映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇(1995年)

2017-09-19 | 【ち】



 ソフィ(サンドリーヌ・ボネール)は、街外れの邸宅に住むルリエーブル家に住み込みの家政婦として雇われる。

 ルリエーブル家は、夫妻は再婚で、主のジョルジュ(ジャン=ピエール・カッセル)は娘のメリンダ(ヴィルジニー・ルドワイヤン)を、妻のカトリーヌ(ジャクリーン・ビセット)は息子のジルをそれぞれ連れてのステップファミリーだが、4人の仲はそれぞれ良く、ソフィにも節度ある雇い主一家であった。

 ソフィは、家政婦として家事は完璧だが、誰にも言えない“秘密”を抱えており、この秘密がバレないようにありとあらゆる策を講じるのであった。しかし、それが元で主のジョルジュと次第に関係が悪くなっていく。

 そんなソフィと唯一親しくなったのが、街の郵便局に勤めるジャンヌ(イザベル・ユペール)。ジャンヌにはよからぬ噂があり、ジョルジュは彼女を毛嫌いしていたため、ソフィと親しくしているのを知り、さらに2人の間の空気は悪化する。一方のジャンヌも、ルリエーブル家に対し、裕福さへの羨望が高じた嫉妬と憎悪を抱いていた。

 だが、ある日、ソフィが死んでも知られたくない秘密をメリンダに見破られる。メリンダに悪意はなかったのだが、ソフィは、メリンダの秘密を盾に脅迫行為に出たことで、ジョルジュの怒りを買い、解雇を言い渡される。これを機に、ソフィとジャンヌの行動は常軌を逸していくのであった、、、。 

    
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 『エル ELLE』を見て、ユペール作品を見てみたくなりまして、、、。前から興味のあった本作を見ることに。シャブロル監督作って、、、うーむ、という感じで期待値低めだったんだけど、これは面白かった!


◆ソフィの秘密の正体は、、、

 上記のあらすじで書いた“秘密”とは、“文字が読めない”こと。作中では、メリンダが「難読症なの?」と聞いており、いわゆる教育を受けていないことによる文盲ではなく、障害の1つとして描かれている様子。

 ソフィがこの秘密を隠す様が、もうそれはそれは涙ぐましいというか、痛々しいというか、、、。そこまでして隠さねばならないことなのか? と、見ている方としては他人事なので思うけれど、『愛を読むひと』のハンナも、命と引き換えに字が読めないことを隠し通したことを考えると、これは本人にとってはよほどのことなのだろうと、本作を見て感じた次第。ハンナの、秘密を守り通す言動と、ソフィのそれには非常に相似点が多い。

 ハリウッドスターなどが、自身がこの障害を持っていることを公表しているが、それは、彼らだからこそでき、またする意味があることなのだろうが、なかなか一般市民として生きる者にとっては公にすることに相当の勇気を要するものだということを、よく認識した方が良さそうだということを学んだ気がする。

 そういう前提で見なければ、ソフィの終盤に掛けての行動は全く唐突すぎて理解不能なものになってしまう。しかし、ハンナと同様、命がけで守るべき秘密であるものならば、あの行動は、当然の成り行きとも言える。それでソフィへの同情を抱くこともないし、ソフィの行動が正当化できるものではないけれど、ソフィにとってはそれが正義であったことは理解できると思う。


◆ジャンヌとソフィ、運命の出会い

 こんなに笑顔の多いユペールを1つの作品の中で見るのは初めてかも。しかも、下品な笑い。とにかく、ユペール演じるジャンヌは、どう見てもワケアリの下品な女。

 彼女のよからぬ噂ってのは、実の娘を殺したんじゃないか、、、という疑惑が持たれていること。裁判で無罪になったけれども、ソフィに話したその経緯を聞くと、耳を疑うようなもの。

 「買い物から家に帰って、真っ暗な部屋の入り口で何かにつまずいた。怖くなって蹴飛ばした。暖炉に火が付いていて、買ってきたものを棚に入れたりした後、気付いたら、娘の顔が暖炉に。慌てて娘を抱き上げたら顔が黒焦げだった、、、、」

 ……つまずいて蹴飛ばしたって、4歳の子につまずいたら、瞬時に分かりそうなもんだけど。しかも、蹴飛ばした後に、買ってきたものを棚に入れたりしている、、、。こんなこと言う中年女、かなりヤバいでしょ、フツーに考えて。こりゃ、殺したんじゃないか、と思われるわね、そりゃ。私も、限りなくクロだという印象を受けた。

 でも、実は、ソフィにも怪しい過去があったのよね。介護していた病身の実父を火災で亡くしているんだけど、この火災、放火なんだって。ソフィは外出中で犯人から外れたけど、こちらも限りないクロ。ジャンヌに「殺したの?」と聞かれたソフィは「証拠はない」と答えているんだから、、、。

 この2人は、出会うべくして出会ったとも言える。互いの共通する匂いを嗅ぎ分けて、意気投合したということだろう。

 本作の解説やレビューをいくつか見たところ、この2人が出会ってしまったからこそ、本作のタイトルにもある“惨劇”は起きたということが書かれていたが、果たしてそうだろうか、、、?

 そうかも知れないが、私は、ソフィはジャンヌがいなくても、惨劇=ルリエーブル一家皆殺しを起こしていたんじゃないかという気がしている。ただ、ジャンヌがいたことでそれが容易になったことは間違いないだろうけど。何しろ、ソフィは、秘密を一家に知られているのだ。これが、仮にジャンヌに知られたとしたら、恐らくジャンヌにも殺意を向けたんじゃないだろうかと思うのだが、どうだろうか、、、。


◆ルリエーブル家は、本当に“善意”の人たちか?

