涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

53日目 奈良県 弥山・八経ヶ岳

2017-07-23 18:10:29 | 山登り
山登りを始めてほぼ1年。まったくのシロウトがよくぞここまで来たと言うべきか、まだこの程度というべきか??しかし若くはないので、大目に見て貰いたい。

ホント、近場の有名なところは大体登ったのでは??それで今回はついに近畿最高峰、八経ヶ岳になった。歩いて30分のところに弥山の山小屋がある。

まずは登山口。みたらい渓谷を通り越して、30分間ほど細い国道を車で南に行くと駐車場に辿り着く。


大峯山系の世界遺産といえば、以前に登った女人禁制の山上ヶ岳が近くにある。同じような山道を登り、このような花が多いのに気付く。


ガイドブックによると、この辺りは極東の名花「オオヤマレンゲ」が有名らしい。私の調べえた範囲では「エゾシオガマ」に似ているが、まったく見当はずれかも知れない。草花も愛でる人間になりたいが、まだまだ先は遠い。

途中、こんな岩の上に小石を積んだオブジェを発見した。


「なんて暇な人がいるんやろ!」と一瞬思ったが、通りすがりの人が一個ずつでも置いて行っているに違いない。ご利益のほどは不明であるが、私も一かけら、置いてきた。


さて、弥山山頂に到着。弥山小屋の前にテントを張ると、すぐに雨が降り出した。



翌朝は快晴。弥山の木の間からのご来光。


朝早くから八経ヶ岳に登る。


山頂とそこからの景色。


そのまま普通に下山していたら、捜索のヘリコプターがしきりに空中を旋回していた。その爆風に飛ばされかけ、つかまった木の隣の古木がなぎ倒された。道迷い、滑落、怪我以外にも山には危険が一杯あることに改めて気付かされた。



いつもの続きです。祖父母とも明治35年生まれで、これを書いていた頃の二人は28歳、29歳と思います。当時の私でしたら、とても出来なかった作業です。

第64回 昭和5年12月2日
 本日夕食後子供達と炬燵に入りうとうとと眠られると、やがて竹鼻地蔵様御来臨の御様子なり。丁度長男も起きて居て初めて御話を承わり大喜び(又幼稚園で話する時に話す)と云居れり。
  狐とわしの話
  一匹の狐が居た。狐は毎日の食事を求むる為に此処彼処と奔走し廻った。在時は山をかけづったり、在時は野原をかけづり漸やくの事大きなわしを獲た。狐は大喜びにて早速帰る事にした。之を持って行けばどれ位皆が喜ぶ事だろうと内心ほくほくの態にて、
  途中に川があった、橋の上から下を見ると美味しそうな魚が泳いで居るのが目に映った。狐はわしを橋の袂に置いてあっちへ追廻したりこっちへ追まわして、やがて事の半日も費やしたが肝腎の魚は一匹も取れなかった。狐は草臥れてやむを得ず帰ろうとした元の橋の傍へもどって見ると、もうわしへ何処へ行ったのか居らなかった。其の様に余り慾張って何物をも得る事が出来なかった。それについて、
話はそれきり打切りとなった。此の暗示は終日生活に許り追われて、大切な御慈悲を忘れ勝にして居てはいかぬと云う事を諷せられたものである。
  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

52日目 兵庫県 氷ノ山

2017-07-16 00:41:05 | 山登り
また、仕事と天候のため、2週間空いてしまった。

今回は、兵庫県の氷ノ山(ひょうのさん)に登ってきた。最近、滋賀県、奈良県が多かったし、氷ノ山は兵庫県での最高峰という理由もある。

手元にあるガイドブックに載っている“標準的な山”にはかなり登ってきたし、行くところもなくなったので段々と遠方になってしまう。前回の滋賀県赤坂山・三国山も車で3時間かかったが、今回の氷ノ山はそれ以上になった。

近畿地方の山ばかりを写真に撮っているので、滝やら寺院など同じような写真ばかりになってしまうため、今回はそれらは割愛。まずは途中で見えた氷ノ山山頂、1510m。


冬はかなり雪が多いところで、山頂に避難小屋も建っていた。


その山頂からの景色が表紙の写真。登り口は兵庫県で、山頂も兵庫県にあったが、すぐ近くのトイレが鳥取県になっていた。だから鳥取県の山々が見えているはずであるが、大山も写っているかも??


このブログのメインは、はっきりと言って祖父母が著したと言われている本の方で、私の山歩きなどはそれを宣伝するための方便にしか過ぎません。で、61回、63回は新版に載っていますが、61回の前段が欠けていました。今回は62回も追加しておきます。

第61回 昭和5年11月29日(土曜日)
 本日竹鼻地蔵御仰せの如く
 (去る11月24日に此次の土曜日から来るとの御話有りたり)
  猿投より親戚の者来岐せり、一同この有難き御縁に合わせたいと骨折りしも其の効無く、一人賑わしき所等久し振りに見物せんとて出掛けたり、一同如何致そうと心痛致せり。
  林は何時もの如く学校より帰り普通のお話有れば眠気を催さるるも、本日は一人留守の為其の心得違いから御来臨の御様子無く、矢張り何時もの如く夕食過ぎより麻雀に御出掛けになる、勿論夕食後炬燵に入り休息せらるるや、
 竹鼻地蔵様御来臨有り、長男風邪にて咳出ずるを御心痛有り後、麻雀に出掛け午後12時過ぎ御帰りになる、直ぐに寝につかる。やがて二人で色々とお世話申し上げ居ると、弥八地蔵様御来臨有り
筆記致す事が出来なかったから後より思出しし儘を書記しおくものなり。
今日お話して頂くつもりで居たが一人出掛けてしまっていらぬ事を云うと思って居る、まだ若いから仏縁に合い乍ら可愛想な者だ、そんな事云うなら、帰りたいは帰りたいが、あんな事云うで帰らなかった方が良いと云う気で居る様に見えたから……。(以下、新版に続く)


第62回 昭和5年11月30日
 今日日曜日なり、林は次男を連れて各務原へ野球見物に行かる。長男は此の頃中風邪の為咳が出て終日引籠り居りしが子供心の頑是なさ、折々外へ出ては外気に当る為病気も幾分つのる気味なり、其れに月末の事とて終日非常に取込み居り、子供の注意もおろそかになり勝なり。
夕方帰宅、非常に子供の事を心配せられ、我身代りと参りて子供の咳を治さんと一念をこめられたり、直に子供の咳軽快となり、其の代り林に移りてこんこん咳かるる。不思議な事じゃなあと思って居ると、凡夫の浅間しさに……。
「一その事御暇を頂いたが良い」と仰せられ、仏壇に燈明をあげてしばらくすると呼吸絶え、脈も打たぬ様なり、皆一同懺悔したら直に正気に戻られ、しばらくして元の身に復されたり。
死生の間を往来すと云う事は豫て聞き及ぶ処であるが活殺自在の仏の御力には感嘆の外無い、やれやれと胸撫でおろして念仏諸共就寝したり、量子一人按摩して居ると、竹鼻地蔵様御来臨有り(午後11時)
○ 道理で今日天気がよかった(今にも降りそうな天気、帰る迄雨降らず)
仏 どうしまして。
  あなたは(量子)お休みになって、朝起きて頂かんならんから。
○ 私、今日お暇貰おうと思いました。
仏 そんな事して頂くと凡夫共が可愛想だから、
  衣食住にのみ遂われる凡夫の悲しさの中から、苦しみの中から喜ばして頂く。