(1949/ウィリアム・ワイラー監督・製作/オリヴィア・デ・ハヴィランド、ラルフ・リチャードソン、モンゴメリー・クリフト、ミリアム・ホプキンス/115分)
ワイラー監督が「我等の生涯の最良の年(1946)」の後に作った作品で、その後「探偵物語(1951)」へと続く。原作は「デイジー・ミラー」、「ねじの回転」などの翻訳もあるヘンリー・ジェームスの小説『ワシントン広場』。
オスカー候補にもなった名作としてタイトルも内容もおおよそ知っていましたが、ここまで救いようがない悲劇とは思いませんでした。救いようがないかどうかは観客個々の受け止め方しだいとしても、私にとっては人間の相互理解の難しさを嫌というほど感じさせてくれる結末でありました。
内気で器量も十人並みのお金持ちの家の一人娘に、貧乏で働くのが嫌いな美青年が近づく。“誠意大将軍”を演じて見事娘は恋に落ちるが、どっこい父親には簡単に見透かされる。女たらしに貢がされるだけだ。初めての恋に現(うつつ)を抜かす娘を傷つけまいと遠回しに青年を遠ざけようとするが、反対すればするほど娘は頑なになっていき・・・という話。
ま、どこの国にも、いつの時代にもある話です。昼メロにもありそうな話です。ところが、これがワイラーの手にかかると人間描写が細やかで、普遍的なテーマを抱えながらオリジナリティを感じさせる人間ドラマになるのです。
時は19世紀半ば。ニューヨーク、ワシントン広場近くの高級住宅地に住む医師、オースティン・スローパー(リチャードソン)の娘キャサリン(デ・ハヴィランド)は、とっくに嫁いでもよい年齢だが、その内気な性格が災いしてか彼氏さえおらず、オースティンも華やかで社交的であった亡き妻とつい比べてしまい、情けなくなってしまうのであった。
『いい学校にも通わせたし、ダンスも音楽も最高の指導を受けさせた。夜にはよく話をして社交性を養わせようとしたし、自由な時間も与えたのだが、どうしようもなく平凡で何の取り柄もない娘になってしまった』
知人には奥さんを理想化しすぎていると言われるが、なにしろキャサリンは母親の命と引き換えに誕生したようなものなので、父親の娘に対する期待が大きいのも致し方のないことであった。
キャサリンの楽しみは刺繍。父の為に料理もこなすのだが、昼食に外に出ようと誘っても家で刺繍がしたいからと断るので、オースティンも最近はどう扱っていいか、些か困惑気味なのである。
スローパーの屋敷には夫を亡くして喪中の妹ラビニア(ホプキンス)が来ており、スローパーは彼女にひと冬ここで一緒に暮らさないかと言う。丁度よい機会なので彼女にキャサリンの母親代わりをしてもらおうというのである。ラビニアも喜んで承諾した。折しもその夜には知人の家でパーティーが開かれる事になっており、ラビニアにはキャサリンの手助けを頼んだ。今夜こそは壁の花にならずに、しっかりとパーティーを楽しむようにと。
パーティーではキャサリンの従姉妹の婚約の発表があり、その後キャサリンはその婚約者の従兄弟モリス・タウンゼント(クリフト)と知り合う。ヨーロッパ帰りのモリスは彼女に優しく接し、キャサリンは彼のリードで生まれて初めてといっていいほどダンスを楽しむことが出来た。オースティン、ラビニアとも挨拶を交わしたモリスは、次の日からキャサリンの家を訪れるようになる。
男性とのつき合いに慣れてないキャサリンは居留守を使ったりするが、ラビニアはハンサムなモリスに快く応対し、やがてモリスはキャサリンに愛を告白、求婚する。キャサリンは一も二もなく受け入れた。
通常、求婚は男性の方が女性の親に申し込むもので、女性の方が先に親に報告するのは筋が違っていたが、モリスは彼女が父親に事前に伝えるというのを止めなかった。オースティンに快く思われていない事を察知していたモリスには、キャサリンが先に父親に告白することで、彼女の自分に対する想いを父親に知らしめる狙いがあったのだ。
定職もなく、親からの遺産を未亡人である姉にも渡さなかったモリス。キャサリンには既に亡母からの遺産が毎年1万ドル渡っており、オースティンはこの求婚は娘の財産狙いのものであると判断、次の日やってきたモリスに結婚には反対だと申し出を退けた。部屋の外でモリスを待っていたキャサリンは、二人の険悪な様子に驚き、初めて父親に口答えをする。
父親の同意が無くてもすぐにでも結婚すると言い出すキャサリン。モリスはオースティンの許しが欲しいと言い、それならばとオースティンはキャサリンに半年間のヨーロッパ旅行を提案する。冷却期間をおいて、なお二人の結婚の意志が変わらなければ許そうというのだが・・・。