 また、いくつかの解説やレビューには、ルリエーブル家のことを“善意の”人たちと書いていたが、果たしてそうだろうか?

 確かに、一見、この一家は善意の人たちに見える。ソフィが車の免許を持っていないといえば「取れば良い、費用はウチが持つ」と言い、またソフィが目が悪いと言えば「眼鏡を買えば良い。費用はこちらで持つ」と言って、眼科に送っていくなど、、、ソフィには概ね親切なのだ。

 厄介なのは、この“一見善意の人に見える”ということだ。よくよく考えると、ソフィが免許を持っていないから取れ、と勧めるのは、その方が自分たちにとって都合が良いからであり、免許を取るためには眼鏡が必要だから買えと言っているのである。何より、ソフィが免許を持っているかいないかを、この一家は、食後のリビングで大声で推測しながら話し合っており、それはソフィが夕食の後片付けをしているキッチンまで丸聞こえなのである。つまり、ソフィに聞こえたら失礼だという意識がまるでない。

 また、作品冒頭で、家政婦の呼び方について、カトリーヌとジルが「女中」と言っているところを、メリンダが「それは差別的だ」とたしなめ、「家政婦さんは?」と提案する。ジョルジュは一旦「名前で呼べば?」と言うものの結局「メイドで良いだろう」などと言っている。この会話は、一見、メリンダの意識が先進的なもので良いことのように見えるが、この家族の根底にある意識が浮き彫りになっている意地悪なシーンだと思う。この一家は、これから来ることになるソフィを「ソフィ」と名前で呼ぶ意識が最初からない。つまり、一人の人間として見ているのではなく、あくまでも自分たちの生活の中で面倒なことをさせるための人、として徹頭徹尾扱っているのである。

 まあ、コレは別に、ルリエーブル家に限ったことではなく、家政婦を雇うような階層の家庭にとっては、ごくごく普通のことだろう。

 そして、ジョルジュとジルの男たちは「美人? こないだのデブとは違う?」「男が美しい女を求めるのは自然の摂理だ」とかいって、そこにメリンダがジルに「童貞を捧げる?」などと返すという、非常にふざけた会話に及ぶ。こういう階層の人々にとって、本音ベースでは家政婦ごときの人格は無視なのである。

 こういう意識が根底にある一家の“善意”は、それを向けられる者には、“偽善”であることが一瞬で分かるのである。

 そして、本作は、ルリエーブル家の人々の言動の端々に偽善が溢れていることを、徹底的に描いていると思う。ここに、偽善を読み取るか否かは、ハッキリ言って見る側の意識によって変わってくると思う。偽善を全く読み取らない人は、きっと根っからの“善い人”なんだと思う。が、私のような屈折した人間には、ルリエーブル家は選民意識を無自覚に持った、偽善臭漂う厄介な人々に見えてしまうのである。

 ソフィには、彼らの一言一言が、上から目線に感じたことだろう。そして、それがますますジャンヌとの距離を縮めることにつながったのだと思う。惨劇は、ある意味、起きるべくして起きたのだ。


◆その他もろもろ

 本作は、タイトルがネタバレであり、つまり、サスペンスにカテゴライズされているが、惨劇が起きるまでの経緯を事細かに見せているのが特徴だ。しかも、説明的ではなく、惨劇に至るまでの登場人物たちの心理劇を描いている。

 ジャンヌとソフィが、教会の慈善活動で、リサイクル品を回収するシーンが面白い。中には、リサイクルなど到底できないようなゴミ同然のものを出す者がおり、ジャンヌはそれを“偽善”と見抜いて暴く。ゴミ同然のモノは、その場でより分け、出品者に突き返すのだ。しかし、教会はそんなジャンヌたちを許さない。なぜなら、許せばそれが偽善であることを教会自身が認めることになるからだ。

 こういう、意地の悪い、しかし、一見ただのジャンヌの粗忽者ぶりを描いただけのようなシーンがあちこちに挟まれ、本作がより面白いものになっている。

 その一番の貢献者は、やはり、イザベル・ユペールだろう。サンドリーヌ・ボネールも素晴らしいが、ユペールの下品さ、捻くれた性格を表わす演技が嘆息モノ。よくぞここまで嫌らしい女を演じられるものである。さすが、ユペール。数々の賞を獲ったのも納得。

 ルリエーブル家の主ジョルジュを演じた ジャン=ピエール・カッセル、息子のヴァンサン・カッセルとあんまし似ていないような気がしたんだけど、、、。私は、息子よりお父さんの方が好きだわ~。カトリーヌのジャクリーン・ビセットも色っぽくて素敵。

 ジャンヌが、森で茸を採って、それを料理してソフィと食べるシーンが好きだなぁ。茸が美味しそうだし、ジャンヌのパンのちぎり方とか、実にジャンヌのキャラをよく表わしていて、なんとなく笑える。あと、リサイクル品を回収しているときの、ジャンヌのスカートが風に捲られて、ジャンヌのパンツ丸出しの姿とか、、、まあ、とにかく、シャブロル監督の演出がいたるところで実に冴えている逸品です。
 

 






ソフィはあの後どうなるのだろうか、、、。




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パターソン(2016年)

2017-09-15 | 【は】




 アメリカ・ニュージャージー州パターソンに住むパターソンはバスの運転手。

 ♪月曜日は6時半頃起きて~、仕事して、夜はバーへ行く~、火曜日も6時半頃起きて~、仕事して、夜はバーへ行く~、水曜日も6時半頃起きて~、仕事して、夜はバーへ行く~、木曜日も、、、、以下同。

