この、おかしな国、日本!どうやって生きていくのが楽しいか?

あ~あ~こんな国に生まれちゃったよ・・・・

日本の投資家たちは、皆、脅えている・・・

2019-11-19 17:51:42 | 日記

ドイツ銀行 Deutsche Bank は、まだ、破綻(はたん)しない。破綻処理は、始まらない。
「ドイツ銀行は破綻する」の噂と、記事は、どんどん、今も出ている。それらを、以下の、たくさん貼り付けようと思うが、今日は、私にその気力が無い。
 ドイツ銀行の破綻処理は、来年、1月か2月まで、ドイツ政府(メルケル政権)が、引き延ばしているのだろう。 最後は、政治が決めるのだ。 市場原理がどうの、マーケット・メカニズムが働くとか行っても、もう、今の世界の、先進国の、金融制度、金融市場は、崩壊に向かっている。
 アメリカは、NYの株価が、27,000ドル 台に乗せて、最高値を更新している。トランプ大統領は、こういう男だ。 底が浅い。  「株価さえ、つり上げて、おけば、アメリカ経済は、大丈夫だ」という、それだけの男だ。バカな野郎だ。
 事実、株価さえ、つり上げておけば、アメリカのサラリーマンたちは、401K(よんまるいち・ケイ)で、自分が積んでいる年金を使って、株式の銘柄を指定できる。 退職老人たちの、年金も、株さえつり上げておけば、年金運用のファンドマネージャーたちが、利益を出せるので、年金をちゃんと払える。
 アメリカ国民の8割が、貧しい人々まで、株を買っている。彼らに、いい思いをさせて、年末の クリスマスまで、いい思いをさせよう、という作戦である。こうい、見え透いた、どうしようもない 政治を、今のアメリカは、やる。
 FRB(中央銀行)と、その執行機関の、ニューヨーク連銀(れんぎん)が、今にも壊れそうな、ニューヨークの 銀行間の短期市場に、無制限に、資金を供給しはじめた( レポ市場 repurchase market と言う )。 
 このジャブジャブ・マネー(緩和マネー)が、あらゆる危険な金融博奕(デリバティブ取引) にも使われる。危険を承知で、今のアメリカは、こういう麻薬療法で、生き延びている。裏に隠してある、政府の、財政赤字の、巨額の、山積み 、おそらく、60兆ドル(6000兆円)が、そのうち、破裂する。
 日本の株式も、225種の優良銘柄は、すべて、4割以上は、外人、外国資本が、買っている。だから、日経平均も、24,448円 の去年の最高値を、今にも超しそうだ。
だが、日本の投資家たちは、皆、脅(おび)えている。一体、いつ、次の暴落が、来るのか、と。戦々兢々(せんせんきょうきょう)としている。  
 セミプロから上、プロの投資家たちは、すべて、先物の売りを仕掛けている。だから、今は、じっと我慢している。「トランプは、こんなに、株価をつり上げて、一体どうする気だ。正気なのか」と、日本のプロの投資家たちは、思っている。
 トランプというのは、だから、私が、ずっと書いて来たとおり、「アメリカ帝国の 墓堀り人、 grave  digger   グレイブ・ディガー である」なのだ。彼が、来年の11月の大統領選挙で、再選されて、次の4年間をやる、その最後の年である、2024年に、世界は、大恐慌に突入するだろう。 
 ドイツ銀行の破綻処理は、 まさに、イギリスのBrexit (ブレグジット)、UEからの離脱、脱退と、ピタリと、軌を一にしている。2016年の6月に、ブレグジットする、と国民投票で決まって、それから、3年、ずっとイギリスは、国内が、荒れまくった。
 今は、「6600万人の貧乏国」と、呼ばれている。 12月12日に、イギリスの総選挙(ジェネラル・エレクション)があると決まった。それで、ブレグジットが、決まる。
 EUは、「来年の1月31日まで、待ってやる」と、期限すなわち我慢の、再延長をした。しかし、12月12日に、ボリス・ジョンソン首相が、勝って、英保守党が、過半数を得票するだろう。ナイジェル・ファラージュが率いる「ブレグジット(離脱)党」も、保守党に協力して、対立候補を立てない、とジョンソンに約束した。
 英労働党(レイバー)は、ジェリー・コービンという温厚で、頑強な、左翼の党首が、やや後退するだろうが、労働党としては、大敗北と言うことにはならない。  だから、イギリスは、ヨーロッパ同盟 から出て行く。  
