涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

122日目 説明⑭“天人五衰”

2022-09-14 22:04:41 | 宗教
 昭和6年第77回目の11月20日、改訂版・ネット版では“火と水”のタイトルで書かれているが、珍しく書き出しから清書版との違いがまったくない。文章も短いため、前文を載せておく。

 そこで臨終の有無と云う事に話は及ぶが誰しもこの断末魔の叫びがある、如何なる高位高官爵位のある者も貧しい者も富んで居る者も一様に断末魔の叫びが起る、人間から……
ここにお出での方は凡夫よりも喜ばれた方ばかりじゃが、天上界にも断末魔の叫びの代りに五つの憔悴がある。第一には頭上の華蔓が萎む、二つには天衣が垢づき光が消える、三つには腋の下に汗が出る、四つには目の光がなくなり両眼がしはただく(ママ)、五つには本座を楽しまず、詳しく云えば華蔓が萎むとか水滴が出来るとか体臭がつくとか云ってやはり天人も死の直前に際して五つの憔悴がある、人間の中でも何時迄も病床に呻吟して看護して貰う人もあり、朝には元気で野良に仕事に出て夕べにはむくろとなって帰る人もある。そう云う楽な往生を遂げた人は断末魔の叫びがない、人間の体は火と水から成って居る。熱がするのは水の欠乏であって、ぞみぞみするのは火の欠乏である。彼の平清盛の臨終は水をかけたと云う話があるが、あれは水の欠乏である、頭寒足熱と云って………
人間界に生を受ける人は………人間界から天上界に行く人は心臓の鼓動が何時迄もぬくといと云う事である(胸の温まりが続く)

 「天上界の断末魔」をネットで調べてみると、林典佑氏の【天人五衰~三十三天の神々が死期に受ける苦しみ】というブログで詳しく語られていた。「天人五衰」については、増一阿含経、大毘婆沙論、法句譬喩経、正法念処経、仏本行集経、大乗理趣六波羅蜜多経、瑜伽師地論、大般涅槃経、摩訶摩耶経(偽経らしい)、往生要集で語られていると。
 私のブログの流れからも、当然引用元は“法句譬喩経”と思われた。他の譬喩を探すためにも身銭を切って、『法句譬喩経』現代語訳、「真理の偈と物語(上)」を6千円で購入。2001年初版発刊の本であり、(下)は高価なため、購入せず。そこでは、第一話の無常品第一に天人五衰と同じような記載があった。それを記すと、
 「昔、帝釈天は、五種の徳が身から離れていった(五徳離身)ので、『命が尽き、下って世間に生まれるであろう、陶器作りの家で、ロバとしての胎を受けるであろう』と、自ら知った。何が五種の徳(の衰え)なのであろうか。第一は、身体の表面の光が消えたこと(身上光滅)。第二は、頭の飾りがしおれること(頭上華萎)。第三は、これまで坐っていた座席が不快になったこと(不楽本坐)。第四は、腋の下で汗が出て異臭を放ったこと(腋下汗臭)。第五は、土ほこりが体についたこと(塵土著身)である。この五つの出来事によって、自ら、幸福が尽きようとしているのを知ると、たいそう憂えて、『三界の中で、人々の災苦を救えるのは、ただ仏のみであろう』と、自ら考えた。かくして、仏のもとに馳せ参じた」と話が続いている。
 
 “浄土への道標”の五つの憔悴の記述と若干異なるため、再度林氏のブログに戻って調べてみた。他の経典でも五衰の内容は良く似ているが、第四の「身体が汚れて臭くなる」の記述で異なってくる場合が多いとある。そこの代わりに、増一阿含経では「側近の女性達が逃げ出す」、法句譬喩経 では「身体から出ている光が弱くなる」、仏本行集経では「身体から出ている光が弱くなる」、摩訶摩耶経では「両眼のまばたきが多くなる(四者兩目數瞬)」、大乗理趣六波羅蜜多経では「両眼のまばたきが多くなる(四者兩目數多眴動)、往生要集でも「両の目しばしば眴(まじろ)く(四兩目數眴)」とある。
 “浄土への道標”でも、「目の光がなくなり両眼がしはただく(ママ)」と瞬目についての記載があるが、五衰の出てくる順番や記載内容全般について最も近いのが大乗理趣六波羅蜜経と往生要集と思われた。往生要集の五衰は、1 頭の上の華鬘(はなかずら)たちまちに萎む(一頭上華鬘忽萎)、2 天衣、塵垢に着せらる(二天衣塵垢所著)、3 腋の下より汗出づ(三腋下汗)、4 両の目しばしば眴(まじろ)く(四兩目數眴)5 本居を楽(ねが)はず(五不樂本居)である。
 せっかくなので、大般涅槃経でも確認することにした。117日目のブログで紹介した「新訳 大般涅槃経」(原田霊道著、昭和11年5月発刊)を調べたところ“天人五衰”は見つからず。その本の序文を読んでみると、大般涅槃経にも色々あるようで、すべてが現代語訳されている訳ではないことが分かった。それで大蔵経データベースを調べたところ、大般涅槃経十九に「一者衣裳垢膩(えしょうこうじ)。二者頭上華萎(ずじょうかい)。三者身体臭穢(しんたいしゅうわい)。四者腋下汗出(えきげかんしゅつ)。五者不楽本座(ふらくほんざ)」の記述を発見。「身体が汚れて臭くなる」は三番目に記載されており、「両目瞬目」は見つからなかった。
 偽経と言われている摩訶摩耶教は別にして、大乗理趣六波羅蜜多経と往生要集が“天人五衰”の内容、記載の順番がほぼ一致していることが分かったが、前者は8世紀に中国で編纂された経典であり、後者は10世紀に比叡山で源信和尚により著されたものであるため前者を引用したものと思われる。ただ両者とも、五番目は「不楽本居」になっており、“浄土への道標”や大般涅槃経で語られている「不楽本座」と一字だけ異なっている。まあ浄土真宗に所縁のある林領一のエネルギー体が往生要集に精通しているのは当然のことで、また今までのブログでも書いてきたように法句譬喩経、大般涅槃経なども読んできており、このくらいの記述の違いは起こりえるものと思われた。