これは、観ている人の立場により色々な観方ができそうです。私は当然父親の立場ですから、聞き分けのない娘の態度に何ともやるせない思いがしました。娘だから可愛くないわけはないのに、馬鹿な男に惹かれる娘にはほとほと嫌気がさす。
『自分をよく見てみろ。一目惚れされるような女か。アイツの狙いはお前の持っている財産だけだ』
言ってはいけない一言(あっ、映画はこんな言い方ではなかったです)。何とか目を覚まさせてあげたい。しかし、そんな父親の思いはついに通じることはなかったのですなぁ。
キャサリンに共感できる人にはどう見えたんでしょうねぇ、あの親。亡き妻に近づけようとせずに、キャサリンなりの幸せの形を考えてあげれば良かったのでしょうけど。
終盤のキャサリンを見ていると、完全に殻にこもってしまい、半分病気のように見えましたね。戦慄を覚える所もあり、ラストシーンも、キャサリンのモリスに対する復讐は遂げられたにしても、彼女の今後が気になるのでした。
3年前の「遥かなる我が子」に続いて2度目の主演オスカーを受賞したオリヴィア・デ・ハヴィランド。「風と共に去りぬ(1939)」のメラニーと同じように大人しい女性の役でしたが、こちらはもっと複雑な性格を表現していて、受賞は納得の演技でした。一つ違いの妹、オスカー女優のジョーン・フォンテインとの仲の悪さも有名でしたな。
父親役のラルフ・リチャードソンも助演男優賞にノミネートされたそうです。主演男優賞でもおかしくない熱演でしたのに、しかも無冠とは。イギリス人には不利でしたかな。この人はキャロル・リード作品での演技が有名ですね。
モンゴメリー・クリフトを最初に見たのがテレビの洋画劇場での「山河遙かなり(1947)」だったので、昔から好青年のイメージが付いてしまっていて、「陽のあたる場所 (1951)」のジョージ青年にも情状酌量出来るところはあるんですが、このモリスの不埒ぶりには同情の余地は無かったです。計算高く、狡賢い。一挙手一投足に込められたモンティの性格描写が素晴らしい!
ミリアム・ホプキンスは、ルーベン・マムーリアンの「虚栄の市(1935)」でアカデミー主演女優賞候補にもなった女優で、「この三人 (1936)」、「黄昏 (1951)」、「噂の二人 (1961)」などワイラー作品への出演も多い人です。
ラビニア叔母さんがも少しシッカリしていたら、キャサリンの不幸、オースティンの不幸もなかったのかも。
複雑な人間描写は★★★★★クラスですが、父親の無念さが昇華されないのでお薦め度は★一つマイナスです。
ワイラー監督が「我等の生涯の最良の年(1946)」の後に作った作品で、その後「探偵物語(1951)」へと続く。原作は「デイジー・ミラー」、「ねじの回転」などの翻訳もあるヘンリー・ジェームスの小説『ワシントン広場』。
オスカー候補にもなった名作としてタイトルも内容もおおよそ知っていましたが、ここまで救いようがない悲劇とは思いませんでした。救いようがないかどうかは観客個々の受け止め方しだいとしても、私にとっては人間の相互理解の難しさを嫌というほど感じさせてくれる結末でありました。
内気で器量も十人並みのお金持ちの家の一人娘に、貧乏で働くのが嫌いな美青年が近づく。“誠意大将軍”を演じて見事娘は恋に落ちるが、どっこい父親には簡単に見透かされる。女たらしに貢がされるだけだ。初めての恋に現(うつつ)を抜かす娘を傷つけまいと遠回しに青年を遠ざけようとするが、反対すればするほど娘は頑なになっていき・・・という話。
ま、どこの国にも、いつの時代にもある話です。昼メロにもありそうな話です。ところが、これがワイラーの手にかかると人間描写が細やかで、普遍的なテーマを抱えながらオリジナリティを感じさせる人間ドラマになるのです。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/66/733f97f292bc697b5cbace423ece833a.jpg)
『いい学校にも通わせたし、ダンスも音楽も最高の指導を受けさせた。夜にはよく話をして社交性を養わせようとしたし、自由な時間も与えたのだが、どうしようもなく平凡で何の取り柄もない娘になってしまった』
知人には奥さんを理想化しすぎていると言われるが、なにしろキャサリンは母親の命と引き換えに誕生したようなものなので、父親の娘に対する期待が大きいのも致し方のないことであった。
