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一日一バッハ




昨日きいた鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)による「ロ短調ミサ曲」(記事は「ミサ曲 ロ短調 BWV232 [2]」)、昨日やっと通してきくことができましたが、ひとことでいえば、きわめて美しい、すぐれた演奏でした。

その演奏の特徴をまとめると、

  • ペータース版を使用
  • 編成は、いわゆるバッハの理想に準じたもの
  • ラテン語の発音がドイツ式

です。

ペータース版の使用についてですが、じっさいの演奏では、校訂者クリストフ・ヴォルフが取捨選択したうち、捨てられたほうのアーティキュレーションを採用していたりと、あたりまえですが、細部には異動があります。

録音は、はじめから順にとられたわけではなく、けっこうバラバラにテイクしたようですが(「BCJ「ロ短調ミサ曲」レコーディングレポート」)、きくのはもちろん、「キリエ・エレイソン」から「ドナ・ノビス・パチェム」まで通してききました。

第1キリエは、気迫をこめたアダージョをはじめ、10分33秒と思いのほかゆっくり。とはいえ、ミサ曲全体としてみれば、けっして遅くはなく、ほかのピリオド演奏と、さほどちがいはありません。楽曲によっては、早めのものもあります。

ほとんどの楽曲で、音楽の流れは自然でなめらか。洗練されたというか、磨きぬかれたというか、演奏技術と緊張感が高い水準で保たれています。熱気も感じるのですが、それは刺激的なものではなく、抑制された感じです。

秘められた情熱を感じてきき進めていくと、この演奏に普遍的な価値まで感じてきます。時空を超え、この極東の日本で、こうして「ロ短調ミサ曲」が録音され、それが賞をとるとは、バッハもまったく想像できなかったでしょう。

さて、この演奏が現状で好みかと問われると、それはちょっとちがいます。歌詞がダイレクトに伝わってこないためで、ミサのことばがとても遠景からきこえてしまうためです。もちろん、これは感じかたや録音の問題なのかもしれません。

ことばの問題は、カンタータの演奏でも同じように感じることもしばしば。ガーディナーの演奏でも、音楽には感心しつつも、ことばがうわすべりしているような感じがすることもあるので、これは、たんに個人的趣味の域なのだと思います。

そうした感じかたの問題も、バッハについての「ふらふら」の一因なのですが、まだ通して1回しかきいていないので、くりかえし、ていねいにきけば、その感想も変わってくるかもしれません。いずれもしろ、これはすぐれた「ロ短調ミサ曲」です。

[追記]興味があるかたは、以下の関連記事をご覧ください。




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