テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

雨のしのび逢い

2010-10-14 | ドラマ
(1960/ピーター・ブルック監督/ジャンヌ・モロー、ジャン=ポール・ベルモンド、ディディエ・オードパン/105分)


 ある種の映画は一度目の鑑賞より二度目の方がより面白く感じられる。それは一度目で主人公の人となりや場合によっては特殊な心理状態などが把握できる為、二度目を観る時のワンカット、ワンカットから受け取る情報量が白紙状態で観た一度目より格段に増えているからだ。
 「雨のしのび逢い」もジャンヌ・モロー扮する社長夫人のちょっと変わった性格やら、置かれている状況、感受性の鋭さみたいなものが事前情報として入っているのと白紙で観るのとでは可成り印象が違っています。

 ということで、今回も2度観ました。正直一度目は、途中から自分が映画監督なら『こんな脚本、書き直し!』と突っ返したくなるような映画で、でもラストシーンのオープニングとのリンク具合が気になったし、二度目を観ると印象が違うだろうとの予想がたったので日を改めてもう一度観たわけです。

 監督はピーター・ブルック。
 ピーター・ブルックといえば、劇場公開された映画の中で最も長いタイトルだと言われている「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺 (1967)」の監督というのがまず真っ先に思い浮かぶ。あとはオリヴィエが出た「三文オペラ」とか今回の「雨のしのび逢い」を微かに記憶しているくらいで、実はどの作品も未見であります。前2作のタイトルからも舞台演出家出身というのが良く分かりますが、「雨のしのび逢い」にはそういう舞台臭は全くないです。
 ブルックさん本人はイギリス人なのに、今作は台詞もフランス語なら出演者も(多分)オールフランス人。1960年のモノクロのフランス映画でありました。

 原作・脚本は「二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)(1959)」のマルグリット・デュラス。あれと似たような意味深な会話が色々と出てくる作品です。

 原題は原作と同じ【MODERATO CANTABILE】。訳すと「のだめカンタービレ」、おっと間違いました、「モデラート・カンタービレ」。楽譜の最初の方に書いてある音楽用語の一つですね。意味は「普通の早さで、唄うように」。何故にこういうタイトルなのかは分かりませんが、オープニング・シーンでは母親に連れられてオバさん教師にピアノを習いに来ている6、7歳の男の子が、なかなかこの用語を覚えないので叱られています。
 どんよりとした曇り空と川面の水平線が印象的な静かな画面にシンプルなピアノのBGM。”唄うように”というよりは“呟いているように”聞こえる旋律が多かったなぁ・・・。

*

 フランス南西部、ボルドーを通りビスケー湾へと流れ込むジロンド川の河口付近の田舎町が舞台である。海が近いためか一年中風が吹いていて、川岸の防風林は皆一様に一方向に傾いている。
 アンヌは結婚8年目の人妻。鉄工所を経営しているご主人との夫婦仲はすっかり冷え切っていて、食卓での会話も途切れがち。アンヌが話しかけても『だから何だ』と返され、最後は『ごめんなさい』と彼女が謝って会話は終わる。
 アンヌの楽しみは一人息子との散歩。彼が学校から帰ってくると近くの公園や森を一緒にぶらつくのが日課で、ピアノ教師の所にも一緒に通っている。時に、川を行き来する定期船に乗って川沿いの別の町まで行くこともある。そこにも似たような風景しかないのだが。

 ある日、ピアノ教師の所で息子のレッスンを見ていると、窓の外から女の悲鳴が聞こえてきた。窓から見下ろしてみると隣のビルの一階にあるカフェに人が集まっており、やがてパトカーまでやって来た。騒々しいのでレッスンは取り止めとなり、アンヌは子供を階下に待たせて、隣のカフェの前の人だかりの中に入って行った。
 女が倒れており、彼女に覆い被さるように男がしゃがみ込んでいた。女の頬に口づけをしたり髪の毛を優しくなでたりしている。女は死んでいた。男が殺したのだ。女は美しく、穏やかな表情で横たわり、男は愛おしそうに彼女の身体を抱きしめ頬ずりを繰り返していたが、やがて警官に抱えられ、警察の車に連行されていった。
 群衆に混じり一部始終を見ていたアンヌ。あの二人に何があったのだろう? 多分愛し合っていたに違いない。こんな退屈な町に、あんな愛憎があったなんて。

 群衆の中にアンヌを見つめている男がいる。彼、ショーヴァン(ベルモンド)はアンヌの夫が経営する会社の従業員で、数ヶ月前にアンヌの邸宅で催された従業員を集めたパーティで彼女を見ていた。ショーヴァンの記憶にあるその時のアンヌは、どこかうつろな表情で、ショーヴァンら従業員には目もくれず、ぼんやりと窓から公園を眺めていた。

 次の日、アンヌはいつもの散歩で昨日の事件があったカフェに立ち寄る。あの二人に何があったのか気になるのだ。そこには仕事帰りのショーヴァンも居て、やがて二人は話をするようになる・・・。

*

 まあ、一種の不倫なんですが、この映画にはキスシーンもなくて、心理的なふれあいだけで象徴的に描いたように見えますね。50年代の後半から60年代に入っていく高度経済成長期の中で、虚ろになっていく心を抱えた男女の話。ツイッターで成瀬巳喜男で観たかったと書きましたが、なんとなく分かりますでしょ。
 因みに、フェデリコ・フェリーニの「甘い生活」、ミケランジェロ・アントニオーニの「情事」も60年に作られました。

 突っ返したくなるような(^^)シナリオは、上に紹介したようには段取り良く構成されてなくて、あえてネタバレさせてます。未見の方はこういう情報が先に入っていた方がより楽しめると思ったのでネ。

 カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞。そういえば、3年前の「死刑台のエレベーター」でもジャンヌ・モローは不倫する社長夫人でしたな。


・お薦め度【★★=2度観ると、悪くはないけどネ】 テアトル十瑠

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2 コメント

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Unknown (宵乃)
2010-10-14 14:07:09
おぉ、二度見ると印象が変わりますか。・・・でも、二度観る気力がなかなか湧きません(笑)

>意味は「普通の早さで、唄うように」。何故にこういうタイトルなのかは分かりませんが・・・

わたしもこれはよくわからなかったんですが、友達のブロガーさんが”つまらない毎日に嫌気がさして非日常を求めるアンヌは、モデラート・カンタービレを嫌って反抗する子供と一緒なんじゃないか”と仰ってました。

浮気ものはやはり好みじゃないけれど、最後の悲鳴は迫力ありましたね。
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宵乃さん、いらっしゃいませ (十瑠)
2010-10-14 18:11:12
原作の小説が事前に出ていたでしょうし、当時の世相からはすんなりと受け入れられたのかも知れませんが、今ではもう少し前置きがないと主人公達の心理状態は分からないですよね。
2度目も、途中からはイライラしながら観てました。

>つまらない毎日に嫌気がさして非日常を求めるアンヌは、モデラート・カンタービレを嫌って反抗する子供と一緒なんじゃないか

なるほど

>最後の悲鳴は迫力ありましたね

最初の悲鳴とそっくりで、あぁこれが書きたかったのかと妙な納得をしました。
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