 その本当の理由は、おカネを払いたくないからだ、と、私、副島隆彦だけが、はっきりと書いて来た。まず、ドイツの、ドイツ銀行の破綻の際の、救援資金( 公的資金の投入だ)を出したくない。だからブレグジットだったのだ。
 そのあとも、ヨーロッパの UE加盟27カ国の中の、弱小国が、次々と、金融危機を起こし、財政破綻して行く。イギリスとアメリカは、英米同盟(アングロ・アメリカン・アライアンス)で、ここから逃げる。
 ヨーロッパの面倒は、“唯一のヨーロッパの機関車”であるドイツが見なければ済まない。先日、フランスのマクロン大統領が、北京に、習近平に急に会い行ったのは、メルケルの意向を受けて、「ドイツ銀行が、危なくなったら、支援をよろしく」の約束の取り付けだったようだ。 王岐山(おうきざん)が、自分のファンドを使って、ドイツ銀行への、中国に支援を続けている。最後は、政治が決めるのだ。  
 経済が、自由競争(フリー・コンペティション)と市場原理(マーケット・プリンシプル)で動いている、というのは、金融市場においては、もうウソだ。経済理論とか、経済学なんか、もう、死んでいる。 最後は政治が決めるのである。
 韓国が、どんどんアメリカから離れている。韓国は、今や、同じ民族の北朝鮮と、実質的には、べったりとくっついている。 世界政治の、表面上は、両国は、嫌い合って、ケンカを続けているように見せかけている。だが、裏側の実情は、どんどん合体、国家統一、民族統一に向かっている。
 アメリカのエスパー国防長官や、米軍のトップたちが、どんなに圧力を掛けても、GSOMIA(ジーソミア)とかいう、訳(わけ)の分からない、天から振ってきたような、「日韓軍事情報・・・(共有)・・協定」という、本当は、日韓の両国から米軍が、日韓の軍事スパイ衛星からの情報を、吸い上げる、というこだけの内容なのに。これの「軍事情報の知らせ合いの韓国による撤回、を撤回せよ」と、 いくら強引に、韓国政府に、強引に要求しても、もう、韓国政府は聞かない。
 このまま行けば、米韓の合同軍事演習(ジョント・ドリル)は、規模縮小どころか、実質、中止だ。 そして、在韓米軍(ざいかんべいぐん)の、韓国からの撤退、 という事態になるだろう。 これで東アジアの政治構造が大きく変る。 韓国は、北朝鮮と一緒になって、中国に付いてゆく。 朝鮮半島に、中国の影響力が、どんどん強くなっている。この動きは、もう避けられない。
 韓国の若者たちは、自分たちは、北朝鮮軍と戦って、死ぬのだ、そのように徴兵令(ドラフト)で、鍛えられてきた。だが、もう死ななくてもいいようになった。だから韓国人の気持ちは、大きく変っている。  
 今でも、親米保守(しんべいほしゅ)のままの韓国人は、おそらく、1割にまで激減している。 私は、ずっと朴槿恵(パククネ)前大統領が、好きで応援していたが、もう、そういう彼女を支持する韓国内の勢力は、1割にまで減った。
 一昨年(2017年)の6月に、北朝鮮の山岳地帯の核施設を、米軍が、攻撃して、破壊するべきだったのだ。それをトランプと、トランプを支援する、アメリカ国民が、一気に、やる気をなくして、北朝鮮爆撃を中止した。そして、金正恩(キムジョンウン)への垂らし込みの、話し合い路線に転じた。 
 あれが、アメリカの力の最大限での、終わりの始まりだった。アメリカ帝国の衰退、敗北は、あの時から、始まったのだ。だから、トランプは、帝国の墓堀り人なのである。 アメリカは、「もう、帰るぞ、帰るぞ。外国や、世界のことなんか、知ったことか。アメリカは、もう貧乏なんだ。自分の国を立て直さないと、いけないだ。アメリカは、もう、外国にいる軍隊を撤退させる」だ。
「米軍に撤退してもらいたくなかったら、これまでの駐留費の、5倍を払え」と、はっきりと言い出した。 それで、日本の保守派の人たちも、考え込んでいる。「アメリカって、そんなに余裕がないのか。たった、一年に1兆円に増やした(今は、本当は、日本政府は、国家予算から、年に6400億円出している)思いやり予算を、欲しいのか」と、呆(あき)れている。
 北朝鮮の金正恩が、どんどん、言うことが、強くなっている。この2年間、アメリカと対等の交渉をしてきたのだから、北朝鮮の勝ちだ。 いくら、経済封鎖、輸出入禁止(エンバーゴー)で、北朝鮮を締め上げても、もう全く効き目は、ないようだ。
 北朝鮮には、中国との長い国境線と、それから今も国交のある旧東ヨーロッパの国々から、船でどんどん物資が入っているようである。 トランプは、金正恩と交渉どころではなくなっている。このあと、どうやって、宥(なだ)め賺(すか)して、おとなしくさせるか、ぐらいしか、手がない。
