10連休のGWが始まった。と言っても、ちょっと職場に顔を出さないといけない。二日目の日曜、天気も良かったので世界文化遺産“姫路城”に行ってきた。ここも初めて。
姫路は、駅を降りてから城まで大きな道が続いていて眺めがいい。
GWの関係か、天守閣最上階に登るのに1時間との表示あり。大阪城は近いので何度か行ったことがあるが、姫路城は内部の展示はほとんどないこともあり空間が広かった。4階目あたりの城を支える大黒柱であるところの東大杉の写真。
窓から見える5階目あたりの小天守閣の鯱(正式名称は忘れました)。
最上階から姫路駅方向を望む。
降りていくと、天守閣の鯱のレプリカが展示されていた。
最後は播州皿屋敷で、お菊さんが身を投げたと言われる井戸の写真。ご冥福をお祈り致します。
天守閣以外にも回廊などがあり、姫路城はさすがに見どころが多かった。
昭和59年1月11日午前1時半頃
今、多田薬師さんがみえた。量子を連れて今お薬師さんへ参ってきた。量子さん、この頃大変よくなられ、毎日感謝の生活をしながら働いてみえる。今年は皆心配せんでも丈夫に暮らせる。北の方と西南の方がずっと明るく光っていた。あの方は(量子親戚の事で)苦労を背負ってみえた人で、他の所へ行けば今迄命がなかったがおれといっしょになったので……意味不明
昭和59年1月18日朝2時頃
今、甚目寺の観音様がみえた。今日は初観音で大勢の人のお参りがあった、矢野さんにこの間さしあげた18円のお金、直接ふれたわけでないけど、あの中の1円3枚、猫が通る時またいだので功徳がうすれる気がするので、一度あれを持ってお参りして頂きたい。清めてあげるから、とのお伝言。
昭和59年1月24日朝1時15分
さっそくお言葉により、23日参詣。主人と矢野夫妻3人でお参りする、紙の上に1円、5円を並べ念仏となえお参りし、帰りがけに主人がもう一度お参りすると、不思議にも右手に数珠をかけて、左手の掌がべとついて汗が出て、やがて何か当ったような音がしたら、掌の上に5円玉がのっていた。余りの事に3人共びっくりして、帰宅後喜びあえり。今夜お話あることと思っていたら、横うしろにみえた黒の洋服をきた32、33歳位の若くて上品な女の方が気高い人で、すらっとしてみえたが、下の方は少しもみえなかった。この方が化身だった。その方の投げられたのがぽんとあたった音がしたのじゃ。後からお姿みたらもうお姿見えなかった。
昭和59年1月19?日朝1時15分
東海地方43年ぶりの21センチの積雪。名古屋、岐阜終日小雪ちらつく。大雪警報発令など、北陸地方をはじめ全国的に大雪の為大変だった。
昭和59年2月1日
1月31日夜から積雪。大雪後御来臨の仏様はどなたか、うかつとしていたが多分一畑薬師様か多田薬師様と思う。
この頃量子病気の疲れのため寝入っていて、走り書きしておいたので御無礼をしておいたので御無礼をして申し訳ございません。あんたの方もえらい大雪降ったそうですね。皆さんお風邪ひかずにお元気でお過ごしされてうれしく思います。
こちらの方は今も降っていて2メートル以上積もっている。根雪の上へ積もるので段層になって2メートル以上にもなっている。
姫路は、駅を降りてから城まで大きな道が続いていて眺めがいい。
GWの関係か、天守閣最上階に登るのに1時間との表示あり。大阪城は近いので何度か行ったことがあるが、姫路城は内部の展示はほとんどないこともあり空間が広かった。4階目あたりの城を支える大黒柱であるところの東大杉の写真。
窓から見える5階目あたりの小天守閣の鯱(正式名称は忘れました)。
最上階から姫路駅方向を望む。
降りていくと、天守閣の鯱のレプリカが展示されていた。
最後は播州皿屋敷で、お菊さんが身を投げたと言われる井戸の写真。ご冥福をお祈り致します。
天守閣以外にも回廊などがあり、姫路城はさすがに見どころが多かった。
昭和59年1月11日午前1時半頃
今、多田薬師さんがみえた。量子を連れて今お薬師さんへ参ってきた。量子さん、この頃大変よくなられ、毎日感謝の生活をしながら働いてみえる。今年は皆心配せんでも丈夫に暮らせる。北の方と西南の方がずっと明るく光っていた。あの方は(量子親戚の事で)苦労を背負ってみえた人で、他の所へ行けば今迄命がなかったがおれといっしょになったので……意味不明
昭和59年1月18日朝2時頃
今、甚目寺の観音様がみえた。今日は初観音で大勢の人のお参りがあった、矢野さんにこの間さしあげた18円のお金、直接ふれたわけでないけど、あの中の1円3枚、猫が通る時またいだので功徳がうすれる気がするので、一度あれを持ってお参りして頂きたい。清めてあげるから、とのお伝言。
昭和59年1月24日朝1時15分
さっそくお言葉により、23日参詣。主人と矢野夫妻3人でお参りする、紙の上に1円、5円を並べ念仏となえお参りし、帰りがけに主人がもう一度お参りすると、不思議にも右手に数珠をかけて、左手の掌がべとついて汗が出て、やがて何か当ったような音がしたら、掌の上に5円玉がのっていた。余りの事に3人共びっくりして、帰宅後喜びあえり。今夜お話あることと思っていたら、横うしろにみえた黒の洋服をきた32、33歳位の若くて上品な女の方が気高い人で、すらっとしてみえたが、下の方は少しもみえなかった。この方が化身だった。その方の投げられたのがぽんとあたった音がしたのじゃ。後からお姿みたらもうお姿見えなかった。
昭和59年1月19?日朝1時15分
東海地方43年ぶりの21センチの積雪。名古屋、岐阜終日小雪ちらつく。大雪警報発令など、北陸地方をはじめ全国的に大雪の為大変だった。
昭和59年2月1日
1月31日夜から積雪。大雪後御来臨の仏様はどなたか、うかつとしていたが多分一畑薬師様か多田薬師様と思う。
この頃量子病気の疲れのため寝入っていて、走り書きしておいたので御無礼をしておいたので御無礼をして申し訳ございません。あんたの方もえらい大雪降ったそうですね。皆さんお風邪ひかずにお元気でお過ごしされてうれしく思います。
こちらの方は今も降っていて2メートル以上積もっている。根雪の上へ積もるので段層になって2メートル以上にもなっている。