    
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 ジャームッシュ作品、初挑戦! ……と思って見に行ったわけで、帰ってきてから、ネットでジャームッシュ作品リストを見ていたら、なんと、今回が初挑戦でないことが判明してしまった!! 『ブロークン・フラワーズ』というのを見ていたのだった、、、。けど、ほとんど記憶にない。というか、正確に言うと、『ブロークン・フラワーズ』は、あまりにつまらなすぎて途中から爆睡、再見する気にもならずDVDを返却したことを覚えていたのであった、、、。『ブロークン・フラワーズ』のスチール画像を見て、あぁ~~っ、これは!! と。そーだったのか、あれはジャームッシュ作品だったのか。

 まあでも、本作は、途中で爆睡もしなかったし、つまらないとも思わなかった。あちこちで評判がいいのも、ちょっと分かる気がしたかも。


◆何事も起きていないようで、起きている。

 パターソンに住むパターソンという男、、、、なんて紛らわしい。最初のうち、分からんかったゾ。

 ……まあ、本作は、ものすごーく単純に言ってしまうと、日々のよしなしごとのキラキラ(?)を描いているってことだろうなぁ。こんな、一見平々凡々な生活の中にも、小さな幸せやハプニングがあるのさ、みたいな。そう書いてしまうと、メチャメチャ陳腐でしかないけれど、それを陳腐に見せないところがジャームッシュなんだよ、ってことなんでしょーか??

 冒頭の内容紹介は、ロシア民謡の「一週間」のメロディーを思い浮かべて書いてしまった。本作の中で「月曜日」「火曜日」と日々の曜日の字幕が出るので、頭に浮かんじゃったから。まあ、それくらい、パターソンの日々はパターン化している。といっても朝起きる時間を、「6時半頃」にしたのは、6時半の日もあれば、6時15分くらいの日もあれば、わりかしまちまちだったのよね。

 思えば、多くの社会人の日常は、パターソンの様にパターン化しているのではなかろうか。もちろん、私の日常もパターン化。このパターンが崩れると不安になるんだからね。でもさ、パターソンはバスの運転手なわけで、バスの運転手ってのはシフト制じゃないのかね、フツーは。始発が遅く、終発が早い、稼働時間の短いバスなのか? ここが私は冒頭から引っ掛かった、、、といっても、後々の鑑賞に響くものではないけれど。

 でもって、パターソンは、詩を書く専用のノートを持ち歩いて、仕事の始まる前に運転席で詩を書く。で、このノートに書かれている詩を単行本化することを、妻のローズがしきりに勧めている。「お願いだからコピーとって」というローズに、パターソンは、「じゃあ、今度の週末とるよ」と答える。

 ローズは、専業主婦? よくわからないけど、独特のセンスで、DYIにいそしみ、パターン化された日常でありながら、インテリアは月曜日から少しずつ変化していて、週末にはほとんどモノトーンに統一されている。

 こういうところも、パターン化の中の非パターンなことや小さな変化を描いている、、、とも言えるのかも。

 パターン化された行動をする夫と、アクティブで押しの強い妻、、、という一見正反対なキャラの夫婦だけれども、相性は良いらしく、とても仲が良い。まあ、詩の創作とDIYと、双方クリエイティブであるという点は共通しているし。ある意味、そこが通じているのは大きいのかも。お互い、あんまし干渉し合わない。パターソンは束縛を嫌い携帯さえ持たない、ローズはSNSも積極的にやっているけど、どちらも、それやって、とか、それやめて、とか言わない。2人が結婚何年目か分からんが、結婚3年以上経っていて、この状態なら、これは尊敬に値するなぁ……。何年も広くない家に一緒に住んでいて、あのお互いのペースを尊重し合い、干渉し合わずにいられるのかは、かなり疑問だわね。

 
◆“詩”は苦手です。

 で、この映画で重要なアイテムが、私の苦手な“詩”なわけ。私は、この“詩”ってのが、どうも好きになれない。いや、いいな、と感じる詩もあるんだけど、それはホントにごくたまに。大抵は、詩を読んだり聞いたりしても、今一つピンとこなかったり、まったく意味不明にしか思えなかったり、最悪の場合は「何スカしてんだよ」とか思っちゃう。川柳や俳句、短歌の方がまだしも味わう気になるし、良さを感じることが多い。

 ただまあ、これは感性の問題だし、本作でも終盤永瀬が出て来て言っていたが「詩を翻訳するなんてのは、レインコートを着てシャワーを浴びるようなものだ」とあるように、字幕で訳が添えられても、ピンとこなくても仕方ないか、という気もする。実際、本作でパターソンの書いていた詩のなかで、グッとくるモノは1個も、1フレーズもなかった。……というか、あったかも知れないが引っ掛からなかったし、記憶に残っていないってことが、いかに私の詩に対するセンサーが鈍いかってことだと思う。

 だから、申し訳ないけど、重要な要素である詩を通しては本作を鑑賞することは出来ず、そういう面での感想は書きようがないのである。

 とはいえ、パターソンがローズと映画デートから帰ってきて、飼い犬に詩のノートをズタズタに食いちぎられていたことに感じるモノはもちろんあった。コピーをとると約束していた週末に起きたあの出来事で、パターソンの表情からは、どれくらいのショックを受けているのかがイマイチ分からない。もしかしたら、割と「また書けばいいや」くらいに思っているのか? とも感じたけれど、永瀬とのやりとりを見て、実は創作意欲を失うほどの衝撃を受けていたのだ、と分かった次第。……というか、私にはそう見えた、ということだけど。