アメリカと中国の、貿易戦争= ITハイテク戦争= 遂には、金融戦争 になった は、次の会談は、 12月の10日ぐらいに、何とか、カナダの バンクーバー辺りで、行うしかないだろう。 「もうすぐ部分合意に達しつつある」と、トランプの経済政策の助言者のカドローNEC議長が、メデイアに言っている。が、中国は、ちっとも譲歩していない。
 中国は、「農産物ぐらいは買ってあげよう。それ以外は、すべて、アメリカが、制裁関税を撤回して、元に戻せ」と強固である。中国は、ちっとも弱くない。
 「弱ったなー、どうしようか」と、考え込んでいるのは、トランプの方だ。「習近平よ、また、フロリダのマール・ア・ラーゴまで、来てくれよ」と、言ったって、OKするはずがない。
 「トランプ、お前の方こそ、北京まで来なさい。そうしたら、少しは、譲歩してあげよう。だが、これまでの2500億ドルの関税と、ファーウエイ社などへの取引禁止の全面撤回は、譲らない 」と言ったはずだ。困っているのは、アメリカの方だ。
 日本は、調子に乗って、アメリカの尻馬に乗って、韓国イジメ、韓国叩きをやったものの、敗北して、今度は、アメリカが、「韓国に対する、日本の締め付けを、すぐにヤメロ。余計なことをするな」と、叱られ始めて、安倍政権はアメリカから非難されている。これが、今の政治と経済の、両方の動きだ。 最後は、政治が決めるのだ。


北朝鮮建国秘史 誰が北朝鮮を作ったのか・・・

2019-11-13 17:41:14 | 日記

代朝鮮総督の寺内正毅(てらうちまさたけ、1852-1919年、)とか、本当にろくでもない奴らです。景福宮(けいふくきゅう)という王宮があって、その手前に朝鮮総督府のバカでかい建物を作った。
寺内正毅
 この1907年から、反日本運動が沸き起こる。この時期に、一人目の金日成将軍に相当する人物が出てきている。
 これは本名は金昌希(きんしょうき)という。『金日成は四人いた』の一人目です。この人は1926年頃に死んでいます。
 この人は今の朝鮮史を語る上で、非常に重要です。ものすごく大事なのは、朝鮮人たちが反日本を叫んで大きな抗議運動をやったんです。これは万歳運動ともいうんだけど、普通は三・一独立運動といいます。三・一独立運動は1919年です。
三・一独立運動の様子
 1919年というのは併合されて9年経っていますが、これが今でも最も重要な、朝鮮人たちの反日本運動です。このとき、たくさんの人が捕まっています。おそらく1000人や2000人の朝鮮人が殺されたと思います。
 そのときに、この一人目の金昌希(きんしょうき)という人が、白頭山(はくとうざん、ペクトサン)のあたりで抗日の義勇軍を作った運動を、自分で作ったわけではないけど、そこに何百人かの人たちが集まった。朝鮮と満州との国境にある山なんですが、その辺りで、粗末な銃とかなんとかを自分たちで集めた。
 それで何をやったかというと、日本の警察署を襲撃するんです。周りにいる参加した連中は捕まるんですけど、金昌希は、その警察署からの脱出に成功しているんです。その記録だけが残っていて、そのときの日本人の警察署長は猿渡という人だった。竝川(ナミカワ)警察署の看守に捕まっていた記録が残っている。その後はもうわからないんです。1926年頃に死んでいるんですね。
 なぜ1919年に朝鮮半島で反日の激しい独立運動が起こったのかと言うと、激しい反日感情が沸き起こったわけです。日本式の神社とか押し付けますし、自分たちは小作農として激しい労働をさせられるわけです。それは日本の本土だって、北海道だって、どこだって、寄生大地主制度というんだけど、 土地の売買がどんどん自由になったら、大金持ちたちがどんどん大きな土地を買うわけね。
 そこの小作になった人たちが小作争議を起こすんですよ。あまりにも過酷な労働をさせられてね。そうして出来た農産物を半分以上、7割とか、取り上げられるんです。ようやく生き延びられる程度の厳しい状況だったんです。
有島武郎
