涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

77日目 京都伏見 稲荷山

2018-04-22 16:21:39 | 山登り
今日はいい天気!最近、休みでも読書をすることが多くなってきたが、やはり『晴耕雨読』で、晴れの日は外に出ることにした。

登ったことのない山に行くには、交通機関を調べたり、行程をGPSに登録するなどで結構テマがかかる。それでガイドブックを見ながら行ける伏見稲荷に行くことにした。

前から言っていることだが、関西に住んでいて、10年ほど京都市民でいて、清水寺もこの間はじめて行ったし、伏見稲荷には行けてなかった。ちょっと付け足すと、金閣寺と宇治の平等院は修学旅行でしか行ったことがないと思う。

さて、稲荷山は232mと標高が低く、登ったと言ってもハイキングであろうが、信仰の地であり、お墓も多い。高野山のような雰囲気が漂っている。まずは京阪『伏見稲荷』から歩いて10分くらいのところにある入口から。両側に露店が並ぶ。



伏見稲荷は全国の稲荷神社の総本宮らしく、その朱色の鳥居が美しく、観光客を集める。山登りの最初の方は人が多かった。


しかし登って、150mもすれば観光客は段々と減ってきて、シャッターチャンスが訪れる。


まあ232mなのですぐに登れるが、その途中から京都市内の南側を望む。


頂上!


伏見稲荷の名物のもう一つが眷属の白狐であろう。表紙の写真が入口近くにあったもの。下のが頂上付近にあった逆さ狐。口には巻物ならぬ竹を咥えているが、眼病には効くらしい。



前回の吉野山と言い、今回のと言い、少し体力を温存していると言うか楽をしていると言うか・・・。
今までの続きです。

第71回 昭和6年9月15日(午後8時40分)
○ 鳴くのを止めたか
美しい声で鳴いて因縁を結んで貰うから……………
ブッパン ブッパン ソ-(小声にて)
共に姿こそ違うが各々役目を帯びて
又行くわ。
もうお帰りか、折角遠い処を来て貰って 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
○○子又大きくなると役目があるな。

第72回 昭和6年9月23日
○ 明日(彼岸の中日)一日を法悦にひたって喜ばして貰うのが肝要である、毎日自分自身に招いて悪業煩悩にあえぎあえぎて其の報を受けねばならぬ、日々法悦に浸って喜びを得て日暮しをする事は仲々困難な事である、やはり生きて居る中即ち生前に喜ばして貰うが肝要である。

第73回 昭和6年9月30日(午後8時)
 お話は最早半ば過ぎて残念なり
○ 長い事お話して来たが仏の教とは即ち釈迦の教である。釈迦牟尼の牟尼は慈仁、智慧の………である。即ち釈迦は悲他の大学者であった。
長い話を聞いて貰いましたが之でもう私は何時あなた方にお話聞いて貰うやら分りません、又何時お話出来るかも分りません。もう之で出来ないと思いますから今の話をしっかりと胸に結びつけて明けても暮れても感謝の生活して下さる様来る日成仏の時に極楽で互いに喜んで相見ゆる時を楽しんで居ります。どうぞ今の長い話、分らなかったかも分らんがしっかりとして下さいな。さようなら。
後蚊がくったとて目を覚されたり

第74回 昭和6年10月16日(午後12時20分)
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 声高に
 はい、明日怪我するといかんで内で遊びます。それでは昨晩の続きをお話します。親鸞聖人がお尋ねになるとお祖母さんが「私は緒をうむ合間にお念仏申します」と云ったので「お祖母さん間違っていないか」と云われた。
  皆よいかな、仕事の暇に申す念仏は、ああ今日一日もみ仏様のお蔭で無事息災に暮さして頂けたと喜び感謝の生活さして貰えた。初めはほんの少しの違いでも(合間と暇)よく考えると一方は光明で一方は闇の違いじゃ。
 そこで今晩は一つ心霊の不滅と成仏との関係についてお話します。
  其の後お話は一旦打切りとなる。

76日目 奈良 吉野山

2018-04-08 21:17:15 | 山登り
1ヶ月ぶりの山登り。と言っても、標高差600mの奈良県吉野にある青根ヶ峰858mに登ることにした。

今年は桜の開花が一週間くらいは早くなったと思う。吉野と言えば言わずと知れた日本屈指の桜の名所であり、しかも世界遺産の町でもある。2年前の夏にも登ったが、当時は山登りを始めてばかりなので観光に目を向ける余裕がなかった。それで時期的にもローテーション的にも奈良・吉野に行くことを考えたが、この観光シーズンでは別料金の座席指定の特急を予約するのに一苦労した。しかし山登りの当日に観察すると、特急は満席になるものの、快速急行とか急行は結構座れている。要は天候などを気にせず、予約が必要な旅行客が殺到していただけなので、別に焦ることはないと思います。