◆その他もろもろ

 詩の良さは分からないけど、でも楽しめる映画であることは確かで、ある意味、本作は詩的というよりむしろ、“小説的”であると思った。

 冒頭、ローズが、パターソンとの間に双子をもうけた夢を見た、と話すのだけど、いろんなシーンでやたらと双子が登場するのも面白い。それに何の意味があるんだろう? みたいに考えるのも良し、考えないのも良し。私はあれこれ深読みするのは苦手だから考えないけど。

 きっと、ジャームッシュ作品を見てきた人なら、いろいろ楽しめる小ネタがいたるところにちりばめられているに違いない。けれど、そういうのを知らなくても、本作は楽しめる。退屈な日々、でもいろんなことがある日々、、、。まあ、確かに、そうだよなぁ、、、と思うわけで。だからこれからアタリマエを大切に生きよう、だなんてゼンゼン思わなかったけど、まあ、そういう感想ももちろんありでしょう。

 映画ってのは、見て何事かを感じたいわけだけど、何事かを得なければ見た意味がないとは思わないので、そういう意味では、本作は、間違いなく何かを感じることができた映画。それが何かを言葉にしようとすると途端に陳腐になるだけで。

 パターソンを演じたアダム・ドライバーがイイ味出していたんだけど、私は、ローズを演じたゴルシフテ・ファラハニがとっても印象的だった。彼女の顔、どこかで見たなぁ、、、と思いながら見ていたんだけど、『チキンとプラム〜あるバイオリン弾き、最後の夢〜』に出ていたと知り、納得。あの美しい女性(主人公のかつての恋人)を演じていたのが彼女だったのだ。

 まあ、あと助演賞は、あのワンコでしょう。イングリッシュ・ブルドッグの女の子だって。すごい役者だった! パルム・ドッグ賞を受賞したのも納得。受賞前には亡くなっていたとは、、、。ブルドッグは暑さに弱いと聞くから、そのせいだったのか、、、。残念。






永瀬の“A-ha”がダサかった、、、




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夜明けの祈り(2016年)

2017-09-11 | 【よ】




以下、公式サイトよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 1945年12月のポーランド。

 赤十字の施設で医療活動に従事するフランス人医師マチルドが、見知らぬシスターに請われ、遠く離れた修道院を訪ねる。そこでマチルドが目の当たりにしたのは、戦争末期のソ連兵の蛮行によって身ごもった7人の修道女が、あまりにも残酷な現実と神への信仰の狭間で極限の苦しみにあえぐ姿だった。

 かけがえのない命を救う使命感に駆られたマチルドは、幾多の困難に直面しながらも激務の合間を縫って修道院に通い、この世界で孤立した彼女たちの唯一の希望となっていく……。
 
=====ここまで。

    
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 ポーランドかぶれの現在、“ポ”と聞くだけで脳みそが反応してしまうのであります。ですから、当然、ポーランドが舞台の映画であれば、問答無用で見に行くわけです。このかぶれ状態、もうしばらく続きそう、、、。


◆カトリックの歪さを改めて見せつけられる。

 もうね、第二次大戦後のポーランドの悲惨さをちょっとずつだけれども知るにつれ、本当に、暗澹たる気持ちになるんだけど、、、、本作は、そういう戦争は終わって憎きナチは出て行ったけど、代わりにソ連が入ってきたという、厄介な状況に追い込まれているポーランドでの実際に起きた出来事をモチーフにしている。

 ある修道女が修道院を抜け出し、雪の積もる森を速歩で抜けて、とある医療施設にたどりつく。「助けて」と若い女性医師・マチルドにすがるけれども、何を助けて欲しいのか言おうとしないし、そもそもそこはフランスの赤十字施設で、ポーランド人は治療できないと断られる。しかし、マチルドが処置を終えて休憩していると、窓から先ほどの修道女が、雪の上にひざまずいて祈っているのが見える。そこで、マチルドは立ち上がる、、、。

 一筋縄ではいかない修道女たちは、妊婦が複数いることを最初はひた隠す。そらまぁ、そーでしょう。あってはならないことなんだから、修道女が“身ごもる”なんて。しかも1人じゃなく、何人も、、、。信仰の核の部分に関わるし、修道院の存続にも関わる、それはそれは恐ろしいことなわけで。ネットのレビューで、ちらほら“修道女たちが外部に助けを絶対的に求めようとしないことが理解できない”といった感想を見掛けたが、理解できないことが理解できない、、、のだよねぇ、私は。

 本作でのカトリックも、やっぱり、信仰する者を苦しめ追い詰めることになっている。何でそこまで、カトリックってのは禁欲を説くのかねぇ。

 ソ連兵の戦争犯罪については直接的な描写はなく、本作のテーマは、あくまでも修道女たちの苦しみと、そこに介入したフランス人女性医師の目を通した現実への向き合い方を描くことにあったのだろうと思われる。

 本作は、修道院のみならず、ポーランドという国自体が、この出来事が表沙汰になった場合に修道院を守らないであろうことにも言及しており、ここまで描かれていても先に挙げた様なネットの感想が出てくることに、ある意味驚きを覚える。


◆出産後の修道女たちの描写はあれで良いのか、、、?

