この、おかしな国、日本!どうやって生きていくのが楽しいか?

あ~あ~こんな国に生まれちゃったよ・・・・

出版業界は断末魔の叫び声をあげている・・・

2018-05-27 13:59:11 | 日記

 ネット系の言論革命は、 そう簡単には、出来ない。 例えば、あの「ニコニコ動画」も、政治討論会の デジタルでの 同時配信 とかを、やった。 しかし、その後、どうなりましたか。 「ニコ動」(ドワンゴ。川上量生=かわかみよしお?= が、今は、角川書店を乗っ取った) は、ユーチューブに、やられてしまって、全く、元気がなくなっている。

 アマゾンと スマホ の 挟み撃ちで、 日本の 出版業界 は、追い詰められて、書店、取り次ぎ、出版社は、どこも、もう、潰れかかっている、と言っても、過言ではないのです。恐ろしいことが、日本でも起きている。 

 こういう、私たちの身近の、それこそ、足下(あしもと)、目の前、の 厳しい現実を、 知っている人、自覚している人は、あまりいない。深刻になって、今にも、自殺者が大量に出そうなのが、出版業界だ。 

 それを、観客=お客=本の買い手、 知識、思想、学問の 需要者、消費者 である、皆さんは、ちっとも自覚していない。 都会の電車の中の、通勤者その他、が、座っている、目の前の席の、8人、全員が、スマホを操って、何かを見ている、という光景を、知っているでしょう。

 漫画か、ゲームか、洋服の棚か、SNSのチャット、LINE か、映画や、野球の試合を見ている人もいる。 アマゾンKindle キンドルで、 本を読んでいる人がいるのか。iPhoneアイフォンのiPadアイパッド で、本を読んでいるひともいるだろうか。

 

 もう、紙の本だけに 頼っていては、、干上(ひあ)がってしまう。 出版業界は、断末魔の叫び声をあげている。


北朝鮮爆撃で株価の大変動が起きる・・・

2018-05-18 14:29:12 | 日記

北朝鮮爆撃で株価の大変動が起きる

 株価が上下に動くことを、ボラティリティ(変動率)という。戦争はこの株価のボラティリティを激しく上下に大きく拡大させる。この価格の変動率(ボラティリティ)は、資金運用者と投資家にとっては、たいへん有難い重要な仕掛けだ。投資の基本は、買ったら売り、売ったら買い戻す、である。安値で買って価格が上がったら売って利益を取る。あるいは、下落相場なら、(先物(さきもの)での売りならば)借りてきた株を先値(さきね)で高値で売っておいて、暴落したあと安値で買い戻す。そして利益を取る。これしかない。そのためには、業界全体にある程度のボラティリティがなければいけない。無風状態で値動きなしが何カ月も続くのが、一番イヤなのだ。

 だから、ここから先、しばらくの間、株価の急上昇と暴落が何回か繰り返されるだろう。暴落したらその時、サッと買う。そのあと暴騰が来る。ここで迷わずサッと売る。ここで売れないでじっと持っていると、大損する。なぜなら、また暴落するからだ。また安値、底値でサッと買う。秋までに、こういう動きが3回ぐらいあって繰り返すだろう。

 第一次世界大戦(1914─1918)の時にも、これとまったく同じ暴騰と暴落があった。その時、日本は日露戦争(1904─1905)に勝利したあとで、世界の5大国入りして帝国(エムパイア)になっていた。日本は第一次大戦の戦争前景気で、1回おおいに盛り上がって、その後、ばたーんと落ちた。このあと戦争が終わったようだ、ということで、またドーッと株(景気)が上がった。ところが、暫(しばら)くしたら、またドーッと落ちた。1920年から〝戦争景気〟のあとの長い不況が来た。これと同じことがまた世界で起きようとしているのである。

第一次大戦(WWI)(ザ・ファースト・ワールドウォー)は、1918年12月に終わり、1919年から、講和(平和交渉)(ピーストークス)のためのベルサイユ会議が始まる。このあと1920年に入るとドーッと落ちた。この時、日本の鈴木商店(三井物産の前身)、そして台湾銀行が倒産した。鈴木商店は、今の総合商社の先駆けで、戦争景気で、スエズ運河に、鈴木商店の商船(輸送船)がズラリと並んでいたのである。鈴木商店が日本を代表する大商社だった。

 天才経済学者のケインズさえ、この時、投資で大失敗した。大戦後の1920年から後の4、5年は苦戦した。だから迫りくる〝第二次朝鮮戦争〟の前後にも大きな変動が来る。ただし、今回は期間が半年ぐらいなので短い。だからそのあとの数年(3年、さらに3年)の動きを読まなければいけない。


5月末から一気に雲行きが再び変わるだろう・・・

2018-05-18 13:52:00 | 日記

このあと、5月末から一気に雲行きが再び変わるだろう。ガラリと様子が変わる。5月15日に北朝鮮は突然態度を硬化させて、南北閣僚級会談を中止し、米朝首脳会談についても「再考せざるを得ない」と発表しました。融和ムードだったのは周囲だけで、北朝鮮自身は追い詰められています。

