今日はいい天気!最近、休みでも読書をすることが多くなってきたが、やはり『晴耕雨読』で、晴れの日は外に出ることにした。
登ったことのない山に行くには、交通機関を調べたり、行程をGPSに登録するなどで結構テマがかかる。それでガイドブックを見ながら行ける伏見稲荷に行くことにした。
前から言っていることだが、関西に住んでいて、10年ほど京都市民でいて、清水寺もこの間はじめて行ったし、伏見稲荷には行けてなかった。ちょっと付け足すと、金閣寺と宇治の平等院は修学旅行でしか行ったことがないと思う。
さて、稲荷山は232mと標高が低く、登ったと言ってもハイキングであろうが、信仰の地であり、お墓も多い。高野山のような雰囲気が漂っている。まずは京阪『伏見稲荷』から歩いて10分くらいのところにある入口から。両側に露店が並ぶ。
伏見稲荷は全国の稲荷神社の総本宮らしく、その朱色の鳥居が美しく、観光客を集める。山登りの最初の方は人が多かった。
しかし登って、150mもすれば観光客は段々と減ってきて、シャッターチャンスが訪れる。
まあ232mなのですぐに登れるが、その途中から京都市内の南側を望む。
頂上!
伏見稲荷の名物のもう一つが眷属の白狐であろう。表紙の写真が入口近くにあったもの。下のが頂上付近にあった逆さ狐。口には巻物ならぬ竹を咥えているが、眼病には効くらしい。
前回の吉野山と言い、今回のと言い、少し体力を温存していると言うか楽をしていると言うか・・・。
今までの続きです。
第71回 昭和6年9月15日(午後8時40分)
○ 鳴くのを止めたか
美しい声で鳴いて因縁を結んで貰うから……………
ブッパン ブッパン ソ-(小声にて)
共に姿こそ違うが各々役目を帯びて
又行くわ。
もうお帰りか、折角遠い処を来て貰って 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
○○子又大きくなると役目があるな。
第72回 昭和6年9月23日
○ 明日(彼岸の中日)一日を法悦にひたって喜ばして貰うのが肝要である、毎日自分自身に招いて悪業煩悩にあえぎあえぎて其の報を受けねばならぬ、日々法悦に浸って喜びを得て日暮しをする事は仲々困難な事である、やはり生きて居る中即ち生前に喜ばして貰うが肝要である。
第73回 昭和6年9月30日(午後8時)
お話は最早半ば過ぎて残念なり
○ 長い事お話して来たが仏の教とは即ち釈迦の教である。釈迦牟尼の牟尼は慈仁、智慧の………である。即ち釈迦は悲他の大学者であった。
長い話を聞いて貰いましたが之でもう私は何時あなた方にお話聞いて貰うやら分りません、又何時お話出来るかも分りません。もう之で出来ないと思いますから今の話をしっかりと胸に結びつけて明けても暮れても感謝の生活して下さる様来る日成仏の時に極楽で互いに喜んで相見ゆる時を楽しんで居ります。どうぞ今の長い話、分らなかったかも分らんがしっかりとして下さいな。さようなら。
後蚊がくったとて目を覚されたり
第74回 昭和6年10月16日(午後12時20分)
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 声高に
はい、明日怪我するといかんで内で遊びます。それでは昨晩の続きをお話します。親鸞聖人がお尋ねになるとお祖母さんが「私は緒をうむ合間にお念仏申します」と云ったので「お祖母さん間違っていないか」と云われた。
皆よいかな、仕事の暇に申す念仏は、ああ今日一日もみ仏様のお蔭で無事息災に暮さして頂けたと喜び感謝の生活さして貰えた。初めはほんの少しの違いでも(合間と暇)よく考えると一方は光明で一方は闇の違いじゃ。
そこで今晩は一つ心霊の不滅と成仏との関係についてお話します。
其の後お話は一旦打切りとなる。
登ったことのない山に行くには、交通機関を調べたり、行程をGPSに登録するなどで結構テマがかかる。それでガイドブックを見ながら行ける伏見稲荷に行くことにした。
前から言っていることだが、関西に住んでいて、10年ほど京都市民でいて、清水寺もこの間はじめて行ったし、伏見稲荷には行けてなかった。ちょっと付け足すと、金閣寺と宇治の平等院は修学旅行でしか行ったことがないと思う。
さて、稲荷山は232mと標高が低く、登ったと言ってもハイキングであろうが、信仰の地であり、お墓も多い。高野山のような雰囲気が漂っている。まずは京阪『伏見稲荷』から歩いて10分くらいのところにある入口から。両側に露店が並ぶ。
伏見稲荷は全国の稲荷神社の総本宮らしく、その朱色の鳥居が美しく、観光客を集める。山登りの最初の方は人が多かった。
しかし登って、150mもすれば観光客は段々と減ってきて、シャッターチャンスが訪れる。
まあ232mなのですぐに登れるが、その途中から京都市内の南側を望む。
頂上!
伏見稲荷の名物のもう一つが眷属の白狐であろう。表紙の写真が入口近くにあったもの。下のが頂上付近にあった逆さ狐。口には巻物ならぬ竹を咥えているが、眼病には効くらしい。
前回の吉野山と言い、今回のと言い、少し体力を温存していると言うか楽をしていると言うか・・・。
今までの続きです。
第71回 昭和6年9月15日(午後8時40分)
○ 鳴くのを止めたか
美しい声で鳴いて因縁を結んで貰うから……………
ブッパン ブッパン ソ-(小声にて)
共に姿こそ違うが各々役目を帯びて
又行くわ。
もうお帰りか、折角遠い処を来て貰って 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
○○子又大きくなると役目があるな。
第72回 昭和6年9月23日
○ 明日(彼岸の中日)一日を法悦にひたって喜ばして貰うのが肝要である、毎日自分自身に招いて悪業煩悩にあえぎあえぎて其の報を受けねばならぬ、日々法悦に浸って喜びを得て日暮しをする事は仲々困難な事である、やはり生きて居る中即ち生前に喜ばして貰うが肝要である。
第73回 昭和6年9月30日(午後8時)
お話は最早半ば過ぎて残念なり
○ 長い事お話して来たが仏の教とは即ち釈迦の教である。釈迦牟尼の牟尼は慈仁、智慧の………である。即ち釈迦は悲他の大学者であった。
長い話を聞いて貰いましたが之でもう私は何時あなた方にお話聞いて貰うやら分りません、又何時お話出来るかも分りません。もう之で出来ないと思いますから今の話をしっかりと胸に結びつけて明けても暮れても感謝の生活して下さる様来る日成仏の時に極楽で互いに喜んで相見ゆる時を楽しんで居ります。どうぞ今の長い話、分らなかったかも分らんがしっかりとして下さいな。さようなら。
後蚊がくったとて目を覚されたり
第74回 昭和6年10月16日(午後12時20分)
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 声高に
はい、明日怪我するといかんで内で遊びます。それでは昨晩の続きをお話します。親鸞聖人がお尋ねになるとお祖母さんが「私は緒をうむ合間にお念仏申します」と云ったので「お祖母さん間違っていないか」と云われた。
皆よいかな、仕事の暇に申す念仏は、ああ今日一日もみ仏様のお蔭で無事息災に暮さして頂けたと喜び感謝の生活さして貰えた。初めはほんの少しの違いでも(合間と暇)よく考えると一方は光明で一方は闇の違いじゃ。
そこで今晩は一つ心霊の不滅と成仏との関係についてお話します。
其の後お話は一旦打切りとなる。