涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

94日目 OB会 in 大阪・箕面

2019-01-14 18:06:23 | 日記
63日目に案内していた、私が幹事となるOB会(大学時代のクラブ)を迎えることになった。

かねてから準備をしていた大阪・箕面温泉スパーガーデンではあるが、今までにアップして来た写真に付け加えるものがさほどない。取り敢えずは入口の様子から。


初日は温泉に泊まり、飲み食いのあと歌謡ショーなどを楽しんだ。館内では撮影禁止との掲示であったが、前座である吉本の若手芸人さんは撮影してもいいと。このあとにメインの歌手が登場。


二日目はハイキングへ。阪急箕面駅から数分のところにある箕面温泉から、こんな経路で箕面大滝に到る。案内によると2.7㎞、40分の距離と。


今回は途中にある昆虫館に立ち寄った。それが表紙の写真であるが、この時期にちょっと暖かくなるような場所であった。そしてゴールの滝の写真。


その後もブラブラと歩いて、昼食後に解散。無事に幹事の務めを終えた。


昭和58年8月2日
 元気な坊や(同居の二女の二男)が夏風邪で熱を出してかわいそうだね。熱があがったり下がったりするけど心配ない。食べたくなかったら無理して食べさせなくてもええ。二、三日でなおる。胃腸も少しこわしている。私は(弥八地蔵様)現世も来世も子供をお守りする役割です。明日は……西の方で日本一大きい地蔵さんのある所……でおまいりがあってそこへ行きます。お盆になると子供達がおまいりしてくれるのでうれしい。大人も子供のように純真な心だといいけど、とにこにこ笑ってみえる。
 三日の夜奈良のお薬師さんが孫にお薬を三つ位下さったので、熱が下がり元気になる。西の方で日本一大きいお地蔵様のある所はどこかとさがしていたら、京都の三男から送ってきた開運歴の中に、大阪市東区釣鐘町二丁目の日限地蔵尊で、御本尊は聖徳太子時代有名な恵心作で、昼夜香煙後をたたず、慈悲心で民衆を救済せんと念願されている仏像であることがわかった。

昭和58年8月13日 朝方5時
 甚目寺の観音様、初めてお目にかかります。昨夜はお経をあげて頂いて、それを聞いて帰りました。その時お香の香が違うと言ってみえたが、私とあなたの香のにおいでした。綺麗な観音様やった。玉の様なものを持ってみえた。これは命の素を集めたものを持ってみえる。暑いし道が混むので気をつけて下さい。13日に矢野さんの車で矢合と甚目寺の観音様へおまいりに行く予定であったので、挨拶にみえた。昨夜お仏飯をあげていると、突然眠くてどうしようもなかった。夕食後お経をあげていた時にお出下さった。夕食後お経をあげていたが、自分の声の様ではなかった。この時ちらっと茜部のおばさんが顔を出されたが、出られなかった。

昭和58年8月14日午後11時過ぎ
 甚目寺の観音様、今日は方々お参りになってお疲れでしたでしょう。朝十時前より林夫婦、矢野夫婦と四人で矢合、甚目寺、岐阜県関市の吉田観音参りをした。一度おあいしたかった。今日は皆を連れてお参り下さって有難うございました。今日はこのごろではすずしい風があって、一番楽でした。曇っていたのでさほど暑くなかった。昼食された所までお見送りしました。
 その後、茜部のおばさんも出てみえた。矢合の観音様のお伴してきました。皆丈夫で大きくなって、私一人ではまだでてこれなかったので、矢合の観音様につれて出さしてもらいました(生前よく矢合の観音様にお参りしていた)手に取るようにわかり、こんなうれしいことはない。今日はお墓参りしてもらい、有難うございました。きれいな花をいけてもらって……私らはもっときれいな花を見とるけど、これもみんな喜んで供養してくれるおかげでありがとう。今日仏壇にお供えしてもらったけど、鮎菓子、魚の形をしたものはこれからお供えしない様に、私は長い間出ておれんので、すぐおいとまします。長男も二男も大きくなって何も云うことなし。又今度出られる時に色々お話しします。
 13日、甚目寺参詣帰宅後、木曽路で夕食を食べることになり、一度曙町の自宅に戻り、矢合観音さんの前で買ったハイビスカスの鉢を家におき、タクシーのくるの迄待つ間に、矢野さん宅の玄関の門扉の塀の上に、林がきちんと重ねてあるお金を見つけ、矢野さんに渡す。18円であった。18というのは観音様の命日だから喜んでみえたが、それについてのお話し、甚目寺観音様が、私が矢野さんに差し上げたのじゃ。他の人では気づかれん。お金がおいてあっても、18と云うのはいわれがあるといって、五円玉一つ一つの説明と、一円玉の説明あった。一つ一つに深い意味がある。大事にしてお守りにしてもらえれば、これからええ事があるし、18というのは観音の命日だけでなく、古いお金は功徳の積んだお金や。夜そのお金を持って、林宅にくる様に、矢野さんに伝言あり。そのお金をよく見ていて、五円玉は下が古くて上が新しい。五円玉三つと一円玉三つと別々にきちんと重ねてあった。上の五円と上の一円の組合せは、一 一族無病息災、二 商売繁昌、三 過ちがない、重ね方の年度が逆になっている。