 戦争で経済を刺激して、景気をよくする(株価を吊り上げる)という戦争経済(ウォー・エコノミー)、もっと正確には戦争“刺激”経済(ウォー・ブースト・エコノミー)を、アメリカのドナルド・トランプ大統領とジェローム・パウエルFRB議長は考えているようです。具体的にはアメリカが北朝鮮を空爆し、その不安感から株価を下げておいて、その後の「勝利の安ど感」から株価が上がる、そして、その後は株価が下がるというシナリオを立てているそうです。これと同じ動きが第一次世界大戦(1914-1918年)の時期と第二次イラク戦争(2003年)が既にあったということです。


戦争経済がどのように進むかを示す図

 株式市場では、ヴォラティリティ(volatility)と呼ばれる、株価の変動の大きさが重要で、これが大きいほど、金融バクチを張る人々には大きな利益を得るチャンスになるということです。これから戦争経済で、株価の乱高下が起きると、ヴォラティリティが大きくなるということになります。


拉致とは何か・・・

2018-05-16 10:19:44 | 日記

私が、最近、一番、気にくわないのは、日本政府(安倍政権)が、「トランプ大統領。日本の拉致(らち、アブダクション)問題も、シンガポールの米朝会談の議題に入れてね」と、まだ、性懲りも無く、懇願している、そのニューズ報道だ。 ホントに、こいつら、拉致、拉致で、もう10年も、内容もないのに、騒いでいる、反共右翼すなわち、統一教会の 悪質な、連中だ。

(転載貼り付け始め)

日本人拉致事件 写真特集
時事通信


東京・新宿駅で開催された北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさんの写真展を訪れた母親の早紀江さん=2018年5月8日【時事通信社】

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。

2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産したが、94年4月に自殺したと主張している。

 早紀江さんは「悲しみの中で見る写真は言葉で表せられないほどつらい」と述べ、一刻も早い帰国を求めた。

(転載貼り付け終わり)

  横田滋、早紀江夫妻というのが、この運動の 司令塔で、広告塔のようだが、もう、こういう、偽(にせ)芝居、やらせのドラマは、いい加減にして終わりにせよ。

 北朝鮮の 国家犯罪としての、拉致事件は、外交交渉として、この20年間、ずっと協議された。そして、終わりにすべきことなのだ。もう終わっているのだ。それを、蒸し返し続ける、という、その腐った根性は、どこからやって来るのか。

 ここでは、私、は、日本のリベラル派や、反(はん)安倍政権派の、温厚な日本国民の、ちっとは知能がありそうな人たちに、以下の知識・情報、すなわち真実を、分け与えておきます。いいですか。さっさと事実を知りなさい。  

 1977年に、日本の海岸線で起きた一連の事件の拉致被害者たちは、もう、全員、死んでいる。
拉致被害者は、全部で13人で、そのうち8人は、横田めぐみも含めて、1980年代に死んでいる。
残りの5人を、だから、小泉純一郎が、北朝鮮を騙して、「里帰りだから」の策略を使って、2002年10月に、連れ戻してきた。さらに、その子供たちも2004年5月に連れ戻してきたときに、終わったのだ。本当に終わっているのだ。それを、日本政府(安倍政権と右翼たち)は、今も、ワーワー、虚偽の話をねつ造して、騒ぎ続けている。これは、国際社会に向けて、極めて見苦しい態度だ。 

 だから、北朝鮮政府が、この日本の外務省の 嫌(やら)らしい態度に、怒るはずなのだ。
トランプ政権の北朝鮮爆撃を予測、予言しているは、矛盾していると、思う人がいるかもしれないが、私は、北朝鮮政府の以下の態度を支持する。こっちが正直だ。

(転載貼り付け始め)

●「 拉致問題提起を非難=北朝鮮「過去の清算回避」 」

2018年5月12日 時事通信
https://www.jiji.com/jc/article
?k=2018051200417&g=prk


 北朝鮮国営の朝鮮中央通信は、5月12日、日本人拉致問題について「解決された」と主張、日本政府の拉致問題提起を「誰かの同情を買い、過去の清算を回避しようとしている」と非難した。その上で、「過去の清算のみが日本の未来を保証する」と訴えた。

 6月12日にシンガポールで行われる金正恩朝鮮労働党委員長とトランプ米大統領の初の首脳会談をにらみ、拉致問題を取り上げようとする動きをけん制する狙いがあるとみられる。同時に、「過去の清算」に向け、日本と対話する用意も示唆した。

 朝鮮中央通信は論評で、「全世界が近く開かれる朝米首脳の対面(米朝首脳会談)について、朝鮮半島の前向きな発展を主導し、明るい未来をつくるための第一歩と支持、歓迎する中で、日本だけがこの流れに逆らっている」と批判。「日本の反動層が既に解決された『拉致問題』を再び持ち出し、世論をあおろうとしているのは、朝鮮半島の平和の気流を阻もうとする愚かな醜態だ」と決め付けた。