 身ごもった修道女たちの多くは、程度の差はあれ、最終的には現実を受け容れ、我が子を愛しい存在と思うようになると、本作では描かれている。レイプで授かった子など愛せないと、何の躊躇もなく捨てる母親は皆無だった。

 まあ、私は、レイプされたことも、妊娠したこともないので、この辺りの感覚は想像するしかなく、想像を超えているものがある。だけれども、この、いかにも“母性至上主義”的な描写は、若干違和感を覚えたのも事実。実際の修道女たちがどうだったのかは分からないが、もっと激しく葛藤し、現実を突きつけられても受け容れきれなかった者がいても不思議ではない。

 出産したシスターたちが、我が子と離れなくても済む様に、マチルドは、修道院に対し、孤児院を兼ねることを提案する。これにより、修道院の面目は保たれつつ、修道女たちは母親として我が子の成長を見守ることも可能になった、、、というわけだ。

 本作はこれで、ほとんどハッピーエンディングに近い終わり方なのだが、私としてはむしろ、これからの方が、修道女たちにとっては試練なのではないかと思い、あまりハッピーエンディングの雰囲気には浸れなかった。子は成長するにつれて、自分の置かれている環境を認識していくし、自分の出自を必ず知りたがるようになる。そうなった場合、修道女たちは、また信仰との狭間で苦しめられることになるのは火を見るより明らかだ。

 また、マチルドのモデルになったマドレーヌ・ポーリアックは、本作のエンディングの直後となる1946年2月に、実際には事故死している。劇場を出てからこの事実を知って、さらに、何とも言えない気分になった。


◆素晴らしい俳優陣

 本作は全体に、非常に淡々とした描写で、そういう意味では奥行きのある映画とは言いがたい。“こういうことがありました~”で終わっちゃっている感じ。

 ただ、私はそれでも、この作品が映画としてそれなりに見られるものになっているのは、何よりマチルドを演じたルー・ドゥ・ラージュを始め、俳優たちの素晴らしい演技に拠るところが大きいと思う。

 マチルドの描き方も、序盤は実に淡々としており、飽くまで医師としての使命を果たすべく、感情を顔に出さない。『午後8時の訪問者』でアデル・エネルが演じた女性医師・ジェニーと重なった。感情を抑えて強靱な精神力で医師の使命を果たす点は共通している。2人とも、とても好感を持てる女性医師だ。

 そんなマチルドだが、プライベートでは上司の外科医・サミュエルと(一応?)つきあっているらしい。で、このサミュエルを演じていたのが、『やさしい人』でキモワル男にしか見えなかったヴァンサン・マケーニュ。『やさしい人』ではカッパみたいとかってこき下ろしちゃったけど、本作でのサミュエルは愛嬌のあるオッサンで、ゼンゼン別人みたいだった。まあ、どちらも、お世辞にもイイ男系でないことは確かだけど、サミュエルは自身もユダヤ系で迫害の恐怖を味わっていることから、終盤、マチルドが修道女たちを助けることに理解を示し、自らも助けるという、なかなか見所のある男だった。これだけ、役で違いを見せられるということは、彼は良い俳優なのだと思う。

 マチルドに早くから信頼を寄せるシスター・マリアを演じたアガタ・ブゼクが素敵。凛とした美しさと冷たさ、でも、実はとても優しい人。ずーっと見ながら、どこかで見た顔だと思っていたけど、『イレブン・ミニッツ』に出ていたらしい。ポーランド人で、首相を務めたイエジー・ブゼクの娘さんとのこと。ネットで検索したら、よく似ている父と娘だと思った。昨今のポーランドの右傾化にアガタ自身が不安を覚えているとのこと。

 もう一人、特筆すべきが、修道院長マザー・オレスカを演じたアガタ・クレシャ。こちらは、『イーダ』で“赤いヴァンダ”と呼ばれた過去を持つ検事ヴァンダを素晴らしく演じていた彼女は、本作でも存在感を発揮していた。こういう、屈折した心理を抱えた人間を、実に上手く体現していて感動モノ。この、マザー・オレスカは、実は大変な犯罪をしてしまっているんだけど(内容は敢えて書きません)、その心理がまた、信仰を持たない者には飛躍が大きすぎるようにも思えてしまうんだけど、この辺が、カトリックの不可解さを物語っていると思う。







ルー・ドゥ・ラージュと高畑充希は似ている?




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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅱ ~ベルリン(ドイツ)~その③

2017-09-10 | 番外編
**壁がなくなった今も天使が見守る街** vol.3
 




その②につづき

 トルコマーケットでプラムを買ってくれたB子さん。マーケットを通り抜けると、ちょっと困った顔でこう言うのです。

 「すみません、予定変更して良いですか?  国会議事堂のガラスドーム見学の時間が迫ってるんです!!」

 ……そう、B子さんは、この時間を気にしていらしたのでした、、、。このガラスドーム(展望台)見学は事前の予約が必要で、B子さんにアテンドをお願いしたときに、“ガラスドーム見学希望!”とお伝えしてあったわけです。でも実は、このドーム見学、結構人気らしく、特に観光シーズンは予約がとれないこともあるそうで、とれたとしても時間厳守を求められるのだとか。で、B子さんは焦っています。

 とりあえず、バスに乗ります! ということで、バスに乗り、時間を気にしつつも、マーケットで買ったプラムを「食べましょう」と差し出してくれます。で、このプラムが美味しかった!!