まずは近鉄吉野駅。さすがに人が多かった。


途中のお寺(名前は忘れました(-_-;))で和太鼓を叩くふんどし姿の方がおられると思ったら、その後山伏の格好をした行者さんが何人も現れてきた。確かに、金峯山寺から山上ヶ岳のある大峯山までは修験者が回峰行をしていると聞く。


頂上までの道のりは、下千本、中千本、上千本と分かれており、表紙の写真はその中千本からのもの。散りかけていたので、途中大した桜はなかったが、上千本で何とか満開している桜たちを見つけた。


その後、100mくらい登ってこの地域最高峰の青根ヶ峰(あおねがみね)に到着。眺望はゼロ。


しかし吉野のランドマークと言えば金峯山寺の蔵王堂であろう。その遠景と近景の二枚。吉野は見どころも食べどころも一杯である。





いつもの続きです。

第67回 昭和6年8月22日
 仏法僧鳥と其の由来
 本年春頃仏法僧鳥が「一度来て貰いたい」との事に「夏休みに一度行きます」との御約束あり、午前8時頃仏法僧鳥来観を促す。
○ うん今日行こうと思って居る。
 急遽旅装を整えて三河国鳳来寺へ向われたり。一泊、其処で霊鳥の啼声を聞かれ25日夕方帰宅せらる。宿屋で三回仏法僧鳥の啼声を聞いなとの事
○ ブッパン ブッパン ソウと啼く。
其の声は何とも云えん崇厳な声じゃ、百鳥なりを静めてしーんとする。
団体で来た人はよう聞かずに帰った、朝の四時頃鳴いた、一人通夜して朝方宿に帰った。宿では心配して居った。名古屋の某講中の人が大勢寄って来たでお説教を一席してやった、宿は新築で居心地がよかった。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

第68回 昭和6年8月31日
 午後9時頃因果の話についてお話ありしも余りにむつかしい話で筆記するを得ず、又盆会の始りについて話ありたり、15日を盆と云う事について、(以下お話中断)

第69回 昭和6年9月5日
 昨年より弥八地蔵様のお蔭を蒙むりし事一方ならず、明日は弥八祭りが執行されるにつき、何か御恩報じにとて考えた末蝋燭立を献納す、しばらく御無沙汰して居ました。
  しばらく御無沙汰して居ました。
  女共が上げると云うのでほんの喜ばして頂いた心だけ。
仏 子供寝とるか
○ ああ云う風に据えさして貰います(弥八祭)午後二時からだから余り遅いとこむから早う参らして います。大勢の人が参るでしょうなあ。勝手のよい時ばかり頼む頼むと云って、
よしよし○○ちゃん(生れた長女)
お祖父様に送って貰ったなあ-
お祖母様にもなあ-
竹鼻地蔵様に送って貰って娑婆へ来る時別れたの、それで敬まってくれるわ。
                              午後11時を報ず

第70回 昭和6年9月10日
 にこにことお笑いになり静かに礼二回される。(小声なる為確かに聞き取るを得ず)
  子供
  へえ
  それでもよい話しらん、それでも皆何かと思って差上げた。
  いや
  子供大きくなりました。
 昨年竹鼻地蔵と縁ありて何かとお蔭を蒙むり居る事一方ならず、故に本年も9月14日にお祭を執行すべき処14日は月曜日にて都合悪きが為一日繰上げて前日にしては如何かと相談し居ると
○ うん 14日月曜日で宿りだで(宿直)
丁度13日にさして貰うで都合がよいわ
え お願いします。
 二三日前量子に昨夜仏法僧が鳴いたが知って居るかと問われしも気付かなかった由を申す
○ うん あんたか此の間鳴いたの
  元気で鳴いたなあ。

75日目

2018-04-01 10:31:06 | 読書
年度末の人事異動で、土日出勤が増えてしまい、またまた山には行けず仕舞い。

それで今回は本の紹介をすることにした。祖父母の書いた本の未公開部分を細切れで掲載してきたが、やはりこのような現象に対しての自分なりの解釈や、してきた調査を提示することは大事なことと思う。

昔からネス湖の恐竜や古代文明の話し、UFO体験など超常現象と言われるものはあまたあるが、心霊現象もその一つである。ただ人間にとって自然の脅威や生老病死に関わる問題は、その存在を脅かす出来事であり、これを克服するためにも宗教は欠かせないものである。信仰は人間に備わった本能のようなものであり、人々の願望が心霊現象を生み出す可能性はアプリオリにあり得るものと思う。

従って心霊現象を観察する者は、前提条件をわきまえて現象を厳密に観察する必要があるし、報告する場合は自己の内面を見つめて細心の注意を払い、人心を惑わす可能性があるため崇高な道徳心が要求されると思う。