 また、「 朝日(ちょうにち)関係は本質的に、被害者と加害者の関係であり、加害者が被害者に謝罪と賠償をしなければならないというのは、問題の初歩だ」と強調。戦時中の強制連行や慰安婦問題などを挙げ、「日本という国全体をささげても到底、賠償できない」と主張した。

(転載貼り付け終わり)

 上記の記事の解説は、もう、しない。

 以下の記事を読みなさい。これが、日本のリベラル勢力、ちょっとは自分の頭で、考える力のある人は、しっかり読みさない。これが真実なのだ。この事実を、「拉致、拉致」で、わざと騒いでいる人間たちに突き付けなさい。「あ、バレたか」と顔が歪むから、自分の周辺にいる、「拉致(らち)騒ぎ人間」を、皆さん、自分で問い詰めなさい。

(転載貼り付け始め)

●「石井一(いしいはじめ)氏「横田めぐみさん、とっくに亡くなっている。私は北朝鮮に精通している」」
2014年8月30日 The Huffington Post

https://www.huffingtonpost.jp/2014/
08/29/hajime-ishii_n_5739914.html


 民主党の石井一(いしいはじめ) 元(もと)国家公安委員長(80)は、8月29日、神戸市内で開いた自らの旭日大綬章(ぎょくじつだいじゅしょう)記念パーティーで、北朝鮮による日本人拉致問題について 「日本政府はいまだに横田めぐみさんらを返せと騒いでいるが、もうとっくに亡くなっている」と発言した。47NEWS などが報じた。



 「私は北朝鮮に精通している。それなのにまだ(交渉を)やっとるのは非常に違和感がある」と、現政権の対北朝鮮外交への不満を表明。「社会に大きな警鐘を鳴らす発言だが、皆さんの批判を問いたい」とも述べた。
 
(47NEWS=共同通信= 『「めぐみさんは既に死亡」 石井元公安委員長が発言』より 2014/08/29 )

 石井氏は、4月、2014年の春の叙勲受章者に選ばれた。それを知った民主党の海江田万里(かいえだばんり)代表らの呼びかけで、パーティーが実現したという。

 石井氏はこのパーティーの出席者に配布した「私の主張」と題した文書でも、「北朝鮮が一度死亡と発表した方々を、改めて生存しているとする可能性は、とても低いのではないか」と指摘していたという。また、パーティー終了後の取材では次のように話していた。

 終了後の取材で「(めぐみさんらが)戻って来てくれれば非常にうれしいが、最高権力者が交渉で一度認定した事実を覆すことはあり得ない。冷静になるべきだ」と発言の趣旨を説明した。
 
(MSN産経ニュース『「めぐみさんは既に死亡」 石井元公安委員長が発言」より 2014/08/29 )

 元日経政治部記者で民主党員の宮崎信行氏は、石井氏が国家公安委員長に就いていた1994年に、日本の警察が、初めて朝鮮総連に対して家宅捜索を行っていることを指摘。石井氏が北朝鮮に精通していることを示唆した。

 石井一(いしいはじめ)先生は、55年体制崩壊の翌年、第80代羽田(はた)内閣の国家公安委員長として再入閣し、わずか2か月の在任期間でしたが、長年タブーだった朝鮮総連京都府連の家宅捜索に成功しています。@47newsflash 民主党の石井一元国家公安委員長が「横田めぐみさんらを返せと騒いでいるがとっくに・・・・  国会実況 国会中継 (@kokkai_live) 2014,年8月 29日

 横田めぐみさんを巡っては、北朝鮮側は拉致被害者の安否再調査で、めぐみさんのものとする「遺骨」を提出したが、日本側のDNA型鑑定で偽物であることが判明している。

(転載貼り付け終わり)

  政治家の石井一(いしいはじめ)氏は、 立派な政治家だった。

 石井ピン(はじめ)は、神戸が地盤で、なかなか風貌からしても、ドスが効いたので、‘自民党内の 山口組 ‘と、悪名(あくみょう)で呼ばれた人だ。だが、本当は繊細な感覚をした、頭のいい政治家だった。 石井ピンは、田中角栄が手塩にかけて育てた政治家のひとりだ。 

 1992年の“自民党大分裂”のあとは、ずっと、小沢一郎と、行動を共にした。真に気骨のある政治家だった。だが、最後は、「お前、石井よう。 小沢から離れんかい。 そうせんと、刑務所にいれたるど」と、 穢(きたな)い、竹下登(たけしたのぼる)系から、脅しあげられて、それで、「この歳で、拘置所、刑務所はきついなあ」で、最後に小沢一郎から離れたひとりだ。