 プラムを食べ終わった頃、B子さん、急に「ここでおりて、ここからはタクシーに乗りますね」と。慌ててB子さんに着いていく、、、。バス停を降りてすぐの交差点で、ちゃっちゃとタクシーを拾うB子さんに促され、タクシーに乗ると、運転手はビール焼けしたっぽい赤ら顔のおじさんで、やたら陽気。ドイツ語はほとんど分からない私だけど、「日本から来たの!!」とか、アメリカの悪口言っているのは何となく分かりました。

 タクシーに乗ること5分くらいで、着きましたよ、国会議事堂に。でも、B子さんは降りるなり小走り。ドーム見学入り口で、係員の人にスマホの予約画面を見せて何やら聞いていると、予約時刻を15分ほど過ぎていたけれど、あっさりOK!! B子さん、急に表情が緩み、「あ~~~、良かったぁ~~!! 良かった!!」と、ハグされました。

 最初から言ってくれていれば、こっちも心の準備が出来ていたのに、B子さん一人に気を揉ませてしまって申し訳ない気持ちに、、、。まぁ、でも結果オーライ、とにかく予約レーンに並び、受付へ。事前予約で、パスポートナンバーと名前を登録するのだけど、受付ではパスポートの提示を求められ、金属チェックもされ、警備は割と厳重でした。

 で、エレベーターにのって、そのままドームへ直行!!


外から見たガラスドーム(公式HPより)



ドームを入って見上げるとこんな感じ(旅行社の画像お借りしました)


 ガラス張りで、しかも好天だったため、まさしく温室状態!! 暑い!! けれども、ここまで来たらそんなことは言っていられないので、頑張っててっぺんまで行きました。ず~っとゆるやかなスロープ。動画を撮りながら歩き、まさしくベルリン一望してまいりました。


はるか遠くにかすかに見えるのが、戦勝記念塔のヴィクトリア像(赤い矢印)。『ベルリン・天使の詩』にも登場する




 さてさて、、、。サウナの様なドームを出て地上に降りてまいりました。どーです、この国会議事堂の全景。


観光客が多い、、、。奥の上部に見えるのがガラスドーム


 まあ、とにかくデカいです。なんというか、ヨーロッパの建物のデカさってのは、日本のデカいとはスケールが違う気がします。もうね、、、ドーーン!!って感じで、もの凄い威圧感。よくこんなおっきな建物作る気になったよなぁ、、、と、感心。

 ベルリンの国会議事堂、といえば、やっぱし国会議事堂放火事件(1933年)が頭に浮かびます。あの『地獄に堕ちた勇者ども』でも序盤シーンで出て来ますが、戦中から戦後の長きにわたって捨て置かれた議事堂も、東西ドイツ統一後、大掛かりな修復の末に、1999年に現在の姿になったとか。


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 さて、ドーム見学を終えたら、当初の予定から遡ることに。というわけで、お次はブランデンブルク門へ。公園を横切りてくてく歩いて(B子さんの歩みも、ゆっくりになっていました)数分。ありました、あの威容を誇る門が。



 そしてまた、この門も、デカい、、、。ここまで大きい門を作る必要性って? やっぱし身体が大きいから、建造物も大きくなるんでしょーか? もう、デーーンって感じで、圧倒されますね。

 門の上にいる4頭立ての馬車とヴィクトリア像が、これまたデカい。こんなのを、ナポレオン戦争前後に上げたり下ろしたりしていたってんだから、ビックリです。

 この門も、数々の歴史の出来事を経て(歴史についてはwikiでどーぞ)、今の姿になっているわけですが、かつては冷戦の象徴的存在だったとは、今の姿からは想像も出来なくなっています。

 こんな画像を発見! 人の通行が出来なかった頃のブランデンブルク門ですね、、、。今回、この画像の右側から門をくぐって左側へと歩いて行きました。



 今や、ブランデンブルク門の前は、憩いの広場になっており、多くの市民や観光客が思い思いの場所でくつろいでおられます。そこで、ベルリンと言えば! というほどメジャーなスナックである“カレーヴルスト”を食べることに。B子さんおすすめの屋台(?)でコーラと共にゲット。


添えられたパンは食べきれなかった、、、


 ドイツの代名詞ソーセージをカリッと焼いて、その上にケチャップみたいな濃厚ソースを掛け、さらにカレー粉を振るという、、、。正直、ちょっと味の想像がつかなかったのですが、匂いはとっても美味しそう! 

 うん、、、確かに美味しい!! 思ったよりもカレー粉が効いていて、ソースもピリ辛。うーむ、コレは確かにヤミツキになる味かも。これだけでも結構なボリュームでお腹一杯に。

 このカレーヴルストのお店は、街中のあちこちにあり、もちろん、駅にもあり、関西で言えば“たこ焼き”みたいなもの??でしょうか。東京では、カレーヴルストに匹敵するメジャーな食べ物、思いつかないなぁ、、、。


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 お腹がふくれたところで、ちょっと腹ごなしに歩きます。

 イギリス大使館前は異様な警備で、歩いている途中から何やら通行止め措置がとられ始めます。一体何事? B子さんも分からないと。少し回り道をしながら、ユダヤ人墓地へ。墓地と言っても、ここにユダヤ人が埋葬されているわけではなく、歴史的記念のための場所なのだとか。

 お次は、Uバーン(地下鉄)に乗ってチェックポイントチャーリーへ。


Uバーンの窓には、ブランデンブルク門をデザインした模様が。可愛い!


 Kochstraße駅で降り、地上へ上がるとすぐに、写真でよく見る光景が。兵の写真が大きく掲げられている前にある検問小屋(?)の前に立つ警備の方(?)がゼンゼンこっちを向いてくれないので、こんな写真しか撮れませんでした。残念。


この前に、あの大きい兵の写真が掲げられています


 今や観光名所となり、分断の象徴的な場所だったとは想像もできなくなっています。ネットで探したら、こんな画像を発見、、、。


1963年6月26日敬礼する兵士の前を歩くアメリカのジョン・F・ケネディ大統領とチェックポイント・チャーリーの見張り柱


 もう、歴史の面影も感じられない場所を後にして、B子さんオススメのデパート Ka De We へ買い物に!


