涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

99日目 兵庫 姫路城

2019-04-28 18:36:49 | 観光
10連休のGWが始まった。と言っても、ちょっと職場に顔を出さないといけない。二日目の日曜、天気も良かったので世界文化遺産“姫路城”に行ってきた。ここも初めて。

姫路は、駅を降りてから城まで大きな道が続いていて眺めがいい。


GWの関係か、天守閣最上階に登るのに1時間との表示あり。大阪城は近いので何度か行ったことがあるが、姫路城は内部の展示はほとんどないこともあり空間が広かった。4階目あたりの城を支える大黒柱であるところの東大杉の写真。


窓から見える5階目あたりの小天守閣の鯱(正式名称は忘れました)。


最上階から姫路駅方向を望む。


降りていくと、天守閣の鯱のレプリカが展示されていた。


最後は播州皿屋敷で、お菊さんが身を投げたと言われる井戸の写真。ご冥福をお祈り致します。


天守閣以外にも回廊などがあり、姫路城はさすがに見どころが多かった。


昭和59年1月11日午前1時半頃
 今、多田薬師さんがみえた。量子を連れて今お薬師さんへ参ってきた。量子さん、この頃大変よくなられ、毎日感謝の生活をしながら働いてみえる。今年は皆心配せんでも丈夫に暮らせる。北の方と西南の方がずっと明るく光っていた。あの方は(量子親戚の事で)苦労を背負ってみえた人で、他の所へ行けば今迄命がなかったがおれといっしょになったので……意味不明

昭和59年1月18日朝2時頃
 今、甚目寺の観音様がみえた。今日は初観音で大勢の人のお参りがあった、矢野さんにこの間さしあげた18円のお金、直接ふれたわけでないけど、あの中の1円3枚、猫が通る時またいだので功徳がうすれる気がするので、一度あれを持ってお参りして頂きたい。清めてあげるから、とのお伝言。

昭和59年1月24日朝1時15分
 さっそくお言葉により、23日参詣。主人と矢野夫妻3人でお参りする、紙の上に1円、5円を並べ念仏となえお参りし、帰りがけに主人がもう一度お参りすると、不思議にも右手に数珠をかけて、左手の掌がべとついて汗が出て、やがて何か当ったような音がしたら、掌の上に5円玉がのっていた。余りの事に3人共びっくりして、帰宅後喜びあえり。今夜お話あることと思っていたら、横うしろにみえた黒の洋服をきた32、33歳位の若くて上品な女の方が気高い人で、すらっとしてみえたが、下の方は少しもみえなかった。この方が化身だった。その方の投げられたのがぽんとあたった音がしたのじゃ。後からお姿みたらもうお姿見えなかった。

昭和59年1月19?日朝1時15分
 東海地方43年ぶりの21センチの積雪。名古屋、岐阜終日小雪ちらつく。大雪警報発令など、北陸地方をはじめ全国的に大雪の為大変だった。

昭和59年2月1日
 1月31日夜から積雪。大雪後御来臨の仏様はどなたか、うかつとしていたが多分一畑薬師様か多田薬師様と思う。
 この頃量子病気の疲れのため寝入っていて、走り書きしておいたので御無礼をしておいたので御無礼をして申し訳ございません。あんたの方もえらい大雪降ったそうですね。皆さんお風邪ひかずにお元気でお過ごしされてうれしく思います。
 こちらの方は今も降っていて2メートル以上積もっている。根雪の上へ積もるので段層になって2メートル以上にもなっている。

98日目 奈良・西ノ京

2019-04-21 17:44:14 | 観光
近くの山は大体登ったし、段々と山登りもしんどく感じるようになったので、前回同様お寺巡りをすることにした。

近鉄西ノ京駅は職場の近くにあり、薬師寺には2,3度参拝したことはあるものの、その真北にある唐招提寺は一度も行ったことがなかった。観光が主な目的であったので、参拝する時間は十分にあり、ゆっくりとお寺を回ることが出来た。