 私、は、あの頃、細川政権も崩れて、さらに自分の党も、公明党が裏切って壊された頃に、書いている。「小沢。逃げろ、逃げろ。逃げ延びろ」、「小沢一郎だけは、最後の一騎になって、供の衆と、山中を逃げ延びろ。それが、日本国の為だ。大将だけは死んではいけない。 多くの若い同志である若侍(わかざむらい)の政治家たちは、たくさん討ち死にして、死体を野山に晒(さら)した。悲しいことだ。だが、大将だけは生き延びなければいけない。それが日本国のためだ」と、私、は、書いた。 
   
 下の方に、たくさん貼り付ける、時事通信の、拉致被害者たちの顔写真、そしてその下の、解説文に、 必ず次のように書かれている。

「 「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産した、が、94年4月に自殺したと主張している 」  

 北朝鮮政府は、日本政府から、この20年以上も、外交協議の場で、やいのやいとの、拉致、拉致を、言われ続けた。 だから 北朝鮮側が、ついに根を上げて、「分かりましたよ。彼らの骨とか、遺品を集めます」で、まとめて出した( それが、正確には何年だったか、私、は、記事を探している)。

 それなのに、この時の北朝鮮政府の正直な態度に対して、「これらの骨は、日本側での鑑定に掛けた結果、本物ではない」と、日本政府(外務省)は、「これらの大量の人骨が、真正(しんせい)であるか、分からない」 と、決断して、このあとも、「拉致、拉致」で、騒ぎ続けることに決めた。なんという、悪質な態度であることか。 朝鮮人たちが、またしても、怒るはずだ。だから今度は、「6カ国協議」の再来(さいらい)版に、日本は入れて貰(もら)えないのだ。

 このことを捉(とら)えて、日本のリベラル派、反(はん)安倍勢力は、「北朝鮮問題で、蚊帳(かや)の外に置かれた安倍政権。みっともない」の、一点張りの 北朝鮮問題への、自分自身の見識を作ろうとする、努力を放棄して、こればっかり言っている。リベラル派も頭が悪いのが揃(そろ)っている。

 私、は、この 3カ月、何だか、変だなあ、と思っている。いつもなら、激しい北朝鮮への攻撃、見苦しいまで見下(みくだ)し、嫌悪、軽蔑を示す、ネトウヨと反共右翼たちが、北朝鮮問題で、ものすごく温和(おとな)しくなっている。ピタッと悪口をやめて、奇妙な静けさだ。

 街宣車(がいせんしゃ)で、列を作って都会を行進する、日本の右翼(うよく)の、半分かな、と、思ったら、9割が、どうも、在日韓国人・朝鮮人たち、あるいは、日本人に帰化(きか。ナチュラライゼイション)した人たちらしい。 だから、「我が祖国、北朝鮮を、守れ」で、 「米軍(トランプ政権)の北朝鮮、爆撃に反対 」の感じ、雰囲気になっている。これは、おかしな動きである。 

 「自分の魂が帰る地で、深く敬愛する、私の偉大なる、お父様、お母様の祖国、( remnant country  レムナント・カントリー)をお守りください」 という感じだ。 すべてがねじ曲がって、大きくひっくり返っている。

 拉致問題でも、そうだ。あまり、拉致、拉致と騒がなくなった。テレビも騒がない。騒いでいるのは、外務省の発表 だけだ。なぜなのか、ここには謎があるが、私、副島隆彦はだいたい解明している。なぜなのか、それは。次の記事に表れている。

(転載貼り付け始め)

●「ポンペオ氏、「非核化で米企業の北朝鮮への投資可」示唆」

2018年5月14日 朝日新聞
https://www.asahi.com/
articles/ASL5F7TZQL5FUHBI02F.html


 ポンペオ米国務長官は、5月13日の米FOXテレビのインタビューで、「 北朝鮮が非核化に合意すれば、米政府は米国の民間企業が北朝鮮に投資することを認める」という考えを示した。ポンペオ氏は、 「米国の民間部門は、北朝鮮の電力供給網の構築を支援することができる」と語り、インフラや農業分野で投資することができるとの見方を示した。

 ポンペオ氏は11日の記者会見でも、「北朝鮮が早期の非核化に向けて大胆な行動をとれば、北朝鮮の繁栄に協力する用意がある 」と発言。 北朝鮮の対応次第で米国が経済的な見返りを与える可能性を示唆している。

 一方、ボルトン大統領補佐官(国家安全保障担当)は、5月13日の米CNNの番組で、米朝首脳会談に向けて、北朝鮮側に、「C 完全」かつ「 V 検証可能」で「 I 不可逆的」な「 D 非核化」を求めていると強調した。

(転載貼り付け終わり)

  この ポンペオ国務長官(この人は、米陸軍の特殊部隊=スペシャル・フォーシズ=である、旧グリーンベレー、今は、レインジャーという、にいて、秘密の作戦行動の司令官をしていた、強硬派だ )の発言を読むと、まるで、北朝鮮核(かく)問題は、話し合いで解決するように読める。

 このポンペオの「 北朝鮮が非核化に合意すれば、米政府は米国の民間企業が北朝鮮に投資することを認める」 とは、北朝鮮で体制変更が行われた、そのあとの、北朝鮮の復興の時のことを言っているのだ。 