Ka De We(HPより)


 この最上階に、いわゆるデパ地下的なものがあり、ここで、いろいろと調味料などの日本じゃ見掛けない加工食品等をゲット。バーバパパの可愛いバナナシロップもゲットしたんだけど、これが後々とんでもないことになるのです、、、。それはまた、後ほど。


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 買い物に時間を取られ、結局、ユダヤ人犠牲者記念館へは行けずじまい。でももう、かなりの距離を歩き(15キロ)疲れていたので、ここで街歩きを終えることにしました。

 B子さんはホテルまで送ってくださいます。

 B子さんは、パリに長く住んでいたことはあるけれど、ベルリン在住歴は1年ほどとのことでした。でも、ときどき、日本人の旅行者をアテンドしているだけあっていろんなことをよくご存じ。そんなB子さんも、国会議事堂のガラスドームは初めての訪問で、だからちょっと緊張したのだと後で話してくださいました。

 B子さんに聞いた興味深い話をいくつか。

 ① ベルリン時間
  ベルリンは首都であるにもかかわらず、のんびりした街で、時間がここだけゆっくり流れているとのこと。お店が開くのも、だいたいお昼頃で、土日は当然お休みのことろも多いらしい。電車も普通に遅れるし、地下鉄はいつもどこかが工事中で不通とのこと。私が行ったときも、宿の最寄り駅の路線が部分的に不通、、、。旅行者にとってはなかなかつらいとこ。

 ② ベルリナーはミュンヘンがお嫌い
  正確に言うと、ミュンヘンが、というより、南部ドイツに好感を持っていないらしい。サッカーも、ベルリナーはバイエルン・ミュンヘンなんぞは絶対に応援しないとか、、、。ベルリンの街の一角に、南部ドイツからの移住者が住む地域があるらしいのだけれど、「川向こう」などと呼んで、「あそこには近づくな」とまで言う人もいるらしい。まあ、日本でも地域によって好き嫌いがあると思うので、それと同じですかね。

 ③ ドイツ人はアメリカが大嫌い
  ……らしいです。これはもう、歴史的なもので、なにも大統領がトランプになったからというわけでは当然ないそうな。フランスもあまり好きじゃないけど、むしろ、フランス人はドイツが大嫌いなんだとか。まあ、これは納得な気もする。

 とまあ、歩きながらB子さんにはいろんなオハナシを聞きましたが、あんまりB子さんについて書くと個人情報になっちゃうので書けないのがツラいとこ。
 でも、ホント、B子さん、エネルギッシュでパワフルでした。感謝感謝です。

 いよいよ、この後は、ワルシャワへ!!

  





「愛する映画の舞台を巡る旅Ⅲ ~ワルシャワ(ポーランド)~」へつづく
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ハイドリヒを撃て! 「ナチの野獣」暗殺作戦(2016年)

2017-09-09 | 【は】




以下、公式HPよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 第二次大戦中期、ナチスがヨーロッパのほぼ全土を制圧していた頃。イギリス政府とチェコスロバキアの亡命政府とが協力して極秘計画を練る。パラシュートを使ってチェコ領内に送り込んだのは、二人の軍人ヨゼフ・ガブチーク(キリアン・マーフィ)とヤン・クビシュ(ジェイミー・ドーナン)。

 当時、チェコの統治者でホロコースト計画を推し進めていたのが、ヒトラー、ヒムラーに次ぐナチスNo3と言われたラインハルト・ハイドリヒ。二人はナチスとハイドリヒの暴走を止めるために送り込まれたスパイだった。

 ヨゼフとヤンはチェコ国内に潜伏するレジスタンスの協力を得てハイドリヒの行動を徹底的にマークして狙撃する機会をうかがう。任務の過程で芽生えた愛する女性との幸せな生活を夢にみながらも、祖国チェコのために、そして平和な未来のために自らを犠牲にして巨大な敵と戦うことを誓うのだった。
 
=====ここまで。

 チェコが舞台、ナチ映画の異色作。

   
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 複数の映画評を読んで見てみたくなったので、劇場まで行ってまいりました。
 

◆見終わってグッタリ。

 ナチ映画というと、ホロコーストものか、暗殺ものだと思われるのだが、本作は、一応、暗殺ものと言えるけど、主眼はむしろ暗殺後であり、祖国のプライドのために立ち向かった者たちが、いかに凄惨な報復を受けるに至ったかが克明に描かれている。だからこそ、見てみたいとも思ったわけだけど。

 さらにいうと、ナチ映画では、その舞台が大抵は、ドイツか、ポーランドか、フランスか、せいぜいロシアか、、、なもので、チェコが舞台のナチ映画は、まさにこの暗殺計画を扱った作品くらいなものではないかしらん。そういう意味でも興味をそそられた次第。

 で、見終わっての率直な心の第一声は、“疲れた……”。

 というのも、前半は割とひたひたと暗殺計画が進むのでむしろ退屈でさえあるのだけれども、暗殺計画実行以降は、もうひたすら恐ろしいので、身を固くして見ていたものだから、心身共に緊張しっぱなしで疲れたのである。しかも、救いがない結末なので、その疲れは倍増。疲れというか、徒労感にどっと押しつぶされそうになり、劇場を出る足取りはただただ重かった。

 とにかく、理不尽かつ無残な映画であると思う。


◆暗殺は一応成功するが、、、

 欧州諸国から見捨てられたチェコは、政府がロンドンに亡命してしまい(ポーランドと同じ)、国民こそが国に捨て置かれた状態だったわけで、、、。しかも、ナチスという化け物に、暗殺で立ち向かおうという、まさに国民の生命・財産を軽んじる無謀な計画を立案する亡命政府。私が当時のチェコ国民ならば、絶望しかなかったように思う。