まずは南門を入って見える、中門と西塔の景色。東塔は修復中であった。


中門をくぐると金堂が待ち構えている。


この後ろにも大講堂があり、どちらにも巨大な薬師如来の像がある。しかし堂内は撮影禁止になっているため、如来像の台座の模型を写したのが表紙の写真。

その後、東院堂というところに向かったが、ここは撮影禁止の札が立ってなかった。観世音菩薩の御姿です。


唐招提寺は薬師寺の北、すぐ近くにあります。そこの金堂。


唐招提寺にも巨大な大日如来、薬師如来、千手観音、その他多くの古仏が祀られていました。鑑真和上の廟を抜け、北に歩を進めて垂仁天皇陵に辿り着く。


最終目的地は、更に北に行ったところにある真言律宗総本山西大寺。ここでもたくさんの国宝・重文を拝観しましたが、写真は似たような金堂になってしまいました。



昭和58年11月28日午前1時半
 多田薬師、風邪が流行しておるで東京の孫に風邪ひかぬ様、水を差し上げえおいた。こちらはこのところ寒かった。まだ雪は積もっていないけど雪は降った。皆さん風邪をひかぬ様、気をつけて下さい。

昭和58年12月10日午前2時頃
 多田薬師、娘さんの家の裏の火事の時(11月24日正午前)市内に住む長女宅のすぐ東隣の裏の火事の時は風神が飛んでみえて守られた。すぐ東隣の家だったが、まったく被害なく水もかむらなかった。
 来週中頃から寒くなるので、風邪をひかぬように気をつけてください。ソ連風邪でたちが悪いから……

昭和58年12月11日午前3時半頃
 多田薬師(二女代筆)この前お花をもってきてもらったが、あの花は10月25日から11月の15日迄、22日間も花を生き生きとして一花もしおれず元気できれいだったのは、珍しいことで堂守も不思議がっていた。水だけは入れていたが。
 あなたの方は一畑さんがいつもお守りしてみえて、お丈夫になられた。あなたはいつもこちらの方(西北)にごあいさつして下さるけど、娘さんとお連れの人はこちらに向いて下さらないので参って下さい。遠いのでなかなかお参りしてもらう事は出来んで、心で参って下さい。そして私が青野のお薬師さん(美濃国分寺 大垣市赤坂)に頼んでおきましたので、又 一度参って下さい。
 矢野さん、無理せんように云わせました。

昭和58年12月31日 大晦日 晩
 本日は大晦日。午後11時45分、NHKテレビ「ゆく年くる年」の日本各地の除夜の鐘と初もうでの様子を中継。今年は恒例の年越は遠方行は中止。長良川畔の白雲荘でみていたら、夜中1時半頃、奈良薬師様御出現、後先になりしが、過日二人して東北旅行をした時(昭和47年10月23日より二泊三日で松島、仙台、作並温泉、中尊寺へ行った)車窓の窓越しに山寺(羅漢寺)の紅葉の美しさに見とれたことがあった。偶然にもテレビの最後の方で目に映りなつかしんでいたら、奈良のお薬師様が御来臨され、羅漢さんは年取ってから修行して仏道に入られた人、難行苦行して悟りを得られた人だから、形相がやさしいお方は一人もいない。一人一人ちがう顔をしてみえる。初転法輪といって普通の人から仏道に入られた人。十六羅漢のなかには気高い位置の方もある。

昭和58年 終 1983年
 各人生まれ年一代の守り本尊は初め気付かなかったが、仏よりの御指示により、領一、量子共明治35年 寅年生まれで、守り本尊は虚空蔵菩薩なり。58年の9月3日、9日、17日から18日、9月23日のお話で色々の有り難いお知らせを頂き、有難く感無量なり。守り本尊大切に保存せよ。

97日目 金閣寺界隈

2019-04-07 18:29:35 | 観光
今日の日曜日・休日も前予想では晴れ時々雨の天気予報であったが、都合よくズーッと晴れていた。雨の恐れがあったので山登りは止めて、京都観光に行くことにした。花見のシーズンでもあり、混んでいるかと思い早めの出発。それほどの混雑もなく、世界遺産の金閣寺に到着。それが表紙の写真です。

さすがに綺麗ですが、それが金箔のお陰なら有難みも少し減るかな?金閣寺の前の池に咲いる満開の桜。


次にすぐ近くにある世界遺産の龍安寺へ。外観は写していなかったので、内部のチョー有名な“石庭”の写真。やはり、綺麗です。


そして桜の名所でもある仁和寺へ。ここでやっと阿弥陀如来の像を拝ませて頂けました。白書院から南庭・勅使門・二王門を望む。


北野天満宮に行こうかと思ったが、妙心寺で気力尽きた。しかしこの妙心寺の境内の広いこと!!鹿は居ないが、奈良公園に紛れ込んだのかという錯覚を一瞬覚えた。要は、寺の中に寺があるような所で建物も大きい!中庭?から仏殿・法堂・大方丈を望む。