 キムジョンウンを、北の山岳地帯だけを一斉に爆撃すること、心底、震え上がらせておいてから、そのあと、本当の ネゴシエイションが、始まる。ディールdeal と ネゴシエイション negotiation の違いを、ここで、日本人に説明するのは、大変なことだ。 震え上がった金正恩に、トランプは、再度、会って、「今度こそ、全部、核兵器と弾道ミサイル(宇宙ロケット)を差し出すか」と聞く。そのように事態は進行してゆく。 そのときが、予言の勝利だ。 

 だから、ポンペオ国務長官の発言 と同じく、日本外務省が、拉致、拉致、 と言い続けるのは、北朝鮮での体制変更が起きて、そのあとに、復興計画を含めて、和平交渉( peace talks ピース・トークス) が、始まって、それが、やがて、65年経っての、平和条約( peace treaty ピース・トリーティ)へとつながる。

 朝鮮戦争が、休戦=停戦して、 1953年に結ばれた休戦協定( cease-fire agreement シース・ファイア・アグリーメント)と、和平交渉、平和条約が、どう、ちがうか、を分かっている、日本知識人が、ほとんどいない。 休戦協定のまま、現在まで続いているのだ。これを、急に平和条約には、出来ない。 1953年の休戦協定は、北朝鮮と韓国が、合意したものではない。中国(ホウトクカイ将軍)と、国連軍の司令官の米国将軍が、結んだのだ。 あのバカの朝鮮人、 金正恩と 文在寅が、どうにか出来るものではないのだ。 何が、「平和宣言」だ。そんなものは存在できない。

 だいたい、平和条約(ピース・トリーティ)は、= 戦争終結条約 のことなのだ、と、日本人の知識層でも知らない。日本人というのは、敗戦後、ずっと、バカのままの、洗脳された国民なのだ。

 だから、おそらく来年から、和平交渉(ピース・トークス)が始まった時に、日本政府は、新しく出来る北朝鮮政府から持ち出される、「日韓併合(にっかんへいごう)」 の時以来の、 植民地支配で、北朝鮮が、受けた多大の苦難と、死者と、多くの政治弾圧とかへの補償=損害賠償をしなければ済まない。

 その金額は、おそらく、5兆円(500億ドル)ぐらいだろう。そのうちの1兆円とかを、負けてもらうための、「あなた(北朝鮮政府)も、拉致問題という国家犯罪をした」で、その交渉の材料として、相手に、打ち返す、撃ち返すミサイル として、外務省はこの拉致問題を言い続けるのだ。 分かります? 頭のいい人ちゃんたち。 

 前の方で書いた、「本当は、(もう北朝鮮ではない)イランだよ」とか、まで読めて、始めてずば抜けて頭のいい人間、というのだ。 

 

以下は、資料として、 貼り付けておきます。 よく勉強して、真実を知りなさい。  

副島隆彦拝 

(ここから資料、 転載貼り付け始め) 


出典:朝日新聞 2017年3月27日

「日本人拉致事件」
日本大百科全書(ニッポニカ)

 北朝鮮によって、一般の日本人が拉致(らち)された事件。
 日本人拉致に関する疑惑が初めて日本のマスコミに大きく取り上げられたのは、1987年(昭和62)11月に発生した大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)が北朝鮮の工作員育成機関である金正日(キムジョンイル)政治軍事大学で日本から拉致された「李恩恵(りおんけい/リウネ)」なる日本人女性から日本語を教わったと証言したことによる。

 日本政府は警察の調査に基づき「李恩恵」なる女性が1978年(昭和53)6月に失踪(しっそう)した田口八重子(たぐちやえこ)の可能性が高いとして、1991年(平成3)5月、第3回日朝国交正常化交渉の場で北朝鮮に対して初めて日本人の拉致に関する問題を提起した。しかし、この問題は本交渉の議題とはされず、非公式協議に回された。その後、日本の追及に北朝鮮側が「共和国に対する侮辱であり、会談の破壊行為である」と猛反発したことで1991年1月にスタートした日朝国交正常化交渉は1992年11月の第8回交渉で中断する事態に至った。

 5年後の1997年には、新潟市内で1977年(昭和52)11月に失踪した横田めぐみが北朝鮮に拉致されていたことが韓国に亡命した北朝鮮の元工作員の証言で判明。北朝鮮に拉致された日本人の数は、日本政府が認定しただけでも、有本恵子(ありもとけいこ)らヨーロッパ旅行中に拉致された3人も含めて8件11人に上った。

 日本人拉致に関する問題はその後、北朝鮮が「行方不明者としてならば調査する」と応じてきたことで、国交交渉が2000年(平成12)4月から再開されたが、北朝鮮の回答は「(行方不明者は)わが国にはいないことが判明した」と否認で一貫していた。

