涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

第113日目 説明③“(摂津の)大泥棒”

2021-11-12 21:20:08 | 宗教
改訂版、ネット版では、昭和6年第6回「大泥棒」の話で出て来る。昭和6年1月7日と2月1日(“涅槃への一人旅”65日目)の二回、同じような話があるが、その所々に微妙な違いがある。この元ネタを探すのにも苦労したが、引用は『拾遺古読本』と書かれていたので、ネットで調べたところ『覚如上人拾遺古徳伝』が見つかった。どうも絵本らしく、中々その内容が分からなかったが、たまたま新纂浄土宗大辞典で『拾遺古德傳繪詞W黑谷源空聖人R四末、第五段』を見付けることが出来た。それで、この三点を比べてみた。

『浄土への道標』の「昭和6年1月7日」の記事は、改訂版、ネット版に書かれている通り、語り始めた午後4時頃、覚醒状態にあった。「摂津の国」と書かれているだけだが、「2月1日」の記事では「ヒエ島」と記載されている。この日は法要のため、5人の親戚の来客があった。午後10時頃炬燵に入って眠りながら喋っている。一方、『拾遺古徳伝』には“摂津国みてくらじま”と書かれている。確かに昔には同名の地名が大阪に存在していた。大泥棒の名前は“みみ四郎”というらしい。

忍び込んだ縁の下は、「1月7日」では「親鸞聖人吉水の禅房でご説教の最中」とあるが、「2月1日」では「聖人」としか書かれていない。『古徳伝』では信空上人(=法然)の宿房とある。

床下で有難い話を聞いて、翌朝庭に出たことはこの三話で一致している。門弟たちは怪しんだが、聖人は「宿縁もとより浅からず」と述べたのは「2月1日」の方。『古徳伝』でも「宿縁もともありがたし」とあり、一致している。

この3話の最大の違いは、“みみ四郎”が寝ている間に殺されようとしたときの描写にある。「1月7日」の話しでは、「一刀の下に気合諸共突き立てたが泥棒が刺殺したと思うと」と書かれているように「刀で刺した」のは確からしい。しかし「2月1日」の記事では、「刀を抜いて被って居た物を取ったら」と書かれており、刺してはいない。同様に『古徳伝』でも「かたきかたなをぬきつゝ、うへにかづきたるものをひきのけてみるに」と書かれており、刺してはいない。そして「2月1日」と『古徳伝』で一致するところが、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と聞こえてきたところである。

調べる限りでは、「1月7日」も「2月1日」も祖父(林領一)のエネルギー体が語ったように思える。内容はほぼ同じであるが、言葉遣いが大分異なる。そして「2月1日」の方が『古徳伝』に近い。この違いがどこから生じるのか?そもそも夢幻様状態とでもトランス状態とでも表現できるような意識状態になって語ったとしても、同じエネルギー体が話して居ると考えない方が良いように思える。何と言っても、二役、三役を演じる寝言を速記する訳であるから、誰が、どのエネルギー体が喋っているのかは本当のところ分からないのかも知れない。