お寺だらけでしたけど、充分に堪能しました。


昭和58年9月26日12時半
 初めのうちは誰かわからなかったが、そのうちに林の亡実父母がお出あり。綺麗な雲にのって森前のおじいちゃん、おばあちゃんがお久し振り、一ぺん出さしてもらって立派な勲章もらってあんただけうじゃな(4月29日勲四等旭日小綬章 拝受)私らは浄土に暮らさしてもらって居る。揃って会えてよかった。
 12時40分 一ぺん出さしてもらいたかったが、御徳の高い立派な仏様がお出でになるので……森前の方からお祝いに行ったことがよくわかる。兄弟親戚五人来宅。お念仏を唱えていきなさった。今日は彼岸の最後の日じゃで、出さしてもらえました。結構じゃね、孫達も立派に成長して毎日感謝の生活さしてもらえて結構じゃ。

昭和58年10月7日午前4時30分
 多田薬師、近いうちに又お参り下さるそうだが、おばあさんは参れんので私が連れてきました(10月25日に林と二女、矢野夫婦で参詣予定)。境内の階段を杖もつかずさっさと上っていくが、多田薬師さんに手を引いてもらって先にお参りしてきた由、みんなで共にお守りしておりますが、私は娘とお連れの方をお守りしています。お連れの方は今度短い旅やでいいけど(ハワイ旅行)初めて食べる生物であやしいと思ったら、食べん方がよろしい。他は心配ない。今度参られる時には、二人でお花を持ってきて下さい。
昭和58年10月23日 朝方
 多田薬師、お参りにきて下さる時に、天気が一寸くずれるかもしれませんが、お迎えに参ります。一畑薬師さんが、その時に私も多田薬師迄出かけます、とおっしゃった。

昭和58年10月25日(火)
 林と娘、矢野夫婦と四人で8時15分出発。お供花を持参。途中しぐれたが、多田薬師では晴れていた。朝のうちは土砂降りだった由。行きは敦賀迄一畑薬師さんがお迎え下さる。途中一足先に行きますが気をつけて、とおっしゃる(車の中で)。お昼から私は法要があるからそれ迄お邪魔します。12時過ぎ、多田薬師到着。堂守さんがお花をとてもよろこんでお供えする。丁度よい大きさであったし、本堂にお花がなかったので。
 1時15分、一畑さんが私はこれで失礼します、と肩を一寸たたかれて帰られた。帰路薬師様から7分程のドライブインで昼食をすませ、車に乗るなり土砂降りになる。三方五湖の日本海ばりのドライブインで多田薬師さんが帰られた。そこまで送って下さった。今日は遠いところをお参りありがとうございました、とお花の御礼があり、堂守も非常によろこんでいました。

昭和58年10月26日午前1時半頃
 多田薬師より御礼。あれからずっと土砂降りで、丁度あの時だけ良い天気でよかった。あんなによい花はめったに供えてもらえんでうれしい。

昭和58年11月13日朝6時頃
 一畑さんから帰ってきた。何時も来て頂くので、今日は御礼かたがたまいりました。
 昨日はみぞれまじりの寒い日でした。この15日の誕生日で81才になりますが、お蔭さまでお守り頂いているので元気です。本当にお丈夫で結構です。孫の話をした。一人だけ東京へ行っているので守ってやって下さい。あの子は食べものから健康から、自分で気をつけてみえるので一番健康です。何時もお守りしているから心配いりません。色々努力してみえて、よい青年です。医者になってみえる人が不摂生じゃで気をつけるように。こちらは今日法要があり、近隣近在の人がお参りしてくれる。道路がきれいになっていた。不思議なことがありまして、と云ったら、お仏壇の中の虚空蔵さんの白い半紙が青になりましたが、と云ったら、あなたがお徳高いので虚空蔵さんが不思議をお見せになった。あなたのお経によって変るけど、白い色にもどるでしょう。その青い色を拝んだ人は仏縁のある幸せな人ばかりじゃ、といわれた。