 だから有島武郎(ありしまたけお、1878-1923年、45歳で死)みたいな人とか、レフ・トルストイ(Lev Nikolayevich Tolstoy、1828-1910年、82歳で死)にわざわざ会いに行った本名は徳富健次郎(とくとみけんじろう)の徳富蘆花(とくとみろか、1868-1927年、58歳で死)、今の世田谷区に蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)というんだけど、残っていますけど、そこで農民たちに農地を解放して、集団農場運動を始めたんです。小作をいじめるのはやめよう、ということなんです。
レフ・トルストイ
徳富蘆花
 有島武郎も自分のお父さんが横浜税関長の官僚で、出世して一所懸命買い集めた北海道の大きな土地を、洞爺湖の近くあたりの土地を解放した。
 そうすると日本国政府からものすごく睨まれるわけですよ。殴られはしないけど。でもそこから25年くらい経ったら、結局、農地解放になります。日本が負けてマッカーサーが日本を占領した。
 そのときに自作農創設特別措置法(じさくのうそうせつとくべつそちほう、自作農の創設を目的とし、合わせて農地・未墾地などの買収・売渡しの要件、手続などを定めた法律。1946年に制定。1952年廃止)という法律を作って、一気に日本全国の小作人たちに、農地を一人一町歩 (約1ha)ずつあげた。四人の家族だったら、約4haもらった。
 自分が耕作していた土地ですから、そのままもらえた。これで日本が保守化したわけです。百姓たちが健全化した。そして今の自由民主党体制を支える、穏やかな農民に成長していった。
 そのときに、既成大地主制度を作っていたのが、日本の華族制度ですから。華族様たちと、それから財閥です。三井、住友、安田、三菱も、この財閥解体というのをやったわけです。それが極めて優れた政策だったんです。
 私はやはり、有島武郎と徳富蘆花というのは偉かったと思う。どうせ25年後にはみんな奪い取られたわけですよ。大地主たちは。今でも私の周りでも、「ウチは大きな土地の地主だった」とか「土地をみんな、農地改革で取られた」とかいうのが、私の周りの友人たちにもいましたからね。
 昔は金持ちだった、と威張りたいのが人間なんですね。だけどあんなものは、歴史の運命で、当然の結果なんです。
 私はトルストイというロシアの大作家が、本当はこの人はロシア革命に参加してもおかしくないような改革派で、だから自分の広大な農地を、モスクワの南の方の広大な農地を、農地解放しちゃったんですよ、自分だけ。1910年くらいに。
 そうしたら、自分の奥さんの、貴族様の出身の奥様が怒り狂って「私の財産を、なんてことするの、あなたは」とか言って茶碗とか投げ散らかしたんですよ。トルストイに向かって。
 私はこの貴族の女というのは馬鹿だったと思う。長女は、お父さんのトルストイの味方をする。そして周りにいる、考えに賛同する人たちは、たくさん、ヨーロッパ中から集まってきて。集団農場運動を始めた。
トルストイの農場の様子
 その時すでに1910年には、トルストイは世界的大知識人ですから、徳富蘆花は会いに行ったんです。 そうしたら「日本の農民を大事にしろ」とか言われた。まあそれだけのことなんですけどね。
 1時間か2時間会っただけで。一泊くらいして帰ってきただけだと思うけど。そういう、世界に繋がっている知識人です。
 ところが徳富蘆花のお兄さんの徳富蘇峰(とくとみそほう、1863-1957年、94歳で死)というのは、悪い奴です。これは『國民新聞』とかいう新聞を出したりして、学生の頃から熱海に住んでいて、言論雑誌を自分で出して、一流言論人に、金持ち言論人に成り上がった男です。
 こいつ徳富蘇峰は偉くないんです。その弟の蘆花は、一所懸命苦しんだ、真面目な男だった。小説家ですけどね。日本の農地改革の話はこれくらいにします。
 一人目の金昌希、この人は1919年の三・一運動のときの盛り上がりを背景に出来た独立武装闘争を始めた最初の人です。
 「義兵」といいます。「義勇軍」の「義」の兵隊です。これが朝鮮人の、初めての抗日闘争です。日本に抵抗する闘争の遊撃隊の中に入っていた人なんですね。でもこの人も1926年くらいには死んでいます。1888年生まれです。
 何で1919年に朝鮮人が反日で暴れだしたか、というと、やはりパリでヴェルサイユ条約が1919年にできたことが理由ですね。ドイツが負けたわけですけど。第一次世界対戦でドイツが負けたんですよ。
ヴェルサイユ講和会議の様子
 それをフランスやらロシアやらイギリスやら、みんな集まって、ドイツに巨額の賠償金をかけて。これのおかげで25年後にヒットラー政権ができて、ドイツ人がもう一回、戦争を起こすわけです。これが第二次世界大戦です。