と、前置きは長くなったが、最近の読書で信憑性が高いと思った本の紹介。


著者の矢作氏は有名大学の教授であった。医師であり、科学者でもある著者が霊媒を通して体験した亡き母親と思われる存在を認識したという報告は、信憑性が高いものと思う。霊媒は居たが、母親の存在を認識したというのは著者にしか分からない個人的体験である。本当かどうかは体験した個人にしか分からず、こんなことは科学的に起こり得ないと感じるのもまさにその個人である。同じような経験をした人は星の数ほどあり、問題は“個人的体験”がいつまでも“個人的・・・”に留まっているところにある。

1900年前後の欧米では、スピリチュアル・ブームが湧き起こり、今から振り返れば「本当にあったことではないか」と思わせるような事例が山ほどある。当時経験した人たちは個人ではなく、ある程度地域を巻き込んだ集団ではあったが、時代が過ぎると過去のものとなり、個人的経験が集団的経験になっただけで、今の我々がその信憑性を確かめるスベがない。

科学の本質はその再現可能性にある。一定の条件が整えば世界のどこの場所でもいつの時代でも同じ現象が再現できるからこそ「現象が、現実に存在することで真実である」と言うことが出来る。この意味で、心霊現象は科学の対象にはなり得ていない。

では永遠にこんなことが続くのか??それで表紙に掲載した「マイナスエネルギー・・・」という本の紹介。著者の小栗氏は精神科医であり、「24人のビリーミリガン」で有名になった多重人格障害の治療を専門とする開業医である。内容は専門的で分かりにくいところもあるが、多重人格の治療法であるEMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing)を施行中に、本人の人格ではない人格が出現してきた。別の症例で知り合いになった霊媒師の力を借り、この別人格の治療にも成功するという話しである。

EMDRだけではなく、著者が開発したUSPT(Unification of Subconscious Personalities by Tapping Therapy)でも多重人格の治療ができるようであるが、面白いのはその作用機序である。私の考えでは、手が込んで時間のかかる催眠と同様の機序、つまり意識の集中でトランス状態ないしは特殊な意識状態に被験者を誘導することで多重人格や別人格が出現し、その治療を行うことが出来るという機序があると思う。

実際、欧米だけではなく日本国内でも催眠療法による退行、もしくは前世療法と言われているものが、臨床心理士や医師により実施されている。ここでいう前世、すなわち被験者の魂?が今世に生まれる前にも存在したという理屈は、霊魂を信じる精神科医の中でも反対するものはあるが(『前世を記憶する子どもたち』の著者など)、まだまだ報告や実践を集積する時期にあると思う。

未知の体験を、個人的経験から科学のレベルへ。涅槃はまだ遙か先にある!!


第61回は『女召使い』、62回は『七輪』、64回は『無碍』というタイトルで新版に掲載されています。

第63回 昭和6年7月13日(午後8時50分)
○ 何を見ても感謝せないかん事ばかりじゃ。新鮮な空気を我々与えて呉れて景色のよい所や、春夏秋冬様々の気候を与えてくれるのに何一つ感謝せずには居られません。それだのに二日も雨降る事なら「よう降るなあ」と叱言を云うのに十日天気が良くても左程感謝もしない、又却って「よく日照りが続く」と云って何一つ満足しない、自然の恩恵に浴して居り乍らどうして勝手な事云えましょうかな。一日、何の変りなく過さして頂いた事をお天と様に向って感謝せななりません。少しも不必要な事なく一様に自然の恩恵を与えなされた、そして不平云う人は何時も不平云う、勿体ない事じゃ、そうして現世も未来もお守を受けて日々こうして満足に自然の恩恵ばかりでなし行先は少しでも世の中に尽し少しでも悪から遠ざかりたくとも其処には現世に於ける恩恵以外に何物かが………
我々の祖先我々のみ親様がお憐み下されて陰の如くおつきになって罪業も………
考えた時自然に感謝せずに居られない。

第65回 昭和6年8月7日(午後10時35分)
○ 生きて行く事は非常にむつかしいが………よいのであるが、そこにお互いに喜びがない即ち安定が得られない。扨て、自分自身に今迄やり来た事を考えると行先が非常に危まれるから死んで行く事が非常に悲しい。
もう一つは生きていきたいと云うのが其の人の念願で、其の二つの場合を考えると生きて行く人は少し………

第66回 昭和6年8月11日
 昨年11月末頃量子は仏から房々した毛の女の子を授かりし夢を見て「今竹鼻地蔵様より丸裸の女子を手渡して貰った」と家人に告げたり、其の霊告以来懐妊の兆現われたり、次第に月満ちて本日は其の臨月となれり、親戚の者と長良河畔納涼台へ行き夕刻帰宅せり、然るに俄かに産気づき安々と玉の様なる女の児を安産なす。出産の朝方量子の夢に自分と林の口から光明が輝いた事を夢とも現ともなく実感さして頂き産期の近付きたるをお知らせなりしなり、出産の直後母二階へ上り行きたるにふと林目覚めて、
○ 今頭の髪の毛の房々した女の児が来た。
 母よりその由を告ぐるに
○ そうか
 と云わる(出産前から衣類万端それに名前までも女児の用意をしていた)