涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

18日目 浄土への道標

2016-07-11 12:24:15 | 読書
久しぶりの投稿。幼い頃から数学は好きで放っといても勉強したが、国語は嫌いで、特に純文学を読むと頭が痛くなるタイプであった。

そのためもあり、文章を書くのはあまり好きではない。で、投稿も間隔があいてしまった。

今日はこのブログのタイトルのモデルになった『浄土への道標』という本。ネットでも検索可能だが、私の祖父・祖母が著したものである。それを親戚が編集して出版し直した。ネットでも検索可能で、購入できる。

私は根っからの科学者で、私の辞書には“信じる”という言葉がない。「世の中の事象はすべて知覚して体験できるか、観察・観測できるものであり、それ以外のものは存在しない。(まあ、存在しないも同然と読み直してもいいでしょう)

知り合いに“霊”が見えるという男性がいた。これも何かの縁?と思い、その知り合いに『浄土への道標』の元本をワープロで打ち直し、転送した。それを上記親戚にも転送し、その一部が抜粋されて再出版になったもので、元本の全文が載っている訳ではない。

50年以上の前の話しで、版権も切れている?と思うので、ブログに書くこともないし、ちょっとずつ残りを公開して行こうと思う。

数年前に酒を飲みながらワープロを打ち、ロクに読み直しもしていないので、誤字・脱字があると思うが、タダなので多目に見て頂きたい。

この現象については、今のところ「解明できていない」としか言いようがない。祖父母のことはよく知っており、そんなに熱心な信者でもなかったし、嘘をつくような人たちではなかった。

【『浄土への道標』には抜粋されていない本文】
第6回 昭和5年9月25日 午後12時より10分間
 今日、早3日も御無沙汰してお参りもしなかったので是非とも参ると云って出掛けたが途中で友人と合って好きな麻雀をして居る間に約束の弥八のお地蔵様に参る事も叶わず、家に帰って語って居る間にうつらうつらして、
○ 今日で三日も御無沙汰しておってすみません、そうですか、どうも自分の心がとがめて、今日は早うから家え来て待って居って下さったのに悪い事をして遊んでおって、はい、子供達がお勤め(お経を読むこと)をしました。あの時、来て頂いたのですか、ああ、勿体ない。明日は是非お参りさせて貰います。子供達はお経は知らぬが、皆んな喜んでいます。おっしゃる通り節も何んにも知らんけれど、心だけ喜んでくれる。長い事待った居て下さってすみません。もうお帰りですか、皆んな寝て居てすみません。
 本日朝から雨降りなりしも、学校にて某氏の病気見舞に行く様申されしを幸い、かねてより本巣郡鷺田村呂久の渡しに、皇女和の宮様の御碑面に上半身の御姿が拝めると云う事が9月16日の岐阜民友新聞に掲載されて居たので、一度参詣したい心組の処、本日を幸い参詣なす。
○ 雨が昼頃から止むと思って居たのに私の為に天気にして下さって、和の宮様の御姿を親しく拝ませて貰って、皆んなが分らぬ分らぬと云っていまして、凡夫は情け無い、自転車はひとりでにふらふら走って行って有難いものでした。もうお帰りですか?
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
あなたにこうして御目にかかって居ると、嬉しくて嬉しくて、どうか今晩の処御許し下さい。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
おお目連尊者、阿難尊者が立っておいでなさる、皆お嘆きじゃわ、此の方が目連尊者こちらのお方が阿難尊者、御釈迦様の御臨終の時に総ての動物が嘆き悲しんで居る。大きな蛇、ねずみ、象も泣いて居る、向うの方で大きな虎がないて居る、高い空には名も知らぬ綺麗な鳥、一寸見た事無い諸々の生物は皆悲しんで居る。嬉しい身体にして頂いて有難い事だ 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。
目覚めて後、線香臭い抹香の香りがすると申された。


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1 コメント

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Unknown (旅人)
2020-02-05 21:58:09
最近、祖母直筆の原本を入手できた。それと比べて分かったことは、このブログに出てくる◯という表現は、寝言で語っている祖父林領一の魂?らしい。原本では“林”と記載されている。

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