 拉致に関する問題が急展開したのは、2002年9月17日の首相小泉純一郎の訪朝による日朝首脳会談の場である。

 自ら「拉致はしていない」と否定していた総書記金正日は一転して、「特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走って行った」と拉致の事実を認め、謝罪した。拉致の目的については「一つは、特殊機関で日本語の学習ができるようにするため、もう一つは人の身分を利用して南(韓国)に入るためである」と述べ、工作員に日本語を教えるため、あるいは日本人になりすまして韓国に侵入するためとする日本での定説を追認した。

 そして、日本が安否確認を要請していた8件11人については「5人が生存し、8人が死亡した」と通告してきた。生存者は蓮池薫(はすいけかおる)、奥土祐木子(おくどゆきこ)夫妻、地村保志(ちむらやすし)、浜本富貴恵(はまもとふきえ)夫妻、曽我(そが)ひとみ、死亡とされたのは有本恵子、石岡亨(いしおかとおる)、市川修一、田口八重子、原敕晁(はらただあき)、増元(ますもと)るみ子、松木薫(まつきかおる)、横田めぐみであった。

 拉致被害者が13人に増えたのは、1980年(昭和55)にヨーロッパで相次いで失踪した石岡亨、松木薫、それに1978年8月に新潟の佐渡島(さどがしま)で失踪した曽我ひとみが含まれていたからである。石岡、松木の両人については拉致と認定されていなかったために日本政府の安否リストから外されていたし、曽我に関しては日本政府は把握さえしていなかった。このほかにその後、日本政府が認定した拉致被害者として久米裕(くめひろし)、曽我ミヨシの2名がいるが、北朝鮮はその安否について言及していない。

 日朝首脳会談、そして5人の生存者の帰国後の2002年(平成14)10月29日から2日間、マレーシアで開かれた日朝国交正常化交渉で、日本は拉致事件の解決、すなわち生存者およびその家族らの日本への永住帰国、死亡扱いされた8人に関する安否の再調査を求めたが、北朝鮮は「順調に解決されつつあった拉致問題を日本側が複雑にした」と日本を激しく非難し、帰国した5人の拉致被害者を北朝鮮に戻すべきだという、日本にとってはとうてい受け入れがたい主張を繰り返した。

 その後、被害者をめぐる交渉が膠着状態となり、具体的な進展がまったくみられなくなっていたが、2004年(平成16)5月22日、小泉が再度訪朝、金正日との会談の結果、拉致被害者5人の家族8人のうち、地村夫妻と蓮池夫妻の子供計5人が日本に帰国した。曽我ひとみの夫は元在韓国米軍の兵士で、北朝鮮に亡命したとされており、来日した際にアメリカから訴追される可能性があるとして、当初は2人の子供とともに来日を拒否した。

 しかし、2004年7月曽我と夫、子供2人はインドネシアでの再会を経て、帰国・来日した。5月の会談の結果については、不可解な状況下で死亡したとされている10人の拉致被害者については日本側も参加した調査機関の設置も念頭に置きつつ、再調査を行うこととなった、との政府による説明がなされた。

 その後、開催された日朝実務者協議(2004年8~11月、北京)、日朝包括並行会議(2006年2月、北京)では具体的な進展はなかったが、拉致問題に関する国際的関心は高まり、2005年12月国連総会本会議では「北朝鮮の拉致を非難する決議」が採択された(2006年12月拉致禁止条約が成立)。2006年4月には拉致被害者の家族が、アメリカ下院外交委員会公聴会およびアメリカ大統領ブッシュとの面会で、拉致被害の深刻さと解決の重要性を訴え、アメリカ関係者・世論の共感を得た。

 また2008年8月の実務者協議では、拉致被害者の再調査を行うことで合意した。その後も、日本政府が認定した拉致被害者計12名(前述のほか2005年4月に田中実を、2006年11月に松本京子を認定)の安否について、北朝鮮側より納得のいく回答を得ておらず、今後とも、日本政府は真相究明、被害者の即時帰国、拉致実行犯の身柄引渡しを強く要求し、拉致問題の解決を図っていくこととしている。[辺 真一(ピョン・ジンイル)]

『横田早紀江著『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』(2000・草思社) ▽八尾恵著『謝罪します』(2002・文芸春秋) ▽蓮池透著『奪還 引き裂かれた二十四年』(2003・新潮社) ▽北朝鮮による拉致被害者家族連絡会著『家族』(2003・光文社) ▽横田早紀江他著『ブルーリボンの祈り』(2003・いのちのことば社フォレストブックス) ▽和田春樹著『同時代批評――日朝関係と拉致問題』(2005・彩流社) ▽チャールズ・R・ジェンキンス著、伊藤真訳『告白』(角川文庫)』



  日本人拉致事件 写真特集 時事通信


 東京・新宿駅で開催された北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさんの写真展を訪れた母親の早紀江さん=2018年5月8日【時事通信社】

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産したが、94年4月に自殺したと主張している。
 早紀江さんは「悲しみの中で見る写真は言葉で表せられないほどつらい」と述べ、一刻も早い帰国を求めた。


 拉致被害者の横田めぐみさん[横田めぐみさんのご両親提供]

