰う、休んだ方がよい。
○ 娑婆の都合でやめる。護世護法? 五世五法? (来客のため中止)

第22回 昭和8年9月23日 午前0時30分
○ 三千大世界と云うのは弥陀の光明が三千里、深さが………里
あ、お祖父さんか
祖父 量子、お前は休みなさると直ぐ話させ様と思って何時も書く物を持って来るが、一度云おうと思ったが機会がなかったが、勿体ない事じゃで、すぐ寝てしまって、疲れて帰ってみえたのに、催足がましい事してはお前達の罪業になるでいかん。お前が一番因縁深いから傍に居って、朝方話して貰うかも分らんから。

82日目 大阪 交野山、国見山

2018-07-01 15:14:46 | 山登り
晴れとはいえ梅雨の天気の怪しい中、生駒山系の山々の北の始まりである交野山(こうのさん)341m、国見山284mに登ってきた。

2,3年前に山登りを始め、冬でも使えるアイガーなるバッグパックをずーっと使っていたが、夏では背中が暑くなるため、夏用のバッグパックを購入。やはり背中の風通しがよく、しかも軽い。

JR津田駅を降りると左側に国見山、右側に交野山が見える。


先に交野山に登る。山頂にある巨岩は観音岩と言われるらしい。


より近くに寄っての写真が表紙のもの。岩場の周りには柵がなく、怖くて下が覗けなかった。

そこからの大阪平野の眺望。


その後、国見山に登る。国見という名前の通り、昔は周囲を見渡す津田城があったと。


ガイド本には8㎞、4時間の行程と書いてあり、ほぼ予定通りに下山出来たので、昼から駅前で一人宴会になってしまった。


第10回 昭和8年7月20日 午後10時8分~10分
 親しき人が亡くなりて、丁度七日目
○ もっとこっちへ出て来い。出て来れんか、お祖父様かな。
祖父 枕を取って上げしゃっしゃい。
   まんだ出て来んかな。
○ 溺れて居る者に竹を差し出してやる様なもので仲々ようつかまらん。
 此の時、手を胸上で合せ念仏申さる。一同念仏申して居ると
○ 皆が念仏を唱えて居ると受けてやれよ。
  出たい者ばかり居って後から後から邪魔が入って出られん。

第11回 昭和8年7月24日 午後11時30分頃
○ 弥八のお地蔵さんかな。
仏 今日はよく参っておくれた。(地蔵祭)
○ 子供を連れて参りました。
仏 竹鼻のお地蔵さん今竹鼻にみえる。又明日みえる。
○ お祖母さんかな
祖母 今一寸の暇に出て来たから又明日お話するでなあ。

第12回 昭和8年7月25日 午後11時頃
○ ああえらい、くたびれた。本庄の薬師………
仏 お使いに参りました。どうも、ほんなら菩薩がよって見えるが、体がくたびれんさったが明日から遠い所へ行って貰わんならんで、どうぞひねって上げて下さい。又帰ってみえてから御願いします。(明日より五日間東京に於て修養団、教員学生講習会出席)
○ まんだ皆………みえるな、わしは体がえらくてもせめても皆に聞かせてやりたいが、菩薩が仰せになればよしましょう。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 さようなら。
お薬師さん御苦労さんじゃった。

第14回 昭和8年8月1日 午後4時頃
○ ああどうじゃろ、腰が浮いてしまった。この楽なものは、他の者にひねって貰ってもこんな調子にいかんじゃろ、如何にも気持の良い事じゃ。
仏 薬師でござります。これで送り届けましたで私は帰ります。あなた(母に)あんば様楽にして上げて下さい。
○ どうも御苦労様でございました。

第15回 昭和8年8月2日 午後11時頃
仏 竹鼻地蔵でございます。東京へ私が着いて行く筈でしたが、一寸用事がありまして御薬師様について行って頂きました。一寸お風邪を召してみえますので朝迄世話して上げて下さい。朝迄に治りなさるで。