キャサリンの楽しみは刺繍。父の為に料理もこなすのだが、昼食に外に出ようと誘っても家で刺繍がしたいからと断るので、オースティンも最近はどう扱っていいか、些か困惑気味なのである。
スローパーの屋敷には夫を亡くして喪中の妹ラビニア(ホプキンス)が来ており、スローパーは彼女にひと冬ここで一緒に暮らさないかと言う。丁度よい機会なので彼女にキャサリンの母親代わりをしてもらおうというのである。ラビニアも喜んで承諾した。折しもその夜には知人の家でパーティーが開かれる事になっており、ラビニアにはキャサリンの手助けを頼んだ。今夜こそは壁の花にならずに、しっかりとパーティーを楽しむようにと。
パーティーではキャサリンの従姉妹の婚約の発表があり、その後キャサリンはその婚約者の従兄弟モリス・タウンゼント(クリフト)と知り合う。ヨーロッパ帰りのモリスは彼女に優しく接し、キャサリンは彼のリードで生まれて初めてといっていいほどダンスを楽しむことが出来た。オースティン、ラビニアとも挨拶を交わしたモリスは、次の日からキャサリンの家を訪れるようになる。
男性とのつき合いに慣れてないキャサリンは居留守を使ったりするが、ラビニアはハンサムなモリスに快く応対し、やがてモリスはキャサリンに愛を告白、求婚する。キャサリンは一も二もなく受け入れた。
通常、求婚は男性の方が女性の親に申し込むもので、女性の方が先に親に報告するのは筋が違っていたが、モリスは彼女が父親に事前に伝えるというのを止めなかった。オースティンに快く思われていない事を察知していたモリスには、キャサリンが先に父親に告白することで、彼女の自分に対する想いを父親に知らしめる狙いがあったのだ。
定職もなく、親からの遺産を未亡人である姉にも渡さなかったモリス。キャサリンには既に亡母からの遺産が毎年1万ドル渡っており、オースティンはこの求婚は娘の財産狙いのものであると判断、次の日やってきたモリスに結婚には反対だと申し出を退けた。部屋の外でモリスを待っていたキャサリンは、二人の険悪な様子に驚き、初めて父親に口答えをする。
父親の同意が無くてもすぐにでも結婚すると言い出すキャサリン。モリスはオースティンの許しが欲しいと言い、それならばとオースティンはキャサリンに半年間のヨーロッパ旅行を提案する。冷却期間をおいて、なお二人の結婚の意志が変わらなければ許そうというのだが・・・。
これは、観ている人の立場により色々な観方ができそうです。私は当然父親の立場ですから、聞き分けのない娘の態度に何ともやるせない思いがしました。娘だから可愛くないわけはないのに、馬鹿な男に惹かれる娘にはほとほと嫌気がさす。
『自分をよく見てみろ。一目惚れされるような女か。アイツの狙いはお前の持っている財産だけだ』
言ってはいけない一言(あっ、映画はこんな言い方ではなかったです)。何とか目を覚まさせてあげたい。しかし、そんな父親の思いはついに通じることはなかったのですなぁ。
キャサリンに共感できる人にはどう見えたんでしょうねぇ、あの親。亡き妻に近づけようとせずに、キャサリンなりの幸せの形を考えてあげれば良かったのでしょうけど。
終盤のキャサリンを見ていると、完全に殻にこもってしまい、半分病気のように見えましたね。戦慄を覚える所もあり、ラストシーンも、キャサリンのモリスに対する復讐は遂げられたにしても、彼女の今後が気になるのでした。
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3年前の「遥かなる我が子」に続いて2度目の主演オスカーを受賞したオリヴィア・デ・ハヴィランド。「風と共に去りぬ(1939)」のメラニーと同じように大人しい女性の役でしたが、こちらはもっと複雑な性格を表現していて、受賞は納得の演技でした。一つ違いの妹、オスカー女優のジョーン・フォンテインとの仲の悪さも有名でしたな。
父親役のラルフ・リチャードソンも助演男優賞にノミネートされたそうです。主演男優賞でもおかしくない熱演でしたのに、しかも無冠とは。イギリス人には不利でしたかな。この人はキャロル・リード作品での演技が有名ですね。
モンゴメリー・クリフトを最初に見たのがテレビの洋画劇場での「山河遙かなり(1947)」だったので、昔から好青年のイメージが付いてしまっていて、「陽のあたる場所 (1951)」のジョージ青年にも情状酌量出来るところはあるんですが、このモリスの不埒ぶりには同情の余地は無かったです。計算高く、狡賢い。一挙手一投足に込められたモンティの性格描写が素晴らしい!