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産したが、94年4月に自殺したと主張している(1977年04月撮影) 【時事通信社】


北朝鮮で撮影された20歳前後の横田めぐみさんとされる写真。

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。

「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産した。94年4月に自殺したと主張している 【時事通信社】



 北朝鮮が提供した拉致被害者の横田めぐみさんとみられる写真[横田滋さん提供]

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。

「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産した、が、94年4月に自殺したと主張している 【時事通信社】


北朝鮮が提供した拉致被害者の横田めぐみさんとみられる写真[横田滋さん提供]。めぐみさんの影と背景の樹木の一部に影の向きが違っている部分があり、合成された疑いもある。

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。

「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産した、が、94年4月に自殺したと主張している 【時事通信社】


横田めぐみさんの娘と確認されたキム・ヘギョン(ウンギョン)さん。

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。
「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産したが、94年4月に自殺したと主張している(2002年09月30日) 【時事通信社】


北朝鮮・金剛山で、父方の祖母らとの面会にやってきた横田めぐみさんの娘、キム・ヘギョン(ウンギョン)さん。

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。
「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産したが、94年4月に自殺したと主張している(2006年06月29日) 【AFP=時事】


 拉致被害者の田口八重子さん。八重子さんの兄の飯塚繁雄さんが外務省に資料提供した写真。

 北朝鮮政府は、田口さん=当時(22)=は1978年6月29日、宮崎市の青島海岸から北朝鮮工作員に連行されたとしている。2年後に同じ青島海岸から拉致された原敕晁さん=失踪当時(43)=と、北朝鮮で84年10月に結婚。2人の間に子供はいなかったという。

北朝鮮政府は、田口さんは86年7月、乗用車で帰宅途中にトラックとの交通事故に遭い、死亡したとしている(1977年10月0日) 【時事通信社】


韓国当局が発表した大韓航空機事件の容疑者・金賢姫の教育係「李恩恵(リ・ウネ)」のモンタージュ写真。

78年6月に北朝鮮に拉致された田口八重子さんは、81-83年の約20カ月間、「李恩恵」の名で金元工作員と生活し、日本語などを教えたとされる 【時事通信社】


拉致被害者の原敕晁さん。失踪前の1970年代、大阪で撮影された写真。

 大阪市内の中華料理店で働いていた原さん=失踪当時(43)=は、1980年6月17日に宮崎市の海岸に誘い出され、北朝鮮の工作員に拉致されたとされる。
 北朝鮮政府は、原さんは北朝鮮に入国後、84年10月に同じ拉致被害者の田口八重子さんと結婚した、が、86年7月19日、咸鏡北道麟山郡で肝硬変で死亡したと説明している 【時事通信社】


拉致被害者の松本京子さん。[特定失踪者問題調査会提供]

 松本さん=失踪当時(29)=は、1977年10月21日午後8時ごろ、編み物教室に行くため外出。近所の人が自宅近くで、松本さんとみられる女性が男2人と話しているのを目撃し、声を掛けたが、殴られて負傷した。男らは海岸方向に向かい、松本さんは行方不明となった。

北朝鮮政府は2004年11月の実務者協議で、松本さんについて「入国は確認できなかった」と回答していたが、日本政府は06年に北朝鮮による拉致事件と断定した 【時事通信社】


 拉致被害者の松本京子さん(撮影日不明)。
 松本さん=失踪当時(29)=は、1977年10月21日午後8時ごろ、編み物教室に行くため外出。近所の人が自宅近くで、松本さんとみられる女性が男2人と話しているのを目撃し、声を掛けたが、殴られて負傷した。男らは海岸方向に向かい、松本さんは行方不明となった。
 北朝鮮政府は2004年11月の実務者協議で、松本さんについて「入国は確認できなかった」と回答していたが、日本政府は06年に北朝鮮による拉致事件と断定した 【時事通信社】


拉致被害者の久米裕さん(撮影日不明)。

 警備員として三鷹市で勤務していた久米さん=失踪当時(52)=は1977年9月、休暇を取得中に上司へ電話をかけ、「宇奈月温泉(富山県)にいます。休みが終わったら、出勤します」と話した後、連絡が途絶えた。

警察の捜査によると、久米さんは知り合いの在日朝鮮人に石川県の宇出津海岸に誘い出され、迎えに来た北朝鮮の工作船に乗せられ拉致された。北朝鮮側は久米さんについて「入国していない」と回答し、安否は確認されていない 【時事通信社】


拉致被害者の曽我ミヨシさん(撮影日不明)。

 曽我さん=失踪当時(46)=は1978年8月、娘のひとみさん=同(19)=とともに新潟県佐渡島の自宅近くの海岸で北朝鮮の工作員に拉致された。ひとみさんは2002年に帰国したが、北朝鮮政府はミヨシさんについて「入国を確認していない」と回答し、安否は確認されていない 【時事通信社】


