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パロットたちによる「ミサ曲 ロ短調 BWV232」、何度きいてもすごい演奏です。さきほどの記事では、パロットたちの演奏を褒めたわりには流しすぎたようなので、記事をあらたにたてて、かんたんに説明しておきます。

その特徴は、

  • 演奏はリフキン校訂の楽譜を使用
  • 編成はリフキン説に準じつつ拡大
  • ラテン語の発音がドイツ式

です。

パロットが用いた楽譜の校訂者ジョシュア・リフキンは、最近ではカンタータの復元(BWV216)の業績で知られる、バッハ研究者・音楽家。理由はおいておくとして、バッハの声楽曲は「各パート1人」で歌われた、という理論の提唱者で、実践者です。

リフキンの主張する「各パート1人」については反論の声のほうが大きいようですが、パロットは、その録音にさいして、リフキン説に準じつつ、やや拡大した編成をとっています。アリアや二重唱はもちろん、コンチェルティスト(ソリスト)によるソロ。

ふつうでないのが合唱曲で、コンチェルティストと、声部に厚みをつける要員のリピエニスト(トゥッティスト)が、同時に歌います(4声部の曲なら合計8人の合唱)。曲によってはコンチェルティストのみの編成(4声部の曲なら4人での合唱)もあります。

また曲のとちゅうの、フーガ風にはじまる部分の入りも、コンチェルティストがソロで歌うというもの。こうした演奏形態は、器楽の協奏曲、たとえばブランデンブルグ協奏曲の第2番の、ソロ楽器を声におきかえればわかりやすいかと。

ただし、楽譜のどこをみても、ソロとトゥッティの交替の指示はありません。パロットは、当時の演奏者にとって「自明の理」であったことは楽譜に記されていなかった、ということを主張して、演奏の可能性を探求し、演奏実践したわけです。

パロットの演奏は、一部をのぞきあまり評価されていません。「レコード芸術」のなにかの企画では、「陳腐」と評した評論家(専門家ではない)もいました。評価されない理由はわかるのですが、少なくともCDでは、パロットのアイデアは、成功しているように思えます。

成功の要因は、参加した声楽陣の力量も大きく、コンチェルティストには、カークビー、ヴァン・エヴェラ、コーヴェイ・クランプ、トーマスという錚々たる布陣。アルトをうけもったテルツ少年合唱団員もきわめて優秀で、バッハのポリフォニーの醍醐味を楽しませてくれます。

なお、東芝EMIのCC33-3300・3は廃盤ですが、ヴァージンから再発売されたCDはまだ購入できるようです。興味のあるかたはどうぞ。http://www.hmv.co.jp/product/detail/203536

ただし、パロットたちの演奏は、響に厚みを求めるかたにはむかないと思います。また、録音の水準はさほどでもないので、ほぼ、同じコンセプトの新しい録音、ユングヘーネルたちのCDのほうがよいかもしれません。http://www.hmv.co.jp/product/detail/1895422

[追記]興味があるかたは、以下の関連記事をご覧ください。



コメント ( 4 )



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コメント
 
 
 
ジョシュア・リフキンの学説について (ogawa_j)
2008-01-31 18:21:26
ジョシュア・リフキンの最も有名な学説は、バッハのマタイ受難曲の初演が、通説であった1729年より2年早い1727年であった可能性が高いことを主張したものです(The Musical Quarterly, 1975)。こうした研究と同時に、以前から演奏活動も行っていますね。
 バッハの教会声楽作品の演奏は、各パート一人ずつであったという学説と、それを実践する演奏活動に熱心に取り組んでいます。この考えは単に思いつきによるものではなく、裏付けのあるもののようです。樋口隆一氏の「バッハ探究」という本の中に、当時氏が編纂中であった新バッハ全集の巻に含まれるカンタータの原典についてリフキンから問い合わせがあったことが書かれています。
 確かに、バッハがヴァイマールの宮廷礼拝堂で演奏した教会カンタータは、声楽部だけでなく、楽器パートも各一人の演奏者で演奏された可能性が高いのですが、それをライプツィヒの聖マルコ教会や聖トーマス教会での演奏にまで適用するのは無理があるように思います。確かにバッハのオリジナルのパート譜に声楽部のリピエニストのものがないことは確かですが、それがリピエニストが居なかったという結論とは結びつかないと思います。現在のオーケストラの弦楽器奏者のように、二人で1枚の楽譜を見ると言うこともあり得ますし、aeternitasさんも書いていられるように、当時の人にとって自明のことは、わざわざ書かなかったという事も考えられます。私のブログでロ短調ミサを紹介した際に引用した1730年3月23日付の市当局に宛てた書簡で述べられている編成は、確かに実際とは違っていたでしょうが、バッハが最低これだけの人数は必要だと考えていたことを示していますから、ロ短調ミサの場合は、バッハの生前には演奏されたことがなかったとはいえ、今日演奏する際の目安になると私は考えています。
 リフキンの場合もそうですが、パロット、ユングヘーネルの場合も、声楽部に女性の歌手、混声合唱団を起用していることの方が問題で、いかにバッハの演奏と同じ編成をとったとしても、その響きは実際とは全く違ったものとなっています。つまり、「歴史的」編成の意味はそれによって無くなってしまったと私は考えています。
 ただ、この事と演奏がすばらしいという事とは別問題ですから、決してパロットやユングヘーネルの演奏を否定しているわけではありません。私は今でも、カール・リヒター指揮、ミュンヘンバッハ管弦楽団、合唱団によるロ短調ミサを東京の日生劇場で聴いた時の感動を忘れていませんし、同じメンバーのレコードを今でも大事に持っています。
 実を言いますと、私はパロットの演奏も、ユングヘーネルの演奏も聴いていませんので、あまり偉そうなことは言えませんね。
 
