涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

105日目 OB会 in 三重・伊賀

2019-09-16 22:07:16 | 旅行
久しぶりの投稿。ゴールが見えてくると、ペースが落ちてしまう。

今回は、例年行っている大学時代のクラブの同窓会から。三重県のメナード青山リゾートに1泊2日で行ってきた。ログハウスに泊まったが、まずはエントランスのあるホテルの外観から。



そこから南方面を望む。ゴルフ、テニスなど色んなアウトドアが楽しめる。


ゴルフは練習不足なので、パットパットゴルフを皆で楽しんだ。


夜はバーベキューで歓談したあと、夜中まで学生時代を思い出してトランプ。翌日は、やはりスポーツはしんどいため、陶芸教室に向かった。作品が表紙の写真です。



そのあとはハーブ園へ。昼ご飯を食べて帰路に着く。




昭和59年11月15日(木)早朝2時半頃

 主人満82才の誕生日。一畑薬師様がお出で下さって、今こちらは紅葉で落葉がいっぱいです。とこ頃中お悪かったが、あなたの本を読んだ人が喜びを得ようとしてたよってくる。今、当地は霜がおりている。風邪は段々よくなります。
 心外無法は自分から求めて入るじゃで、自分自方はそういう心持でない。

昭和59年12月8日 朝2時
甚目寺観音様来臨。

 この頃、本読んだ人(浄土への道標)が喜びを得ようとしてきたけど、まんだあなた方はそれ迄にはいかんから、と言って追いかえした、とのお話承る。

昭和59年12月10日 朝方2時頃
多田薬師様
 二女この頃年末で掃除等よく働いているのを、あんまりよく働くと、今年は特別よく動いてみえるが疲れが出て風邪ひくといかんから気をつけよ、との御話あり。

昭和59年12月14日 午前2時半
一畑薬師様
 量子この頃胃腸が悪くて食欲進まず、之は冷えた為だ。元気な時に食物を気をつけないかん。お孫さんの結婚式には無理して出られない方がよい。長女の長女が12月12日に名古屋で結婚式があるが、式などは気をつかうから大変。長男〇〇の長男が、来年2月11日、京都で挙式予定。
 この頃、量子やや不快。主人テレビを見ていたら丁度浪花節で母子草の場面があった。その時ふっと生後6ヶ月で死んだ三女の加代子の事を思い出していた。一度仏前におまんじゅうでも供えてお経を上げて下さいといって、さっそくお経をあげていたら、綺麗な衣をきた顔立ちの良い子供があらわれて、今日はお経を上げて頂いてうれしかった。私はお地蔵様につれられて……御安心下さい。姉ちゃんにもおまんじゅうを供えて下さいと云った事を、後になって話される。

昭和59年終 1984年

領一 82才  量 82才

昭和60年 1月9日
量子の病気大分快方に向かう。一畑薬師、
大雪降ったこと、二月いっぱいはまだ寒いから皆風邪を引かぬ様に気をつけよ。三月にでもなれば元気になれる、との御話。

昭和60年 1月29日
甚目寺観音
今日は長男の孫の結婚が決まり、荷物が納まる日。朝方(59年 1月24日 朝の記事参照のこと)先日の黒い洋服を召した化身の仏が現れて、お宅と矢野さん宅に功徳のあるお金をおいておいたとのお知らせを頂き、早速調べたら、玄関の閉の上にぴかぴかの20円(10円玉二枚)がおいてあったので、すぐにおし頂き、矢野さん宅に電話する。勿論矢野さん宅にもおいてあったので大喜び。
1月31日、天気の都合よく御礼参詣、仏の御加護を喜ぶ。

昭和60年 2月4日 朝
3日は節分、4日は立春。昨日来、尾張観音めぐりの話しをしていたら、朝早く目ざめて、今、笠をかぶった仏様がみえた。笠寺観音様らしい。駅からでも近いから一度お参りして頂きたい。御慈悲を授けてほしいとのお話承る。

昭和60年 2月6日
甚目寺観音様
お参りくださって有難う。丁度天気もよくて……あなたのなさる事はいつもよいふうにいく。それを皆がわからんでいかん。どなたか観音様をつれてみえた。

昭和60年 3月22日 早朝
昨21日は彼岸の中日。この頃中は量子はどこへも外出しなかったが、雨降りだったけど念願の彼岸参りの為、長良新屋敷専成寺阿弥陀山参詣。両親や先祖三女の加代子等の法要をつとめてもらう。主人にも同道してもらう。その時のお寺さんのお経の声が小さくて聞こえなかった話をしていたら、早朝目をさまされて、今、お母さんが(量子の)加代子(亡くなった三女)をつれて綺麗な着物で御礼にみえた。久し振りに御会い出来てうれしい。今日はお経を上げてくださって有難うと喜んでみえた。その時にお経の声は小さくても功徳には変わりないと、云ってみえた。加代子はいつもお地蔵様に遊んでもらているとのお話。(信者十数人の参詣あり喜んでいる。)量子もこの頃元気になれてよかった。どうか長生きして済度の為につくす様に、との御話あり。最後に奈良のお薬師様参詣されし由。
 去る2月4日の新聞記事に笠寺観音様がお出で下さって、一度お参りしていただきたいとのお話ありしも、都合でなかなかその機会がなかったが、ようやく念願をとげる事できたのは、60年4月2日の事であった。