拉致被害者の有本恵子さん(撮影日不明)。

 有本さん=失踪当時(23)=はロンドン留学中の1983年、よど号ハイジャック事件のメンバーらによってデンマークのコペンハーゲンに誘い出され、そこから北朝鮮に拉致された。
北朝鮮政府は、有本は85年12月に同じ拉致被害者の石岡亨さんと結婚、翌年娘を生んだ、が、88年11月4日にガス中毒で子どもを含む家族全員が死亡したと説明した 【時事通信社】


拉致被害者の石岡亨さん(撮影日不明)。

 石岡さん=失跡当時(22)=は欧州滞在中の1980年に失跡。北朝鮮政府は、同国の工作員が日本語教師の獲得のため石岡さんを拉致したことを認めた上で、85年12月に同じ拉致被害者の有本恵子さんと結婚し、娘をもうけたが、88年11月4日にガス中毒で子どもを含む家族全員が死亡したと説明した 【時事通信社】


拉致被害者の増元るみ子さん(撮影日不明)。
 増元さん=失踪当時(24)=は1978年8月、当時交際していた市川修一さんとともに鹿児島県日置市の海岸で、北朝鮮工作員に拉致された。
 北朝鮮政府は、増元さんは入国後の79年4月20日に市川さんと結婚したが、81年8月17日に心臓病で死亡したと説明した 【時事通信社】


拉致被害者の市川修一さん(撮影日不明)。

 市川さん=失踪当時(23)=は1978年8月、当時交際していた増元るみ子さんとともに鹿児島県日置市の海岸で、北朝鮮工作員に拉致された。
 北朝鮮政府は、市川さん入国後の79年4月20日に増元さんと結婚した、が、同年9月に海水浴場で心臓麻痺のため死亡したと説明した 【時事通信社】


拉致被害者の松木薫さん(撮影日不明)。

 熊本市出身の松木さん=失踪当時(26)=は語学の勉強のために滞在していたスペインで1980年5月ごろ行方不明になった。松木さんはスペインで知り合った石岡亨さんとともにウイーンへ行き、そこで拉致されたとみられている。

北朝鮮政府は日本政府に対し、松木さんは96年に交通事故で死亡したと説明した 【時事通信社】


拉致被害者の田中実さん(撮影日不明)。

 神戸市出身の田中さん=失踪当時(28)=は同市内のラーメン店で働いていた78年6月6日、成田空港からウィーンに向けて出国し、そのまま消息不明となった。
日本政府は2002年10月の日朝国交正常化交渉の際などに、田中さんの所在確認を要求していたが、北朝鮮側は「入境が確認できない」と返答していた 【時事通信社】

(資料の 転載貼り付け終わり)


世界政治の中心、焦点(focusフォーカス)は、すでに、再び中東・アラブ政界に、移っているのである・・・

2018-05-15 13:17:32 | 日記

 昨日(14日)、アメリカ大使館の、テルアビブからエルサレムへの移転の式典が行われて、それに抗議する、 南部の海に面した ガザ地区(Gaza Strip  ガザ・ストリップ)で、52人のパレスチナ人が、イスラエル兵に射殺された。たった1日でこの死者の数だ。これから先が思いやられる。

 これで、トランプも、少しは躊躇(ちゅうちょ)して、「あんまり、シェルダン・アデルソン( ラスベガス・サンズ)のユダヤ人の、自分への政治献金支援にばっかり、いい顔をしていては、いかんなあ。 パレスチナ問題は、簡単ではないぞ。アラブ・中東問題は厄介だ」と、分かっただろう。 

それでも、世界政治は、何ごとも無いかのように、各国の権力者たちの間の駆け引き、交渉として、冷酷に進んで行く。

 5月8日に、トランプが、「イランの(最低10年間の核開発停止の)“核抜き” 合意 」
Iran Nuclear Agreement 、6カ国合意。2015年7月14日 )から離脱 (abandonment アバンダンメント 、合意=協定=条約 の一種 の放棄、破棄)を発表した。 

 私は、世界は、北朝鮮の核抜き(核兵器)問題から、すでにイランの核兵器の破壊問題に、舞台を移している、と 半年前から知っている。 なぜ北朝鮮を、トランプ=ボルトン=ポンペオ(古代ローマの、ポエニ=フィニキア=カルタゴの英雄、ハンニバルと闘ったポンペイウス将軍に擬せられている) =マティス=ハリー・ハリス新駐韓大使(太平洋軍PACOM(パコム)司令官 らの トランプ政権の首脳が、 北朝鮮爆撃を決めているか、というと。

 それは、イランの最高指導者のハメネイ、ロウハニを 心底、ぞっとさせて震え上がらせ、脅しあげるためである。 イランがすでに作って隠し持っている核兵器を、アメリカは、爆撃で破壊しようとする。 

 世界政治の中心、焦点(focusフォーカス) は、すでに、再び中東・アラブ政界に、移っているのである。 極東は、中国とアメリカの交渉で決まる。のだ。 米中会談=トランプ・習近平会談で決まる。 そこで、「北朝鮮処分」が決まるのである。