 チェコの地下組織は、アタリマエだがこの暗殺計画に反対する。しかし、いくら暗殺後を恐れても、現状、国民を置き去りにした政府は、国民の犠牲をやむなしとしたこの作戦を決行しようとしていることを思えば、地下組織としても、やはりどこか絶望していたのではないか。絶望した者たちにとって、かすかな望みは、我が命と引き換えに国を取り戻すこと、、、という思考になるのも当然と言えば当然な気がする。

 しかも、いざ暗殺実行の段になって、ガブチークの銃は作動しないという皮肉。ハイドリヒに返り討ちされそうになる瞬間、ヤンの放った手榴弾が炸裂し、ガブチークは逃げ、ハイドリヒは致命傷を負うことになる。でも、暗殺実行犯らは、ハイドリヒがどの程度の怪我を負ったかは分からないし、数日後に死亡を知るまでは、計画失敗にさらなる絶望を味わったに違いない。

 ここから、実行犯らの逃亡が始まるのだが、ナチスのやり口は実にエグい。昨今の北朝鮮のニュースを見ていると、ナチスのそれとダブって仕方がない。独裁体制とは、ワンパターンだと思う。詰まるところ、チクリ社会&恐怖政治。実行犯らを追い詰めたのも、結局は、仲間の裏切りによるチクリであった。その後は、凄惨な拷問により、芋づる式に彼らの隠れ場所が暴かれるのだ。

 彼らの拠点を提供したモラヴェツ夫人は、連行される前に青酸カリで自殺するが、その息子は拷問を受ける。その際に息子が見せられたのが、モラヴェツ夫人の、つまり母親の生首である。これは実際にもそうだったらしく、映画の1シーンとしても究極のグロテスクさで絶句した。これにより、遂に息子は、彼らの隠れ場所であった聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂の名を叫ぶ。


◆実行犯らは何を思う、、、。

 舞台が聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂に移って以降は、もう、見ている方は絶望感に浸るしかない。あの状況で、実際のヤンやガブチークたちの心に去来したものは何だったのだろう、、、。およそ勝ち目のない抵抗。

 まずは、見張りのために地上階にいたヤンら3人が侵入してくるナチ兵を片っ端から撃ち殺していく。撃たれても撃たれても、後から後から湧いて出てくるナチ兵。多勢に無勢で、1人やられ、2人やられ、遂に3人目のヤンが青酸カプセルと、1発だけ残しておいた銃弾で自決する。

 お次は、地下に籠る4人。しかし、こちらは、銃撃戦は不発で、地下だからというので、ナチは水攻めに出る。地上にある換気窓からホースを突っ込み、大量の水を4人がいる地下室に流し込む。さらに絶望感がスクリーンを覆う。こうなったら、後は、敵の陵辱を受ける前に、自らの手で決することしかない。

 ナチ兵は、あれだけの数がいながら、実行犯を誰一人として生け捕りに出来なかったわけである。

 この聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂での絶望的な戦闘シーンだけで、30分近くあったのではないか。大聖堂内部のシーンは大型セットを組んでの撮影だったそうだが、その迫力にただただ身体が硬直するばかりだった。

 大聖堂内に続々と侵入してくるナチの兵士たちが、まるでRPGの雑魚キャラよろしく、生命感のない操られ人形のように見えるのが、さらに恐ろしさに拍車をかける。


◆マルチン・ドロチンスキーだ!!

 スクリーンが全体にややセピアがかった色味だったのが印象的。当時のチェコの絶望的な空気感も出ていた様な気がする。

 何より、暗殺シーン、大聖堂での戦闘シーンが、息が出来なくなるくらいのリアリティ。拷問シーンは凄惨極まりなく、正直、目を背けたくなる部分も多々あるが、実際にはさらに酷いものだったのだろうと思うと、身の毛もよだつ。

 キリアン・マーフィは憂を湛えた表情が、明日をも知れぬ身を体現していて素晴らしかった。一方のジェイミー・ドーナンは、ちょっと体育会系の明るさがあって、どうしたって悲壮感とはほど遠いキャラ。暗殺の使命を負っている者には見えなかったけれども熱演だった。

 でも、印象的だったのは女性たち。ガブチークと恋に落ちるレンカを演じたアンナ・ガイスレロヴァーの哀愁を帯びた表情が素敵だった。ちょっと老けている感じだけど、知的な美しさで、暗殺実行に向かうガブチークを見送る表情は出色。チェコの女優さんで、チェコでは有名なお方のよう。もう一人、モラヴェツ夫人を演じたアレナ・ミフロヴァーも素晴らしかったと思う。祖国のプライドのために命を懸けるガブチークらを笑顔で援助する女性ということで、一見肝っ玉母さんみたいな感じを受けるが、そうではなく、しなやかな女性という印象。

 個人的には、プラハの地下組織のリーダーを演じていた、ポーランドの俳優マルチン・ドロチンスキーと本作で再会できたのが驚きだった。『ワルシャワ、二つの顔を持つ男』でククリンスキを演じていたのが彼。どっかで見た顔だなぁ、、、と思いながら見終わって、パンフでキャストを見てようやく認識した次第。でも、こんな顔だったっけ?? うーん。

 キャスティングは、なかなか国際色豊か。だからだろうけど、プラハが舞台でも、セリフは全部英語です。









心身共に元気なときにご覧ください。




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