 
 
くわしい解説ありがとうございます (aeternitas)
2008-02-01 00:16:27
ogawa_jさん、いつもくわしい解説ありがとうございます。

上申書の、「ただし、各声部あてに四名の人員を配置でき、したがって各合唱隊が一六名の編成をもてるような集団がつくれますなら、これに越したことはありません」(『バッハ資料集』白水社)という注記が、合唱隊の運用面からなのか、音響的、音楽的理想からなのか、その両方をふくんでいるのか、悩ましい問題ですね。パート1人とか2人の演奏をきくと、なれのせいかもしれませんが、響は厚くなくてよいと、わたしは感じてしまいます。
 
 
 
パロットのロ短調ミサ (ogawa_j)
2008-02-04 10:29:33
パロットのロ短調ミサのCD、アマゾンで1500円ちょっとで買えましたので、さっそく聴いてみました。私は良い演奏だと思いました。
 ミサ曲というと、壮麗な演奏を期待する人もいるでしょうが、私がライプチヒの二つの主教会やチューリンゲン地方の町の教会をいくつか見た経験から言えば、経済的な問題もあるでしょうが、ルター派の教会は、イタリアのカトリックの聖堂のようにその大きさ、豪華さで人を圧倒するのではなく、教会に集う信徒一人一人が内的に神と向き合う事を重視するルター派の考え方が表れているように感じました。
 ライプチヒは当時のドイツでも有数の経済的にも、文化的にも繁栄していた都市にもかかわらず、実に控えめな合唱団、オーケストラしかありませんでした。そのような演奏者によって演奏されたバッハの教会カンタータは、きっとこのパロットのロ短調ミサの響きに近かったのではないかと思います。
 解説書には何も触れられていませんが、弦楽部はおそらく第1,第2ヴァイオリンとも2人か3人ではないかと思います。その弦楽合奏と管楽器の響きのバランスは、私が紹介したロバート・キング指揮のものよりはるかに良いと思いました。ソロを演奏する奏者も非常に優れています。声楽部では、独唱(各パート一人)と合唱の細かい使い分けに、少々驚きました。むしろ独唱を基調に、必要に応じて合唱を加えるという考え方なのでしょう。例えば、グローリアの最終部、Cum sancto spirituの歌い出しが独唱だったのにはびっくりしました。アルトはテルツ少年合唱団員が歌っていますね。ソプラノの独唱と合唱をボーイソプラノにしていれば完璧だったのですが・・・。
 小さな編成で、声部の動きが透けて見えること、適切なテンポ設定など、優れた演奏だと感じました。良い演奏をご紹介いただき、ありがとうございました。
 
 
 
タヴァナー・プレイヤーズの弦の編成 (aeternitas)
2008-02-04 19:53:18
ogawa_jさんの推察どおり、タヴァナー・プレイヤーズの弦の編成は、3-3-2-2-1というもので、パート1人ではありません。なお、最後のドナ・ノビス・パチェムは、コンチェルティスト7人(うちボーイアルトは3人)とリピエニスト5人、あわせて12人の全員参加で歌われています。すなわち、アルト声部の4人をのぞき、ほかの声部は2人ずつでの合唱です。解説がくわしくないようですので、念のため。
 
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