山登りを始めてほぼ1年。まったくのシロウトがよくぞここまで来たと言うべきか、まだこの程度というべきか??しかし若くはないので、大目に見て貰いたい。
ホント、近場の有名なところは大体登ったのでは??それで今回はついに近畿最高峰、八経ヶ岳になった。歩いて30分のところに弥山の山小屋がある。
まずは登山口。みたらい渓谷を通り越して、30分間ほど細い国道を車で南に行くと駐車場に辿り着く。
大峯山系の世界遺産といえば、以前に登った女人禁制の山上ヶ岳が近くにある。同じような山道を登り、このような花が多いのに気付く。
ガイドブックによると、この辺りは極東の名花「オオヤマレンゲ」が有名らしい。私の調べえた範囲では「エゾシオガマ」に似ているが、まったく見当はずれかも知れない。草花も愛でる人間になりたいが、まだまだ先は遠い。
途中、こんな岩の上に小石を積んだオブジェを発見した。
「なんて暇な人がいるんやろ!」と一瞬思ったが、通りすがりの人が一個ずつでも置いて行っているに違いない。ご利益のほどは不明であるが、私も一かけら、置いてきた。
さて、弥山山頂に到着。弥山小屋の前にテントを張ると、すぐに雨が降り出した。
翌朝は快晴。弥山の木の間からのご来光。
朝早くから八経ヶ岳に登る。
山頂とそこからの景色。
そのまま普通に下山していたら、捜索のヘリコプターがしきりに空中を旋回していた。その爆風に飛ばされかけ、つかまった木の隣の古木がなぎ倒された。道迷い、滑落、怪我以外にも山には危険が一杯あることに改めて気付かされた。
いつもの続きです。祖父母とも明治35年生まれで、これを書いていた頃の二人は28歳、29歳と思います。当時の私でしたら、とても出来なかった作業です。
第64回 昭和5年12月2日
本日夕食後子供達と炬燵に入りうとうとと眠られると、やがて竹鼻地蔵様御来臨の御様子なり。丁度長男も起きて居て初めて御話を承わり大喜び(又幼稚園で話する時に話す)と云居れり。
狐とわしの話
一匹の狐が居た。狐は毎日の食事を求むる為に此処彼処と奔走し廻った。在時は山をかけづったり、在時は野原をかけづり漸やくの事大きなわしを獲た。狐は大喜びにて早速帰る事にした。之を持って行けばどれ位皆が喜ぶ事だろうと内心ほくほくの態にて、
途中に川があった、橋の上から下を見ると美味しそうな魚が泳いで居るのが目に映った。狐はわしを橋の袂に置いてあっちへ追廻したりこっちへ追まわして、やがて事の半日も費やしたが肝腎の魚は一匹も取れなかった。狐は草臥れてやむを得ず帰ろうとした元の橋の傍へもどって見ると、もうわしへ何処へ行ったのか居らなかった。其の様に余り慾張って何物をも得る事が出来なかった。それについて、
話はそれきり打切りとなった。此の暗示は終日生活に許り追われて、大切な御慈悲を忘れ勝にして居てはいかぬと云う事を諷せられたものである。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
ホント、近場の有名なところは大体登ったのでは??それで今回はついに近畿最高峰、八経ヶ岳になった。歩いて30分のところに弥山の山小屋がある。
まずは登山口。みたらい渓谷を通り越して、30分間ほど細い国道を車で南に行くと駐車場に辿り着く。
大峯山系の世界遺産といえば、以前に登った女人禁制の山上ヶ岳が近くにある。同じような山道を登り、このような花が多いのに気付く。
ガイドブックによると、この辺りは極東の名花「オオヤマレンゲ」が有名らしい。私の調べえた範囲では「エゾシオガマ」に似ているが、まったく見当はずれかも知れない。草花も愛でる人間になりたいが、まだまだ先は遠い。
途中、こんな岩の上に小石を積んだオブジェを発見した。
「なんて暇な人がいるんやろ!」と一瞬思ったが、通りすがりの人が一個ずつでも置いて行っているに違いない。ご利益のほどは不明であるが、私も一かけら、置いてきた。
さて、弥山山頂に到着。弥山小屋の前にテントを張ると、すぐに雨が降り出した。
翌朝は快晴。弥山の木の間からのご来光。
朝早くから八経ヶ岳に登る。
山頂とそこからの景色。
そのまま普通に下山していたら、捜索のヘリコプターがしきりに空中を旋回していた。その爆風に飛ばされかけ、つかまった木の隣の古木がなぎ倒された。道迷い、滑落、怪我以外にも山には危険が一杯あることに改めて気付かされた。
いつもの続きです。祖父母とも明治35年生まれで、これを書いていた頃の二人は28歳、29歳と思います。当時の私でしたら、とても出来なかった作業です。
第64回 昭和5年12月2日
本日夕食後子供達と炬燵に入りうとうとと眠られると、やがて竹鼻地蔵様御来臨の御様子なり。丁度長男も起きて居て初めて御話を承わり大喜び(又幼稚園で話する時に話す)と云居れり。
狐とわしの話
一匹の狐が居た。狐は毎日の食事を求むる為に此処彼処と奔走し廻った。在時は山をかけづったり、在時は野原をかけづり漸やくの事大きなわしを獲た。狐は大喜びにて早速帰る事にした。之を持って行けばどれ位皆が喜ぶ事だろうと内心ほくほくの態にて、
途中に川があった、橋の上から下を見ると美味しそうな魚が泳いで居るのが目に映った。狐はわしを橋の袂に置いてあっちへ追廻したりこっちへ追まわして、やがて事の半日も費やしたが肝腎の魚は一匹も取れなかった。狐は草臥れてやむを得ず帰ろうとした元の橋の傍へもどって見ると、もうわしへ何処へ行ったのか居らなかった。其の様に余り慾張って何物をも得る事が出来なかった。それについて、
話はそれきり打切りとなった。此の暗示は終日生活に許り追われて、大切な御慈悲を忘れ勝にして居てはいかぬと云う事を諷せられたものである。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