仕事であったり、二日酔いであったりと、1ヶ月ぶりの山登りになった。
段々寒くなり、冬山に登る準備をしているが、私の持っているガイド本には関西の雪山の案内に伊吹山、高見山、チセロ山、赤坂山、稲村ヶ岳とある。伊吹山、高見山の冬は経験し、赤坂山にも初夏に登ったが、何か登り口に迷ったような気がしていたので再度行くことにした。
下から見上げるとこんな山容。
山頂との中間にあるブナの木平休憩所の写真。雪が深いとここまで辿り着くのもしんどいらしい。
先日の寒波のため、山頂には雪が少し残っていた。おまけにガスの発生で視界が悪かった。
麓に戻ると、モトクロスの大会をしていた。
赤坂山のある滋賀県高島市マキノは、メタセコイヤの並木が有名で、多くの人が早朝から観光に来ていたが、それが表紙の写真。
昭和58年1月7日 午後11時11分
本日は主人領一の実父 亡林安太郎氏の33回忌法要で、実家の揖斐川町森前川口へ参詣、夕方帰宅、色々と話しをしていたら突然眠気を催された。亡林安太郎との対話
今日は参ってくれて有難う。待っておったわ。あんたのお浄土でのお座見せてもらったが、ずっと上で立派なものだった。量子さ立派な本を出してくれて、十年位たてばたいしたものになるけど皆がそれをわからぬでいかんわなあ。量子さ喜んでいるでどうか頼むよ。
子供や孫がみんなよいで結構だなあ。さようなら さようなら なつかし気に再度さようなら。翌8日目ざめて、森前のお父さんが綺麗な衣をきてみえた、と言うのと、量子の話すのと合致。家内に話し喜びあえり。さっそく森前の弟金司に電話する(同居せしことあり 平成14年 年秋死去)
昭和58年1月29日(土) 満月
主人風邪で咳が出て苦しがられる。お薬師様お出で下され、もうお暇もらうのでしょう?との問いに、あなたの御往生の時はこんな小さな満月ではない、お迎えの時はこうこうと輝いて冴えた嫌いな満月の日です、とのお言葉。主人領一の方は快方に向われたが、その代り量子不快。2月1日医者行き、高熱にて肺炎の兆にて注射。9日朝、多忙のため云うこと出来なかったが、今朝奈良のお薬師様がお出でになった。あなたがお風邪をひかれたので三薬師が一生懸命お守りしていたのであなたは直ぐ治られたが、他の二人(量子と次女)の方はもう4,5日すると治られるから心配せんでよい、とのお言葉。量子は少し悪いと食欲ないが、少量ずつとるようにする。娘さんの方は栄養をとってみえるから段々よくなる。
昭和58年2月11日(金) 建国記念日
夜量子呼吸苦しくなる。この時主人、長男、二男、三男宅に電話する。翌朝三人共慌しく見舞に来る。久し振りに兄弟5人会合、次女が今日きっとお地蔵様がお出で下さる気がすると言っていたら、三人共揃って弥八地蔵様へ参詣して帰路につく。量子の方も小康を得たので、三人共午後5時44分の「比叡」で帰宅する。三人共それぞれに自宅から安着の電話をかけて来た。
明けて2月12日朝方、4時過ぎ果せるかなぼそぼそと御礼のお言葉。久し振りにお地蔵様御来臨。三人揃ってお参り下さって有難う。小さい時から因縁の深い方が参って下って有難う。今日は朝からお待ちしていた。参詣客がいなかったので(量子が京都へ電話したら誰もいなかった由)三人共よい息子さんでお幸せじゃねえ……。一人は遠い所に行ってみえるので(長男は四国)妹達に頼んでみえたし、皆お母さんの病気を心配してみえた。今が一番寒い時だで、暖かくなれば治られるから、孫の結婚式にも出会えるから。
段々寒くなり、冬山に登る準備をしているが、私の持っているガイド本には関西の雪山の案内に伊吹山、高見山、チセロ山、赤坂山、稲村ヶ岳とある。伊吹山、高見山の冬は経験し、赤坂山にも初夏に登ったが、何か登り口に迷ったような気がしていたので再度行くことにした。
下から見上げるとこんな山容。
山頂との中間にあるブナの木平休憩所の写真。雪が深いとここまで辿り着くのもしんどいらしい。
先日の寒波のため、山頂には雪が少し残っていた。おまけにガスの発生で視界が悪かった。
麓に戻ると、モトクロスの大会をしていた。
赤坂山のある滋賀県高島市マキノは、メタセコイヤの並木が有名で、多くの人が早朝から観光に来ていたが、それが表紙の写真。
昭和58年1月7日 午後11時11分
本日は主人領一の実父 亡林安太郎氏の33回忌法要で、実家の揖斐川町森前川口へ参詣、夕方帰宅、色々と話しをしていたら突然眠気を催された。亡林安太郎との対話
今日は参ってくれて有難う。待っておったわ。あんたのお浄土でのお座見せてもらったが、ずっと上で立派なものだった。量子さ立派な本を出してくれて、十年位たてばたいしたものになるけど皆がそれをわからぬでいかんわなあ。量子さ喜んでいるでどうか頼むよ。
子供や孫がみんなよいで結構だなあ。さようなら さようなら なつかし気に再度さようなら。翌8日目ざめて、森前のお父さんが綺麗な衣をきてみえた、と言うのと、量子の話すのと合致。家内に話し喜びあえり。さっそく森前の弟金司に電話する(同居せしことあり 平成14年 年秋死去)
昭和58年1月29日(土) 満月
主人風邪で咳が出て苦しがられる。お薬師様お出で下され、もうお暇もらうのでしょう?との問いに、あなたの御往生の時はこんな小さな満月ではない、お迎えの時はこうこうと輝いて冴えた嫌いな満月の日です、とのお言葉。主人領一の方は快方に向われたが、その代り量子不快。2月1日医者行き、高熱にて肺炎の兆にて注射。9日朝、多忙のため云うこと出来なかったが、今朝奈良のお薬師様がお出でになった。あなたがお風邪をひかれたので三薬師が一生懸命お守りしていたのであなたは直ぐ治られたが、他の二人(量子と次女)の方はもう4,5日すると治られるから心配せんでよい、とのお言葉。量子は少し悪いと食欲ないが、少量ずつとるようにする。娘さんの方は栄養をとってみえるから段々よくなる。
昭和58年2月11日(金) 建国記念日
夜量子呼吸苦しくなる。この時主人、長男、二男、三男宅に電話する。翌朝三人共慌しく見舞に来る。久し振りに兄弟5人会合、次女が今日きっとお地蔵様がお出で下さる気がすると言っていたら、三人共揃って弥八地蔵様へ参詣して帰路につく。量子の方も小康を得たので、三人共午後5時44分の「比叡」で帰宅する。三人共それぞれに自宅から安着の電話をかけて来た。
明けて2月12日朝方、4時過ぎ果せるかなぼそぼそと御礼のお言葉。久し振りにお地蔵様御来臨。三人揃ってお参り下さって有難う。小さい時から因縁の深い方が参って下って有難う。今日は朝からお待ちしていた。参詣客がいなかったので(量子が京都へ電話したら誰もいなかった由)三人共よい息子さんでお幸せじゃねえ……。一人は遠い所に行ってみえるので(長男は四国)妹達に頼んでみえたし、皆お母さんの病気を心配してみえた。今が一番寒い時だで、暖かくなれば治られるから、孫の結婚式にも出会えるから。