 このパリのヴェルサイユ条約で、日本帝国の支配を認めてしまったんです。日本もそこに西園寺公望(さいおんじきんもち、1849年~1940年)が代表で全権で、代表を送り出しています。
日本全権団(左から牧野伸顕、西園寺公望、珍田捨巳)
 この第一次世界対戦のときは、日本は火事場泥棒をやっている。ドイツが持っていた、膠州湾(こうしゅうわん)というところを攻撃しています。青島(チンタオ)があるところです。山東(シャントン)省です。
 そこを日本が奪い取っているんです。あとグアムを奪い取った。それから南洋のパラオとかあの辺も、ハンザ同盟以来のドイツの軍艦みたいな連中が来て、植民地支配をしていたんです。サイパンがそうですね。
日本が奪った権益
 それと山東(シャントン)半島の膠州湾、青島、とか、火事場泥棒をしたんです。それを認められているんですよ。ヴェルサイユ条約体制ができました。それに怒ったんですね。朝鮮族はね。
 その前の1904年、05年の日露戦争で日本は勝っていますから。ロシアが一所懸命、シベリア鉄道を作って、ずーっと遼東(リャオトン)半島にまで来て、 今の旅順に港を作って、軍港にしていた。
満州の地図
 そして大連(タイレン)にも都市を作って。ウラジオストックとナホトカも、出来ていたでしょう。極東にまで勢力を広げていた。
 それを日本がイギリスの裏からの支援をもらって、なんとか防ぎ込めた。そのときに南満州鉄道というのをロシアから割譲されてもらっている。今の長春、これが満州帝国の首都だった新京(しんきょう)なんですけどね。
 ここからハルビンまで600kmくらいかな。ずっと繋がっているんですよ。ハルビン、長春、 瀋陽(しんよう)。この瀋陽が、昔の奉天だ。今の長春は、日本が作った満州帝国の首都で新京(しんきょう)です。
 新京の30 kmくらいの外れに「731部隊」の、細菌やら毒ガスやらで満州人、中国人、捕虜をたくさん殺した、日本の研究所、実験場の建物があるんです。私はそこにも行きました。そうするとまあ、1万人くらい殺したんでしょうね。
七三一部隊の建物
 日本では高田馬場の、早稲田大学に行く途中、でもないか、ちょっと南の、戸山高校の、トヤマ・ハイツという、米軍が「ハイツ」にしたんだけど、そこが実験場だったんです。そこでもやはり捕虜を捕まえてきて、たくさん、生体、生きたままバイ菌を埋め込んだり殺したりしたはずです。実験に使っていた。それが東京帝国大学医学部の医者たちが軍医になって、やったんです。
 1919年の三・一運動で抗日義勇軍という考え方が生まれて戦いが始まるんだけど、勝てるわけがないんですね。
 日本が既に占領しているし、日本がそれぞれの大きな都市には、日本の政府の役所を置いているわけです。そして警察署も置いている。抗日義勇軍はその警察署を襲撃するんです。
 良くて一人か二人を殺して、 その辺の銃とか金目の物を奪って逃げるんだけど。そうすると次は討伐隊が組織されます。そして大体、捕まるんです。日本の警察隊がずっと捕まえて回るわけです。
 捕まってしゃべる人たちがいるから、山の中までずっと追いかけていくわけです。それで大体、全部捕まるんですね。
 二人目の金日成が、「金光瑞(きんこうずい)」というんです。この人は日本の市ヶ谷にあった陸軍士官学校の卒業生なんです。
金光瑞
 これは真実らしい。この金光瑞は、キム・カンソンという韓国語読みをします。第23期、1911年の卒業生の中に金光瑞(きんこうずい)がいる。大体これが事実でしょう。
 後の韓国の大統領、朴正煕(ぼくせいき、パクチョンヒ、1917-1979年、61歳で死)や、李周一(りしゅういち、イチュイル、1918-2002年、83歳で死)という大将たちも日本の陸軍士官学校を出ている。
朴正煕
 陸軍士官学校があったのは今の防衛庁です。あそこが戦争中は大本営とかにもなっているわけね。明治時代からずっと陸軍士官学校だったんです。そこには朝鮮人や中国人もかなり来ていて。それが1911年の辛亥革命(しんがいかくめい)をやるんです。
 辛亥革命では革命軍は新しい軍、と書いて「新軍」というんだけど、まったく日本の陸軍の制服と同じ格好をしていて、同じ装備で、同じ武器を持っていた。その人たちが形の上では孫文(そんぶん、1866-1925年、58歳で死)が一番上の、中国で辛亥革命を起こして、清帝国を滅ぼすんですね。同じような感じで、日本の影響が非常に強いんです。