ミリアム・ホプキンスは、ルーベン・マムーリアンの「虚栄の市(1935)」でアカデミー主演女優賞候補にもなった女優で、「この三人 (1936)」、「黄昏 (1951)」、「噂の二人 (1961)」などワイラー作品への出演も多い人です。
ラビニア叔母さんがも少しシッカリしていたら、キャサリンの不幸、オースティンの不幸もなかったのかも。
複雑な人間描写は★★★★★クラスですが、父親の無念さが昇華されないのでお薦め度は★一つマイナスです。
・お薦め度【★★★★=やるせないけど、友達にも薦めて】 ![テアトル十瑠](http://8seasons.life.coocan.jp/img/TJ-1.jpg)
![テアトル十瑠](http://8seasons.life.coocan.jp/img/TJ-1.jpg)
私はまさしく、キャサリンに感情移入しながら観てました。もちろん、途中までは父親が彼女を心配する気持ちもちゃんとわかってたんですよ。がっ!やっぱり言ってはいけない一言ってあるんですよね。「お前の取り柄は刺繍だけだ」みたいなことを年頃・・・しかも恋してる娘が言われたら、誰だって怒りますって!もともと、あんなに内気で恋愛下手な娘に育ってしまったのだって、父親が美しかった母と何かと比べたせいじゃないかと・・・。
う~ん。父と娘って難しいですね。
長所も短所もズバズバ言えるのが血縁者だと思うんですが、この父親は娘の長所に気付いてなかったですからね。そこが不幸でした。
モリスへの復讐が出来たのは良かったにしても、幸せな人生を歩んでもらいたいという父親の娘への思いが最後まで届かなかったのが残念です。
この映画は2年半ほど前に見てからご無沙汰していますので、詳しい内容は忘れています。
したがいまして、コメントし辛いのですが、十瑠さんのレビューを拝読して、少しは思い出しました。
機会がありましたら、また久し振りに鑑賞して再コメントさせていただくかも分かりませんが、概ね、十瑠さんと同じような感想になると思います。
女性陣と男性陣の捉え方が正反対なので、ついコメントしてしまいました。
TB返し&コメントありがとうございました。
父親は冷静な医師故に、娘の現実と相手の目的は正確に理解し、正確にアドヴァイスしています。
つまり、正しい理解と判断が正しい結果を導くとは限らない、という悲劇ではないかと。
父親が娘に真の愛情を持っていれば、途中までは同じでも最終的に同じ行動を取ったであろうか(真心からの行動だったのか)、という疑問が湧いています。
いずれにしても、結果は最悪でしたね。彼女は行かず後家の道を歩むしかないのでしょう。
何が正しいか、というのも分からないですね。どうするのが一番幸せだったかということですが、幸せの基準が人それぞれだから。
それに、モリスとキャサリンが結婚した場合、今以上の不幸になることだって考えられる。
父親は最終的には結婚を黙認する予定だったはずで、ただモリスが父親の財産まで欲しがったのが悲劇の引き金のような気がするんですがネ。
メッセージとTBありがとうございます。
復讐というよりも、あの顔は人間らしい喜びを失って、屋敷にこもって相続した遺産を守って一生を終える女の悲しみがその奥に感じ取れたわ。金銭的な相続だけでなく、父と同じように人間を信じないそんな負の遺産も相続したということが本作のテーマなんでしょうね。オリヴィア・デ・ハヴィランドがみせる前半の天使のような無垢な笑顔と後半でみせる氷の女のような冷たさ。彼女の演技が素晴らしかった。オスカー当然ですよね。
やっぱり、この映画の見方には色々あって難しいですね。
>父と同じように人間を信じないそんな負の遺産も相続した・・・
あのお父さんが人間を信じない偏屈者には見えなかったんですけどねぇ。モリスは信じてませんでしたが。
どなたかの小説「ワシントン広場」の読後評に、「青年の正体に気づいた父親は結婚を反対するが、夢想的で俗物の叔母は仲を取りもとうと躍起になります」とありました。思い起こしても、あの叔母さんが最悪だったような気がしますね。
ジェーン・カンピオンの「ある貴婦人の肖像」はH・ジェームズの原作だそうで、内容ははキャサリンがもしあのままモリスと結婚したら・・・というような本らしいです。
いずれにしても、皮肉な物語を書く人ですね。
この映画、見てから何日も経つのに、まだ引きずっておりまして、ネットでいろいろな方の感想を拝読していたところです。
立場が違うと見方もまるで違うのだな、、、と改めて思います。
私は、どうしても父親が諸悪の根源に思えて仕方がありません。
思いがけず楽しくステキなブログに出会えて、他の記事も少し拝見しました。
たくさん興味深い記事があるので、またおじゃまさせてください。
突然、失礼いたしました。
個々の感想の違いを考えると、もっと引きずりそう・・・。
>諸悪の根源
女性陣の感想の中に「モリス」が入っていないのが不思議な十瑠です。
彼のキャサリンに対する愛情はほぼゼロなのになぁ。
今後ともよろしくお願いします。