孫文
 金光瑞は日本陸軍の騎兵中尉になっていたらしい。その人が、写真が残っているんだけど、 やはり抗日運動に参加していった。そしてやはり戦って死んでいるでしょう。
 ただはっきりしないのはこの武器調達のためにソ連領に入った、と。満州を越えてさらにソ連のほうまで行って、その後の行方が分からない、ということです。
 ただこの金光瑞(きんこうずい)が二人目の金日成だということは、ほぼ事実でしょう。この人はソビエト赤軍の下で、それに従って戦うことに逆らったらしい。ソビエト共産主義の運動にもうなっているわけですからね。1917年のレーニン革命、十月革命の後はね。
 1921年11月17日付の東亜日報に金光瑞の死亡記事が出ているんです。これが事実でしょう。
 『金日成は四人いた』を書いた李命英(りめいえい)という人は、韓国の大変優れた知識人で、ソウル大学の政治学科を出て、京郷(けいきょう)新聞とか中央日報の論説員を務めた。
李命英
 この人は『金日成は四人いた』の復刊本が成甲書房で出たその年に死んでいます。1928年生まれで、72歳の2000年に死んだ。この年代の人たちは、日本語ができたはずです。
 私がこの本を成甲書房の田中亮介社長の目の前で「これ貸してください」と言って借りてきちゃったのが5年くらい前なんですよ。返す気がないんですけれども。
 今Amazonで8500円とかで売っています。もう無いんです。2000年の復刻版でもそうなんですから、貴重な本なんですね。
 私はそのとき、田中亮介社長に「『金日成は四人いた』という本を書いた人がいますよね」と言ったら、「あ、これだ」と思って、そのまま私は持ってきたんだけど。その前には恵谷治(えやおさむ、1949-2018年、69歳で死)という人が、似たようなことを言っていた。
恵谷治
 この人も最近、2018年に死んでいます。こいつはでも、最近よく分かったけど、これは日本の公安警察です。その中の外事警察官です。
 つまり日本国政府の情報部員で、北朝鮮のことをよく調べている人で、『金日成の真実―英雄伝説「1912年~1945年」を踏査する』(惠谷治著、毎日新聞社刊、1993年)という本とか、いっぱい書いているんですけど。どうも怪しい。私はもう今は、この恵谷治を認めません。
 本当に優れている本は、この『金日成は四人いた』のほうなんですよ。それを恵谷治は無視していますから。それが気に入らない。
 だから日本政府の朝鮮や韓国研究の情報部員とか、研究学者というのは、おかしなのがいっぱいいてね。歪んでいるんです。私はそれが嫌いなんだ。
 やはり李命英のこの本だけが唯一優れている。
 それ以外に、北朝鮮の肩をもったりする馬鹿な東大教授で、和田春樹(わだはるき、1938年―、81歳)というのがいるんです。もうすぐ死ぬと思うけど。
和田春樹
 こいつが、東大教授なのに左翼そのもので北朝鮮の肩を持ち続けた変な学者です。テレビ局やら産経新聞からもバンバン叩かれました。最近ほとんど出てこなくなったけど、やはり和田春樹はいかんかった。彼の研究は。金日成の歴史が、そのまま北朝鮮・建国の歴史ですから。嘘をそのまま信じ込んで、立派な本を書いている。立派に見える本をね。
 やはりいかんかった。それ以外に日本人の言論人や学者で2、30人いますけれども。 後でそのうち、まとめて話します。
 1923年7月29日の東亜日報に、なんと、この「二人目の金日成」である金光瑞(きんこうずい)の素晴らしい姿が載っていたらしいんだけどね。インタビューがあって。 白い馬にまたがって、日本軍と戦っている英雄として描かれているんですよ。
 やがてソビエト赤軍の指揮下に入りたくない、と言って、逆らったらしい。そしておそらくソビエトで、殺されたんだと思います。
 ただこの白馬にまたがって疾風怒涛(しっぷうどとう)の如く駆け抜ける英雄、という神話が朝鮮族の中に生まれていった。
 ここのことが非常に大事でね。このことについては、例えば日本人で鎌田沢一郎(かまたたくいちろう、1894-1979年、85歳で死)という人が、『朝鮮新話』(1950年)という本を書いている。その中で宇垣一成(うがきかずしげ、1868-1956年、87歳で死)大将という、日本の陸軍軍人の最高幹部の一人ですが、朝鮮総督として赴任した時、「金日成による抗日闘争」というのを取り上げた。きちんと、日本政府としてきちんと捉えているわけね。
宇垣一成
 反満州抗日軍を指揮していた。って、ここが複雑なんですけど、お尋ね者になります。日本の警察署を襲撃すると大規模な捜索をされるので満州に逃げるわけです。
 満州も日本の力が強くなっているわけで、日露戦争の後は。日露戦争で1905年に日本が勝ったから、朝鮮を併合した。ヴェルサイユ条約でそれが認められた。
張作霖
 ただ日本も満州を自由には動けないんですね。そこには張作霖(ちょうさくりん、1875-1928年、53歳で死)というのが、満州王のように存在して。この馬賊の少年だった張作霖を、日本の田中義一(たなかぎいち、1864-1929年、65歳で死)とか、板垣退助(いたがきたいすけ、1837年~1919年)の系統が育てるんですね。満州王に仕立てた。
田中義一
板垣退助
 だけど1928年になると、「もういらない」と言って、張作霖が北京を占領していたんだけど、北京から逃げた。逃げて帰ってくる途中の列車ごと爆殺したんです。
 その張作霖の息子の張学良(ちょうがくりょう、1901-2001年、101歳で死)という人は、中国人でも有名で。ずっと国民党で、中国全体を支配した、蒋介石(しょうかいせき)を捕まえたりした。中国共産党と中国国民党とで「抗日統一戦線」というんですけど、「国共合作」といいます。
張学良
 中国国民党と中国共産党とが、合作せよ、 協力しあって日本軍の侵略と戦え、という運動なんです。これは裏側から手を回したのは、アメリカなんですね。アメリカとイギリスです。
 だから毛沢東や周恩来に対しても、アメリカが軍事支援をしていたんです。延安に立てこもっているときにもアメリカの下院議員団とか入っていますからね。
 日本政府としては1944年にもう我慢できなくて戦争も負けがひどくなっているのに、インパール作戦というのをやった。インドのインパールとかコヒマとか、あの辺を、何で無謀にも、インドの山奥まで日本軍が攻めていったか。
援蒋ルート
 「援蒋(えんしょう)ルート」というのがあって、蒋介石を支援するわけね。援蒋ルートというのがずっとあって。 イギリス軍がインドのほうからずっと、山の中を、ものすごい、山の中の道を切り開いて。曲がりくねった、ものすごいジャングルの中の道を切り開いて、重慶(じゅうけい)に逃げていた蒋介石を助けるんですね。
 そのために物資の輸送路がある。それを日本の昭和天皇も裁断を下して、インパール作戦をやらせる。
 それが地獄の戦いになって、日本軍がボロ負けに負けて、「白骨街道」といって白い骨の街道で、日本人の兵隊の死体がごろごろ転がって、カラスに食べられるところを生き残った日本人たちが必死で、たかだか1ヶ月くらいのことなんだけど逃げた。生き残った人は、1割くらいいたのかな。そういう激しい戦いです。
 第二次世界対戦は、1939年9月1日のドイツ軍のポーランド攻めで始まっていたんだけど、その2年後が真珠湾攻撃なんですよ。
 1941年12月8日の日本軍の、12月7日なんだけど、日本では8日未明のパールハーバーで、2400人くらいが戦死した。パール・ハーバー・アタック(Pearl Harbor Attack) は、アメリカから見れば、スニーク・アタック(sneak attack)といって、背中にナイフを突き立てた、みたいに言われるんですけど、本当はローズベルト大統領たちは計算していて、最初から知っていた、どころか、やらせたんですけどね。
 ただ、やりすぎた、という問題があったらしい。日本軍の零戦の攻撃隊が予想よりも強くて、キンメル将軍の真珠湾の部隊、艦隊の、戦艦をかなり撃沈した。
 本当は第二波攻撃で、野積みになっていた、真珠湾のね、倉庫を爆撃すれば、半年、一年はアメリカは立ち直れなかったはずなのに、それはやらなかった。「なんだかおかしいなあ」と言いながら、第二波攻撃用の零戦部隊の人たちが言っているのね。
 だから山本五十六(やまもといそろく、1884-1943年、59歳で死)元帥、連合艦隊司令長官以下、怪しいんですよ。源田実(げんだみのる、1904-1981904-1989年、84歳で死)という航空隊の隊長とか、アメリカと繋がっていたんだな。全部が大きく繋がってましてね。
 張作霖の話はもういいんだけど、満州王ですから。日本が育てた傀儡の王だけど、逆らうようになったから、殺したんですね。
 その3年後の1931年9月18日に、 柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)というのがあって、同じように瀋陽、奉天の外れの、柳条湖という、チェックポイントだと思う、鉄道の、線路の、そのところで鉄道を爆破したんですね。
 それを「満州事変」といいまして、歴史学上は中国に対する日本軍の侵略戦争の始まりは、この1931年9月の満州事変から、ということになっているのね。
 「日華事変」という言葉で習うのが1937年7月1日の、マルコ・ポーロ橋という意味なんだけど、日本軍が北京の周辺に10個師団くらい、いつのまにか、いたのね。
 そしてそれを中国国民党軍が発砲した、というのを言いがかりにして、「日華事変」、つまり日中戦争が本格的に始まった。
 今の世界史上は、満州事変のほう、1931年から1945年の日本の敗戦までの15年間を、「十五年戦争」「日中十五年戦争」といいます。日華事変は、その6年後ですからね。1937年、マルコ・ポーロ橋事件。
 向こうが鉄砲の弾を撃ってきた、とかいうのを理由に、それで戦争が始まったんです。何で日本軍が北京の周辺にいつのまにかいたのか、という問題は、日本人は語ろうとしません。
 それは1900年ちょうどの、「義和団の変」のときに。 義和団というのは、英語でボクサー Boxer といって、ボクシングみたいなことをしている、拳闘士で、拳闘術をやっている民衆なんです。
 これが暴れだして、「外国人を排撃せよ」と言って、義和団が暴れだして。イギリス、フランス、ドイツ、アメリカや、八カ国の公使たちが、震えながら紫禁城に立てこもるんです。
 そのときに唯一守る軍隊が、1000人くらい、日本軍がいた。また、各国軍隊が2、300人ずつはいたと思いますけどね。
 その後、日本軍は駐屯が認められるんです。それが日本軍の中国侵略なんですね。この辺のところも、日本知識人たちがハッキリ言おうとしない。
 いつのまにか10個師団も北京の辺りにいて。いつのまにか上海にも上陸していて。いつのまにか中国の都市にいた。それはその前にドイツ領であった膠州湾の青島(チンタオ)とか占領していますからね日本がね。既に上陸しているんですよ。でも正式の戦争の始まりは1931年なのね。
 この二人目の、金光瑞(きんこうずい)という、二人目の金日成が白馬にまたがって、民族の英雄だ、というのが、朝鮮民族の中に、希望と光として神話が出来上がったんですよ。これを利用していく。
 ただ朝鮮人の独立軍とソビエトが嫌がりだしたんですね。「共産主義者になれ」と言って、ソビエトの手先としての朝鮮人の部隊である、というふうに言ったものだから。
 それで内部で戦いにもなったようです。そして殺されたようです。この金光瑞も1931年くらいに死んでいる。と、著者の李命英は書いています。
 三人目の金日成というのが出てくるのが、間島(カントウ)地方、東満州のことを間島(カントウ)地方というんだけど、ここを活動拠点とする抗日パルチザンの運動が起きているわけね。
 義勇兵ですから、政治活動家として死ぬのを覚悟で参加していった人たちでしょう。これを共産匪賊(きょうさんひぞく)とか、朝鮮匪賊(ひぞく)といいます。
 匪賊(ひぞく)という言葉は、不逞(ふてい)の輩(やから)というか、自分達、日本の素晴らしい支配に逆らう不良ども、という意味なんですけどね。
 この人たちの運動が連綿として続くわけです。今でいえばテロリスト扱いです。「間島パルチザンの歌」という歌が日本で流行った。日本の共産主義者たち左翼たちのあいだで。 日本人が作った歌で、
「いま長白の嶺を越えて 革命の進軍歌を全世界に響かせる」 ・間島パルチザンの歌 https://www.aozora.gr.jp/cards/001585/files/53190_54411.html
とかいう歌なんですけど。 日本人の、槇村浩(うえむらひろし)というペンネームで、「プロレタリア文学」という雑誌に載った。
 「朝鮮人民革命党」とかいうのを、今の北朝鮮政府は勝手にでっち上げまして、そんなものはないんです。そこで金日成将軍が、自分たちの民族の英雄が、白馬にまたがって戦っていた、という神話を作った。
 これが色々事実と合わないんです。真実じゃないから。どうも下っ端の、一番下っ端の兵隊だったらしい。いたことはいた、らしいんですけど。
 1932年に、内部に潜り込んできたスパイを摘発する。という「民生団事件」というのが起きているけどもこれはいいです。